3.6 感情との闘い


「今度は魔法陣か。あまり取り組みたい内容じゃないけれど……、頭に入れておかないと進まないしなあ」


 謎の男、エラノーの情報が入ってから四日が経った。しかし、男の名前と過去がいくらか判明したというだけで、その他は何の進展もない。今の居場所どころか、どこにいたのかさえも。

 そういうわけで、宿に連日宿泊し、彼についての情報を探し求めながらも、ヴァネッサとラクトはそれぞれの技量・知識に磨きをかけていた。


「ラクト、昼飯が入ったぞ」

「ああ、ありがとう。先に食べていてくれるかい? 今少し手が離せなくて」


 ヴァネッサはしかし、この場を去るばかりかラクトの元へと近づいて、彼の取り組む書物を見る。そして紙面に書かれた文字が魔法関連のものであることを悟ると、しかめっ面をするのである。


「うん? 何か?」

「朗報があるんだ。つい先ほど、昼食に来ていた傭兵から興味深い話を聞いた。何でも、ここから来た道を戻って、少し西よりに進んだところに廃墟となった砦があるらしい」

「砦? 最近ここでは戦争が起きていないはずだから、確かに怪しいね……。でも、それはどう転んでも噂話の域を出ないよ」


 なるほど。ラクトの脳は彼女の反感を恐れるよりも、研究者としての性質を生かす方を優先するのだろう。だが今回も、年の功に軍配が上がる。


「確かに、情報が腐るほどあるなら、噂を信じるなどたわけのすることだ。だが、今は――言うなれば広大な王城から小さな指輪を見つけるようなものだ。そこでは噂すら千金にあたいする」


 ヴァネッサは自らの目的達成のためには詭弁きべんを弄することさえあったが、今回は明らかに正しい。こういった面が、彼女を指導者たらしめているのだ。


「そうだ。僕はなんでも懐疑的な目で見る癖があるから、真理も曇ってしまうね。じゃあ、いつ行くんだい?」

「今だ」

「今……、え、今って、今のこと!」


 少々頭が混乱したラクトを、ヴァネッサは袖を引っ張り強引に連れ出す。食べていない昼食の心配ばかりする彼を「貧弱」とみなし一蹴。馬にまたがらせるのであった。



 傭兵とヴァネッサの言う通り、今は使われている雰囲気の無い砦が、川辺に結構な存在感を発揮していた。どっしりと構えで、たとえ今戦いが起きたとしても十分頼りになる代物だ。

 だからこそ、違和感が生じたのだろう。その違和感が、二人をここまで誘った。

 さて、今回は敵の気配が無いために、ラクトもおびえずに済む。扉を開け、中に入る。


 「明るいね、さすがに。いつも入るのは洞窟だったから、ずいぶんと新鮮だなあ」


 今回ばかりはヴァネッサも警戒を解いているのか、剣を手に持っていない。ただ、あるにこしたことは無いので、背に負ってはいる。

 一階には食料の保存庫であろう部屋と、その他には食卓が並んだ食堂のような場所しか見当たらない。無臭であることから、とうの昔にその機能は失われたものと見る。

 さて、二階に上がる。そう、言葉ではいとも簡単に言えてしまうが、実際二人にとっては久しぶりの動作である。光の少ない盗賊達の“家”は、横に伸びるか下へ進んでいるかの二通りしかなかった。

 だが二階にも、これといってめぼしいものが有ったわけではなかった。兵士の休息所のような役割を担わせていたらしく、寝台が多数見受けられる。


「ねえ、ヴァナ。ここは作られてから少なくとも数十年は経っているんじゃないかな。争いごとはもう少し前にしか起きていないし、何よりこんな田舎に無用の長物を作れる財源が、ここ最近発生しているとは考えにくい」

「何をいまさら?」

「でも、怪しいとは思わないかい」


 二人の間に流れていた空気は実に奇妙なものであった。重苦しくも、かといって軽快なものでもない。彼の言わんとしていることが、ヴァネッサには伝わったようであった。しかし何も進まない。互いに顔を見つめあっていると、とうとう耐えられなくなったラクトが口を開く。


