リユウとイシ

猫屋 こね

1ー1

 黒の世界。

 黒よりも深く、闇よりも濃い。そんな表現しか出来ない程の、漆黒の闇の中に、男は立っていた。いや、実際には立っているのか座っているのか。浮かんでいるのか、沈んでいるのか。視界も感覚もない。自分の状況が明確に把握できない場所に彼は存在していた。ただわかっていることは、ここに居るということだけ。

「これは・・・夢だな。」

 独り言を言う男。

 夢の中であれば、この状況は理解できる。しかし夢の世界ならではのまどろみ感はなく、むしろ頭の中はハッキリしている。

「何が何やら・・・」

 ・・・・・・

 ・・・・・・

 どれくらいの時間が経っただろう。いや、もしかすると数秒も経っていないのかもしれない。周りは闇。何もかも吸い込み、消し去ってしまうかの様な闇が、未だ男の全身を覆い尽くしている。

 何故この世界にいるのだろう。

 いつまでここに居なければいけないのだろう。

 どうすればここから出られるのだろう。

 ああでもない、こうでもないと考えていると、ほんの僅か、空間が震えているような感覚がしてきた。最初は気のせいかと思ったが、それはハッキリと振動として伝わってくる。

 振動の正体は最初、小さな白い点だった。

 しかし、あっという間に白い点は闇を押し退け、広がり、彼を光で包んでいった。

 何も抗うことも出来ず、飲み込まれていく男。まさに光の速度。

「これは・・・」

 彼は考えがまとまらなかった。

「目醒めろ・・・」

 遠くから声が・・・いや、すぐ耳元から・・・どこからともなく声が聞こえてくる。男の声なのか、女の声なのか、その特定すらできない。

 その声はまた語りかけてくる。

「目醒めろ。時が来た・・・お前の力を今こそ示してみろ・・・」

 ハッキリと聞こえるこの声。時?力?何のことだろう?

 いや、しかし、それよりも・・・ん?待てよ・・・

 そう、聞いたことのある声・・・あれ?・・・お前は、確か、さ・・・


 意識が遠のいていく。

 夢からの目覚めだ。



 パリーンッ


 窓の割れる音で目が覚めた。

「ちょっ、まっ、ふざけんなよ!」

 寝起きだったが、怒りはすぐ沸点まで達した。

 彼の名前は『リュウト』。

 普段はそれ程怒りっぽい性格ではないのだが、流石に部屋の窓ガラスを割られれば怒りも表に現れるというもの。

「ボールか?くそっ、どこのハスラーがうちにボールを・・・」

 リュウトは部屋に転がっている球を見て言った。何故リュウトがハスラーが犯人であると推理したか。それは、その球に番号がふってあったからである。

「くそっ、何で・・・こんな・・・」

 リュウトは眠い目を擦りながら、泣きながら、窓ガラスの破片を拾い集める。


 B県O市のとある閑静な住宅街。2階建ての一戸建てに、彼は両親と一緒に住んでいる。ちなみに、2階にある6畳部屋が彼の寝室だ。部屋の半分はベッドで占められていて、その隙間に置かれている家具はナチュラルブラウンで統一されている。窓は2箇所。西側には両開きの窓、南側には出窓がある。割られたのは出窓の方だ。

「何の音?物凄くうるさいんですけど!」

 1階から聞こえてくる。母親の声だ。まずい。自分に何の落ち度がないにしても小言を言われそうだ。

「あー、あれだよ、あれ。目覚まし。」

「んな目覚ましあるかーい!」

 部屋のドアが勢い良く開く。母親だ。階段を上ってくる音は聞こえなかった。まさか、気配を消してきたとでもいうのか?

