調律師


「何はともあれ、今だけは君に一歩引いたところで鑑賞して観てもらおうか」


 自らのことを調律師と名乗った青年は、カタルカの妻の遺骸を股越してオリヴァに近づいた。


「お前、何を言っている」


 彼は肩にかかる髪をかきあげた。

 オリヴァはこの男の異様さに言葉が出なかった。例え、魔獣へ変異の途中であったとはいえ、彼は剣一本、軽々と魔獣の首を刎ねた。顔にかかる水色に血液に驚きもせず、異形なる人間に軽薄とも取れる憐みの言葉を送る。

 人間・魔獣・死体・肉片等々。非日常的、想定外の事象が駆け巡るこの村を、彼は涼やかに歩く。いや、村の異変全てを受け入れていた。

 異国なる服装。既知を超えた感性。オリヴァは自らと違う異質なる存在を前に距離を取る。


「鑑賞には土台が必要だ。けれども君は、意固地で他人を受け入れるのが苦手な人間。そういう音がする」


 オリヴァは眼を細め男を睨む。彼が言ったセリフに近い内容をベルに言われたことがある。彼女の場合、彼のようにオブラートに包むことはせず、より苛烈に述べていた。


「図星? まさかぁ。オレはウソきな人間だよ。キミの急所を言い当てたつもりなんてないさ」


 調律師はさも自分が無害な人間であることを強調するように両手を広げた。淡黄白色のフードから見える色白の肌。手練れな剣士には似つかわしくないマメ一つない手のひらをしていた。


「だから、キミはオレのいうことを信じなくて良い。信じるべきものはちゃんとオレが示すから、ネ」


 そういうと歩みを止め、腰に手をあてた。


「何をわけのわからないことを」

「そう。この村で起こっていることは全てわけのわからないことさ。人間の手に余る事象を調律するために世界は十二本の聖剣に仕事を与えた」


 調律師は唇に自らの人差し指を当てた。


「信じなさい」


 彼が言葉を紡ぐ。辺りは物音を失くし、しんと静まり返る。


「君の目の前にいるのは音の聖剣使い」


 静寂に包まれた透明な空気。彼が言葉を放てば清らかな空気の水面に十重 二十重の波紋が広がりオリヴァの脳内に響いてくる。言葉は強大であった。

 言葉の裏を探ることが常であるオリヴァにとって言葉の裏すら探すことの許されない謎の強制力。疑義を正そうとすれば痛みをもって「信じろ」と得体のしれない感性が正す。頭の内側から拡張するかの如き痛みに、頭を抱えオリヴァは膝をついた。


「おや、案の定頑固もんだねぇ。それじゃぁ、申し訳ないけれど――」


 調律師の薄紫色の瞳に絵も言えぬ強い光が灯る。


「音の聖剣使い イリアが命じる。汝ら鑑賞者となり、我が調律の瞬間を見届けよ」


 オリヴァは手を伸ばした。彼の胸倉を掴み素性を問いただそうとした。かれども、彼の抵抗など聖剣使いの前では児戯も同然である。オリヴァの声や動きよりも先に不可視の塊が彼の顎を打ちぬき、有無を言わさず彼を制圧するのであった。




