第22話 陽炎
アドリアンも、また、アドリアンの部隊も仕事のできない者たちではなかった。
損害は出したが、ここ数日での仕事ぶりには目を見張るものがあった。
女史が駆り出した匹夫たちが、ムルァヴィーニの死骸を洞窟の外へと運び出すその間に、彼らは洞窟内をくまなく整地した。
足元から岩を取り除き進行をしやすくし、定期的にカンテラを配置して、通路を照らした。おかげで、現状到達できる50mの位置までは、すんなりと進行することができた。
ムルァヴィーニの処理についても適切であった。
彼の生命体は、元となった昆虫と同じく、卵を柔らかい砂の中に産みつける。しかしながら、『晶ガス』により緑色に変色したそれは、人の目によく目立つ。そして、その幼虫と違って、地面の表層部にそれは落ちていることが追い。
匹夫たちに申し付けて、彼らは洞窟の中の砂を一通り外に掻き出していた。
そしてそこから一つずつ、気の遠くなるような神経質さで卵を選りだし、一つ一つ潰したのだった。
男がそのような細やかな作業をするということに、女の私としてはどこか違和感を覚えない訳ではなかった。しかしアドリアンならばやるだろうなとも思った。
彼は愚直な人間だ。
女癖の悪ささえ除けば、分隊長格以上の者たちの中で、彼が一番まともだろう。
キリエ軍曹は――武人としての適性能力を考えれば、また、あの女史の腰巾着をしているという点において、信用ならないと感じていた。
ダニイルについては言及するまでもない。
あのような唾棄すべき男を、信用することなどできるものだろうか。
噂では、村娘たちに声をかけて、その春をひさがせているのだという。ニーカ隊長にまでその噂は耳に入っていないようだったが、その手腕を買われたにしても、女をモノとして扱うやり口は、私の最も嫌う、軍の男のやり方であった。
もっとも、そういうモノが溜まること自体は仕方のないことであると思う。
さて。
「隊長、深度50m地点に到着しました」
「……うむ」
匹夫たちにより掘り返され、少しばかり底が深くなったその広場に、私たちの部隊は展開していた。ちょうど、ドーム状に広くなっているそこで、私たちは人員点呼の確認をして、まずは無事を確認すると、次に潜る穴――暗闇を前にして目を細めた。
鬼が出るか、蛇が出るか。
そのどちらも出ないことを私は知っている。洞窟の中に自生している生命体というのは少ない。ひっきょう、そこに発生するモンスターは限られてくる。
タラカーン。
肥大アメーバ。
そしてムルァヴィーニ。
その成体であるアンシオン。
肉食性こそないが暴れられると厄介なチェルヴィアーク。
そして……。
どれも、できることなら接触したくない相手ばかりだ。
最深部に向かうにつれて、固体『晶ガス』の土中濃度は高くなると考えられる。
固体『晶ガス』は、生態系の進化に大きな影響を与えるが――逆に、それを致死させるまでの毒性も持っている。
できれば、これより先は、そういう生命体が居ないと言うことを願いたい。
と、その時だ。
「隊長!! あれを!!」
穴を前にして、カンテラを照らし出していた女兵士の一人が、引きつったような声色で私を呼んだ。なんだ、と、我に返って彼女の指の先を見つめる。
そこには――。
「馬鹿な。アドリアンたちが処置したはずではないのか?」
少し進んだ所に、緑色をした宝石のような丸い物体が転がっていた。
カンテラの光を反射して怪しく光るそれは、間違いない。
アドリアン分隊に二名の死者を出した、ムルァヴィーニの卵である。
どうしてそれがこんな所にあるのか。
アドリアンが排除を忘れるだろうか。
いや、あり得ない。
彼は今回の私の部隊との配置換えにより、ニーカ女史の信頼を失ったのではないかと、大きく動揺している。その状況で、手抜かりのある仕事などするはずがない。
だとして、このムルァヴィーニの卵は、いったいどこからやって来たのか。
考えられるのは一つ。
この暗澹と広がっている、闇の向こう側から、アドリアンたちが整地したのちにやって来た何かが、生み落としていったのだ。
想像できない話ではない。
というより、幼虫が居るのだ、成虫が居るのは言われずとも察するべきだろう。
「隊長、これは」
「……居るな。おそらく、アンシオンだ」
卵が一個だけということを考えると、そう数は多くないだろう。また、アンシオンの元となった昆虫の寿命は非常に短いと聞く。
卵を産み落として、死に絶えているということも考えられる。
だが、油断は禁物だ。
なにより、アンシオンには危険な特性があった。
「皆、アンシオンの羽根からは、可燃性の鱗粉が噴霧される。火炎放射器の装備は極力控えるように」
「……はい」
アドリアンの分隊から引き継いだ、火炎放射器。
これを抱いている兵を後方へと配置することにした。
とはいえ、タラカーンの巣もまだ見つかっていない。
いつまた奴らが襲ってくるかは分からない。
また、肥大アメーバについても、同様だ。
水源が近くにあるこの洞窟には、それはおそらく多く発生するだろう。
これより先にも待ち構えているのは想像に難くない。
この穴を奥に進むにつれて、それらが同時に我々に襲い掛かってくるようなことがあれば――。
肩からぶら下げている『晶ガス』弾を搭載した、サブマシンガンを握りしめた。
この弾幕だけで、部隊に襲い来るそれらを跳ね除けることが出来るのか。
いや、できるできないではない、しなくてはならないのだ。
いいか、と、私は部下たちをもう一度見渡す。
誰も、臆している様子はなかった。
死を恐れていない訳ではない。
洞窟の中に潜むバケモノたちを恐れていない訳ではない。
そしてなにより、我らを率いる『偉大なる同志』の駄十三女――ニーカ女史の得体のしれない不気味さを恐れている訳でもない。
私たちはただ、朱国の兵士として、この場に立っているのだ。
兵士は兵士の役目を果たすのみ。
それが女であっても変わらない。
「よし、では進もう」
私はそう告げて、先頭に立ってドーム型の中間地点から、未踏の洞窟の中へと足を踏み入れたのだった。
ここまでと違い、整地されていない道の上は歩き辛い。
固い軍靴の底が、小石を踏んでは、足元が不安定に揺れる。
転がっていた緑色の卵を、忌々し気に踏みつける。
プチと音がして、液体が飛び出て乾いた地面に染みついた。どうやら、中身を感じない辺り、まだ産み落とされてそれほど時間は経っていないようだ。
大丈夫だ。恐れるもなのど、何もない。
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