初夜編 深い眠りから覚めたなら32

リーゼロッテが死んだ翌日、彼女の遺体はズタ袋に入れられ、どこかへ消えて行った。アヌイは緋色のくすんだ目でその様をじーっと見つめる。


「かわいそうだね」


 という一言を誰一人漏らすことはない。主人の遺体をズタ袋に納棺する際、ゴミを見るような侮蔑の表情で手を動かす人々。血で染まった窓枠を見て「あのクソ女」と呟く自警団の面々。

 主人は“こんなもの”の為に必死に説法をしてきたのかと考えると、アヌイは吐き気を覚える。

 主人の亡骸を担ぎ、ある者はこう言った。


「どうせなら実になる事でも、すりゃー良かったっつん」


 また別の者は血で染まった窓を外し、ぼろ板をはめ込みながら言った。


「結局、聖女ってなんなん? 俺らが必死に作った家をこげな風にしてからっさい」


 皆、残されたロバを目の前にして、主人の悪口を好き放題口にする。アヌイは、顔を醜く歪め、せせら笑う人物の顔をくすんだ目できちんと捉える。

 そして、自分はこのように醜悪な人間に“良いよう”にされ一生を終えるものだと考えていた。しかし、物事は面白いように転がるのである。

 アヌイを引き取りたいの申し出る者がいた。自警団の団長。通称「親方」である。

親方には年頃の娘がいる。彼女は、リーゼロッテの講話会に最後まで足繁く通った者の1人だ。リーゼロッテが自死し、彼女が愛したロバが残された。と聞くと、すぐに引き取りたいと言い出した。引っ込み思案でワガママを言わない娘は、リーゼロッテがどれだけ素敵な人間で、そのロバもどれだけ聡明か。熱く厚く語る。拳を振り上げ、時には、机を激しく叩く。娘の成長に、親方はおぅおぅと泣き、彼女の申し出を快諾したのであった。

 泣き腫らした親方が皆を前にし、アヌイを引き取る。と、申し出た際、団員は驚いた表情を浮かべたが、止めるものはいなかった。彼の「団長」という立場もそうだが、彼らにとってアヌイはジェフの一件において、火遊びの火傷跡である。アヌイの緋色の目は、自警団員の後ろめたさを呼び起こさせ、自責の念に駆られろ。と圧をかけてくる。ロバがリーゼロッテと共にいる。ロバはリーゼロッテと関わりのある場所に必ず存在する。そう考えるだけで、気が重い。なので、団員の総意としては、極力、ロバはリーゼロッテとかかわりのある場所に存在して欲しくない。である。親方の家で引き取られる移植されるのであれば、彼らの心の中でくすぶられる後ろめたさ、罪悪感は幾分か軽減されるだろう。“あのロバは、親方の娘さんのもんだ”と心の中で言い訳を零しながら。


 アヌイの次なる生活場所は確保された。しかし、諸々の準備の為、暫くの時間を要す。その間、アヌイはあの家で一匹で暮らすこととなる。


(生きていれば何とやら。ホントにおかしなもんよね)


 アヌイは変わりゆく事の顛末を冷ややかに見つめていた。


 そして、夜、一人で寂しく朝を迎えようと。寝てみたが、全く寝つけられない。つきや星は出ているのに、信じられないほど寒い。毛を逆立て、寒さを堪えようとするも、肉の薄いロバには耐え切れない程寒い。

 こりゃたまらん。と、ロバは鼻ですすり鳴き、いつもの通用口から家の中に入る。

 だが、家の中は、外よりもひんやりとしていた。主人がいなくなり1日もたっていない。それなのに、この部屋は人の温かみを完全に失っており、温かさのかけらもない。

 アヌイは通用口を振り返る。薄い布は風にあおられ、「内」と「外」をパタパタとせわしなく前後に揺らす。ビューと風が鳴けば、通用口は騒ぎ、窓脇に打ち付けられた板の隙間からヒュオーン ヒュオーンと人の叫びにも似た声があがる。


(ここは寒いけれど、風があたらないだけマシか)


 アヌイは、夜を家の中で過ごすことを決めた。騒がしい家の中、パカン パカンと足音を立て、自分の存在をアピールする。

 そして、ロバがたどり着いたのは、主人がが亡くなった炊事場の窓辺。床には、拭いきれていない血の跡が残っていた。板張りの隙間からこぼれ落ちる複数の光の筋が、黒い血痕を照らす。


(リーゼロッテ)


 ロバは血痕に向かい、心の中で呼びかける。

 これは、アヌイに残されたに残されたリーゼロッテの証。アヌイは愛おしそうに、血痕を見つめる。そうして、彼女が生きていた証を壊さぬよう、静かに腰を落とすのであった。



 ロバの眠りは浅い。それは、動物の本能でもあるだろう。そして、騒がしい家の音のせいでもある。だが、ロバを覚醒させたのは、家の中に異質な音が迷い込んだからだ。

 ひたひた。

 ぺたぺた。

 自然の音に紛れ、異音引きずる音が入る。ロバは立ち上がり、神経質そうに耳をピーンと立たせた。

 音は炊事場と玄関を隔てるドアの前で止まる。あからさまな人の気配を感じた。新しい主人かと考えたが、アヌイの直感は即座に否定する。そして、ドア越しにいるのは、自分の敵であることを伝えた。

 蝶番が軋む音と共に、光が部屋の中へ広がる。暖色の輝きに、ロバは、“火の剣だ”と判断した。光の慣れない目は、明るさを拒み、自然と細まる。


「起きてましたか」


 けれども、細まった目は、即座に「喝」を入れられ、見開かれる。

 温和な顔だち。話せば受け入れてくれると思わせる穏やかさ。アヌイの目の前にいるのは、ロバの敵エイドであった。


「よかった。急ですが、聖女リーゼロッテを送り出します」


 エイドは火の剣を手に持ち、アヌイと同じ目の高さまで腰を落とす。すぐ頭上ではパチリパチリと空気を燃やす音が聞こえる。粒子のような火の粉が自分の毛に飛び移るのではないかと考えるだけで、気が気ではない。


「コンラッド様の指示です。可及的速やかに聖女様をイグラシドルの下へと」


 エイドは一度そこで言葉を止め、再び口を開いた。


「他の人がどういうかは分かりませんが。あなたは聖女リーゼロッテと共にこの村に来ました。なので、家族だと私は認識しているのですが……。最期の時。聖女も家族に見守られて送られるのが一番喜ぶ事だとおもうのですが……」


 とても心温まる提案である。これが、エイド以外の人物であれば、すぐに服の裾を噛み、連れて行けとジェスチャーしたであろう。だが、アヌイはエイドを信用していない。彼は、講話会の日、御堂の中で説法をするリーゼロッテの声を聞きながら彼女を罵倒した。それだけではない。この男は、リーゼロッテが変貌する前に、彼女に治療を施している。彼女の変化について何らかの事情を知っている可能性がある。

 アヌイはリーゼロッテを送る前に、この男を問い詰めたい思いであった。

 しかし、残念ながらアヌイはロバ。エイドは人間だ。意思疎通は出来ても、会話は出来ない。

 アヌイはエイドの周りを2度3度とグルグル回る。彼の言葉を信じるべきか否か。ロバの小さくゆったりとした回転の頭を必死に稼動させる。


「行きますか?」


 エイドは立ち上がり、笑顔を貼り付けたままアヌイに問う。

 ロバはエイドの真正面に立ち、彼の表情を見つめ、仕方なさそうにズボンの裾を弱弱しく引っ張るのであった。

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