初夜編 利己的な爪跡13

 歩き始めて30分。マルト達一行がコトウの家がある集落に到着した。朝日は太陽へと変わっていた。

 大地の底から吹き上がるツンとした刺激臭。太陽の日差しによると腐臭。この2つが入り乱れ、鼻腔をすり抜ける度、脳みそは思考を拒否する。


 コトウの家の集落。

 大地には黒く変色したシミが大小様々な大きさで点在していた。

 こげ茶色の板で出来た家々の壁はキャンバスに様変わりし、様々な線が引かれている。。

 大樹を背に、じっとこちらを見つめるのは茶色い鼻筋が特徴的だ。物見の報告どおり、9つの頭が会った。

 魔獣は夜更かしをしすぎたのだろう。腰を下ろし、寝ぼけ眼を擦りながら「ふわあああ」と大きな欠伸を漏らす。半分に開いた目。焦点は合わず、ボリボリと尻をかいていた。


「これが、魔獣」


 マルトの心がビリビリと震える。物見が持つ、筒型の単眼鏡越しに、魔獣の姿ははっきりと見える。噂どおり、細長い茶色い鼻筋を持つ前の顔と、赤い鼻筋を持つ後ろの顔がある。だが、この生き物は、予想していたより小さな生き物だ。大きさで言えば、人間と変わらない。その一方、横幅は人間が2名がすっぽり入るほど広い。短く硬そうな濃い茶色の体毛。腕と脚は細く長く、掌と足首の下は分厚く、魔獣の顔2つ分の大きさである。


  隊の先頭にタツは先駆けを与えられた兵士。良く見れば、足はガタガタと震えている。魔獣への恐怖。変貌した村のショック。様々な感情が入り混じった。先駆けの兵士は、後ろをチラリと振り返り、マルトと団長を見た。団長は手を挙げ、合図を送る。先駆けは団長の合図にコクリと頷く。

 彼は、正面を向き、眠そうな魔獣を睨む。口を細く、小さな円を作り、息を吸い込む。舌先でピリピリとした空気を感じた。

 刺激臭は、先駆けの体に喝を入れる。

 腐臭は、奥へ引っ込んでいた魔獣への憎悪を引きずり出す。

 先駆けの脚の震えはいつしか止まっていた。


「かかれええええええええええええ」


 先駆けは声と共に、他の兵士を引き連れて駆け出した。


 眠気眼だった魔獣の目がぱっちりと開かれる。攻撃される。と感知するとすぐに四肢を地に付け、四つん這いの態勢になった。魔獣は2歩程後ずさる。喉を天へ伸ばした。


オォォォォォオオオン


 犬のような遠吠えだ。

 魔獣の遠吠えは山に反射し、こちらにも「オォォォォォオオオン」と反響する。

 遠吠えを耳にしても、兵士達の足は止まらない。皆、魔獣へ一直線だ。 

 先駆けの兵士は、上位眷属剣を抜いた。


「先駆けの誉れ。ご覧下さい」


 第一番の剣はやはり先駆けの兵士であった。上位眷属剣は、魔獣の胸元、肋骨あたりを貫く。

 先駆けの声に続き、兵士たちが2番の剣、3番の剣を魔獣へ突きつけ、斬りつける。

 一方的名攻撃しか知らない魔獣は、自分の体に襲う痛みに驚き、呻くような声を上げた。初めての感覚に、汚れた手で頭をかきむしる。

 魔獣は痛みのもとを取り除きたいが、また、どれが原因か全く検討がつかない。魔獣にとって最悪なことは、自分の体を突き刺した剣の中に、火の剣がある。兵士は、剣の柄を握りしめ、自分のマナ回路と剣のマナ回路を接着させ、刀身から緩やかな火を放っている。

 体内から焼ける痛みに、魔獣は地団駄を踏む。

 刺される痛み。抜く痛みにもだえる魔獣に、先駆けの兵士は、刀身の角度を変える。そして、捻るようにして剣を引き抜いた。剣を抜いた瞬間、彼の顔に血がかかる。彼は顔に付いた血を腕で拭うと、構えを変えた。彼がに狙うのは、身体の枢要部である。

 

 その時であった。魔獣は、おもむろに、右手を伸ばす。グググッと、手を前に 前に伸ばした。急所を狙う剣を遮る盾として、手を伸ばしたのだ。脆い手のたては、切っ先をズブズブと飲み込む。剣は手を貫き、剣先、刀身と柄以外全てを曝け出した。剣の進行は止まる。


「ちくしょう」


 先駆けの兵士は、柄に力を込めてマナを注ぐ。上位眷属剣の持つ水の力で、魔獣の掌を破裂させようという魂胆だ。だが、いくらマナを注ぎ込んでも剣は反応しない。上位眷属剣の中には意思を持つ剣があると聞く。プライドが高い剣だった場合、持ち主にそっぽを向くとか。

