初夜編 棺桶の上で踊るプリマ達05

 人間の体に入れられる魂の許容は決められている。1つだ。


 例えば、 1つしか入らない容量の器に、に2つの物を入れ込もうとすれば、容器はどうなるだろう。

 まず、無理やりねじ込む。

 1つしか受け入れる事しか出来ない性質上、容器は壊れてしまう。


 次の提案。2つの物を1つに混ぜ合わせて、容器に入れたらどうなるだろう。

 その場合、容器は受け入れるであろう。「1つの物」であるからだ。しかしながら、中身は2つの性質が混和した状態である。もはや、互いを認識することは出来ない。元の形は消えてなくなってしまった。

 

 オリヴァ・グッツェーの肉体に2つ目の魂が捻りこまれている。

 魔獣の心臓を喰らい、血を啜ったため、彼の体内には、魔獣の「力」と「魂」が取り込まれてた。新しい肉体を得た、魔獣は、すぐに肉体の支配権を要求する。自分が格上であること言いたげに、オリヴァの魂を傷つける。一方、オリヴァも反抗した。「己の肉体である」と声高に主張し、支配権を死守するのだ。

 魂と魂のせめぎあい。無理やり押し込まれた肉体は、悲鳴を上げるしかない。

 肉体と魂の痛みは、全てオリヴァにぶつけられる。彼は、今まで経験した事のない痛みに咆哮を上げた。ガリガリと心臓を掴もうと、胸に爪を立てる。目尻が張り裂けるのではないかと思うほど、目を見開いた。頭を上下左右に振り、彼は叫ぶ。その姿は、月にッ向かって吠える獣の姿に似ていた。

 


「助けて下さい」


 オリヴァは、人目を憚らず、懇願した。痛みで嗜好が焼ききれると思ったことはあるが、今回は、痛みが彼を潰そうとする。彼の中で「痛みの逃避」が生の要求として浮かびあがる。奥底から引き出した言葉は、人間の言葉ではなく、獣の言葉であった。


「助けてほしいか?」


 獣の言葉に、獣が答える。あやふやだった魔獣の魂に輪郭が生まれる。彼女は、オリヴァを助けるために、あえて彼の魂を喰らい、溶かしていく。魔獣アヌイは、緋色の目を細めて彼に言い寄った。


「助けてやる。私なら、助けてやれる。ただし、お前が助かる方法はただ一つ。簡単だ。お前の肉体を私に寄越せ。そうすれば、お前は苦しみから解放され、全ての悩みから解放される。私も、その方がありがたい。お前の肉体さえあれば、私は、私の願いが成就できる。傷みカラ逃れたいお前と私の願い、悪くはないだろう。」


緋色の塊はそう言うと、オリヴァの魂を再び、貪り始める。彼は自嘲した。肉体を食われ、魂まで食われるのかと。彼の魂が刻んでいた過去の記憶が、暗黒の伽藍へ落ちていく。清浄静閑の中、オリヴァの記憶は取り返せない中へ埋没していっている事に気づいた。消えていった記憶の代わりに、泡のようにして現れたのは、彼の知らない記憶。まるで聖女と思しき女性と笑顔で語り合う日々だ。

暖かく優しい記憶に、オリヴァは憧れた。彼の生活の中、穏やかな日々は無い。誰かに後ろ指をさされるのではないかという恐怖に怯え、自分の行動が主人に迷惑をかけるのでは無いか。若くして、権力の中枢に上り詰めた。代償の大きさにも気づいている。柔らかな日差しを浴び、朗らかな笑顔を浮かべ人と語り合うなど、夢のまた夢。緋色が見せた記憶は、知らずとも、知っている記憶となっていた。

見せられた記憶に、魂は、魅せられている。肉体とてそうであろう。痛みの中、彼自身に走査線が走っていく。


(もう、そろそろ良いのかもしれないな)


