幻影の影奉仕
王の死後、遺された者たちへの課題は山積していた。だが、課題の内容を理解していれば、さほどの難問ではない。量をこなせばよいのだ。情報の山の中、彼はキルクに必要な情報を選別し、サポートに徹した。常に二歩、三歩先の予定を睨み続け、その甲斐あってか、王の死後二日、二人は大きな失敗をすることなく数多くの儀式を執り終えたのである。
旅立ちの儀当日
二人は本番を迎えるのであった。
日はすでに昇り、天の頂点まであとわずか。新しくしつらえた筆頭侍従用の黒の礼服に身を包み、彼は主の部屋に立つ。過去の式次第を思い出し、キルクに必要なことは何かを考える。例えば、礼服、靴。身だしなみ、体調は万全なのかなどなど。指を全ており、疲れた顔を上げる。眉間に皺を寄せて深い息を落とす。どんよりとした空気を払うように手を払い、腰に当てた。
(どれもこれも本人に確認しないとわからないことばかりだな。どうであれ、俺はキルク様をフォローし、受け止めるしかない。それが俺の役目だ)
彼は扉の奥にいる主の姿を連想する。吉も凶も全て覚悟し、四度自分の来訪を告げるノックをして部屋へ入った。
「キルク様、とうとう本番を迎えましたね」
抱き程までの渋い表情は一変し、好青年らしい爽やかな笑みを浮かべて主に声をかけた。キラキラと朝露が撥ねるような飛び切りの笑顔であったのだが、飛び込んできた現実は“難”であった。
「オリヴァ、お前変なもんでも食べたか? 肉を喰っていないから気がおかしくなったか?」
「……」
彼は未だ寝巻のままベットの縁に腰を下ろし、黒革の靴と格闘していた。皺だらけのシーツは床に落ち、枕に至ってはベットの床の隙間にねじりこまれている。ベットルームスリッパは左右が彼方へ別離しており、靴下は丸められ窓際に放置されている。部屋の乱れは心の乱れというが、キルクの心のささくれぶりはこの惨状どおりであろう。
柔らかく細い黒髪は右へ左へと自由に跳ね、その合間を縫うように指を立て頭皮を掻きむしる。寝不足なのだろうか、青白い顔は普段以上に冴えない。裏目がましそうに靴ベラ代わりに使用した赤く売れた人差し指をオリヴァに見せつけると唇を尖らせた問うた。
「宮中に変わった様子は?」
抑揚のない声。キルクの気分が優れないことを如実に表している
オリヴァは扉の前で打ち立てた覚悟をあっさりと放り投げ面倒臭いと思いつつ笑顔を貼り付けて「問題ありません」と答えた。
オリヴァは「子供じゃないんですから」と文句を垂れ、脱ぎ散らかされた服の障害物をまた越し、壁に掲げられている黒い礼服の前に立った。これは、旅立ちの儀でキルクが着用する礼服である。
主に一言断りを入れ、皺を付けぬよう、優しく服を撫でた。柔らかく温かな感触。緬羊と呼ばれる動物の毛を使用した生地を使うことが伝統であった為、オリヴァはその旨を仕立屋に伝えていた。王宮からの依頼とあっては仕立屋も腕によりをかけただろう。彼らが仕立てた礼服はオリヴァの想像以上の出来であった。光に照らされると、礼服は深い紺色、碧玉色、紫色、鼠色などに変化する。袖の縁には金の緬羊でステッチが施され、服の裏身頃には白虫糸で国の紋とキルクの紋が描かかれていた。
(急な依頼だったが、本当によくぞここまで仕上げてくれた)
仕立屋の仕事と自分の手腕にうっとりしていると、キルクじゃ唸り声と共にオリヴァを呼んだ。
「オリヴァ。お前、本当に俺の足の大きさを伝えたんだろうな。ちっとも入らないぞ。この靴」
先程より彼はこの革靴に苦労している。彼は「見ろ」と言いながらつま先を引っ張るも、足の甲が靴の中で完全に引っかかり抜け出せる気配がなかった。
この靴も儀式で指定されている革靴である。出来上がってから日浅いため、革を柔らかくする為に早めに履くよう勧めたのだが、この様子だと未だに履けていいないだろう。