「うーん。こんなもんかな?」


 イリアは手についたゴミを払うように両手を叩いた。音を合図に茂みの中から若い男女が現れる。

 男は背が高く筋肉質であった。髪の色から靴の色まで、黒一色に統一され、冷たく人を寄せ付けない眼光が特徴的である。


「イリア、別にお前の素性を明かさなくても佳かっただろう?」

「いやぁ、彼は君に似てすごおおおく頑固なんだよ。こうする為には、まぁ多少強引にいかなきゃね。力は手札の強さに比例するってもんだよ」

「んなぁぁ、レン、そこでさぼらんといてやぁ。イリアさんと話する前に私の手伝いしたってやぁ」


 女の声に、イリアとレンと呼ばれた男が反応した。彼女は虚ろな目をしたオリヴァの身体を背後から抱きかかえ必死に移動させている。


「んおもぉぉいい」

「お前なら一人で出来るだろ。俺が手伝う幕でもねぇ」

「んんんんん。でも、男の身体やで。こんなか弱い女の子にこないなことさせんといても――」

「うるさいなぁ。ミサダメ。それぐらいお前がやれ。ひ弱な事をしても一個もにあわねぇぞ」


 レンの言葉に、ミサダメと呼ばれた女は「ムキャー」と叫んだ。彼女は眼を釣り上げ、オリヴァの身体をズルズルと引きずり、適当な場所に座らせた。

 自分の仕事が終わるや否や、レンの側に近づいて下から彼にガンを付け始めた。

 彼女もレンと同じ黒い髪をしている。男の髪は短くも天を突くように伸びているが、彼女の髪は女性らしく肩までサラサラと簾のように伸びている。彼等は強気な顔立ちという点では非常によく似ている。だが、二人は兄妹ではない。彼女が着用している服は、布をつぎはぎにした単衣である。レンやイリア、オリヴァの国では知らぬ服だ。彼女が生まれた国ではこの服が主な服装だったらしい。


「で、今回の目的はなんだ?」


 レンはミサダメの頭を押さえつけ、掌でグリグリと頭頂部を刺激する。


「目的、というか……。少々この世界は特殊でね。この世界では聖剣が一本

「はぁ?」


 聖剣が欠けている。イリアが告げた言葉に二人は同時に声を上げた。


「どこの世界でもそうさ。聖剣使いが不在。聖剣の数に変動がある。そういうのはよくある話だし、君たちだって知ってるだろ? けれども、聖剣が欠けている。なんてことは今まで無かったし、ありえないことなんだ」


 イリアの言葉に続き、周囲に気配が帯びる、魔獣だ。


「欠けているのが、獣の聖剣、ってことか?」

「その通り」


 レンとミサダメの顔が攻撃的な色に変わっていく。二人の手が背中へ動く。彼等の得物は腰ではなく、背中にあった。


「人為的に欠けたのか、もともとそうなのか。まではわからない。ただ、この事実を利用した者がいて、この村に魔獣を解き放ったのは確かだ」

「ん? イリア、ここの魔獣って人間から生まれたもんやろ? 魔獣は獣の聖剣の管轄なんやろ? 聖剣使いがおらへんのに、なしてこないなもんが出てくるんや」


 ミサダメの問いにイリアは「うーん」とわざとらしく唸って見せる。彼の変わらない穏やかな表情を察するに、答えは決まっているようだ。


「ミサダメ、アイツが言っただろう。今回の件は、欠けた獣の聖剣を誰かが利用している。聖剣使いじゃない誰かが、欠けた獣の聖剣をいじくっているだけだ。その中途半端さ故に、人間から魔獣が生まれる。なんてトンチキなことが出来上がってやがる」

「もう一つ付け加えると、その人物は欠けた聖剣で聖剣本来の力を引き出そうと躍起になっているみたい。聖剣の恩恵と呪いをきちんと受け入れて聖剣を利用している」

「イリアぁ、そないならもうソイツは聖剣使いと同じでえぇんとちゃうんか?」

「ミサダメ、それは違う。聖剣使いは、世界と聖剣が認めた者によって認められる。そうでなく聖剣を利用する者は決して聖剣使いではない。例え、聖剣の恩恵と呪いを引き出したとしても世界と聖剣が認めない限り、本来の力を発揮することはない」


 ミサダメは納得したような納得していないような表情であった。

 いや、彼女はもうイリアの説明を聞く気がない。魔獣の餌。カタルカの妻の遺体目掛けて近寄る魔獣に向かって走り出している。彼女は背中から大きな剣を引き抜いた。朱色の柄の左右に閉じた眼球のオブジェが埋め込まれている。彼女が柄を叩くと、閉じていた瞼が開かれ、黒目が左右に動き出す。


「オニさん。オニさん」


 彼女の声に黒目の動きが変わる。ソレも得物を探すように動いているのだ。


「オニさんこちら! 手の鳴るほぉへ!」


 ミサダメは草むらの中へ入り、涎を垂らした魔獣を見つけた。彼女はすぐさま魔獣の身体を横一線に凪払う。魔獣の身体に筋が入ると、ワンテンポ遅れ、切り口から火柱が立った。


