第9話 猫 肥える



 その後、毎日のように楓と遊び、毎日のようにアリシアに「かまえ」と惰眠を妨げられ、毎日のように痛がりながら楓に伸びをさせられ、毎日のようにチョールを舐めると、日々はあっという間に過ぎていった。


 そんな、ただ無駄に過ぎていくように見える日々の中で、溜まり続けるものがあった。


 記憶と、記録と……。


「小鉄……」

「ん?」

「なんかプヨプヨになっていませんか?」

「何を言う、これは冬毛だ」

「そうですか……えい」

 アリシアは背中からスマホを取り出し、何かを押した。

「寒っ!」

 全身に悪寒が走った。

「あぁ……やっぱり……」

「ちょ、何をした!? ん……あれ? 毛が……俺の大切な体毛が……消えた!?」

 俺の毛がすべて消えた。俺の体の表面にあった白黒の、ふさふさとした体毛が全て消え、俺は毛のない猫のような丸裸になり、赤裸々な素肌をさらしていた。

「やっぱり、太ってますね……」

「え……? そ、そうか?」

「いえ、疑う余地はないと思いますけど……」


 脂肪だった……。


 ここ最近、これまで登れていた場所に登れなくなったり、これまで以上に腰痛が多くなったりひどくなったりしているな……とは思っていた。思ってはいたが、こんな風に裸体にされると、それは思っていた以上に肥えていたことが原因だ、と言うことがわかった。


「しかし、なんでこんなに……あれ」

 俺は仰向けになると、自分の腹を見た。

「よっ……はっ……やっ……」

 そのまま自分の右後ろ脚を舐めようと思い、体を曲げようとしたのだが、腹が邪魔をして届かない。

「……なぁアリシア……」

「なんですか?」

「右足の付け根ところ、掻いてくれ」

「お爺ちゃん!?」

「…………」


「あぁ、そこそこ……いいわぁ……」

 俺は毛をもとに戻してもらうと、仰向けのままで大の字になり、アリシアに後ろ足の付け根を掻いてもらっていた。

「小鉄……マジでヤバくないですか?」

「…………」

 返す言葉もございません。

「このまま肥え続けたら、さすがに楓に嫌われますよ?」

「えっ!? それはマズい!」

 俺は飛び起きた。

「お、素早い……」

「な、なんかないか?」

「なんか?」

「ああ、何かいい方法はないか? こう、天界魔法的な」

「……小鉄」

「なんだ?」

「あなた、天界っていう言葉を、なんでもできる魔法みたいに思っていませんか?」

「……違うのか? そのスマホがあればなんでも作れて、何でも出せちゃう! みたいな」

「うーん……あながち間違っていはいないんですけど……」

 アリシアは浮かない表情だ。

「おぉ! 出来るのか!? ……ってどうした、何か問題でもあるのか?」

「あるっちゃあるんですが、ないっちゃないと言うか……」

「煮え切らない奴だな、ハッキリ言え」

「いえ、使い方がよくわからないんですよ」

「……え? 使い方?」

「はい。これ、小鉄の言うように、万能グッズらしいんですけど……」

「いや、なんでそこ、あやふやなんだ? そもそもそれを受け取る時、説明されたとか、説明書を受け取ったとかしたんだろ?」

「ええ、説明を受けはしたんですが……その……自分でイメージして、組み立てる必要があるんですよ」

「イメージして、組み立てる?」

「どう言ったら良いんですかね……こう……頭のなかで設計図を作って、それを思い浮かべながらボタンを押す……みたいな」

「え、想像したとおりになると!?」

「簡単に言っちゃうとそうです」

「凄いじゃないか!」

 流石は天界スマホ! 正に万能グッズ!

「でも、そんなに簡単じゃないんですよ……」

「何を言う! ほら、なんか出してみてくれ。習うより慣れろだ!」

「……そうですか?」

「ああ。取り敢えず、俺が室内で運動できるもの……ルームランナーみたいなものを頼む」

「……ルームランナー……あ、あれかな? ……えい」

 アリシアがスマホのボタンを押すと、ポンと白い物体が現れた。


「……なんだこれ?」

 目の前の物体は、白いプラスチックのような素材でできた、大きめの円筒を輪切りにしたものが台の上に乗っているような……あ、そう。ハムスター用の回し車に見える。それの大きいやつ。

