第26話 ものさしが転がり落ちるかの様に




「それにしても広いね……」

「うん。こういう広さも経験してほしいと思ってね。家ではこういう経験はさせられないし」

 二人は一階の二十畳の部屋の真ん中で、天井を仰いで寝そべっていた。

「お母さん、ありがとう」

 楓は寝そべったままで美月を見た。

「うん」

 美月も寝そべったままで楓を見た。

「……でも、なんか落ち着かないかも……」

 楓は天上を見上げた。

「あはは……そうなっちゃうよね……」

「うん……でも、本当にありがとう」

 楓は美月を見た。

「どういたしまして」

 美月は手足を広げて寝そべったまま、頭を垂れた。

 俺は二人の頭の上で香箱座りをし、

「中々どうして、気持ちいです……」

 アリシアは楓の隣で同じように天井を仰いで寝そべっていた。


「でもさ……」

 楓は天井を見上げたまま言った。

「何?」

「こんなに広いけど、小鉄と遊んだら、畳が傷ついちゃうね……」

「あぁ……うん。広いところで遊ばせてあげたいと思って選んだんだけど……盲点だったわね」

「うん……。全部傷つけたら十五万円って……あれ? 全部傷つけたら宿泊料金より高いって……え? お母さん、ここって一泊いくらなの?」

 楓は美月を見た。

「それは秘密です!」

 美月は天井を仰いだまま、顔の前に人差し指を立てた。

「……そういう事かぁ……」

 楓は天井を仰いだ。

「あれ、逆にわかっちゃった?」

 美月は楓を見た。

「うん……なんとなくね」

「かーえーでー……。楓は子供なんだから、子供らしくしようよー!」

 美月はゴロンと寝返りを打ってうつぶせになると、肘でほふく前進をして楓に近づき、楓の顔を覗き込んだ。

「そう言われても……」

 楓は美月を見た。

「今日は楽しむって決めたでしょ?」

「…………」

「小鉄に全部払ってもらうんだから、気にしない気にしない。ね?」

「……うん」

「うん。使った分は稼ぐ! それだけの事よ」

「そうだね」

 楓は笑った。


「いよーし! お風呂に入ろう!」

 美月は勢い良く起き上がると、右手を挙げた。

「おー!」

 楓も起き上がり、右手を挙げた。


 二人は二階へ上がるとタオルと浴衣を取り出して部屋を出て、一階へと階段を降りていった。

「何をするにも二階に取りに行かなくちゃいけないって……何か、不便だね」

「うん。慣れないと一階だけで生活しそうよね」

「うん」

 俺も二人の後を追って後から階段を降り始めた。


 その時。


「うぎゃ!」

 俺は一段目を降りたところで腰に激痛が走って動けなくなった。

「え?」

 楓と美月が振り返った。

「あ……マズい……あ、あ……あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 俺はそのまま一段目を降りた勢いで体勢を崩し、両手両足を伸ばしたままで縦に、丁度三十センチの物差しを階段の上から縦に転がしたかのように、ドデデデデと階段を転げ落ちた。そのまま勢いがついた体は三段目で跳ね、回転しながらポーンと空中に投げ出された。

「小鉄!」

 楓は体勢を崩した俺を見て、手に持っていた浴衣とタオルを投げ捨てると階段を駆け上がり、回転しながら落ちる俺を真ん中あたりで受け止めた。

 ボフッ!

