初夜編 認識格差02

 朝食をすませると、オリヴァはその足で診療所へ向かった。昨日の雨でズタ袋に入れていた服はどれも使えなかった。機嫌を良くしていた女将に主人の服を借りれないか尋ねたが、「その寝巻き《借り物》じゃ文句あるん?」と素っ気無く突っ返された。

というわけで、借り物の寝巻きのまま診療所へ向かう。見知らぬ者が似合わない寝巻きを着用して歩いている。二重に奇妙な光景に村の人々は気が触れたのかとヒソヒソと口にする。宿屋から診療所までは僅かな距離であった。彼にしてみれば、辛酸を舐めさせるには十分すぎる時間でもあった。


「ごめんください」


診療所の引き戸を叩いたが、中から返事はない。もう一度、引き戸を叩いたが、反応が無かった。引き戸に耳をピッタリとつけてみる。玄関へ向かう足音は聞こえない。だが、人の気配は感じる。オリヴァは、意を決し、引き戸に手をかけ、ゆっくりと引いた。部屋の中には、一人の男性がいた。部屋の中心で背筋をピンと立て、正座をしている。昨晩見た男に間違いはない。手には、抜き身のままの短刀が握られている。

 オリヴァは足音を立てず、靴脱ぎ石に立った。視線が高くなることで、「先生」の横顔が良く見える。医療従事者よろしく、白一色のシャツとパンツ。色白で鼻筋がスゥと通っている。垂れ下がった目尻。薄い桜色の唇。顔つきと、線の細い体つき。偏狭な田舎にはもったいないほどの上品な雰囲気をした「優男」だ。外見だけでいえば、それこそオリヴァと変わらない。オリヴァは数度瞬きをし、優男の顔をはっきりと脳裏に焼き付けた。


「すいません。先生、よろしいですか」


 オリヴァは先ほどよりも大きな声で先生に声をかけた。オリヴァの声に、先生は目をカッと開ける。とても驚いた様子で、床から身体が少しだけ浮いていた。首を左右に動かす。1度目ではオリヴァの姿を捉えきれない。2度目。玄関の方を向いて、初めてオリヴァの存在は認識された。


「あぁ……。貴方は」


 先生は、ホッと胸を撫で下ろす。カチンと鞘に入れる音をたて、短刀を杖代わりにして立ち上がった。

 いそいそと部屋の隅に収納していた薄い座布団を取り出した。


「上がっても良いですか?」

「どうぞどうぞ。気づくのが遅れてすいません」


 先生は、部屋の中をあちらへ こちらへとせわしなく歩く。戸棚をみては「違う」とブツブツと口にし、さがしものをしているようだ。


「お気になさらず」


 オリヴァの一言に、先生は、ポンと手を叩く。安堵した表情を浮かべ、そそくさとオリヴァの近くに駆け寄った。さがしものは諦めらしい。何を探していたのかは、なんとなくだが、察しはついた。

 先生は、来客用の座布団を指差し、オリヴァに座るように案内した。二人は、同じタイミングで腰をおろし、フゥとため息をこぼした。


「昨日は大変でしたね。疲れが残っているのでは?」


 そういうと、先生は、自分のまぶたの下を指でなぞる。そのジェスチャーにオリヴァは苦笑し、彼と同じようにクマを拭うような仕草をした。


「私は別に……。先生こそ、急なことで申し訳ありませんでした」

「良いですよ。これは、私の仕事ですから」


 満足げに先生は乾いた笑いをこぼす。つられるようにオリヴァも笑ったが、「アハッ」と短く笑うだけであった。


「ところで。トランさんから大体のお話は伺いました」


 本題は急に切り出された。オリヴァもどのようにして切り出そうか考えあぐねいていた。相手方から切り出されたの良いが、覚悟は決まっていなかった。頬にピリリと痺れに似た痛みが走る。


「失礼ですが、お名前は?」

「ロサリオ と申します。先生。私も先生のお名前をお伺いしてもよろしいですか?」

「私の……ですか」

「はい。若い先生なので。私は貴方に興味があります」

 

  彼は、診療所の主だ。つまり、命の剣使い(医者)である。

 命の剣。命の剣は、人の生命に直接関わる性質のものだ。その為、スナイル国は原則として、国民の命の剣を使用、所持を原則禁止している。ただし、人の生命に危険が及ばぬよう、高い倫理性と知識、臨床・研修を修めた者には、例外として、命の剣の使用 所持を許可している。また、許可を受けた際は、有資格者 「医者」として、「登録」されなければならない。登録登用試験は、他の資格試験と比較しても難易度が高い。社会的地位に憧れて、何度も登用試験にチャレンジする者もいる。

