祝祭の日

ふじの

第1話

祭りの朝は例年通りの快晴だった。

 サーシャは息を整えるために、腕に抱えていたたくさんの食材の入った袋を下ろして顔を上げた。

 この日のために用意された村伝統の晴れ着を身につけた子供達が、そこかしこで駆け回っている。衣装を彩る刺繍は鮮やかで、集まった人々がお互いの衣装を褒めあうのを聞いてサーシャは誇らしい気持ちになった。美しい刺繍は、女性たちが1年かけてほどこす。この村に代々伝わる特別なものだった。サーシャは今年初めて刺繍を衣装にほどこした。サーシャが担当したのは小さな子供達の衣装だった。目の前を笑顔で走り回っているこの中の何人かは、サーシャがほどこした刺繍入りの衣装を身につけてくれているのだと思うと、嬉しい反面、少し気恥ずかしい。母や祖母たちがほどこしたものと比較してしまうと、サーシャの刺繍は弱々しくて頼りないものだった。子供達がすねたり悲しい顔をしたりしたらどうしようと思っていたが、誰が誰だかわからなくなる勢いではしゃいでいる様子を見るとそんな心配は杞憂だったようだ。

 誰もがこれから始まる祭りに夢中になっている。村の中央を抜けて山頂へ向う道をみな楽しげに語らいながら歩んでいる。

 この村は、高さ400メートルほどの丘の頂上を囲いながら、渓谷を見下ろすように家々が建てられていた。村の一番高いところには教会があり、教会の前の広場からはこの村を含んだ丘陵地帯の全域を眺めることができる。今、晴れ着に身を包んだ人々が長い列になってその頂上を目指している。

 よし、と袋をもう一度抱え直して顔を上げると、サーシャも頂上を目指して歩き出す。

 みんなが笑顔で挨拶をかわしながら頂上を目指していくこの時間がサーシャは祭りの中で一番好きだった。語らいながら、時々周囲を見回して、それぞれに飾り付けられた家を眺めて目を楽しませている。今年はその飾りつけを幼馴染のハビエルとカトリーナが担当していた。左右対称に綺麗に飾られているのがハビエルの担当で、一部分が思う存分華やかに飾られているのに時々明らかに手抜きだとわかる簡単な装飾になっているのがカトリーナの担当だろう。2人らしさが出ていて見ているだけでおかしくなる。早く2人にその感想を伝えたくもあり、サーシャは足をはやめた。

 吹き抜ける風を追いかけるように頂上を目指す。頂上までの道のりは決して平坦ではなく、ときおり崩れてきた岩が転がっている場所もある。平地にいるときはすっかり秋だと思っていたけれど、足元を注意しながら歩いていると暑いくらいだった。サーシャも少し息が切れてきたが、急がなくてはならない。祭りのための食材を早く運んであげないと。もう一度、袋を持ち直そうと足を止めると、ひょい、と袋が奪われた。

「ハビエル!」

 久しぶりに会う幼馴染の姿があった。この前に会った時はほとんど変わらない目線だったはずなのに、今ははるかに高い位置に頭がある。

「サーシャがつかないとピザが焼けないっていうから、迎えに来たよ」

「ありがとう。カトリーナ怒ってた?」

「怒ってた怒ってた。気を紛らわせるために、ダンスから始めることにしたらしいよ」

 ハビエルが綺麗な黒い瞳をいたずらげに動かして頂上を見ると、風に乗った音楽がちょうど聞こえてきた。涼やかな風が髪を揺らし、音楽とともに人々の間をするすると流れていく。歓声を上げて子供達が頂上に向かって一斉に駆け出していく。大人たちも息が切れかけていたことを忘れたように、自然と歩く速さが上がる。

「始まっちゃう。早く行かないと」

「ほら、おいで」

 ハビエルがサーシャの手をつかんで走り出す。まるで子供のように勢いよく走り出した2人をみんな微笑ましく見ながら、先を譲ってくれる。ぐんぐんと駆け上がりながら、空へとどんどん近づいていく。

 祭りの始まりだ。


 祭りは夜明けまで続く。たくさんのご馳走を食べ、踊り疲れた後はパチパチと爆ぜる日を囲みながら、大人たちが遠い思い出を語り合う。遠い先祖たちの話も交えて懐かしい思い出を語りあいながら日の出を待つのが恒例となっている。眠ってしまった小さな子供たちは、寒くないように毛布に包まれて夢の中で祭りを楽しんでいるかのようにときおり微笑んでいる。今年初めて夜明かしを行うと決めた子供達は、眠い目をこすりながら、話に参加しようと頑張っている。

 サーシャはハビエルとカトリーナと一緒に、東の空がよく見えるように教会の入り口に腰を下ろしていた。しんとした夜の空が広がっており、じっと上を向いているとこの村ごと空を飛んでいるような気分になる。

