初夜編 眠り蕾04

「物語病に殺された。というのは?」

「アイツは俺の若い部下と結婚する予定だった。そりゃぁ、とても嬉しくてな。信頼してた奴やったし。それならと、俺は、アイツが悲しまないよう早めに子供を作れと言ったんだ。そうすりゃ、初夜なんざ領主にやらんですむ。だが、あいつは、リーゼロッテ様の教えで婚前前交渉を拒否したんばい」


 再び親方の口から漏れた聖女リーゼロッテの名まえ。ベルは確かめるよう、窓の上に飾られている聖女の油絵を見つめる。実母よりも丁寧に描かれている彼女の姿。ベルは彼女の性格とやらを薄々感づき、そして自分と彼女は非して似ている者だと確信した。


「彼女にとって、聖女様は大切な人だったんですか?」

「あぁ。考えの全てが変わった。っち言っても過言じゃなかぐらい心酔しちょった」


 親方のどこか寂しげな口調にベルは少しだけ同情した。親の手ではない、別の者の手で変化してしまった事は、さぞかし心寂しいことであろう。彼は、溜息を漏らし、話の続きを語り始めた。


「俺達は必死に説得した。だが、アイツは、自分の信念を貫いた」


 そこからの結果は目に見えている。だって、そうであったのだ。


「そして、結婚式当日、正式にコンラッド様から通達があった。結婚式が終わった後、領主邸宅へ来るようにと」

「聖女の教え。そして、村の伝統。娘さんは苦しんだでしょうね」


親方は目元をぬぐい、首を縦に振る。彼は、自分の太ももをきつく掴んだ。己の肉を契りとってしまうのではない程の強い力である。自分の痛みを罰といったところであろう。痛みを刻みながら、彼の口は話を続ける。


「あいつは死んだよ。純潔と初夜権。信仰と物語。あいつは、どれも選べず、コトウの呪いに屈した自分を許してください。と言って死んだんばい」


 そう言い、彼女は愛する者達の前で死んでいった。その死に様は、彼女が知っていたかどうかは不明であるが、敬愛するリーゼロッテと同じ死に様であった。

 親方の目に涙が浮かぶ。こみ上げてくるものを慌てて拭うも、また目尻からポロポロと涙が零れ落ちた。

 大きく屈強な彼の身体は、いつしか小さく脆く弱弱しいものへ変化していた。今にも崩れ落ちそうな彼の身体に彼女は言葉を投げかけた。


「彼女は苦しんだでしょうね」


 そして、ベルは彼の横に座り込み、熱い背中を優しく撫でる。その表情は、道を踏み誤った息子を癒す母親のようにも見えた。背中越しに感じる温かな人の体温。親方の鼻先はツーンと痺れた。


「きっと、憎悪していることでしょうね」


 温かみのある言葉に含まれた鋭利な棘。親方の体内で一瞬、時が停まる。「ナニを?」尋ねようと思ったが、その無意味さをすぐに理解する。


「貴方の中にいる娘は何と言っていますか?」


 ベルは艶かしく、親方の耳元で囁く。知らないといえようか。彼は彼女が無念の中で死んだことを十二分に理解している。



 雨降る彼女の旅立ちの儀。心無い村人はヒソヒソと彼女を罵った。


「リーゼロッテを信じたせいでロクでもない死に方をした」

「ヨソ者を信じた不届き者」

「コトウの呪いに屈した女」

「聖剣に愛されたトリトン村の血を穢した女」

「だから、コイツの死は仕方が無い死なのだ」


 皆、雨粒の音で、自分達の声は親方の耳に届かないと思っていただろう。

 だが、彼らの声は親方の耳に届いている。彼がどんな気持ちで火の剣を持ち、どのような顔で自分の娘の身体に火の剣を刺したのか。想像力の乏しい村の者どもにどれだけ理解できただろうか。

 コトウの物語の狂信者は、等しく村を守る初夜権を拒んだ者を侮蔑する。それは、あたかもコトウの物語を信じる自分達に与えられた特権といわんばかりにだ。

 また一人、亡骸に向かい、小さな声が落とされた。


「いくら親方といえども、男手一人じゃ子育てはしきらんかったんばい。片親はいかん。まるで、コトウばい」


 火の剣から激しい火柱が立ち上がる。どっどどっど 火の柱は手づかみで女の身体を喰らう。焦げ、灰燼と化しつつある娘の身体。親方は目を細め、その様子を見つめている。静謐な旅立ちの儀。娘の名誉を傷つけられ、送られているというのに、彼は一言も言葉を発さなかった。トリトン村の人々の性格を知っているから。それもあるだろう。一方で、彼もトリトン村と同じようコトウの物語を信じていた。この場で声を荒げれば、どこかに潜むコトウが姿を現し、村にかけていた呪いを発動させてしまうのではないか。コトウの呪いが自分の娘のせいで起こった。このような悲劇を避けるため、彼は貝のように口を噤むのだ。


(許しちょくれ。こんな情けない父ちゃんで)


 彼は、黒い煙を見上げた時だった。


「違うよ!」


 彼の体内に娘の声が響き渡る。彼は、顔を上げ、燃え盛る亡骸を見つめた。だが、ソコから超えはしなかった。


「私は、私はそんな理由で死んだんじゃない。私は殺されたんばい。何をとるか強要され、コトウの物語に背く奴は死んでしまえって言われたんばい。信じるものは否定され、拒絶され。私の信念は否定された。全て。全て。コトウの物語が理由で否定された!」