諦めるには、若すぎる年齢だ。だが、同年代の人間と比べても、濃い人生を歩んできたと思っている。自分の魂の形は、歯型がつき、継ぎ接ぎだ。もはや、人間のもつ魂の形とは言えない。オリヴァの形に、魔獣が溶け込もうとしていた。


(あぁ。本当に)


オリヴァが目を瞑り、自分の肉体を魔獣に差出そうとした時である。


「キルク様は、敵しかいないあの中王都であんたの帰りを待ってるのよ」


 ベルの声だった。

 暗闇の中に走る一筋の稲妻。トリトン村へ向かう最中、不安に押しつぶされそうな自分を叱咤するかのような雷鳴をもう一度聞いた。雷鳴はもう一度、稲光を放つと、視界は開かれ、魂を食いちぎる痛みが薄れていった。途端、彼の内側から、主人の姿が現われた。


「キルク様!」


 獣の言葉で主人の名前を呼ぶ。彼は、オリヴァの声を聞くと、ゆったりとした動きでオリヴァを見つめる。

 目の前に立つキルクは厳しい表情を浮かべ、彼を見つめている。

 元来、彼は人を威圧するような性格ではない。しかし、立場が彼を相させてしまった。「失敗せぬ」よう、他人を律し、それ以上に自分を律しようとする。例え失敗したとしても、「失敗を押しつぶす」強さも兼ね備えている。他人に隙を見せぬその重圧に、耐え忍ぶ姿は、ある種の求道者にも重なって見えた。



「オリヴァ。王都に戻ってくるのはいつになるのか?」


 トリトン村へ向かう前、キルク従者オリヴァに問いた言葉である。その際、彼は


「7日後以降と思っていただければ。7日より前に戻ってくる事はありません」


 と答えた。

  オリヴァの答えにキルクは表情を変えずに、「そうか」と短く答える。たった3文字。一文字一文字に込められた言葉の重さを今更ながら感じた。

 王宮の中では、ハシムとキルク、誰が真の王になるのか、好奇の目で2人を見つめている。寝る一瞬ですら緊張が解けない環境の中、オリヴァはキルクの安らげる人間でありたいと思っていた。

 筆頭侍従という地位は、キルクの安寧の一助になっていたはずである。キルクも口数は少ないが、彼の前では違う一面を見せる。それは、オリヴァに全幅の信頼を寄せている証左であろう。

 そのような人間がいなくなる。主人の立場を慮るだけで、オリヴァの胸が締め付けられる。故に、彼はどのような手段をつかっても王都に帰ると決めた。


( 失敗すら許されない世界の中、失敗を認める人間が必要だ。

 王である事を強要する世界の中、人間を認める存在が必要だ。

 それが可能であるのは、キルク・ペイトンの長きに渡る従者 オリヴァ・グッツェー。この俺だ)


オリヴァの心に、熱い炎が灯る。肉体を食いちぎっていた魔獣の魂に「明確な拒絶」を叩きつける。


「ふざけるな、化け物。食らったものは仕方がない。くれてやる。だが、コレは、俺の肉体だ。コレは、俺の魂だ。あの方キルク様に捧げたものだ。誰が貴様にくれてやるか」


オリヴァの気迫に、魔獣の魂の侵食が止まる。オリヴァの魂は肉体の支配権を完全に手中に収めた。そうなると、魔獣の魂に居場所は失ってしまう。魔獣の魂はガラスの粒子のようにパラパラと音を立て、輪郭を失い始めた。


「嫌だ。私はまだ消えたくない。私は、生きて、やらないといけない事があるんだ。まだ、生きたい。生きたいんだ。頼む、私を認めてくれ。私と混ざり合ってくれ。そうすれば、私は私は――」