オリヴァはキルクに声をかけて靴を両手で触ったり指を突っ込んで中の状態を確認した。 靴紐はきつく結ばれ、足の甲に食い込んでいる。おまけに革は未だに硬く、長時間履き続ければ指先やアキレス腱を痛め歩く動作に支障が出るのは確実であった。
「とりあえず靴紐を緩めましょう」
「とりあえず。って、お前ちゃんと俺の足の大きさを伝えたのか?」
「えぇそれはすぐにわかります」
オリヴァはニヤリと意味ありげな笑顔を見せると爪を立てて慣れた手つきで靴紐を緩める。すると上下左右に動けなかった足に可動域が出来、彼は躊躇いなく一気に靴をはぎ取った。
「ギャン」と痛みの声が漏れ、キルクは幽かな熱を帯びた自分の左足を大事そうに抱えベットに沈んでいった。
「革はまだ硬いのに、キルク様は靴紐をきつく結びすぎです。だから履けないのですよ」
オリヴァは靴の中に手を突っ込み握りこぶしを創る。握りこぶしをつま先へ爪先へ。革を柔らかく、靴の横幅を拡げるよう革をほぐし始めた。
「革を柔らかくしなきゃ意味がないですよ。少しの間でもこうやって揉み解せば、靴が広がって履きやすくなるんです。決して、靴紐が解けるからと言ってキツク結ばないように。結び方一つで靴ひもは解けなくなるんですよ。まぁ、私の仕事です。これでやって足が入らなければいくらでも文句をどうぞ」
慣れた手つきで革をほぐす横顔は穏やかであった。何かを懐かしむオリヴァにキルクはベットの上でゴロンと転がり、床に座り込む従者に声をかけた。
「器用だな」
「はい。私の主はすぐに文句を言う人ですから」
両方の靴の革をほぐし、靴ひもを緩めた。「どうぞ」とわざとらしいジェスチャーに半信半疑といった様相で靴に足を突っ込む。
すると、今まで自分は何に苦心していたのかと思う程、あっさりと足が収まった。従者の技量に驚くキルクであったが、オリヴァの関心は靴から別の問題へ移っていた。
彼の視線は、剣が置かれている机に注がれていた。
「
オリヴァは立ち上がり、机に向かう。
「
キルクは顎を場所を示すように顎をしゃくると剣に背中を向けた。オリヴァが流れるように鞘を抜く音にキルクは振り返るも、再び視線を別の方向へ向けた。
「俺が怪我しないようにと刃を削ったり先端を丸めたのだろう。練習用にとしてしたてたのだろうが、モノには限度がある。だから好かん」
吐き捨てるキルクの口調に「そうですか」と返した。彼の言葉通り、角の取れた切っ先にオリヴァは白い指を這わせた。だが、指先に傷一つ付けられずプックリと若い木の実のような血も浮かび上がらなかった。
キルクは刀剣愛好家である。命を削ぎ取る刃の形状が特に好きらしい。だが、キルクに怪我をさせぬよう配慮した剣は、剣の醍醐味を奪っておりもはや刀剣の侮辱と思っているようで憤懣やるかたないといった次第である。
そんなキルクの不満をオリヴァは理解できた、一方で従者として「堪えてほしい」と思っている。
本日のメインイベント 旅立ちの儀では王子たち自らが棺に火の剣を突き立て遺体を
(絶対に練習していないだろうな。この様子じゃ)
目を細めるオリヴァにキルクは「なんなんだよ」と口撃する。
キルクに残された時間は多くはない。わずかな時間をなんとか練習に会立ててもらうべく、キルクの興味が乗る剣の話を振った。
「念のために言っておきますが。本番で使う火の剣は特別らしく騎士団が保管しているそうです。儀式前に騎士団長が直々に儀式用の剣をお二人に渡すそうです」
「ふぅん。どんな剣だ」
キルクは壁にかけてあった礼服に袖を通しながら問うた。
(かかった)
オリヴァは心の中で肘を引き、一拍の間を置き答えた。
「私の調べたところでは、一本は火の上位眷属の剣。もう一本は普通の火の剣。ただし、剣の性質や能力でいえば上位眷属剣も普通の剣もほとんど差がないと……」
