初夜編 花嫁は彼女なのか1(潜入5日目)

 オリヴァは目の前の出来事が信じられないでいた。

 ついて2日程前は、コンラッドとパイプがもてないことを嘆いていた。どういうわけか、エイドと縁を結べた事で、彼は、コンラッド屋敷貴賓室に足を運ぶことが出来た。

 次に、目の前の女性だ。

 多くの女性が彼女を中心にグルリと円を作っている。真ん中には新婦ベルが座り、新郎オリヴァを見上げている。ベルの小柄な体を包み込む生成りの総レースドレス。彼女は気恥ずかしそうに着用し、チラチラと新郎を上目遣いで見つめる。その可憐な仕草に、女性陣から「あらあら」と声が上がる。


「きれいになっちょるやろ」


オリヴァを宿屋まで連れて行ったあの恰幅の良い女性が自信ありげに問いかける。彼は言われるがまま、「はぁ」とだけ答えた。


「旦那さぁん。そこは素直にならんといかんばい」


 女性はニヤニヤと笑いながら、肋骨の隙間に、ピンポイントで肘鉄を入れる。

 オリヴァは引きつった笑顔を貼り付けたまま「ぐっ」と息を吐く。彼の眉間にピクピクと幼虫のように動くたび、ベルは口角をあげ、視線をそっと外した。

 初々しい花嫁の動きに、もう一度女性陣から声が上がる。反応がイマイチな新郎を誰かが円の中心からつまみ出し、鏡台の椅子に座らせた。

 女性陣と称しているが、年齢は高い。彼女達の年齢で言えば、ベルは「娘」にあたるだろう。なので、ベルが動くたびに声を上げる。


「トランちゃん、うちにあった耳飾なんやけど、使わん?」

「その耳飾り義母さんのもんと違うん? そんなもんより、ウチにある飾りもんつかわん? トランちゃんに似合うよ」

「トランちゃん、髪の毛ツヤツヤしてて、綺麗かぁ。もっと長かったら、おばちゃんが結いたかったわぁ」


 ベルの髪に何度も櫛が通される。耳や手首にはシャラシャラと大ぶりのリングやキラキラした飾りが施されている。彼女が何かを見につけるたび、皆口をそろえて「かわいい」やら「綺麗」と言う。

 オリヴァは喉元まで「かわいいや綺麗なのは、その装飾品だろ」と突っ込みたかった。新郎は新婦に対し逆の感情を有している。着飾った身の回り、美しく飾られた顔。粗雑である彼女が整っている。はっきり行って「異常」で気色悪い。彼にとって、ベルは綺麗であってはならない。目の前にいる着飾ったベルは、「ベル」と名前がついた彼女に似通った他人。もしくは、気持ち悪いバケモノ 魔獣への発展途中の人間だ。

 バケモノから発せられる、化粧特有の粉っぽい臭い。嗅げば嗅ぐほどに脳みそがムズムズとむず痒くなった。


「旦那さんは、奥さんが綺麗になってびっくりしちょるんやろ」


 紅が塗りたくられた小筆を持った老女がベルに声をかけた。無論、オリヴァにも向けられている。



「結婚式は一緒に一度ばい。ヨソもんのあんただんをうちらと同じように祝ってくれるって……。どこに、そげなえぇ人がおるかいっちゃ」


 老婆の声に部屋は水を打ったように静かになった。


「うちは、あんただんを祝おうと思っちょらん。せやけど、領主様が結婚式をしろっちゅーなら、うちは、お前さんを綺麗にする。それだけっちゃ」


 そういうと、ベルの顎を自分の方へ向け、下唇の輪郭を手慣れた手つきで小筆で引いた。少しずつ線が引かれる。しわがれた手に迷いは見られない。彼女が手を加えるだけで、ベルの顔の中のパーツがまたはっきりと目立ってきた。


「新郎が新婦に綺麗って言わんっちゅーことはな。私の腕がそげん酷いってことか、お前さんが綺麗になってびっくりしちょるかのどっちかばい」


 老婆は紅が入っている貝殻を取り出す。小筆に塗りたくると、塗り残しが無いか、丹念に彼女の顔を見つめた。


「突然の事で、私も彼女もまだ落ち着かないので」

「そうかい。お前さんが受け入れるほどの余裕が無いってことなのはよくわかったばい」


 老婆はそれ以上何もいわない。仕組まれた結婚式。形ばかりの結婚式にオリヴァは思うことは無い。






 オリヴァとベルが結婚式を挙げる。その話を聞かされたのは4日目の夜の事だった。焦げた卵焼きと煮詰めすぎた汁に言いようの無い澱んだ空気が漂っている中、エイドが何食わぬ顔をして、二人が生活をしている長屋へやってきた。

 3日目の昼、二人は領主コンラッドと面会した。トリトン村で生活したいことを嘆願した。彼はその場で許可はしなかった。この長屋へ二人を案内した際、コンラッドが二人が村で生活することを許可したことを知らされた。ただし、ベルは村人の農作業補佐、オリヴァは村の男性陣と狩猟し、食料調達が条件だった。コンラッドの申し出に、拒否する理由はどこにもない。二人は、条件を受け入れた。

