第2の第2ボタン

ねこせんせい

第1話

 道路の端々に雪が残り、まだ春の訪れを感じさせるには早いが、校舎前には明るい笑い声が響く。

 生徒会室の窓の外から、卒業証書の入った黒い筒を持った沢山の生徒達の姿を、淡く微笑みながら見下ろす彼女。

 ドアを後ろ手に閉めた僕は、そんな彼女の横顔を見て、今までに無い緊張が身体中を駆け巡る。

 生徒会長である彼女を呼び出したのは他でもない僕で、彼女はそれに応じてくれた。僕が望んだこの状況なのに、緊張して刻々と喉が渇いていくのが分かる。早く本題を切り出さないと、声が裏返ってしまいそうだ。

「副会長の君から私のこと呼び出すのって、初めての事じゃないかな?」

 僕の緊張を知ってか知らずか、まるで助け舟を渡すように、彼女の方から僕に話しかけてきた。

「私が卒業したら、今度は君が生徒会長に立候補するのかな?」

「実は僕、そんなに生徒会に興味ないんです」

 それを聞いた彼女は、「へぇそうなんだ」と言い、視線を僕の方に見据えた。

「じゃあ、なんで生徒会なんかに入ったのかな?」

「それは…その…」

 覚悟を決めてこの場に彼女を呼び出したのに、いざ核心に迫ると言い淀んでしまう辺り、僕は実に情けないと思う。僕は彼女が2年生の時に生徒会会長に立候補したのを見て、その儚げで柔らかい笑顔に一目惚れしたのだ。


 僕が2年生になって生徒会に、しかも副会長に立候補したのは、彼女が2年連続で生徒会会長に立候補すると聞いたのと、副会長なら他の役職よりも側に居れるような気がしたからだ。実に不純な理由での立候補だった。

 対立候補も無く、すんなりと副会長に当選した僕は、つまらない生徒会の雑務に追われながらも、彼女の側に居られる事が幸せだった。

 ただ、当然のことながら、彼女と一緒に居られるのは在任期間の1年間だけ。彼女が卒業してしまえば恐らく進学し、この小さな町から離れ、大学生活を送ることだろう。

 生徒会に入りたての頃はその事を理解していても、別段問題はなかった。

 ただ、人間心は移ろいやすいもので、近くで彼女の笑顔を見る度に僕の想いは募っていく一方だった。

 卒業式を迎える時期になると、この想いは張り裂けんばかりになり、僕は一種の衝動に駆られ、内容もロクにない呼び出しだけの手紙を、彼女の下駄箱に置いていた。


「第2ボタン」

「えっ?」

「卒業する男の子から、女の子が記念に制服の上から2番目のボタン、第2ボタンを貰うの。昔はそういうのが流行ってたんだって。大抵は好きな男の子から貰ったりするらしいよ」

 彼女の唐突な世間話にきょとんとしてしまった僕を見て、彼女は可笑しそうに口元に手を当てて、ころころと笑う。

「君の第2ボタン、私にくれないかなぁ」

 普段より少しだけ緩めた口調で懇願してきた彼女の言葉に、数巡置いて僕は反応する。

(これって、もしかして、ひょっとして…)

 僕は焦りと緊張でうまく動かない指先に軽い苛立ちを覚えながら、急いで制服から第2ボタンを外す。

 その色褪せた第2ボタンを固く握り締めて、僕は彼女の前に歩みを進める。

 そして汗ばんだ掌の中にある第2ボタンを、彼女の前に差し出した。

 彼女は僕の掌の中にある、鈍く光る第2ボタンを優しく拾い上げ、胸元に大事そうに抱え込んだ。

 後ろから光が差し込み、柔らかな風が彼女の髪を揺らす。その姿を見て、僕は胸の高鳴りと興奮が最高潮に達した。僕のふらふらとした決意が固まる。

「あの…先輩…!」

「私ね」

 僕の言葉を遮るようにして、彼女は強い意志を持った言葉を放つ。それは意図的に僕に次の言葉を言わせまいとするかのように。

 話の腰を折られる形になってしまった僕は、彼女が次に紡ぐ言葉をじっと待つ。

 幾ばくかの時間をかけて彼女は続きの言葉を繋げる。

「…うん、これで私、頑張れる」

 聞こえるかどうか際どい声量で乗せられた言葉は、とても悲しげに耳に届いた。

 彼女は僕の傍をするりと抜けると、ドアの前で振り返って、スカートの裾を躍らせながら嬉しそうに笑っている。

「第2ボタンありがとう!それじゃあね!」

 そう言い残し、彼女は勢いよく飛び出すと、そのまま廊下に足跡を響かせて走り去っていった。

 突然の事に何がなんだか分からない僕はその場で惚けてしまい、今になって窓から聞こえる学生達の思い思いの会話が騒音となって耳につく。

 結局告白することは出来なかったけど、僕達は両想いだった。そういう事で良いんだろうか?

 当然僕の疑問に答えてくれるものはなく、胸の中には彼女の気持ちを知れた喜びと、彼女に告白出来なかった不甲斐なさとでまぜこぜになっていた。

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