「みんな、毎年毎年よく話が尽きないわよね」

 カトリーナが呆れたようにつぶやく。

「まぁ、生まれた時からの思い出がたっぷり詰まってるんだろうからね」

 ハビエルがホットワインを2人に配りながら、カトリーナをなだめる。サーシャも含めて同い年の3人だが、今年になってすっかりハビエルは大人の風情を漂わせている。ほんの少し前までは3人もこの広場を駆け回って祭りを過ごし、夜になると疲れて眠り込んでしまっていたように感じていたのに、ただ走り回っているだけではいられなくなっていく。何も変わっていないように見えても、着実に時間が流れていることを毎年この祭りの時に実感する。

「そりゃそうよ。毎年毎年飽きるくらいの思い出を聞いてるんだから誰かの一生分くらいの思い出は語れるわよ。まだ20歳なのに」

 カトリーナが思いっきりしかめ面をしてみせる。小さな頃から変わらないその表情にサーシャが思わず吹き出すと、「ちょっと、笑い事じゃないんだから。過去だけじゃなくて未来のことも語らせてほしいわよ」とカトリーナがふくれた。「ごめんごめん」カトリーナの言うことも正しい。お詫びにサーシャの分のワインを少し分けてあげると「あら、ありがとう」すぐに機嫌が直る。

「俺もカトリーナに賛成。明日になったら思う存分未来を語ろうよ」

「そうね」サーシャもうなずく。

 東の空がぼんやりと明るくなってきた。もうすぐ祭りの終わりの時間が来る。 「寒くないかい?」柔らかな声がかけられた。神父さんがサーシャとカトリーナに毛布を差し出しながら、微笑んでいた。

「あったか〜い」

「ありがとうございます」

 顔をうずめると太陽の香りがする。小さな頃にもこうやってここで毛布に顔をうずめて3人で眠ったことを思い出す。心地よい。

 神父さんはゆっくりと3人の顔を眺めながら、「君たち幾つになったんだっけ?」焚き火の方からひときわ大きな笑い声が聞こえてきた。

「今年で20歳になりました」ハビエルが答えた。

「そうか」

 神父さんも黙って東の空に顔を向けた。ちょうど夜明けの時間だった。そして、静かな朝の光の中で麓の村が浮かび上がってきた。頑張って起きていた子供達が歓声をあげる。その声につられて何人かの眠っていた子供達が目をこすりながら体を起こす。大人たちが話すことをやめる。

 美しい廃墟がそこに現れた。

 朝日を浴びて、誰も住むことができなくなった崩壊した家々が淡い朝もやの中から立ち上がる。

 20年前に起こった大きな震災の影響で、サーシャたちはこの村に住み続けることはできなくなった。村のシンボルであった教会だけはその時も大きな傷跡をおうことはなかった。この場所に逃げてきた村人たちは崩れていく村を見ながらこの村を捨てることを決めた。だから、サーシャにはこの村で暮らした記憶はない。

 年に1回だけ、地震が起きたその日を「祝祭の日」として村人たちは今でも集まり続けている。幼い頃から年に1回だけ会える友人たちは、会うたびに少しずつ変化を遂げて、いつの間にかサーシャ達よりも小さな子供たちが増え、そして何人かはもう会うことが叶わない。

 サーシャは両隣に立つハビエルとカトリーナの手を握った。2人とも黙って握り返してきた。帰り道は大学のことや進路のことを3人で話しながら帰るだろう。でも、今はまだ失った過去に向かい合う時間だった。大人たちが過去を語り、この村の記憶をつなげようとしている。どこまでこのバトンをつなげられるかはまだわからない。少なくともここで生まれた最後の子供たちであるサーシャたち3人はこの村の記憶とともに未来を歩いていくだろう。

 日が完全に登り切った。

 朝もやが晴れ、清々しい青空が今日も広がった。どこまでも遠くを眺めることができそうだった。

「あー、眠い」大きく伸びをしてカトリーナが歩き出した。皆が帰り支度をし始めている。

「ハビエル、車で来たならどっかで3人でエスプレッソでも飲もうよ」眠そうな声でカトリーナ提案する。

「いいよ。じゃあ、片付けが済んだら村の入り口で集合しよう」

「片付けかー。ちょっと休んでからにしようよ。あたし、明日からテストなのよね。サーシャ?聞いてる?」

「うん。今いく」

 サーシャはもう1度眼下に広がる廃墟となった村を眺めた。

 小さな頃の3人がそれぞれの家から飛び出して、笑い合いながら学校に通っている姿が見えた気がした。そんな記憶はあるはずはないのに誰かの思い出が確実にサーシャの中で生き続けている。

 辛かったことや悲しかったこと。ここを離れることになった時の無力感や絶望。きっとたくさんの思いがここには残っている。でも、大人達は前に進むために必要なものだけをサーシャたちに託してくれた。

 ゆっくりとカトリーナとハビエルが待つ方向へ歩き出した。

「私も来週から試験なの。でもそれが終わったら旅行に行くんだ」

「羨ましいな。またSNSに写真アップしてよ」

 懐かしい記憶とともに未来の時間が始まっていく。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

祝祭の日 ふじの @saikei17253

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る