初夜編 棺の上で踊るプリマ達 07

オリヴァの髪が、数本ハラハラと落ちる。短い黒糸は、彼のうでのなかで息を殺す女の容姿を愛した男の頭頂部にかかった。男は、自分の胴体を見上げ、パクパクと口を開く。おそらく、生理反応だろう。頭部にわずかに残されたさんそが、脳に最後の司令を与える。「何故」その単語だけを漏らすと、グリンと白目を剥き、絶命した。

 頭部の死を引き金に、胴体から、血液が噴出する。彼ら、領主の血を頭から受け止めた。生暖かい感触。顔や背中に、隙間なくべったりと、血液は二人に降り注ぐ。血液の雨を体で受け止め、雨が降り止む頃、彼らは、ゆっくりと立ち上がった。

 二人の目の前には、ツーハンドアックスを手にし、顔を違う意味で赤く染めている親方がいる。ベルは、オリヴァの手を払い、親方をツーハンドアックスを捨て、足早にベルを抱きしめた。彼女を抱きしめている手は厚く 熱く 暑く。とても人間らしい強さを持っている。浮き足立つ彼女の心を鎮める力は、弱った娘を守る父親らしい強さ。だが、そんな彼の手は先刻、人を殺めたのである。


「娘が」

「えっ?」

「ようやく娘の声が聞こえなくなった」


 穏やかな声に、ベルは瞼を閉じる。


「あいつは、ようやく旅立てたんばい」


 そして、彼もまた、彼女の亡霊と離れることができた。男は、父親として、一人の女の仇を取った。彼は、男として、一人の女の操を守った。彼は、ただ一人、舞台の上で踊りきった。

 ベルは、足首に指を伸ばす。ナイフブーツに仕込んでいた音の探検に指を伸ばし、白い指で、抜き身の刃を掴んだ。


「父ちゃん」


 彼女の一言に、彼は声をあげる。外から聞く娘の声に、彼は、甘い父親らしく顔を歪めた。


「ありがとう。父ちゃん」


 娘の声に、彼は伝えたかった、別れの言葉を伝える。


「あぁ。お前は、最高の娘ばい」


 そう言うと、彼はベルの体を再び強く抱きしめた。






「トラン」


 オリヴァは駆け寄ると、彼女は、トランベルになっていた。顔の汚れをゴシゴシと拭い、白い歯をニィと見せる。


「ありがとう。おりんりん。助かったわ」

「……。お前」


 オリヴァが何かを言おうとした時だ。親方は、二人を横切り、地面に転がる領主の頭を掴む。白く濁り、赤茶色に汚れた口元。絶望をぴったりと顔にはりつけた表情。親方は、領主を、彼が好きな「高い場所」へ掲げた。


「領主は死んだっ」


 首からたらりたらりと落ちる液体。ペチャリと新しい水たまりを作る。目を伏せたくなる光景。しかし、村人は誰一人としてコンラッドの首から目を離さない。自分達を抑えていた人物のあっけない末路。皆、愕然とした表情を浮かべ、親方の声に耳を傾ける。


「悪しき風習。初夜権といった因習も領主の死によりこれで打ち止めばい」

「お、親方ぁ。あ、あんたぁ。なんちゅー事ばしよるとね。これで、コトウが目覚めてしまったらどげんすっとね」

「爺さん。そげなもんおらんばい。コトウの呪いなんざ、俺は見た事もなか。俺の爺さんも、そのまた爺さんもコトウの呪いっち言いよるけんど、誰もそげなもん見た事なか。みんな、考えてみんね。そげな知らんもんに、ビクビク怯えて生活するつの、みんなで協力して新しい生活を作るのっち、誰も犠牲にせんでよか生活するんじゃったら、どちらがよかとね」


 親方の言葉に反発していた老人達も口を噤む。皆、ようやくコンラッドの首から目を離すことができた。自分のつま先を見つめ、親方の問いかけに各々考える。考え 考え 考え。彼らが伏せていた顔を上げた時、彼らの瞳の色は、怒りを滾らせていた。