 オリヴァの目の前にいる男はかなり若い。これだけ若ければ、王都が手放すことはない。何かの理由があり、トリトン村の小さな町医者をやっている。そのような人物に役人であるオリヴァが興味を覚えないわけがない。


「エイドと言います。久しぶりですよ。自分の名前を他人に告げるなんて。もう、村の人たちには先生 先生 って言われっぱなしですから」


 と嬉しそうに語った。


「それで、嫁は、大丈夫なのですか?」


 ベルの事を「嫁」というだけで、オリヴァの背筋にはゾゾゾゾゾとあわ立つものが走る。ベルに対してそのような感情を一切持っていない。なのに、そういわなければならない。相反する状態に、寒気がする。ブルリと体が震えるのだ。


「はい。今は元気ですよ。高熱も、疲労と睡眠不足が原因です。昨晩はぐっすりとお休みになられていました。もう安心でしょう。」

「そうですか。本当に、彼女には申し訳ないことをしました」

「逃げるためです。それは仕方ない事ですよ」


 ここで、オリヴァは一つの疑問を持った。話題の中心はベルだ。そして、エイドは「ベルはゆっくりとお休みになられた」と口にする。つまり、エイドはベルが休んでいるところを目撃している。昨晩、ベルはkの診療所にいた。では、なぜベルはオリヴァの前に姿を見せないのか。エイドもベルを呼び寄せることをしないのか。病み上がりであるが故に呼ばない。という職業倫理人としての思考か。はたまた、エイドはオリヴァとの会話をベルに聞かれて欲しくないのか。オリヴァは口元を両手で覆う。はぁ。と息を吐く。隠れた口元は忌々しげに歪んでいた。


「何故駆け落ちをしたのですか?」


 オリヴァの目は、本人の知らないうちにランと輝いていた。エイドはベルが蒔いた餌にかぶりついた。針にかかった魚には、痛みを忘れるために更なる餌が必要だ。

 オリヴァの口元は三日月に裂ける。何事もなかったかのように、口元を拭うようにして覆っていた手を離した。




 それは、よく聞く物語のような話である。

 王都には、剣を取り扱う老舗が2店舗ある。歴史を紐解けば、元々は1つの店だった。いつかはわからぬが、店は2つに暖簾を分けた。円満な暖簾分けではなく、恨みの上に恨みを塗り固めるような分け方だった。

 怨嗟の歴史は子、孫、子孫と代々受け継がれ、現在に至るまで両者が歩み寄る事花井。店同士は、激しく啀み合った。また、店で働く者も その子供も自然と憎み合っていた。

 だが、トランとロサリオ 二人は仲違いする店舗の子供でありながら、互いに惹かれあった。脈々と受け継がれる恨みの血が流れていても、「恋」の爆発力の前で「恨み」「憎しみ」は霧散する。「好意」にブレーキはかけられない。気づけば「恋」となり、沈黙の末、恋は「愛」に変わった。人目を憚り、愛を育み、そして、将来を誓った。けれども、平穏は長くは続かない。二人の中で隠して留めていた秘めやかな恋愛は、辛抱たまらず、ひょっこりと尻尾が現れる。気づかぬのは当人達だけだ。気づいた時にはすでに遅すぎた。

 「二人の関係は許されない」と双方の両親から厳命された。従業員からも「ならぬ恋」と非難を浴び、ロサリオは自己批判を店舗の前で強要された。どちらが、先にたぶらかしたのか。両店舗の罵倒大会は日に日にヒートアップし、とうとう刃傷沙汰となった。このままでは、死人が出かねない。周囲からの声が漏れ始めていた。店の不評は不信へと繋がる。このままではならない。と両店舗は頭を抱えていた。

 そのような折、地方都市にある有名な剣の名店から跡取り息子の嫁にトランを迎えたい。と申し出があった。トランの両親は、ロサリオとの関係に終止符が打たれるなら。ということで、勝手にその縁談を受諾した。トランの嫁入りの日もその日のうちに決められ、彼女が全てを知ったのは、嫁入り前日の事だった。

 