「煩い。もう一度言うぞ。これは、俺の魂で、あの人のモノだ。お前に渡す義理はない。」


オリヴァの叫びに、魔獣の消し炭になった肉体は、ブクブクと膨れ上がる。そして、「バフン」と遺骸に溜め込んだ空気を破裂させると、一つの固まりはサラサラとした黒い砂へと姿を変えた。風は地から天へと舞い上がる。黒い砂は、クルクルと踊りながら天へ吸い込まれていく。肉体は滅しても、魔獣は辛うじて生きていた。魔獣のカケラは最後の力を振り絞り、オリヴァに抵抗をみせた。



「ロサリオ」


 オリヴァの動きは止まり、不愉快な声も止まった。一瞬の静けさの後、彼の身体に変化が見える。

穴の空いた頬にひょっこりと、白い糸が姿を見せる。白い糸は、辺りを伺うよう、周囲を見渡す。外的がいない事を確認すると、細長い芋虫のようにうねうねとその場で体を揺らした。意図は、ふり幅を大きくすると、そのまま低い放物線を描き、穴の対岸に一本の糸を通した。キィキィと羽虫の鳴く音にあわせ、穴の断面から無数の糸が姿を見せる。先ほどと同じよう、彼らは、体を揺らし、穴の対岸に糸を通す。また、一本。また一本と穴に糸が渡っていく。糸は、やがて1本の太い線となり、白い面となっていた。面。いや、膜が張られていたが、時と共に膜は厚くなり、いつしか、頬の高さと白い面が同じ高さとなる。

 皆、オリヴァの姿を見ている。誰も見たことがないありえない回復過程。

 穴の空いた顔は、人の顔になっている。血管が透き通るほどの白い肌を両頬にベットリとへばりつけて。


「ろ、ロサリオ?」


 ベルは、オリヴァに駆け寄り、まじまじと彼の顔を見る。


(おりんりんだよね?)


 彼女は、彼の存在を確かめるよう、彼の頬に手を伸ばした。

 指先から手のひらまで感じたのは、「冷たい」。彼女の心に漣が立つ。脳裏では、村人の言葉が輪をかけて、幾重にも彼女の心を締め付けていく。キューッと血が引く思いがした。

 白い肌は、人の温かみ 人の情という、人間らしさを全て拒絶し、なにもかも寄せ付けない孤独の冷たさを感じた。氷に触れるより、鋭く、雪に触れるより堅い。

 まるで、死人の皮膚だ。ベルの手は、死を避けるよう、指を動かす。。

 白い肌ではなく、彼本来の黄色味がかった肌に触れると、そこには、人間らしい温かみがあった。


。おりんりん)


 動物の頭を撫で回すよう、彼の頬を撫で回す。時折、爪が瞼にブスブス突き刺しても、彼女は一向に気づかない。


「トラン」


空気が混ざる音ではなく、人間の声がした。ベルは手の動きを止めた。


「痛い」


彼は、ベルの手を払い、困ったような顔を浮かべた。


(あぁ。おりんりんなんだ)


「痛みがなんだって言うのよ」

「下瞼に爪を突っ込まれたら痛いに決まってるだろ」

「私、そんなトコに突っ込んでない」

「突っ込んでた。良く見ろ。目が赤くなってるだろ」


ベルは笑いたくなった。久しぶりに交わした人間の会話がこんなに「どうしようもない」「馬鹿らしい」内容であれば、泣くに泣けない。いや、笑うべきだ。この男が、魔獣に食い殺されたかもしれない。村人に私的処刑されたかもしれない。という自分の負い目が、児戯にも等しい会話で霧散していく。いつの間にか、ベルの中にあった怒りはどこかへ消えていく。一方で落とし前はつけなければならない。


 ベルは、勢いよくオリヴァの頬を払った。空気の乾いた音が響く。

 オリヴァは彼女に叩かれた頬をかばうこともせず、なされるがまま、立ち尽くした。


「おかえりなさい」


ベルは目を細め、オリヴァに労いの言葉をかけた。彼がこの村に戻ってきて、初めてかけられた労いの言葉であった。


「あぁ。ただいま」


 オリヴァは、初めて目を細めて彼女に笑顔を浮かべた。

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