 彼らを抑圧していた者は死に、村人は解き放たれる。声は発さずとも、地を震わす気迫に、親方はもう一度声を上げた。


「我々は自由ばい! コトウの呪いから解き放たれた。歓喜の声を上げんね。我々は、因習から今日をもって解放されるんばい!」


 彼の声に、村人達は天高く拳を突き上げ、声をあげた。そして、ベル達を取り囲んでいた円は崩れ、コンラッドの胴体へと群がり始める。

 一方、二人は、群衆から逃げるようコンラッドから離れていく。


 彼らは、生まれてから。いや、先祖代々受け継いできた領主からの屈辱をこれを好機といわんばかりに晴らしていく。暴言と暴力が渦巻くこの中を、トリトン村の幼子 ブラとスタンはジッと榛色の瞳を潤ませながら見つめている。自分の父の哀れな最期。しかしながら、彼女は、村人から遺体を足蹴にされている人物が、自分の父親である事を最期まで知らされないままであった。


「何?」

「これが……群衆だ」


 オリヴァは彼女の前に立ち、暴徒と化した村人をじっと見つめている。


「重石となる者を失い、負の感情に飲まれてしまえば、人は束となり、全てを混沌に作り変える」

「えぇ。物語でもよくある話よ」

「だから、私は……」


 オリヴァの口調は、ロサリオから本来あるべき場所へ戻っていく。


「私は、人々が暴徒と化さぬよう、キルク様を支えたい。国民が暴徒から限りなく存在となるよう。私は……」


 オリヴァは、最後の一言を発さなかった。群衆の中をかいくぐり、領主の首を後生大事そうに抱える人物が現れる。親方だ。憑き物が落ちたようにホッとした表情を浮かべ、コンラッドの首とオリヴァ達を交互に見つめる。


「これが、あなたの目的ですか?」


 オリヴァは近寄る親方に冷たい言葉を放った。彼は、親方とベルが通じ合っている事は知らない。知らないからこそ、この現状を理解できないでいた。


「人をどかし、何を守ったのですか。領主を殺したあなたは、一体、何を得たのですか」


 親方は、ベルを見ない。一人の人間の問いに、反逆者は静かに答える。


「俺の中にある人の心ばい。人として守り通したい。例え、領主を殺し、村を混沌に落とし入れたとしても、守りたい人の心があるったい。俺は、それを守った。そげん為なら、俺は、獣でんなんでん落ちちゃる」


 オリヴァは奥歯を噛み締め、親方に口を開こうとした時だ。


「ロサリオ、お前も気づいているんか?」

「何がだ?」

「お前、笑っちょるばい」


 親方の一言に、オリヴァの熱くなった血管に冷や水が注ぎ込まれた。彼は、己の頬に手を当てる。冷たくひんやりとした頬。指を口の端に恐る恐る這わせると、確かに彼の口角はあがっていた。その角度は、笑顔の角度。オリヴァは「違う」と漏らすも、裡からケラケラと笑う声がした。緋色アヌイの笑い声が、頭の中で響き渡る。


「お前さん、俺と戦っている間も笑っちょったばい」

「違う」

「俺が、斧を振るべき場所を教えるように、お前さん、避けちょったんばい」

「違う」

「お前は、まるで、コンラッド様の場所を誘導しているんかっち思うぐらい、滑らかな丁寧な誘導やったばい」

「違う。違う。俺は、そのような事」

「お前さんの獣の部分が、そうさせたんやろうなぁ」


 親方の一言にオリヴァは返答できなかった。確かめるよう、白い皮膚を触れる。返されるのは、冷たい感触のみ。もう、緋色アヌイの笑い声は聞こえない。彼は、彼女の答えをりかいした。


「俺は……俺は…」


 何かにすがろうとするオリヴァの声は、馬の嗎でかき消された。板を蹴破り、勝鬨をあげるような大声。金属の甲冑と柄がかちゃかちゃと激しくこすれあう。

 集団の足音はまっすぐこの中心地に向かって近づいていた。

 オリヴァ達は、声のする方角を見つめる。天に掲げる緑色の旗。丸い月桂樹は金色に刺繍され、風の流れを示すかのように靡いている。王都の騎士の旗だ。オリヴァとベルの脳裏に、コルネールの言葉が蘇る。


 ー任務は7日間。帰りは手配するー


「手配といっても、やり方があるだろう。クソジジイ」


 彼の本音は、ベルだけに聞こえていた。


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