第22話 逆襲
音が聞こえてきた。聞き覚えのある音だ。間もなく正体に気付く。
戦闘音だ。
相当数の音が重なっている。右手から聞こえていた。イビは興奮しながら見張りの動きを実況している。背後から衣擦れの音が鳴り始めた。
「何の騒ぎですか」
返答はなかった。衣擦れの微かな音が頻繁に聞こえてくる。
上から、物音がした。右後方で床の軋り音が鳴る。
「おい、今の」
左後方に立つ女が言った。それで、二人の正確な位置が分かった。
(イビ、右の女はさっき立ったな)
(そうそうその通り。右は外を気にしてる感じ。左は右の方を気にしてるから、右の方が先輩かな。身長的には逆だけど)
また、床が軋んだ。正面扉の向こうから鳴っている。後方の衣擦れが大きくなった。軋り音が近づいてくる。
クライトは両の指を地に向けて動かして、魂に働き掛ける。
扉が開いた。音は続かなかった。左後方の女の喉が鳴る。
「今、我らグルピアリスの工作員が表で攻撃を仕掛けている」
ナーノの声だ。クライトは魔法を発動した。
水滴が散らばる音。水に重いものが落ちるような音が続く。イビが歓声を上げた。
「終わりました」
言って、クライトは魔法で頭の袋を取った。
血臭が鼻を突いた。クライトは呪文を呟き、躰を縛る縄を切る。
立ち上がると、ブソルとナーノが部屋に入ってきた。それから、ギブライドが現れる。
頭に血が上った。
「近づかないでください」
クライトは両手を構えた。ギブライドたちが足を止める。入り口に立ったギブライドは、表情を変えずに口を開いた。
「お前の気持ちは尤もだ。ただ、全ては作戦だった」
(信用するな! 売られたんだぞ! 怪しい奴は全員殺しちまえ!)
イビの言う通りだ。信用できる者は誰一人いない。全てが敵だと思わなくては、シアルを救うことなどできるわけがない。
「理由がどうあれ、俺は身代わりにされた。何を信用しろと言うんですか」
「勘違いするな。お前を望んだのはあいつらだ、俺たちじゃねえ。そうだろう?」
「でも売られた」
「絶対に助かるからな。俺の他に数人ぐらい捕まってもどうにかする公算はあった。事実俺は助かり、お前を助けに来た」
「どういう公算ですか。俺には行き当たりばったりとしか思えません」
「あまり時間がないぞ」
ギュラスの声が、扉の向こうから聞こえた。ギブライドは息を吐く。
「詳しい説明は後だ。外で女共とグルピアリスの工作員共が戦ってる。選べ、この隙に俺たちと逃げるか、裏切り者として殺されるか」
その話が真実かどうかはどうでも良い。今更ギブライドを怖がっているわけでもない。今のところ、ギブライドは利用できる。それなら無駄に角を立てるのは愚かなことだ。クライトは手を下ろした。
(ふざけるな! この部屋を血の海にしちまえ!)
(それはいつでもできる)
イビは、眼を丸くして大人しくなった。
「良し、逃げるぞ」
部屋を出た。ギュラスを先頭に宿の通路ような場所を走っていく。
行き止まりに着いた。戦闘音は遠くなっている。ギュラスが壁に手を当てた。一瞬で一面がくり貫かれる。それを、走る勢いのまま蹴り飛ばした。
陽光に傭兵たちが飛び出していく。クライトも外に出た。戦闘音が少し明瞭になる。それも、ほどなくして聞こえなくなった。
大通りに出た。雑踏に混じって走っていく。ギブライドが橋番に金を投げ渡した。橋を渡って街の地側に入る。
「少し休むぞ」
ギブライドが喘ぎながら言った。脇道に入ると、傭兵たちは躰を投げ出して倒れ込む。
クライトは、両手を自由にして座った。全身に汗を掻いている。荒くなった呼吸を強引に鎮めていく。
「それで、どういう状況なんですか」
「地側と天側の代官の間で、何かしらの話が着いた。さっき見た通り、交通規制も解かれてる」ギブライドの呼吸は、話している間に自然なものに戻った。その身に纏う外套は雨に打たれたように濡れている。「だから、グルピアリスの工作員が自由に動けるようになったってわけだ」
「何故、グルピアリスの工作員が女の魔法使いたちを攻撃するんですか」
「女共が攻めてくる前に、アストリートのところの奴が寝返ってきたな? あいつらはグルピアリスの工作員だ。俺たちが捕まった後にあいつらが報告したんだよ」
状況が混沌としている。裏で何が起きているのかは分からないが、その理由だけは想像がついた。
レスダムールだ。レスダム―ルが関係しているとしか思えない。
「それでどうして、女の魔法使いたちを攻めるんですか」
「目的は、俺だろうな。ウチに潜り込んだあの工作員は、俺が捕まるのを間近で見てた。奴らの目的は知らねえが、ギュラスの言う通り治安維持の可能性が高い。だから争いの中心人物である俺を取り戻す為に、工作員共は女共を攻めた、こういうことだ。そして、それを見越したこの作戦だ。ずばり当たっただろう?」
ギブライドが不敵に笑う。クライトは疑問を覚えた。
本当に、グルピアリスの工作員の目的はギブライドなのか。
女の魔法使いたちは、明らかに自分に用があった。女たちの目的が自分なのか、レスダムールやシアルなのかは分からない。しかし、ギブライドではなく自分を求めていたのは間違いない。
ならば、その女たちを攻撃するグルピアリスの工作員の目的も、自分ではないのか。
喜びが込み上げてきた。レスダムールに近づいている。選択は間違っていなかった。
「これからどうするんですか」
「アストリートの隠れ家を攻める」
(やったぁっ!)
イビが弾かれたように飛び上がった。叫びながら空中を暴れ回る。
「その情報を持ってきたのはグルピアリスの工作員ですよね。罠じゃないんですか」
「裏は取れた。多分だが、グルピアリスはアストリートを捨てた。俺たちとアストリートが戦って弱ったところを、自分たちが楽に鎮圧する。そんな絵を描いたんだろう。策士策に溺れるとはこのことだな」
ギブライドは声を上げて笑った。イビの笑い声に重なって響く。
「少し良いか」
ギュラスが、ギブライドに話しかけた。途端、ギブライドは笑いを止める。
「あの女共についてか」
「そうだ。今回はグルピアリスの工作員と戦っていたから、俺は大人しくしていた。だが、それが落ち着けば話は変わる」
ギブライドの表情が引き締まった。
「抜けるのか」
「両者がいつ落ち着くか分からない以上、今日のアストリートとの戦いには参加しよう。ただ、それ以降は分からない」
「構わねえよ。お前たちは傭兵だ。いつ辞めるかも好きにしろ。さて」
ギブライドが立ち上がった。全員の呼吸は平静に戻っている。
「そろそろ行こうか。仲間たちも待ってる」
また走り始めた。路地を通り、人気を避けて進んでいく。
着いたのは、地側の入り口にあるペナン花売り場だった。掘立小屋は僅か数日でさらに一回り大きくなっている。辺りの活気は昼を過ぎたことで落ち込んでいた。
「お前たち! 帰ってきたぞ!」
ギブライドが叫んだ。歓声が沸き起こる。傭兵の数は十五、ほとんどに覚えはなかった。
「あいつらを連れて来い」
ギブライドの部下が、傭兵を数人連れて奥に消える。それから、二人の男女が連れて来られた。
グルピアリスの工作員だと言う、アストリートから寝返ってきた二人の男女だった。口には猿轡を噛まされて、両手の指は全て落とされている。
(最高過ぎて言葉も出ねえよ! 喋ってるけど)
イビが笑っている。傭兵たちが興奮して騒いでいる。ギブライドが、女の髪を掴んだ。
「俺はよお! お前らには感謝してるんだぜ。当然だよな、お前たちのお蔭でアストリートの糞野郎をぶっ殺せるんだからなあ!」
髪を離し、女の顎を殴り上げた。傭兵たちが殺せ殺せと叫んでいる。
「何だよ仕方ねえな。よっしゃあ、景気付けだ! まずは一人、派手にぶっ殺しやるよ! おい、男の方をしっかり押さえとけ」
傭兵が指示に従う。躰を押さえつけられた男は必死に首を振っている。
「良いぞ良いぞ! 生きが良い奴は大好きだぜ!」
傭兵たちが数を数え始めた。ギブライドが笑みを浮かべて剣を振り上げる。
「三! 二! 一! 行くぞお!」
男の首が舞った。
傭兵たちに血が降りかかる。店内に歓喜の声が響き渡った。ギブライドは剣を床に突き立てて、女の顎を持ち上げた。
「なあ! 今どんな気分だ。グルピアリスの工作員として歩んでいた順風満帆な人生が! ここで呆気なく終わる今の気分はどんな感じなんだよ!」
猿轡を噛み締めて、女は泣いていた。
「悔しいか! 悔しいのか! 俺は最高に幸せな気分だぜ! お前らはどうだあ!」
傭兵たちが雄叫びを上げる。ギブライドは剣を引き抜いて高々と掲げた。
「さあ! 数を数えろ! 最大の見せ場だぜえ!」
傭兵たちの声が響く。女は無言で俯いた。
「よっしゃ! 行くぞお!」
剣が下ろされる。女の首に当たる寸前、剣は止まった。傭兵たちが嬉しそうに不満を口にしている。
「悪い悪い。でもなあ! こんな簡単に殺したらつまんねえだろ! さあっ、もう一度数えてくれ!」
女の躰が固くなる。ギブライドが剣を振り下ろす。また、剣は直前で止まった。
傭兵たちが顔を赤くして叫んでいる。ギブライドはおどけるように笑っている。女は懇願するようにギブライドを見ている。
「悪いなあ! でも、これが正真正銘の最後だ! お前らっ、気張って数えろよ!」
そして、女は死んだ。店内は血に染まっている。
「行くぜ! 出陣だ!」
傭兵たちが腹の底から叫びをあげる。数人に分かれて店を出て行った。
残ったのは、クライトとギブライド、ブソルとナーノ、ギュラスの五人だけだった。
「あいつらは囮だ」ギブライドは剣に付いた血を払い飛ばした。その顔には、何の表情も浮かんでいない。「あいつらには他の場所を攻めさせる。さあ、本体の俺たちは冷静に慎重に、静かに行こうか」
ギブライドたちが店を出て行く。イビはギブライドを誉めそやしていた。クライトは、血溜まりに沈む男女の死体を見下ろした。
躰から首の離れた男の死体が、自身の姿に重なって見えてくる。
「クライト、そんな胸糞悪いものは見ない方が良い」
ナーノが言う。クライトは頷き、ギブライドの後を追った。
路地を通り古びた建物に入った。そこで、地の世界の人間は服装を変えた。クライトは頭巾付き外套の上から柄違いの外套を纏う。
裏口から路地に出て、しばらく進んでどこかの建物に入る。そして、着替えてから裏口を出る。それを何度も繰り返した。
「しばらくここで待機だ」
仕切り壁の抜けた無人の長屋に入ると、ギブライドが言った。傭兵たちは思い思いに腰を下ろす。
クライトの脳裏には、男女の死体が浮かび続けていた。
ギブライドに付く意味はない。アストリートを倒す意味もない。追うべきは女の魔法使いだ。もしくはグルピアリスの工作員だ。しかし今逃げれば、あの男女と同じ末路を辿ってしまう。弄ぶように殺されてしまう。
クライトの躰は、芯から冷え切っていた。震えを起こす僅かな熱すら跡形もなく消えている。
アストリートを倒すのには参加する。それが終われば、必ずギブライドから離れよう。
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