初夜編 眠り蕾02
「物語病ぅ?」
親方は素っ頓狂な声を上げる。彼の反応は、彼女の中ではすでに織り込み済みだ。ベルは特段表情を変えずに口を開く。
「親方。貴方は、コトウの物語を信じますか?」
「信じるっち。どういう事なん?」
「その言葉どうりです。貴方は、コトウの物語は、この世に存在したと本当に思いますか?」
「それは……。そげな事、本当にあったかなんち。わからんし、あったとしても信じられんばい」
ベルは、さも当然のように、親方の回答に首を縦に振る。
「はい。それが普通です。それがトリトン村以外の人たちの反応。普通の人は、土着物語をが存在していたなんて思いません。だって、物語というのは、ほとんどが現実離れしているじゃないですか」
物語は、多くの顔を有している。子供達に対しては、娯楽的側面よりも、教訓物語の側面が求められる。代表例が、王都で伝わるコトウの物語。あの物語では、植物は大切にしましょう」「友情を大切にしましょう」「聖剣使いは優しい人です」という事を伝えるために、人々に語り継がれている。その教訓以外、物語の瑣末な部分は評価に値しない。真贋すら測る価値もない。故に、物語が事実であるかどうかなど、議題に上がらないのである。
「ですが、この村は違う」
一方、トリトン村は違う。コトウの物語は教訓物語ではない。コトウの呪いを忘れないためのある種、自戒のように存在している。
無理も無い。トリトン村の人々は、「土の聖剣に愛されたこと」を一つのプライドにしている。何も無ければ、永遠に近い土の聖剣の寵愛を受けたことだろう。だが、彼らは
「聖剣に愛された村」「聖剣・魔獣を屠った村」相反する二つを一度に手に入れた村なのだ。これらの事項は、コトウの物語がなければ成立しえず、また、内容が真実でなければ「鄙びた村の特異性」というものが担保出来ない。
「皆、物語を信じきっている。信じていなきゃ、他の村・王都すら見下す事が出来ない。自分達は特別であることがプライドとなっているこの村じゃぁ、物語を否定することは自分の存在を否定することと同義じゃないのですか?」
一拍の間を置き、ベルは結論をだした。
「血の一滴まで物語に染め上がっている人々を物語病といわずに何と言うのですか」
親方は、ベルの蔑むような口調に異を唱えなかった。トリトン村自警団の頂として、この村の人々の人柄というものを十二分に理解し、彼女の発言は概ね正解であることも理解できた。トリトン村の住人であれば、互いに尊敬し、助け合う。けれども、その枠から外れたものに対しては徹底的に見くびる態度を取る。この村の土壌に嫌気が差し、村を離れていった者も多い。とりわけ、若者が顕著だ。内側に残された人々の根底に根付くコトウの物語。
「コトウの呪い」は、トリトン村の肥沃な大地を奪った事。村の破滅の宣言。それだけではなく、子々孫々と受け継がれる村人の性質の変容もあったのだ。
「物語に触れれば、誰だってわくわくします。ドキドキします。でも、のめりこみ、現実と物語の境目までを取り払い、本気で取り付かれてしまえば、ただの病人です。物語病の罹患者です」
続けざま、ベルは言う。
「所詮、物語はなんて……。打ち破られた現実の集大成。現実への願望・怨嗟。ううん。現実への妄言・妄想が物語なんです。そのようなもののどこかに真実があるのですか。見たことも無い物語が真実だなんて、どうして言えるのですか」
親方は口を閉じた。淡々と語っていた彼女の表情に激しい赤色が灯る。彼女は明らかに怒っていた。彼は、彼女がナニに怒っているかわからない。ただ、「物語病」と話し始めたときから、彼女の素が現われ始めたのだ。
親方は視線を左右に動かす。感情に溺れた女を宥めるのは久々の事だった。鼻の下をポリポリとかき、その場を取り繕うに彼女に問いかけた。
「嬢ちゃん。そのなんだ……その物語病にかかったら、どうすればいいんだ?」
ベルは親方の困ったような表情を見て、自分の反応を振り返る。彼女もまた、彼と同じように視線を泳がすと、気持ちを宥めるように話した。
「すいません。物語病とは、司剣達が作った言葉です。医者たちは誰も知らない病気です。だから、医者のような治療法だなんて、考えたことも無いでしょう。ただ。可能なのは、事前予防のみ。罹った人は切り捨てるしかない。もしも、これから新たに物語病の患者を出さないのであれば、現実と物語の境を見分けさせる。そのような力を養うことではないですか?」
ベルは、この村で出会った二人の少女 ブラとスタンを思い出した。彼女達も、立派な物語病の罹患者である。彼女達に物語と現実の境を見分ける力をつけさせたとしても、コトウの物語に対しては、効果は発さないであろう。そして、悲しい事に、 この村の大半はコトウの物語を信じきっている。物語病の罹患者だ。現実と物語を見分ける力を持ったとしても、村人から取り上げられるのが関の山。物語に支配されず、現実を見て生活するためにはこの村の物語から新しい人間を隔離しなければならない。
だが、現実として難しいことであろう。歴代領主達は、物語病にかかった村人を支配する事はたやすかっただろう。「コトウの呪い」その一言で村人は動いたからだ。このような魔法の言葉を領主は容易く手放すだろうか。
「新しい 時代に託すしかないか」
「えぇ。親方、幸い貴方は物語病にかかっていない。その事を貴方は理解しているから。貴方は私を呼んだのでしょう」
ベルの声は親方の胸に深く染み入る。心の中で平穏を保っていた水面に十重二十重と波紋が走る。揺れる水面をザワザワと生暖かな風が弄ぶようにして撫でていく。不穏の風を呼び起こしたのは、彼か。それとも彼女か。
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