「イヤだよ。死にたく無かったよ。父ちゃんの絵も描けてないっつん、死ぬなんてイヤばい」

「助けてよ。父ちゃん。私、死にたくないよおお。まだ、いきたいよおおお」

「こんな人たち、私の代わりに死ねばいいのに」


 彼の胸の中、鉄格子を激しく揺らす娘の声がした。泣き喚く娘の声に、彼は彼女の居場所を知る。肉体を離れた彼女は、父の胸の中で生き、叫び続ける。


(殺してよ。私にトドメを刺した領主物語を殺して)


「アイツはな。アイツは、コトウの物語を完全に信じなかったから殺された。物語病にかかった奴らの手で殺されたんばい」



 ベルは自分の顔を親方に近づける。彼女の顔は真っ白な能面となっている。目も鼻も取り外されたように平らだった。何も無い顔。不思議と、親方は少しも怖いとは思わなかった。彼の中にいる娘が大丈夫と囁いているお陰でもある。


「聞こえるでしょう」


 ベルが声をあげるとまず、懐かしい口が現れた。


「貴方の娘は貴方になにかを言っていませんか?」


 次に、鼻が現れた。


「囁いていませんか?」


  丘陵のある頬が現れた。


「貴方の娘は願っています。貴方の内側を揺さぶり、貴方だから伝えたい言葉を、心の中で必死に呼びかけているのではないですか? 自分の無念をさらけ出していませんか?」


 最後に、目が生まれ落ちた。そこに現れた顔は親方が愛した娘の顔。笑いながら親方の肩を掴み、ベルの声で彼に語りかける。親方は娘の顔に釘付けのまま短い言葉を漏らすのみ。目の前にいるのは、娘ではないと理解している。だが、彼の脳みそは目の前にいる人物は己の娘だと捉えている。

 親方は、ベルの肩を掴む。唇をワナワナと細かく震わせ、無骨な指先は彼女の頬にふれる。生きている人間の温かみがあった。死んだ娘が生きている錯覚。彼の震える唇から、娘の名前がこぼれ落ちた。


「聞きなさい。己の娘の声を。他人の声ではなく、大切な娘の声を」


 娘は、その声色で父親に希う。


「父ちゃん。お願い」

「あぁ。あぁ。父ちゃんが終わらす。全てを終わらしたるからな。絶対、お前の――」


 彼の言葉は、最後まで届かなかった。


「本当に、貴方はやれますか?」


 娘は笑った。笑顔は、ヒステリーな音と共に砕け散る。内側からベリベリと現われたのは、醜悪な女の顔。金糸の髪を振り乱し、白い肌から真紅の口を三日月に裂かせていた。


「我々は、貴方の背中を押す手伝いはしましょう。だが、実行するのは貴方だ」


  親方の手がだらしなく落ちた。美しい幻覚は砂上の楼閣のように消えていく。突きつけられる現実に親方の目は小動物のようにくるくる動き始める。


「親方。貴方は私たちの依頼を快く引き受けた。その対価として、貴方の望みを適える舞台を提供する。だが、実行するのは貴方だ。舞台に登り、観客の威圧感に恐れおののき、舞台から降りるのも一興。我々は問題ではない。我々の任務は既に果たされているからだ。裏切り以外は全て許容しよう。だが、貴方も人の親なら、舞台の上でキリキリ舞い踊るのも一つではないでは? 貴方の内側の声もきっとそれを望んでいるはずです」


 ベルの一言に、親方はなにも言い返せない。

 娘の死は、彼の心に大きな傷跡を残した。娘の死は止められたのではないか。トリトン村自警団団長という立場をもってすれば、彼女の初夜権を防ぐ事も出来たかもしれない。だが、できなかった。行動しない結果は、己と娘に跳ね返る。

 悔いても悔いても悔やみきれない。「そうなった」という結果はくつがえらないのだ。日中、普段と変わらない表情で仕事をこなすも、夜になれば、娘の幻聴に追い詰められる。娘から逃れるよう、彼は酒に頼った。酔えば、彼を責めるような彼女の声に耳を傾けなくてすむからだ。そして、床につく間際、彼は内なる娘に声をかける。


「何もできない父親で申し訳ない」


 そう呟くと、彼女の声は夢まで犯さないのである。


「親方。貴方はーー」


ベルの言葉は途中で遮られる。玄関から扉を叩く荒々しい音が聞こえた。「親方 親方」と複数人の声がする。親方はベルを娘の部屋に押し込むと、何事もなかったかのように玄関の扉を開く。


「どげんしたとね」


親方の声と同時に2人の男が玄関になだれ込む。2人の顔は真っ青で、幽霊を見たかのよう、おびえているようにも見える。


「た、大変ばい」

「なにがっちゃ」

「お、男が帰ってきよった」

「男?」

「そうっちゃ。魔獣退治に出たあの男が帰ってきたんばい」

「そうなんか!」


男たちの声はベルのいる部屋まで届いた。


(おりんりん!)


ベルは口に手をやり、溢れる声を押しとどめる。オリヴァが生きている。その事実を耳にし、彼女は腰から砕け落ちた。死んでいるとおもっていた人間の生存。首を何度も横に振り、自分の手に歯を当て感情を押し殺す。


「エイド先生は、倒れてどげんもこげんもなか。あんただけが頼りやけんがっさい。コンラッド様がお呼びしちょる。すぐに正門前まで来ちょくれんね」

「あぁ。わかった」


親方は、背後を振り返る。その視線は、娘の部屋に注がれる。彼は何事もなかったように、居間に鎮座する自分の得物を手にし、男たちの後を追うのであった。





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