消えた、時計
A山さんの師匠の多々良井先生の奥さんは、多々良井先生が亡くなる一昨年前に事故で亡くなっていた。
奥さんは、キノコ鑑定士を名乗れる(取得もしていた)ほどのキノコ採り名人で、秋になると鑑定の依頼やキノコ採りのツアーにまで参加して、その腕前をいかんなく発揮していたのだ。
ある時、奥さんとキノコ採り鑑定士仲間と共に、とあるキノコがたくさん生える山に来ていた。
その山にはすでに何度も来ていて、奥さん程の達人なら特に道に迷う事も何かを間違える事も無いだろうと言われていた。
その時の参加者は10名で、女性が6人男性が4人で、そのうち60代以上の人は奥さんを含めて4人居たそうだ。
奥さんはその時のキノコ狩りで、ある新品種のキノコの採取に力を注いでいた。
ベニテングダケの一種で、普通のテングタケの様に傘が広くて大きいのに色が真っ白なアルビノの様な品種だと言う。
まだ一度しか見た事が無かったので、今度は実際に採取して研究しようと言うのが狙いだった。
その、真っ白なテングタケの様なキノコを探して色んな地域にも足を運んだが、その良く行く山でしか目撃例を聞かなかったので、奥さんはその山の近くにキャンプを張って、じっくりとキノコ採取をしていたのだ。
何故じっくり数日もかけてキノコを採取しなければならないのかと言うと、キノコの出現は神出鬼没で、数時間前には何も無かったのに短時間で大きなキノコが現れたり、または逆に、大きなキノコがあった筈なのにふとまた見たらもう姿が無かったなどの不思議な現象が多く発生するのだ。
キャンプをして一緒にキノコ採取に入っていた家族は、後に聞いて驚いたのだが、あの島倉さんと島倉さんの娘さんだった。
島倉さんの旦那さんは、キャンプ用品などを現地に運び入れる運搬や送迎を担当していたが、昔スズメバチに刺された経験がある事から山に入るのは禁止されていた。
また再び刺されたら、アナフィラキシーショックで命を落とす可能性があったからだ。
と言う感じで、10人の参加者のうちの6人の女性のうち3人が多々良井家の家系の女性と言う事が分かっただろう。
参加者の面々は、2泊3日と言う日程の中で、各々お好みのキノコを採取したりまたは奥さんの様に目的のキノコを探したりしていた。
10人中多々良井家以外の残りの7人のうち、キノコの研究などキノコに特化した研究をしていたのは3人で、そのうち一人は女性で奥さんとは学生時代からの友人と言う、息の長い付き合いをしている方だった。
奥さんの友人と奥さんはよく行動を共にしていたので、奥さんが行きそうな場所やよく採取していたキノコを友人の方は詳細に記憶していた。
なので、あの時何故奥さんがあの場所に行っていたのかが理解できなかったと、後の警察の聞き込みでそう答えていたのだ。
2泊3日の最終日は、午前中だけキノコを採取して、午後からは帰宅の準備と帰宅だった。
島倉さんの旦那さんが午前中にはキャンプ場にやってきて、それぞれのテントなどのキャンプの道具を仕舞って運搬する手はずになっていた。
その日は良く晴れていて、奥さんは友人の人と共に、例のキノコをよく見かけると言う情報のある地域に来ていた。
そこは、細いけもの道が通る茂みの中で、少しかがむと周囲からは誰が居るか分からなくなりそうな、うっそうとした雰囲気の場所だった。
しばらく友人の人と散策していた奥さんだったが、ふと友人の人の携帯に電話がかかってきて(そんな山奥でも電波が届くのかと不思議だったが)友人の人が少し遠くの山道まで離れて行った。
その時、友人の人はこう証言している。
友人「私が電話をかけながら山道をウロウロしていた時、同じキノコ採りメンバーの一人でキノコの研究をしている友坂さんと言う方が歩いて行ったのを見たの。」
その話では、友坂さんが奥さんの居る方に向かったのを見たと言うのだ。
友人の人が電話が終わって奥さんの方に戻ると、奥さんの姿は消えて友坂さんだけがそこに居たと言うので、友坂さんには奥さんを見ていないか結構聞いたそうなのだが、友坂さんは奥さんとは接触していないの一点張りだったと言う。
つまり、友人の人が離れたほんの数分間の間に、奥さんには何らかの出来事があってその場から離れたと言う事になる。
その、うっそうとした茂みから離れて、なぜあの場所に行ったのか?