キルクは首を回し「ふーん」とだけ返す。オリヴァは着替えを続ける王子から目を逸らして話を続ける。
「キルク様はせっかくの儀式、火の聖剣であれば。と、お思いでしょうが流石に無理です。聖剣とはこの世界を創った剣。そのような代物がこの国にあるわけがない。ただ、国の体裁として、先祖たちは聖剣から直接生まれた上位眷属剣を手に入れたのですよ」
この
樹の聖剣イグラシドルがはじめに生まれ、その後、火、水、風、土、雷、空、音、星、海、命、獣 十一本の聖剣が生まれた。樹の聖剣イグラシドルはこの星の奥深くに眠り、残りの十一本は世界のどこかにいる「聖剣使い」が持っている。
世界全ての権力者は聖剣の力を求め聖剣使いを血眼になって探している。だが、聖剣使いを配下に収めた。という話はとんと聞かない。
「キルク様、ご理解ください。聖剣から直接生まれた上位眷属剣です。儀式に傷をつけるような事は決してありません」
「分かってる。オリヴァ、そう言うな。俺は聖剣が良いとは一言も言ってない」
キルクの言葉にオリヴァは小さく謝罪の言葉を呟いた。
「使える剣は上位眷属剣と普通の剣か」
呟くキルクにオリヴァは「はい」とだけ返事をする。
本来、儀式で用いるのは上位眷属剣一本のみ。聖剣に近い剣を用いることで、彼の者が正式な|
二人はどの剣を選ぶのか。選択の時点で王の選抜は始まっている。
「上位眷属剣と普通の剣。
その言葉を意図することにオリヴァは度肝を抜かれた。軽々に口にするべきではないと叱責しようとしたが、笑ったような泣き顔。その表情はあまりにも自虐的痛々しく、軽々に責める事がはばかられた。ゴクリと飲み込む唾液に言葉を含ませ、彼の言葉を聞き流した。
「オリヴァ、その上位眷属剣と普通の剣、お前や俺が見てもわかるものか?」
「どうでしょう。管理は騎士団が行なっております。彼らは何が上位眷属剣なのかを知っていると思いますが……あの
オリヴァの回答にキルクは「そうか」とだけ答え、オリヴァの手から剣を執った。
オリヴァはキルクの顔を見る。顔色は落ち着いた赤みが買った白色に変わっていた。ゆっくりと手を伸ばし、手櫛で撥ねた寝ぐせを整える。くすぐったそうなキルクの顔に優しく声をかけた。
「あとで
「オリヴァ、気にしすぎだ。男が紅などさしてどうする」
「キルク様、私は貴方の為に言っているんじゃないんです。貴方が変な恰好をしていれば、貴方の筆頭侍従は何をしているんだ。と私が責められるのです。それがイヤだから化粧師を呼ぶのです」
短く切りそろえられた爪で、彼はキルクの好きなところを掻いた。甘い刺激にくすぐったそうに笑う彼につられ、オリヴァの顔にも柔らかな笑顔が灯る。
「キルク様、私はこれにて下がります。本番までにきちんと練習してくださいますか?」
「まぁ、気分が乗ればな」
そういうと、剣とオリヴァの顔を交互に見えるのであった。
従者は恭しく頭を下げ、部屋を後にする。だが、影に釘でも打たれたのか、オリヴァはその場から動くことが出来なかった。大きな扉に背を持たれ、キルクの言葉を反芻する。
上位眷属剣と普通の剣。
オリヴァは締め付けられる思いに声が出そうになる。ひらきかけた口を慌てて抑えジッと自分の爪先を見つめる。彼は主の言葉を否定できなかった。
兄に対する劣等感を抱き生き続けてきた彼に、投げかける言葉は存在するのだろうか。
いや。とオリヴァは首を横に振る。
「これが、イヴハップ王の残像なのか」
オリヴァは解き切れない難題を全て死んだイヴハップ王に押し付けた。
キルクの痛々しい横顔も、不穏な予感も、亡きイヴハップ王が姿を変え与えた試練なのだとオリヴァは自分に言い聞かせるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます