第3話
「ほう、シベリアから帰ってきたと」
「この秋口にやっと」
私はスプーンですくった雑炊を冷まして博士に差し出した。
米より麦と粟の比率が多く芋の角切りまで放り込んだごった煮だが、齧歯類にはこっちのほうが口に合うらしく、文句も言わず食べてくれた。
「大変な苦労をされたのですな」
ざっと身の上話をしてみせると博士は大いに同情を示してくれた。
「生きて祖国の土が踏めただけ幸運ですよ。味方は頭がおかしい愚将ばかりが仕切っていて、まともな者ほど早々に戦死しました。食事さえちゃんと与えてくれたら敵のほうがまだ人間味があると言ってもいいでしょう」
「私も大陸の北国にいたことがあります」
「あなたもですか!」
「モモンガの大僧正さまに謁見するために海を越えてね」
潮風に乗って海原を飛ぶモモンガを想像すると胸が躍った。
「ちょうど革命が起きた頃で、
「不快なものを見せて申しわけございません。すべて私ども人間の不徳の致すところです」
幸い明日は日曜日であり、寝坊を心配する必要もなかった。
おかげで会話は続き、気が付くと夜も更けていた。
翌日、ひさしぶりに市場で上等の鰹節が入手できた。
卵も変えたので、出汁巻きでも作るか。
かなり食料事情も改善されたとはいえ、金さえあれば好きな食材を買えた頃には、まだまだ遠い。さすがに月に二度支給されるだけの白米一升と雑穀、庭の畑で採れる大根と芋ばかりの食事にも飽きてきたところだ。
ポラトゥーチ博士もすっかり回復し、明日にもここを発たねばならぬそうなので、せめて栄養をつけていただこう。
そういえば、あの方は動物質は食べるのだろうか。
思った直後、道行く人が薄気味悪そうに走り抜けてゆく。顔を包帯で覆った男が、立ち止まって噴き出したりすれば無理もない話だが。
こんなことを考える自分がおかしく、また嬉しかった。よほど内心では一緒に食卓を囲んでくれる存在に飢えていたと見える。
役場から払い下げられた木造家屋は、古いが大工の誇りが感じられる堅固な作りで、まだまだ長期の使用に耐える。一人で住むには勿体ないほどだ。
しかし、無理を言って博士を引き止めるわけにはいかない。
動物の世界といえど賢者さまはお忙しいのだ。
「博士?」
自宅の前まで来ると、博士が屋根の上にいた。
「お帰りなさい」
「何をしてらしゃるんですか博士」
まさかもう旅に出るつもりなのだろうか。
「あなたへのお礼です。ご希望どおり今から飛んでご覧にいれましょう」
「確かに言いましたが……」
先夜、竹籠に敷いた毛布の中から博士が私にできることがあればと仰せになったので、せっかくだからと滑空する場面を披露してほしいとお願いしたのだ。
「体に障りませんか?」
「丁度いいですよ」
言った直後には、もう風へ飛び出していた。
飛膜をいっぱいに広げ、ちぎれ雲の下を舞う。
昼間の昼間、青空を滑空するモモンガを見た者など多くはいるまい。
華麗で、勇壮で、最高の眺めであった。
呼吸をするのも忘れ、膝が震えるほどの感動まで覚えたとき、我が家の上空を旋回して博士が戻ってきた。
「いくらかでもお礼ができましたかな?」
「十分です。博士の勇姿は一生の思い出になります」
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