「んもぉぉぉ。オニさん、反応遅いぃ。私の獲物、見ぃひんと燃やせへんで」


 ミサダメは不服そうに剣に話しかける。彼女のいう「オニさん」とはこの柄に埋め込まれた眼球の事である。


 彼女がイリア達のところへ戻ってくると、レンが不服そうな顔をして立っていた。


「何なん? コイツ、えらいブっっサイクな顔して」

「レンね、ミサダメが殺した魔獣を狙っていたみたい。それをキミが先に殺しちゃったのが悔しいんだってさ」

「俺はそんな事を言ってない」


 そういうも、彼の手には得物が握られている。彼の得物は黒い馬上槍。長く使い勝手が悪いとレンがいた世界では言われていたが。様々な因果があり愛用することとなった。

 レンは忌々しそうに地面に槍を突き刺すと、イリアに向かい顎をしゃくった。


「そうそう。本題本題。オレ達の目的はこの村にいる不幸な魔獣を終わらせること」

「終わらせる、ってか殺せばえぇんやろ?」

「まぁ、それがミサダメとレンの仕事。オレはその旅立ちを調律する。それが今回の役目」

「面倒くせぇなぁ」

「仕方ないだろ? オレは付いて来いなんて一言も言ってないよ。調律の旅に付き合いたい。って言ったのはキミだろ? レン」


 レンはイリアを睨むと何も言わずに槍を引っこ抜き歩き始めた。ミサダメは背中を丸めるレンの姿を見てケラケラと笑うも、イリアに「仕事してくる!」と言い、彼の後をついていった。

 イリアは二人の後ろ姿を見届け、視線をカタルカの妻へ向けた。


 地に伏せたカタルカの妻魔獣の肉体から軋み始めた。遺骸の表面から水分が抜けていき乾いた大地のように深いヒビが刻み込まれていく。ヒビは深さを増し、臓腑を貫いていく。終には地面まで達し肉体は割れた。肉片は萎縮する。重さを失くした肉片は石ころよりも小さくなり、風に乗ってどこかへ消えてしまった。


「これが、人非ざる者の末路」


 人は死ぬ際に身体を残す。何故なら、肉体を炎に飲ませ残った塵と灰が樹の聖剣 イグラシドルへ旅立ち、縁あるものと再会できると信じているからだ。

 塵と灰すら残さなければ、イグラシドルの元へ旅立つことは出来ない。


「この村の者達は誰一人、塵と灰を残して死ぬことが出来ない」


 イリアは腰に下げていた剣を抜く。


「哀れな人の子。イグラシドルはその死を嘆き、調律せよ。とオレに命じた。イグラシドルは塵と灰無き死を赦し、あなた方の旅立ちを願っている」


 彼の言葉が変化する。言葉は人から獣へ。死した者、死する者。全て等しく伝わっている。生者には見えない旅路の行く先を示し、音が彼らを導く。あるべき死の形への調律。それは、世界が音の聖剣使いにのみ許した力である。音の聖剣使いが「調律師」の二つ名を戴くのは、この力が所以となっている。


「ところでさ、オリヴァ・グッツェー」


 彼は顔を見ずに、虚ろな眼で事実を捉えている者の名前を呼んだ。初対面であるオリヴァの名前を呼んだ。


「オレ達の役目は、この村の悲劇を正すこと。それ以上は許されていない。何故、このような事が起きたのか、誰が起こしたのか。そして、欠けた聖剣はどこにあるのか。異変を解決するのは人間の仕事さ。聖剣使いなんざ、バケモノの出る幕じゃない」


 イリアは口の中で言葉を転がすと、聖剣を指揮棒のように振るった。すると、オリヴァは糸が切れたようにその場に崩れ落ちる。オリヴァの記録はそこで終わった。


「そして、音の聖剣の呪いさ。君はオレを忘れる。オレも君を忘れる。けれど、不思議と君には会えそうな気がするんだ。聖剣使いは惹かれあう。門を見つけた先でまた会おう」


 イリアはそれだけを言うとオリヴァの頭上で剣を振るった。次の瞬間、イリアの姿はなかった。あたりは何もなかったのように静まり返っているのであった。

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