初夜編 深い眠りから覚めたなら03


「で、あんたはどげんなん?」

「どう。って何がですか?」

「何がっち。此処まできたら決まっちょるやろ。あんたが、嫁さんの事、どげん思いよるとか。っちことばい」


 オリヴァは辟易しながら口を噤んだ。コルネールから渡された情報では、二人の馴れ初め。何故駆け落ちしたのか。という結果に至るまで御設定は書かれていた。ロサリオがトランを。トランがロサリオをどう思っているかなど、表面的な事しか考えていない。馭者の男は、オリヴァが表面的な言葉では決して納得はしない。

 何故なら、その手の言葉を聞き出しても良心は痛まないからだ。冷やかす事は、距離感の狭さの現われと錯覚している事もありえる。

 オリヴァは思考を変えてみる。彼が納得する言葉は、ベルを少し深く認める言葉である。であるならば、ベルでもトランでも通用する言葉を言えばよいのだ。

 オリヴァは、視線をそらし、鼻の下をこする。はにかむような顔で小さく呟いた。


「アレは、苦労を惜しみません」


 女性の花形職業 司剣。王都の司剣女性志願者の倍率は非常に高い。そのような難易度を誇る激戦をかいくぐったのが彼女だ。司剣になっても、己の才能を惜しむことなく発揮している。とても自己主張が強い為、先輩 同僚 後輩から冷たい視線を送られている事が多々ある。それでも、彼女は、王宮の中で自分が勝ち残るため、オリヴァの相方も引き受けた。彼女のもがく様な働きをオリヴァは認めている。


「僕は、彼女が自分の夢のために。自分が生きるために、血を吐くような苦労をしてきたことを知っています。なので、僕は、そういう彼女が素敵だと思います」


 オリヴァの声は小さくなる。最後の方は声が聞こえない。なお、後半に関しては、オリヴァの心に全く思っていない言葉である。

 馭者は、オリヴァの答えに鼻で笑う。その仕草をオリヴァはきちんと見つめる。

 馭者はくしゃっと目を細め、少し困ったような声であった。オリヴァはそれだけで、馭者の心情を探ることは出来ない。

 オリヴァも彼につられて、照れるように笑った。笑いながら、オリヴァの心にこみ上げてくるものがある。自然と顔を伏せる。気づけば、唇を震わせ、眉間に薄い皺を寄せていた。


「いやぁ。若いねぇ」


 馭者の声に、オリヴァは顔を上げた。オリヴァの顔は先ほどの羞恥色に染まった青年の顔になっている。


「やっぱ、若いもんと話すとえぇなぁ。色んなもんを思い出す」


 馭者の表情は清清しい表情へ変化していた。オリヴァは、彼の表情の変化について行けない。


(馬鹿にされているのか?)


 とも考えたが、馭者の顔は違う。人を小馬鹿にする時、特有の、一歩ヒイと、口角だけを上げる顔つき。目は細めても、下がらない目尻。その表情が、不快感を腹から掴み上げる。

 馭者の表情は、腹からつかみあげる不快感。そういうものは一切感じられない。こみ上げる言葉を喉輪でギュッと締め上げた。


「どんな事を思い出されるのですか?」


 オリヴァは質問ばかりされたので、わざとらしい質問を投げてみた。


「そりゃぁ、お前、一番は嫁との事ったい」

「はぁ……」

「後は、若い頃の夢とかかなぁ」


 馭者は、二台にもたれかかり、背伸びをした。気持ちよさそうに目をつぶると、伸ばした手を頭上で振り、勢い良く上体を戻した。


「夢にな。憧れを抱けるのは若者の特権倍。年を重ねた夢に鼻、憧れやなくて、打算が入る。やけんが、夢は輝けんし、夢に惹かれなくなる」

「はぁ……」


 残念ながら、“若い”オリヴァには実感の無い話である。


「若いもんを見ていると、なんか苦しくて。甘酸っぱくてなぁ。憧れていた夢に顔を向けられん自分がなぁ……」


 もったいぶるような馭者の言葉である。オリヴァの目から光が抜けていく。


「ちなみに、若い頃の夢はなんだったんですか?」

「……笑うなよ」


 馭者の顔が近くなる。日に焼けた四角の中年の顔が近くなる。鼻先は赤い。薄汚れた肌。半月のような目がオリヴァをじっと見据える。くすんだ白目。茶色味がかった瞳が、オリヴァの姿を映す。気後れ気味な青年があった。馭者の頬が上がる。まるで、秘密のイタズラを告白するような少年の表情がそこにはあった。


「服職人。スナイルにも、ヨナンにもない。どっかの国にある7つの色を持つ糸。その糸を使ってな、服を作りたかったんよ」


 7色の糸。オリヴァは知っている。その糸は、スナイルにもヨナンにも無い。はるか南方の国に存在している7色の糸。鉱石やら草木やらを溶かし1房の糸に7色を染め上げた糸である。糸を星に掲げれば、夜空の点と同じ色に輝く。糸を太陽に掲げれば、日輪のように光を放つ。

 とても高価でスナイル国を訪れる貿易商が、年に一度、1房持ってくるかどうかの品物だ。

 高価な7色の糸で服を作る。その夢は、まさしく“憧れ”故の夢だ。

 中年男の夢。オリヴァは笑いもせず、「そうですか」とだけ答えた。


「あんな」

「はい」


 馭者は、嬉しそうな声をかけた。久方ぶり夢を語ったせいか、馭者は軽やかな表情をしている。


「オレ、お前には生きていて欲しいんよ」


 それは、突然の告白だ。オリヴァは、「何故」とも聞けない。そして、馭者の言う「生きて欲しい」の裏にかかっている事象。馭者は、オリヴァが十中八九死ぬと予想している。オリヴァは胸がモゾモゾした。オリヴァは、そういうものに駆りだされたのだ。


「試練が必要っていう意味はわかるんよ」


 この試練は、外部の混入を嫌がるトリトン村が、村人となるための条件としてあげたものだ。トリトン村の外部嫌いは、小さな村特有の閉鎖性もあるが、根幹に根ざしているのは、コトウの物語。コトウの破滅は、王都から来た商人にある。商人は、村の生活の中に入り込み、聖剣を手中に収めようとした。その結果が、コトウの物語である。

 過去の教訓から、村人が編み出したのが“試練”という制度なのだろう。


「せやけどさ。村には若者が少ない。こんな良い若者がおるのに。おまえさんは、コトウ時みたいな事はないっち思うのに、試練を課すのはイヤなんよ」


 馭者の発言に、オリヴァは買い被りすぎだといいたかった。彼は、王都・王宮の人間。トリトン村には、1週間、いや、あと1日、2日としかいない。その間に、オリヴァはベルと共に、この村の初夜権について調べ上げる。コトウの物語のように、トリトン村を物理的に破壊することは無くとも、一時的な混乱はある。そのような若者が、良い若者であると言えるだろうか。オリヴァは馭者から視線をそらした。


「ありがとうございます。そのように言ってくれて」


 オリヴァは、口角を力強く上げた。彼は、自分がどのような表情をしているか分からない。けれども、馭者が、照れくさそうな笑みを浮かべているのを見て、自分が人を不快にさせる表情をしていないことは理解した。


「ハハハッ」


 二人は同時に笑った。


 その時である。

 二人の表情に変化が現われた。


 オリヴァのはにかんだ表情と、馭者の照れくさそうな表情は、色を失う。頬はストンと落ちる。目は大きくなり、開いていた口は閉じられる。


「ハハハハ」


 二人の脳裏には、先ほど自分達の笑い声が反響する。その笑い声に、異物が混じっていた。

 

「ハハハハハハハハ」


 二人は笑っていないのに、笑い声が周囲にこだまする。

 高いような低いような。若くもあり、年老いたような声。大人なのか、子どもであるのか不明だ。しかし、この声は女性の声である。

 馬は、不審そうに、鼻を鳴らす。耳をイカのように立て、何かを探るように落ち着き無く首を動かす。馭者は、馬を落ち着けるよう、もう一度鬣をなでた。だが、彼の手は、手綱を強く握っている。

 オリヴァは、ズボンのポケットに両手を突っ込み、耳を欹てる。

 ピンと貼った聴覚の栓。女性の笑い声と共に、エイドの声が反芻される。


―バケモノ退治―


 聖剣の御伽噺は、名残雪のように、オリヴァ達の前に現われた。

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