「猫用、ルームランナー……だと思います」

「これ、中で走れば良いのか?」

「ええ、くるくる回せば」

「そっか、どれどれ……よっと!」

 俺はその円筒の中に飛び乗った。

「お、動いた」

 円筒に乗るとゆっくりとその筒が回り始め、俺は円筒の速度に合わせて歩いた。

「速度って、こんなもんなのか?」

 思っていたものとは違い、俺が円筒の前に寄っても円筒の速度は上がらなかった。どうやら自由回転ではなく、何かに制御されているようだ。

「うーん、徐々に早くなるんじゃないかと……」

 アリシアがそう言うと、その通り円筒の回転速度が徐々に速くなり、俺は円筒の中を走った。

「おお、これは悪くない……いや、ちょっと速い」

 そして円筒の速度はどんどん速くなり……。

「おい、速い……あれ……なぁ! これ、どうやって止めるんだ!?」

 俺は円筒の速度についていけなくなり、足がもつれ始めた。

「いえ……止める方法は……」

「え!? あ……やばい! おい、止めろ! 止めて! あ、あぁぁぁぁぁぁ!」

 アリシアの声が聞こえないまま、俺の身体能力は円筒の回転速度についていけなくなると、ついに俺は前のめりに転び、遠心力で円筒の内壁に押し付けられたまま円筒と一緒にぐるぐると回り始めた。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁ! とめ、止めて! 目が回る! 止めて止めて、うぉぁぁぁぁ!」

「え……えっと……。あ、これかな? キャンセル!」

 その瞬間……。

「うぉっ! ギャッ! がっ! ……いだっ!」

 アリシアが作った回し車はパッと消え、俺の体は遠心力の残りでそのまま宙にピューッと投げ出された。そのまま部屋の壁に当たってタンスの上に落ち、バウンドして床に落ちた。

「はぁぁぁぁぁぁ……」

「小鉄……大丈夫ですか? ってか、生きてますか?」

「い……生きては……いる……」

 俺は体の痛みと、酷いめまいでそのまま動けなくなり、暫く立ち上がれなかった。てか、吐きそうだった……。


「なぁ、これってコントロール、制御とかどうなってんだ?」

 俺は体を舐め、毛づくろいしながらそう言った。

「いえ、そういうものは全く考えていませんでした」

「考えてない?」

「ええ……私はそういうのが苦手で……徐々に速くなればいいかと……」

 あぁ、あれはなるべくしてなったと……。

「もしかして……一度やってみたけど、上手く行かなかったと?」

「はい……習った時にやってはみたんですけど、私にはそういう制御の部分が想像できず……結果としては制御不能なものが出来上がるという……」

 あ、それで渋ってたのか……。なんか無理させたか……?

「なぁ、それって俺が押しても動くものなのか?」

 俺はアリシアのスマホを指差した。

「いえ、これは私以外が操作しても動きません。そういうセキュリティーがかけられているんです」

「そっかぁ……。なぁ、俺が想像したものをお前に伝えて、それを作ってもらったら……もしかすると上手く行ったりしないのか?」

「……小鉄が想像したものを、私に伝える?」

「ああ、俺が設計。お前が製造」

 問題はそれが正しく伝わるか? それをアリシアが正しく想像できるか? だ。

「あぁ……どうでしょう? やってみますか?」

「ああ、やってみよう」

 失敗は成功の元。


 その後、俺達は幾つもの俺専用回し車を作っては試し、作っては試しを繰り返した。その中には走っている最中にバラバラになってしまうものもあれば、爆発するものまであった……。


 そして試作品はバージョン十二になり……。


「お! これは成功じゃないか!?」

 俺が前へ進むとちゃんと加速して、俺が力を緩めると減速して止まる。

「大丈夫そうですか?」

「ああ。おーりゃっ!」

 俺は全力で走ってみた。円筒はきちんと俺の速度に対応し、気持ちいい速度でついてくる。俺はそのまま暫く走り続けた。


「はぁ……結構疲れた……」

 俺は猫ランナーから降り、ぐったりと横になった。

「お役に立てたようで、何よりです」

 アリシアは笑っていた。いつもの元気印の笑顔ではなく、素直に嬉しそうに笑っていた。あ、こいつ、こんな顔もできるのか。

「ああ、ありがとな」

「はい!」


「じゃ、これは保存……と」

 アリシアがスマホを操作すると、猫ランナーが消えた。

「保存できるのか?」

「ええ。なので、言ってもらえれば次からはすぐに出せますよ」

「そっか」


 その後この猫ランナーを毎日活用し、一週間もすぎる頃。俺の体形は元に戻っていった。

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