かさぶた

@kkkkko

第1話 布団と電話

夜中の1時に、布団の中で遠藤周作の短編を読んだ。

悲しい恋人たちについての物語だった。


急に心細くなって、怖くなって恋人に電話をかけた。

すぐに彼は携帯をとって、「こんばんは」と言った。

少しそれが古風に感じて、

私は小さく笑みを浮かべて、「こんばんは」と返した。


寒い冬の日にかける電話は、しんしんと降る雪のように、静かに言葉が積もっていく感じがして好きだ。


枕の側に携帯を置く。スピーカー機能をオンにして彼の声がはっきりと聞こえるようにした。


「今日何してた?」


そう彼に質問を投げかけると、彼は淡々と今日あったことを話してくれた。

私はそれを聞くともなく聞いていた。この時間が好きだった。

特に中身のない重要性のない話題は、電話の冒頭にふさわしい。

お湯のように心にじんわり染み込んで、リラックスさせてくれる。


彼は一通り喋ると、「あおいは何してた?」と聞いた。

携帯の向こう側で衣擦れの音がする。携帯のスピーカーと布団の位置が近いのだろう。


「今日は成人の日でどこも混んでた」

「ああそっか。今日か。」

「リムジンなんかが街を走ってた。みんなすごく、なんというか大人っぽく見えて、年下に思えなかった。」

「リムジンはすごいね」

彼は息を吐き出すように小さく笑った。


「しかもね、私の後輩が、式典の壇上で表彰されたんだって。」

私はごろりと左側に寝返りを打ちながらそう言った。

左側には出窓がある。カーテンを開け放っていたので、ガラスの向こう側に銀色に輝く月がみえた。

「わあ布団の音、でっか」

「あ、ごめんごめん」

私の携帯のスピーカーも布団の近くにあったらしい。彼は衣擦れの音の大きさに小さく悲鳴をあげた。


「表彰された人ね、陸上部の後輩だったんだけど、すごくいい子だったの」

成人式の直前に、後輩は私の家に訪ねてきた。

中学を卒業して以来の再会だったから実に5、6年ぶりだった。

日に焼けていたはずの黒い肌は、透明感のある陶器のような肌に、

黒々と頑固そうだった髪の毛は、フワフワとゆるいカーブを描いて、綺麗なハチミツ色に染められていた。

嫉妬しそうなほど、いや完璧嫉妬するほどに可愛くなっていた。

この子はとても自分のことを愛しているのだな、と思った。

それほどに彼女の周りは、滴るような瑞々しい幸福の香りで満ちていた。

彼女が可愛くなっていた、ということよりそこに私は嫉妬した。


「へー。どんな感じの子なの?」

彼は聞いた。

「んー、表現し難いんだけど、自然の力、なんか公園のお花みたいな、優しさがある子だった」

「むずいな。わかりそうでわかんないたとえ」彼はそう笑うと、少し沈黙した。

「なんていうんだろ、わかる人にしかわかんない、見ようとしてる人にしか気がつかない優しさっていうのかな」

変な例え方をしてしまった自分に赤面しながら、あおいは探り探り言葉を拾っていった。

「寂しそうにしている人がいれば近くに行く。困っている人や傷ついている人がいたら話を聞く、助ける。なんかこう言っちゃ単純に聞こえるけど、実際にあの子みたいに動ける子ってなかなかいないんだよね。」

私は口を動かしながら、なんでこんなあの子の事ばかり話してしまうのだろうと思った。もうこの話題は口にしたくない、と思った。


「私もあんな風になりたかったな」

今気づいた。

これは嫉妬だ。


心臓が痛くなってきた。まるで発表会の舞台袖にでもいるかのようにお腹も痛い。


受話器の向こうから、彼の声がした。

「へー。あおいもそんな感じじゃん。」

電話を切りたくなったができなかった。

何ひとつ実行にうつせない自分の理性にうんざりした。





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