 そして、2人は慣れない作業に従事することとなった。


「二人とも手が綺麗ですから」


 そう言いながら、きちんと二人が仕事をしているか探りを入れてきた。二人はあからさまな尋問に笑顔で「大丈夫です」と答えるのみだった。

 ベルは台所へ向かった。エイドは消し炭のような卵焼きを見るや否や「水で結構です」と彼女に声をかけた。

 ベルは残念そうにエイドに水を出すと、自分の席に座った。気のせいか、皿の上には炭が増えているような気がした。

 エイドは水に手を伸ばし、一呼吸をおいて、二人に語りかけた。


「コンラッド様はですね、あなた方2人がこの村に来られた事をとても喜ばれています」

「そうなんですか? 謁見した際、そのような風には思えませんでしたけど」

「領主というのは感情や思った事をそのまま口に出すことはデキない生き物なのです。そこを汲み取ってください」


 オリヴァは消し炭の一部を皿の端へ寄せ、山を作った。


「うちのと違って、領主様はとても我慢強く理性的な方ですね」

 

 ベルは大きな目を細め、刺すようにオリヴァを睨んだ。彼の皿に残った卵焼きの安全部分に自分の端を突っ込んだ。彼の制止を振り切り、大きく開けた口に、放り込んだ。ゲッ歯類動物のように頬を膨らませ、むっちゃむっちゃと音を立てながら咀嚼している。


「口には出せませんが……。ただ、あの方なりにあなた方を受け入れたい。祝福したい。そういう思いがあるのです。その気持ちが……。貴方達の結婚式をあげる。と言うことなのです」


 エイドの申し出にベルもオリヴァも目をパチパチと瞬かせた。オリヴァにいたっては、驚きの後、ゆっくりと喜色を浮かべていた。

 ベルはゴクリと卵焼きを飲み込むと、立ち上がり、エイドへ詰め寄った。彼の手を握り、「本当ですか?」と何度も何度も確認する。その度に、エイドは「えぇ」と返す。彼はベルを触る程度にしか見ない。彼が直に見つめるのは、目の前にいるオリヴァだ。まっすぐなげられた視線を、彼は避けることなく受け止めた。


「本当に、コンラッド様がおっしゃられたのですか?」

「はい。これは、コンラッド様のご意思です」


 エイドは星の小刀を二人に差し出した。鞘には、トリトン村の紋章が刻まれていた。これは、この星の小刀が公的なものを示す証拠だ。

 ベルは小刀を取ると、鞘を抜いた。刀身には赤く刻まれたトリトン村の紋章。赤の刻印は最高権力者の証拠だ。ベルは刀身に指を這わせ、小刀に記されている内容を読み取り、口に出した。


「本当だ……」


 ベルが読み終わると、小刀の刀身に輝きは消えた。星の小刀はただの小刀へと変わった。


「コンラッド様のご意思、受け入れてくださいますか?」

 二人は顔を見合わせた。

 思っても無いところで、コンラッドの邸宅に足を踏み入れる契機にめぐり合った。結婚式を受け入れれば、初夜権の有無の事実に近くなる。仮に無かったとしても、ベルの動き次第で初夜権の存在を「ある」に変化させることも出来る。

 オリヴァはもう一度、ベルの顔を見た。ベルは首を小さく縦に振った。


「このような申し出、拒否する理由はどこにもありません」


 この任務を受け入れた時、彼はベルを初夜権有無の人身御供として差し出す事を決めた。自分以外の者がこの選択を非難したとしても、自分の戻るべき場所の為ならば、犠牲は厭わない。そう決意していた。また、彼女もこの任務を引き受けた時から覚悟は出来ているはずだ。そう自分に言い聞かせている。

 エイドは2度程頷き、薄い笑みを浮かべた。結婚式の日時等、詳細を伝えると、さっさと限界へ向った。引き戸に手をかけると、振り返り、二人の顔を見つめた。


「おめでとうございます。あなたの期待に応えられるよう、私も頑張ります」


 弓なりのように細い目はオリヴァを見据えた。嬉しそうな口調は、まるで、オリヴァの不安を逆撫でするようで、不穏な気持ちに拍車をかけるのだった。







「旦那さん」


 頭上から声がする。オリヴァは見上げると、そこには困ったような怒ったような顔をした女性がいた。オリヴァは椅子の背もたれに深く腰掛けている。指先がポカポカと温かい。四肢に力が入らない。ほんのりと温かい体温と気だるい重さ。


「旦那さん。あんたの準備はどうなん?」


 女性の一言で、自分が寝ていたことを認識した。

 一眠りしていただけで、周囲の女性の視線は好機の目から不審の目に変わっていた。


「邪魔やから出て行ってくれん?」


 女性陣の口調はきつい。どれだけ寝ていたかわからないが、よほどの不評をかっていたようだ。オリヴァの意見も聞かず、彼の肩を複数の女性が両手と肩をがっちりと掴む。とどめのように恰幅の良い女性がそれこそ米俵を持ち上げるようにしてオリヴァを持ち上げた。


「おい。ちょっと!」

 

オリヴァはベルに「助けろ」と目で合図を送る。神輿のような彼に、彼女はニコヤカに微笑を浮かべる。「バァカ」と目は彼に返事を送った。


「おい。待てって!」


 オリヴァの声はむなしく響く。

 ドアが開け放たれると、それこそ文字通り、彼の体は放り出された。臀部からの着地で腰はジンジンと痛む。下から見上げると、恰幅の良い女性は、鼻息を荒くし、仁王立ちになっている。


「ちょっと」


 彼の声に、女性は一睨みし、もう一度鼻を鳴らした。彼の意見は聞かないといわんばかりにドアを荒々しく閉める。そればかりか、ドア越しにゴトゴトと音が聞こえる。言葉の断片から察するに、ドア前にバリケードを造った様だ。


「これが、新郎にする仕打ちかよ」


 ボソッとオリヴァがひとりごちると、ドアの前がガタガタを騒がしくなった。「聞こえたのか」と思うと、すぐにあの女性軍団の幻覚が見えた。

 たまらんと言いたげに彼は、痛い尻をかばい、前のめりになりながらその場を後にした。

 

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