「どう考えてもガラスの割れた音でしょうが!」

 まあこうなるよな。しかしリュウトは思った。俺は悪くない。

「お、俺が割った訳じゃないよ。どこかのハスラーが4番ボールを投げ込んできたんだよ。」

 母親は口元に手をあて、とても驚いた顔をする。

「まあ、ハスラーが?そう、それじゃあ仕方ないわね。・・・って、なる訳ないでしょ!どうせ寝ぼけて割ったんだわ、きっと。」

「違う!俺が今まで寝ぼけて物を壊したことがあるか?俺の目を見てくれ!信じてくれ!」

 真っ直ぐで、迷いのない眼差しを母親に向ける。

「あんたこの前寝ぼけて椅子ぶっ壊したばっかでしょ!」

 ・・・

 そんなこんなの会話が20分程続き、部屋の片付けもしなければならないことから、リュウトは勤務先の会社を2時間程遅刻した。



 キーンコーンカーンコーン


 今日の作業終了のチャイムだ。

 リュウトの勤務先は家から徒歩20分位の距離にある中小企業の工場だ。今はまだ規模は小さいが、将来大企業になり得る、かもしれない的な可能性を秘めている会社に、数年前から勤めている。

「お疲れ様でしたあ。」

 リュウトは先輩たちに挨拶をした。これが社会人としての当然の礼儀だ。

「おう、お疲れ。遅刻で定時とはいい身分だな。」

 あっ、嫌味言われた。

 しかし、リュウトはさらっと流す。

「いやいや、今日はみんな定時じゃないっすか。」

「まあそうだなぁ。最近仕事落ち着いてるからなあ。でも気を抜くなよ。またすぐ忙しくなるからな。」

 先輩はそう言うとリュウトの肩をポポンッと叩く。

 この会社の作業は、腕力、集中力、手先の器用さが必須になる。なので、作業員達は皆、職人気質だったりする。時には厳しく、時には優しい。そして、たまに嘘か本当か分からないような冗談を言う。先ほどの嫌味もそんな冗談だろう。・・・多分。

「おい、リュウト。彼女が門の前で待ってるぞ。」

 別の先輩が周りに聞こえるよう、大きな声でリュウトに知らせた。従業員は20人にも満たないが、その全員がニヤニヤする。

 まあ、厳密に言うと彼女ではないのだが。しかしそれを言うと、やれ『紹介しろ』だとか、やれ『どんな関係なんだ』とか、色々言われそうなので、敢えて否定しないことにしている。まあ、大切な存在なのは確かだが。

「それじゃ、帰りやす。」

 リュウトは更衣室に行き、私服に着替えると、通勤用の手提げバックを持ち、玄関に向かった。玄関にはタイムカードを押すための機械が備え付けてある。リュウトは自分のタイムカードを取り機械に通すと、またカードを元に戻した。玄関の扉を外側に押し開け、外に出ると、足早に門を目指し歩きはじめた。

 玄関から30秒程歩くと門なのだが・・・

 いた。

 後ろ姿だがすぐわかる。昔から知っている姿だ。この時間帯、人通りがそこそこあるが、間違いない。あの子だ。

「よお、しおり。待ってたのか?」

「あっ、リュウ兄。お疲れ様。」

 彼女の名前はしおり。この春、高校生になったばかりの女の子だ。リュウトとは、まあそこそこ歳が離れているが、幼馴染といえば幼馴染といえなくもない。

「うん、待ってたんだよ。一緒に帰ろ!」

「ああ。」

 リュウトが歩き始めると、しおりはその隣を拳一つ半程開けついていく。

 身長160㎝前後。しなやかで柔軟性のありそうな身体つき。まあ簡単に言うとスラッとしている。

 歩くしおりを横目で見るリュウト。

 後ろに縛った髪を揺らしながら、まだまだ新しさが残る制服に身を包んで隣を歩く姿は、なんとも言えないくらい愛くるしい。

 そう、リュウトはしおりを彼女というよりは、ありがちで、陳腐な言い方かもしれないが、妹の様に思っていた。

 リュウトの目線に気付いたしおり。

「えっ、ちょっと、なに?えっ、あれ?」

 しおりは顔を赤らめ、慌てて視線を外らす。リュウトはそんな感じかもしれないが、しおりは違った。もう、完全にリュウトを異性として意識していた。

「あ、あれだよね。最近また失踪事件あったね。物騒だねえ。」

 しおりは照れを隠す様に話し始める。この失踪事件とは、最近世間を騒がせている話題だ。突然人がいなくなる。これは家出の類なのか、誘拐の類なのか、果たして。しかし、どちらだとしても事件性がありそうだ。ということから、テレビのニュースでは毎日放送されない日がない程注目されている。

「まあそうだなぁ。正に『逆立つ猫の奉行裁き』って感じだな。」

「?あっ、そうだね。」

 ??