 先駆けの兵士は「何故」と声を上げた。彼の前が暗くなる。魔獣の反対の手が彼の頭を覆った。

 魔獣は、軽々しく魔獣を持ち上げる。足をばたつける先駆けの誉れ。視界は黒く覆われている。自分がどのようになっているのか、理解しているかは定かではない。

 ふと、魔獣の体内から焼ける痛みが引く。顔を動かすと、顔を青白くさせ、しりもちをついた人間がいる。

 魔獣は笑った。魔獣は、剣が突き刺さったままの手の甲を、尻餅をついた男の脳天を叩いた。ベシャッと潰れる音。手の甲には、薄く平べったくなったひき肉が付着していた。


「た、助けてくれ!」


 魔獣の掌の中から声がする。けれども、誰も彼を助けない。彼は高いところにいる。彼らは固唾を呑み、魔獣から距離をとっている。皆、次に何が起こるのか、理解していた。


 魔獣は、左手をまっすぐ大地に叩きつけた。大地がバンバンと激しい音がする。手が地面に触れる度、血液が迸る。カエルをひき潰したような声が聞こえたが、ゴツゴツと地面がえぐれる音に消えていく。

 土ぼこりが舞う中、魔獣は叩くのを止めた。飽きたのだ。

 詰まらなさそうに、掌に収めていたものをポーンと後ろへ放り投げた。全身が関節に様変わりした肉塊がへしゃげる音がする。


 魔獣の周りにいた兵士は、団長達に指示をもらうべく、振り向いた。けれども、魔獣は許さない。

 自分から気をそらすものがいれば、魔獣は首をはねる。

 自分から逃れるものがいれば、手を伸ばし、掴んで放り投げる。

 ワラワラと群がる人間は目障りなので、片腕を横方向へ叩きつける。時間差で反対の腕も横方向へ叩きつけた。

 それだけで、人間の体はチラチラと舞っていく。

 赤やらピンクやら白とか黄色とか。

 色とりどりなものを散らしていく。

 魔獣は目を細め両手を広げた。体に降り注ぐ液体を心地よさそうに浴びる。体をブルブルと震わせると、もう一度四つんばいになる。二歩、後ずさり、最初と同じように遠吠えとあげた。


「マルト様」


 その一部始終をマルトと団長達は眺めていた。彼は、単眼鏡から目を外している。マルトは白い歯をむき出しにして、頬を緩めていた。心から湧き上がる高揚感に、心も体も表情も、任せていた。


「先駆けを喜ぶ兵士は死ねば良い」


 マルトは、先駆けの兵士がこうなることも。第一陣が魔獣の前で命が散らされていくことを予想していた。


「馬鹿な奴らばい。見た事もない魔獣と戦うんやろ。情報もなく、ただ闇雲に切りかかれば死ぬに決まってる」


 団長は、マルトの言葉に否定も肯定もしない。


「礼節を忘れた奴は死ね。あいつらは、礼節。戦いの礼節を忘れたから死んだ。滑稽で滑稽でたまらんわ」


 マルトは文字通り腹を抱えて笑った。彼の傍らに立つ兵士達に緊張と困惑の色が見える。その感情は魔獣のせいでも、無常に散った同僚に向けられたものではない。自分の領主の発言によるものだ。背筋を流れる一筋の汗。立場が変われば、彼らとて、あのように死んでいた可能性がある。


「マルト様。彼に渡した上位眷族剣の回収はいかがしますか?」

「上位けんぞくぅ?」


 マルトは語尾をあげ、コツコツと人差し指で米神を叩く。


「アレは上位眷属剣なわけないだろ。仮にそうであったら、あんな奴に渡すわけはなか。アレはただの剣。属性剣でもなんでもない。避難所に打ち捨てられていた剣を私が夜中の間懇切丁寧に磨いた愛情篭った剣ばい」

「おそれながら。何故、そのような事を?」

「時間稼ぎばい。魔獣がどういうものか。どういう動きをするか。その情報を私が知る為には、それなりの時間がいるからなぁ」

「不要な喜びを与える必要は無かったのではないでしょうか?」

「アホ。死ぬと分かっている者に多少の誉れと、仮初めの喜びを与えて何が悪い」


 魔獣は掌に刺さっていた剣を抜いた。血があふれ出た。ペロペロと傷口を舐めあげる。魔獣の目がマルト達を見据える。

 魔獣は自分の頭に両手を伸ばす。ゆっくりと力を加え、まるで、ネジを回すような動きだった。手を動かすと、パキンと外れる音がする。今度は、赤い鼻筋をした顔が表になった。


「良いか。お前らは礼節を忘れるな。殺すならば、お行儀よく殺せ」


 マルトの問いかけに、皆静かに頷く。


 魔獣は遠吠えを上げると、四つんばいのまま、今度は4歩後ろへ下がった。

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