「小鉄! 小鉄! 大丈夫!?」

「小鉄!」

 美月も慌てて楓に駆け寄ると、俺を見た。

「楓、取り敢えず布団に寝かせよう!」

「うん」

 美月は階段を駆け上り、寝室に布団を敷いた。

 楓は俺を抱いたままゆっくりと階段を登り、部屋に入ると布団の上に俺を寝かせた。

「はぁ、はぁ……あぁぁぁビックリした……」

 俺は動揺していた。体中にアドレナリンが駆け巡り、まだ興奮状態で痛みは全く感じなかった。

「小鉄、大丈夫!? 小鉄!? …………ごめんね……」

 楓は俺の横に座り、俺の体をなでていた。なでながら、泣き出した。

「大丈夫だ……。楓、どうしてお前が謝る?」

 俺は楓を見た。

「ごめんね……私が付いていたのに……」

 楓の目からはボロボロと涙がこぼれ落ちた。

「違うぞ楓、お前のせいじゃない! くっそ……うっ」

 俺は起き上がった。まだ少し手足が痛む……。

「ほら、大丈夫だぞ!」

 そのまま後ろ足で立ち上がり、くねくね頂戴をしてみせる。

「小鉄……?」

 楓は驚いていた。

「アガッ!」

 だが俺は腰に激痛が走り、そのままパッタリと倒れると、横向きになった。

「小鉄! ダメだよ、無理しないで!」

 楓の涙は止まらなかった。

 ぐぅぅぅぅ、どうしたら……そうだ。

「楓、五十音表をくれ」

 俺は両手をパンパンと叩いた。五十音表をくれという合図だ。

「え、何か言いたいの? ちょっと待って……」

 美月がそう言うと、鞄から五十音表を出し、俺の目の前に出した。

『なぜなく』

「だって私のせいで……小鉄が……」

『だいじようぶ』

「……嘘……動けないじゃない……」

『こしだけ』

「他には、どこも痛くないの?」

 おう。俺は頷いた。手足の痛みは和らいでいた。多分大丈夫だろう……俺は猫、あの程度で骨まではいかないはずだ……まだ腰が怖くて立てないが……。

『すこしやすむ』

「うん……ごめんね……」

 そのまま楓は俺の横で泣き続けた。俺はそのすすり泣く声を聞きながら、すぐに眠りに落ちた。


 ──


 目を開けると、部屋中が赤く染まっていた。目の前にアリシアが横になり、俺を見ていた。

「夕方……? 今何時だ?」

「十七時ですよ」

「二時間くらい寝たのか?」

「はい。大丈夫ですか?」

「ああ……。うん、大丈夫そうだ」

 俺は立ち上がると体を動かし、確かめた。

「それは何より……それより、ほら」

 アリシアが指差す方を見ると、楓が俺の隣、アリシアの反対側で横になり、スースーと寝息を立てて眠っていた。

「ずーっとさっきまで泣いてたんですよ。泣き疲れて寝ちゃったんでしょうね」

「そっか……。なんか悪いことをしたな……」

「ですね……」

「美月は?」

「下でテレビ見ながら、小鉄の病院を探してます」

「そっか……早く大丈夫だって伝えたいが……あの階段が……」

 俺は部屋の入口を見た。

「私が連れていきましょうか?」

「良いのか?」

「はい」

「じゃ、頼む」

「はい、痛かったら言ってくださいね」

「おう」

 アリシアは俺の体を持ち上げ、俺が反応しないことを確かめると、そのままふわふわと階段を降り、一階の床に俺を下ろした。

「サンキュー」

「いえいえ」

 俺は部屋に入った。部屋の中では美月がボロボロと泣きながら、スマホを操作していた。

「美月」

 俺が声をかけると、美月は俺を見た。

「小鉄!? あれ、楓は?」

「まだ寝てる」

 俺は上を指差した。

「え、一人で階段を下りたの!? ダメじゃない!」

 美月は本気で怒り出した。目から涙を流したまま、本気で怒っていた。

「す、すまん……でもほら、もう大丈夫だ」

 俺はその場でクルッと一回転してみせた。

「……あら? もう大丈夫……なの?」

「ああ」

 俺は頷いた。

「……どこも痛くない?」

 ああ。俺は頷いた。

「本当に?」

 ああ。俺は頷いた。

「本当の、本当に?」

 ああ。俺は頷いた。

「我慢してない?」

 ああ。俺は頷いた。

「って、疑い深過ぎるだろ!」

 俺は美月の膝に右手で突っ込んだ。

「……ふふっ、大丈夫そうね……楓はまだ上?」

 ああ、上で寝てる。俺は上を指差した。

「まだ寝てるのかしら……楓ー!?」

 美月は立ち上がると、そう言いながら階段の下へ行った。

「楓! 楓ー!?」

「小鉄……!? 小鉄! どこ!?」

 と二階から楓の大きな声がした。

「下にいるわよ! 降りてらっしゃい!」

「え!?」

 と楓の声が聞こえ、タンタンタンタンと廊下を走る音が近づいてきて、ダダダダダダダダと大きな音を立てて楓が階段を駆け下りると、床に立っている俺を見た。

「小鉄……? もう、大丈夫なの?」

 楓はそう言いながら、ゆっくりとしゃがんだ。

「ああ」

 俺は頷いた。

「……どこも痛くない?」

 ああ。俺は頷いた。

「本当に?」

 ああ。俺は頷いた。

「本当の、本当に?」

 ああ。俺は頷いた。

「我慢してない?」

 ああ。俺は頷いた。

「って、疑い深過ぎるだろ!」

 俺は楓の右足に右手で突っ込んだ。ってか、お前は美月の双子か何かか!? いや、もちろん娘なのは知ってるが……そう言いたくなるような、見事な天丼フリだった。

「……ふふっ、大丈夫そうだね……よか」

 楓はそう言いかけ、俺に両手を伸ばして止まった。

「抱っこしても、平気?」

「大丈夫だ」

 俺は頷いた。

「じゃ、ゆっくりやるから、痛かったら言うんだよ」

「おう」

 楓はゆっくりと俺を抱き上げた。

「ふぅ……」

 楓は俺を抱くとため息をついた。俺がまだ痛いんじゃないかと息が詰まっていた。

「心配かけたな」

 俺は楓の頬を舐めた。

「大丈夫なんだね……? お母さん、小鉄をお風呂に入れても大丈夫かな?」

「そうね。大丈夫そうだし、繰り返し入れてあげたほうが良いかもね」

 美月がそう言って笑うと

「うん!」

 楓は力強く頷き、笑った。


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