 しおりの頭には?がいっぱいつく。

 時々リュウトは自分の思いついたことわざ的なことを言い出す。しおりは昔から聞いているが、いつも違ったことを言ってくるので、今まで一つも意味を理解できたことはない。当たり前のように言ってくるので意味を聞きづらいし・・・何とか理解しようと、しおりなりに毎回努力していた。・・・頑張れ。

 そう言えばと、リュウトは今朝起きた事を思い出した。

「物騒といえば、今朝俺の部屋にボールが投げ込まれてきてさあ。ガラスは割れるは親には怒られるは、そりゃもうたいへ・・・」

「何それ!許せない!」

 食い気味できた。話し終わっていないのに、言い終わってないのに、食い気味できた。

 怒りがおさまらないのか、しおりは続ける。

「本当、怪我でもしたら大変じゃない!あたしのリュウ兄に何かあったら・・・絶対に許せないんだから!」

 言い終え、1、2秒。

 しおりの顔がまた赤く染まる。・・・『あたしの』って言っちゃった・・・

 しかし、リュウトは全然気にしていなかった。何故なら、この『あたしの』発言はしおりが小学生の頃から続いているからだ。

 リュウトはバックの中に手を入れ、白い、丸いものを取り出す。

「これなんだけどさあ。何だと思う?俺的にはビリヤードのボールだと思うんだけど。」

 しおりはリュウトの持つ球に顔を近づけ、まじまじと見る。そして首を傾げる。

「違うん・・・じゃないかな。大きさ的には大体ピンポン球位だし。それに、ビリヤードで白球は突く球だから番号はふってないはずだよ。」

 確かに、そう言われれば。

 しおりがその球から目を離そうとした、その瞬間だった。

 キラリッ

「えっ、なに?」

 光った様にしおりには見えた。

 そしてその直後、どうしようもない胸騒ぎがしおりを襲った。

 ・・・

 暫しの沈黙。

 しおりが口を開いた。

「リュウ兄、それ捨ててくれないかな。その球見てるとあたし、怖くて・・・なんか・・・おかしくなりそう・・・」

 震える声で訴えるしおり。

「何言ってんだよ。犯人の手掛かりをみすみす・・・おい、しおり?」

 隣を見ると、しおりがいない。後ろを振り返って見ると・・・いた。

 しおりは足を止め、両手で両肘を抱え下を向いている。

「どうした?」

 リュウトはしおりに駆け寄る。

 しおりは・・・泣いていた。

「だっ、大丈夫かよ。何があった?」

 しおりの目線は、リュウトの持つ球に向けられていた。

「これか?この球が原因なんだな?・・・分かった。よく見とけ。」

 リュウトとしおりの住むこの住宅街には用水路が流れていて、人が入れない様にフェンスが張り巡らされている。その用水路の、特に流れの速いところ目掛けて、リュウトは持っている球を投げた。球はフェンスを悠々と越え、狙っていた場所へ『ドボン』と落ちる。その飛距離、約123m。

「どうだ?これでいいか?」

 振り返り、リュウトはしおりを見た。

 しおりは、泣き止んでいた。そして、いつもの笑顔をリュウトに向ける。

「ありがとう。リュウ兄。それに、投球フォーム、スッゴクかっこよかった!」

「ハハッ。」

 いつもの会話、いつものしおりだ。

 一体何だったのだろう、さっきのは。何だか今日はよく分からない事がよく起こる。しかしこの時、この日一番よく分からない事が起こっていたことを二人はまだ知らない。


 二人の運命、いや、人類の運命が今大きく流れを変えようとしていた。

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