それが最大の謎だった。
奥さんは、その茂みから約200m程離れた沢沿いの斜面から滑り落ち、沢に落ちた。
落ちた時に受け身を取れなかったのか、落ちた際に頭を強く打った衝撃で亡くなった様だった。
警察の検死では、そう言う結果が出ていた。
奥さんが亡くなった時、実は色々と不自然な点があったのだが、キノコを採取すると言う活動をしているならそう言う事もあるだろうと、あまり詳細を調べられる事も無く終わってしまった事があった。
それは、奥さんの手の爪に挟まっていた、謎のキノコの残留片だ。
奥さんは、新品種のキノコを発見すると素手で掴もうとする癖があるので、もしかしたら新品種のキノコを見つけて、それを掴んだ拍子に足を滑らせたのでは?と言う想像をしてみたが、奥さんが足を滑らせたと言う斜面には、奥さんが一度はその手に入れたはずの謎のキノコは一欠けらも落ちていなかったのだ。
もしかしたら、あのキノコ採りのメンバーの誰かが持ち去ったのかと思い彼らの持ち物をくまなく探したが、どこにも見当たらなかった。
奥さんの、指の爪に残っていたキノコ片だけが、あの時奥さんが斜面に居た時には謎のキノコを持っていたかもしれない証拠となった。
島倉「あの時、アタシが母さんのそばにいてやれれば良かったんだけど。」
その時の島倉さんは、娘さんと一緒に別の地域で普通のキノコを摂るグループと行動をしていて普通のキノコ採っていたそうなので、キノコ研究肌系のグループとは別行動をしていたのだった。
ふと、島倉さんがある事に気付いた。
奥さんの検死や現場検証、周囲の遺留品の捜索などをした警察に、こう尋ねた。
島倉「変です、おかしいんです。母がいつも肌身離さず持っていたロレックスの時計が無いんです。」
そう、詰め寄った。
警察は、遺留品や周囲に落ちていた荷物をさらに調べたが、ロレックスの時計は入っていなかったと言って、その後遺留品を全て返還して来た。
多々良井の家族の人たちは、奥さんの衣類から荷物から~足を滑らせたときに衣類から剥がれた布片に至るまで、全て調べたが見つからなかった。
警察には、奥さんが身に付けていた時計の写真を資料として提出したので、見つかり次第返還してくれるとの回答を得たが、それ以降、奥さんの時計が見つかる事は無かった。
と言うか、そもそもそんな時計を身につけ居ていたのか?と言う疑念を警察側から投げかけられたので、多々良井の家族の人はかなり憤慨したそうだ。
警察は捜査をしたくないと言う理由で遺留品の捜査をしないつもりだ!と、当時多々良井先生もかなりの憤りを表していたと言う。
しかし、警察もかなり周辺を探してくれた様だったが、奥さんが身に付けていたロレックスの時計は、結局見つからなかったのだった。
島倉さんから後に聞いた話だが、あの時計は奥さんと先生の結婚記念日に、先生が奥さんに贈った大事な品だと言うのだ。
ただ、奥さんが金属アレルギーで肌に直接金属が触れる事に懸念を抱いたので、時計がすっぽり入ってしかも身に付けやすい革袋に入れて、肌身離さず持ち歩いていたそうだった。
島倉「時計の裏面には、父と母の名前が刻印されているから、ドコかで誰かが拾っても刻印で使いづらいしそれに質屋にも売りづらいし、売ったとしてもすぐ足が付くから拾って悪用しようとしたとしても、かなり難しいのよね~。」
と、島倉さんが後に話してくれた。
あの時計は、多々良井の家族の人に言わせると、父と母との両方の遺品だから絶対に見つけたいと、親族一同の願いを持って捜索を続けていた。
しかし、何年経っても、その時計が見つかる事は無かった。
あの時、奥さんに一体何があったのか?
奥さんの爪に残っていたキノコの破片の本体の方は一体ドコに行ったのか?
奥さんが持っていた時計は、何故消えたのか?
その謎が、未だ解明されていなかった。
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