「この寝台――さっきの階の食卓もそうだったけれど――なんだか妙な印象を与えはしないかい?」

「そうだな、布団はいやに新しい。さらに下の階も……、食事の際に傷が付くことが常だが、あの机も職人ギルドの連中が作ってきたものをそのまま持ち運んできたような状態のよさだ」


 再び静けさが舞い戻ってしまう。その終わりが見えないのは、人の少なさ故か。

 ただ、足音を鳴らし、不明ながらも明確な目的地に向かう。上へ、上へと昇り、中央へと進む。

 そして、扉の前。

 中からは話し声が聞こえた。


「むっ! 何事だ」

 

 ヴァネッサが扉を蹴破り、密室を開放した。四つの目に、明瞭に像を結んだものとは――


「お、お前は、あの時の!」


 ついラクトが声を発してしまったのは、もちろん目の前にエラノーがいたからではない。以前金をうた少年が、彼と言葉を交わしていたからだ。

 エラノーと少年は、どちらも次なる行動を知らない。かわりにヴァネッサは、騎士道精神に則って名乗りを上げる。


「私はレガリア王国騎士団長、ヴァネッサ・スペアニルである! 王令により、エラノー、お前の身柄を確保させてもらう」

 

 本来は、こう言いたかったはずだ。だがエラノーの怒号によって後半は言い損ねることとなる。ラクトは名乗りすら上げられない。


「何ぃ! レガリアだと、くたばれ!」


 手を広げ、右から左へ空を掻く。すると空中に魔力でできた杖が浮かび上がり、エラノーはそれを把持する。

 ヴァネッサが剣を抜くのが少しでも遅かったならば、自分は言わずもがな、ラクトの命まで失うところであった。

 杖から生まれる衝撃の刃が、一度ばかりか四度まで襲い掛かる。ラクトはそれをすんでのところで転んで躱し、ヴァネッサはよける代わりにすべてを剣でたたき切る。

 少なからず驚いたエラノーが、一瞬杖を振るう動作に隙を作る。それを見逃さないのがヴァネッサである。剣を二分して、一気に距離を詰めていった。


「ふん、貴様、これほどの剣の腕を……。王国側に置いておくのは惜しいな」

「黙って堂々と戦ったらどうだ!」


 彼女が手を出せないのは、エラノーが彼の傍らに棒立ちしていた少年を人質にしているためだ。初めて自分を「姉さん」と呼んだ人を、見殺しには出来ない。例えそうでなくとも、未来が待ち受ける子供の命がこの世を去るのは、あまりにも切ない。


「……」

「お、おい、話せよ、こら!」

「うっせえ、黙ってろ、動くな」

「止めろ! 一切手を出すんじゃない!」

「ちょっと待ってよ、個人の言い分を保証するのは、ただそれぞれの気持ちでしかない! 落ち着いて……」


 この空間において、言葉はすべてが起爆剤となってしまう。実際に爆裂するのは行動によるものだ、とは誰もが分かっているが、決して自らの行動を削除するものは現れない。意志とはこんなにも弱く、本能の前には無力なのである。


「こいつはなあ……」


 両手に持つ杖を、少年の首に当て、エラノーは続けた。


「貴様にとっては厄神だったが、俺にとっちゃあ、幸神さちがみよぉ! 残念無念だったな」

「おい、それはあまりにも酷すぎるんじゃないのかい? 人を神? それは奴隷を“物”として扱うのと同じだと思えるけどね!」


 ラクトのめいっぱいの反抗である。殺傷される危険を冒してまで自分の意見を主張したその姿勢は、ヴァネッサに心に響いたのだが、肝心のエラノーにはただの“空気の振動”としか認識されない。


「ほう、お前は誰だ? 一般市民か……。まあ、この世は平凡が動かしている。能力の一つや二つ、無くたって法に守ってもらえるもんなあ。よかったな。弱肉強食の理に殺されなくて」


 すべてが言い切られるのを待たずに、ラクトの矜持は音を立てて瓦解した。失恋にも似た負の圧力が、身を崩して行くのだ。徐々に彼の姿勢は重力に従順になる……。

 と、一人が時空を異にしているなか、エラノーは両手をひろげ、十の字になる。そのまま宙へと浮かぶと、(おそらく)古代語で何かを呟きながらその場から“消え”た。


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