 トランの嫁入りが恙無く運ぶよう、敷地内には両親が雇った警備員が多数配置されていた。では、どれだけの人間がトランの格好を知っているだろう。そう思った時、トランの脳内に活路が見えた。トランは、食事を運んできたメイドをひん剥き、縛り上げ、大きなクローゼットの中に押し込んだ。裸ではあまりにも可哀想という事で、彼女が今まで着用していた豪奢な服はメイドに着せる。メイドに化けたトランは終始、顔を俯きにし部屋の中を歩き回る。屋敷の外へ出るときは、「買い物にいくメイド」の格好をしていた。

 屋敷を脱出したトランは、友人達の伝手を頼りに、ロサリオに全ての経緯を告白した。トランの話を聞いたロサリオはトランの全てを受け入れ、二人で王都を離れることを決意した。最低限の服を途中で購入し、王都で着用していた服は全てブラード川に捨てた。ズタ袋の中に、全てを押し入れて、二人は手を取り合った。行き先は、トリトン村だ。心優しきコトウさんの物語が好きなトランの要望だ。心優しく村で新たな人生を。そう願いを込めて、二人は旅立ったのだ。


 というのが、コルネールの考えた設定だ。頭を垂れた。

 話を聞かされたときは、「噴飯もの」という表現がぴったりだとオリヴァは思った。どこにでもある物語だ。コルネールは、オリヴァの事を「少女趣味」と言っていたが、コルネールの設定も大概である。説得力が増すように、オリヴァは目頭に手で抑え、鼻頭を抑えたりした。だが、彼の心は完全に冷めきっていた。滔々と離しながらも、エイドからの質問された場合の問答集などを考える始末だ。大きなため息は、設定を語り終えた疲労と、不安だ。エイドの表情を確認すべく、渋々顔をあげる。

 すると、目の前には、一筋の涙を流すエイドの姿があった。


「大変でしたね。ロサリオさん」


 オリヴァは頭を垂れたまま小さく首を縦に振った。予想外の反応に、彼の心臓はドクドクと激しい音を立て始めた。


「そういう事情でこの村に訪れたのですね。それならば、私もあなた達の新しい門出に協力したい。すぐにでもコンラッド様に口添えをしましょう」


 願っても無い事だ。文字通り、棚から牡丹餅である。人間は、予想だにしないチャンスに巡り会うと、なかなかリアクションはできないものである。オリヴァはエイドの言葉の真意がわからない。顔をあげ、口を薄く開けてエイドを見つめる。エイドの潤んだ瞳。瞳を奥を見つめようとするも、涙が、視線を歪ませてしまう。


「あのっーー」

「えーっ。そんな事をしてもらってもいいんですか?」


 オリヴァの声に重なるようにして響く女性の声。エイドとオリヴァは同時に玄関の方を向いた。

 ゆったりとしたグレーのワンピースに身を包んだ一人の女性。明るい日差しを受け、満面の笑みを浮かべる。けれども、その笑みの後ろには必ずロクデモナイ事が隠されている。そう予感させるのが、ベルだ。

 歓喜に満ち満ちていたエイドの表情が途端に引きつった笑いに変わる。隣に座るオリヴァも苦虫を潰したような笑顔を浮かべていた。

 二人の非難がましい視線を前にしても、ベルは堂々と腰に手を当てて立っていた。


「嬉しいですぅ。先生が私たちの事をそんな風に応援してくださってたなんて」


 目を細め、胸元で手を合わせる仕草に、二人は同じタイミングで「はぁ」と声を漏らした。

 ベルの背後から、ぬっと大きな男が現れる。大きな体を揺らし、粗野な風貌。細い目は機嫌良さそうに柔らかいが、奥に潜む鋭利な光は隠せない。昨晩、オリヴァ達が出会った「親方だ」


「おぅ。先生。連れて帰ってきたぜ」

「親方のおかげで村のことがわかりましたぁ。本当に、何から何までありがとうございます」


 語尾をあげ、とても嬉しそうな声をあげていた。親方も嬉しそうにベルに「そうか。そうか」と頭を撫でる。何も知らない人が見れば、歳離れた兄弟 もしくは親戚が妹を可愛がっている図にしか見えない。

 エイドがベルを呼ばない理由はあった。オリヴァが予想していたよりも、とても簡単な理由だ。そして、オリヴァは可能であれば今すぐにでもベルを殴りたかった。

 彼の中で、ベルは任務遂行に遅滞をもたらした戦犯だからである。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る