廃墟の森の少女たち

ふじの

第1話 

 壊れかけたものはなぜ美しのだろうか。


 新しいものは何の面白みもないし、朽ちてしまったものは恐ろしい。

 壊れゆくものだけが人を魅了する。

 その場所は青い静寂で満たされていた。見覚えのある窓枠から差し込む日の光は舞い散る埃を輝かせ記憶の中の風景を蘇らせる。

 ここはかつて私を含めた何十人もの少女たちが暮らしていた学園だった。当時、私たちはとても密やかに暮らしていたと思う。それでも静まり返った目の前の様子を見て、少女たちのささやきはいつだって風のように自然とこの場所を満たしていたのだと気づく。


 あの頃の私は常に3人の少女たちと過ごしていた。名前ももう忘れた彼女たち。

 一人は常に甘いお菓子の香りを漂わせ、決して訪れることのない人を待っていた。彼女の部屋はいつだってたくさんの甘いお菓子に満たされていた。パウンドケーキ、チョコレートケーキ、アップルパイ、アイスクリームだってあった。どれも美しい包装に包まれた外国のお菓子ばかりだった。そんな宝石のようなお菓子たちを彼女は惜しみなく私たちに与えてくれた。お菓子を食べながら行ったことのない外国の風景を想像する私たちに彼女はいつもこういった。「今度パパが来たらどんな国だったか聞いてみるわ」私は彼女のパパに会えることを楽しみにしていたけれど、同時に彼は一度も彼女を訪ねてきたことがないことを知っていた。

 一人は真っ白な美しいレースに囲まれて、この世界の汚れたものから一生懸命自分自身を守ろうとしていた。いつでも静かに手を動かし、時折出来上がったレースを私たちにもプレゼントしてくれた。私は彼女の編むレースを見るのがとても好きだったけれど時々訪ねてくる彼女の母親が帰った後は、彼女は部屋を固く閉ざし編んでいるレースを決して見せてくれなかった。


 そしてもう一人はとても美しかった。


 ゆっくりとかつて学園であった場所を歩きながら記憶の欠片を拾っていく。森の中にほとんど埋もれるようにしながらたたずむ寮、中庭であった場所に残された食堂。

 そしてあの場所にたどり着いた。

 森の中に埋もれ壊れかけたままその塔は遠い記憶の中と同じように存在していた。昔と同じように塔の壁の隙間から銀の鍵を取り出そうとしたが鍵はもうそこになかった。誰かいるのだろうか、と思った自分が少しおかしくて、軽く頭を振る。恐る恐る触れた塔の入り口は、ギシリと時を止めたような音を一瞬響かせたが思いの外すんなりと私を受け入れた。

 扉は開いた。

 目の前に薄青い闇の中で天井から差し込む光に包まれた螺旋階段が現れる。

 塔の中に足を踏み入れた途端に誰かの軽やかな足音が聞こえた気がして足を止める。背後で扉がガシャンと音を響かせて閉じる。誰かが私をここに閉じ込めたのではないかという妄想が浮かぶ。軽く頭を振って塔の最上階を眺めてから螺旋階段を上る。靴音が天井に響き、代わりに足元の階段から苦しそうな音が聞こえる。

 響きあう音が頭の中で反響しあい、まるで少女たちの笑い声のようにも聞こえてきた。  

 軽やかに弾むように笑いあう声。本当はここでそんなに軽やかな笑い声が響いたのは数えるほどしかなかったはずなのに。それともあの頃の私たちが本当に望んでいた影のようなものがここにはずっと積み重なってとどまっていたのだろうか。

 あの頃の私たち。

 勝手にそうひとくくりにしてしまったが、私たちは本当に同じものを見て同じことを感じていたのだろうか。その問いは、あの夜から常に私の中にある。ここから出た後の外の世界で、どれだけ私が微笑みを浮かべていてもいつも頭の中で問い続けている。

 ねぇ、あなたと私は本当に同じものを共有しているの?


 最上階にあるテラスは時間が止まったかのように記憶の中と寸分変わりがなかった。

 午後の授業がおわって一番乗りでここに着いた私が、他の3人が来るのを待っているような気になった。

 テラスの中央に進み、日差しの眩しさに眼を細める。他の場所が青い影のように静まりかえっているのに比べ、ここは天井から差し込む光があふれ眩しいくらいだ。そこに置かれたままになっていたテーブルや椅子のひとつひとつに目を留めた。うっすらと積もった埃を見てやはりここにも時は流れているのだと安心する。テーブルを指でなぞるとざらりとした感触とともにうっすらと線が残る。きらきらと日差しの中を舞い散る埃の中で、その線だけがこの空間に割って入った異物のように見えた。

 いや、そもそも私が異物ということか。

 今だけでなく、きっと当時から。

 今まで考えたこともなかったけれど、そう思うと全てが納得いく。当時の自分の振る舞いを思い返すと思わず自嘲してしまう。

 そして、テラスの一番奥にあるステンドグラスがはめ込まれた大きな窓の前に向かう。窓枠はひしゃげ、ガラスは割れて飛び散っている。ここだ。ここから彼女は空に飛び込んだ。


 彼女はここにいた誰よりも美しかった。思い出の中の少女たちは薄い微笑みを浮かべたまま動かないのに、彼女だけは別だった。

 あれは、何日も続いた季節風のあとだった。

 すばらしい朝が訪れた日のことだった。

 地面に横たわる彼女が発見されたのは。

 美しい顔はそのままだったけれど首だけが不自然に折れ曲がっていた。

 そして私たちの学園は閉ざされた。

 窓枠に手をかけると音もなく開いた。あまりに軽い手触りはあの日押した彼女の背中を思い出させた。あの時、彼女はいったいどんな表情を浮かべていたのだろうか。

 少女たちの笑い声がまた聞こえた気がした。少女である証の紺の制服を身にまとった彼女たち。私の背後でクスクスと笑いながらこちらを眺めている。すでに「少女」と言われる年代をとうに通り越した私を彼女たちはどう思っているのだろうか。私はどこかで自分は一生「少女」と呼ばれる存在のままで居られるのではないかと思っていた。あの時からいったい何が変わったというのか。

 私の時はまだここに閉じ込められたままだ。

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