隣の席の来澄君。

天崎 剣

「まっし、お前、何悩んでんの」

 机の上のランドセルを見つめ項垂れる私に、彼は言った。

 チャイムの音にかき消されそうな言葉に、私は目を丸くする。

「な、何って。別に何でもないけど。来澄きすみ君には関係ないでしょ」

 隣の席のその男子は、私の顔を睨むように見て、それから続けて「嘘だ」と言った。

「最近のまっし、おかしいよ。俺が気付いてないとでも思ってた?」

 腕を掴み、真剣に顔を覗き込んでくる彼と、私は目を合わせられなかった。

「悩み事があるなら言えよな。俺じゃ何もできないかもしれないけど、隣でそういう風に暗い顔ばっかりされても困る」

 来澄君はつっけんどんに言い放ち、そのままランドセルを背負って教室から出て行った。

 優しいんだか、なんなんだか。

 張り詰めていた糸が、それでも少しだけ緩んだような気がした。



 小学生の頃の話。

 両親の仲が急激に悪化して、私は家の中で孤立し始めていた。

 同じ山形出身だった両親は、私には仲睦まじく見えた。どこで何が狂い始めたのか、今でもわからないし、私も聞かない。急に二人は喧嘩をするようになり、私は毎日怒号に怯える日々を送っていた。

 当然、みんなには内緒。友達にも、先生にも言えない。誰にも相談できない。そんな中での彼の一言に、私の心臓は張り裂けそうだった。

 来澄君とは、小学校三年生から五年生まで一緒のクラスで過ごした。

 彼は唯一まともに話しかけてくれる男子だった。他の男子は本当に幼稚で、くだらなくて。けど、来澄君は違った。私は彼に何度も助けられた。



 机に、“益子ましこ怜依奈れいなは超田舎者”と落書きされたことがあった。

 鉛筆で黒く太い字で書いた上に、更にマジックでなぞっていた。登校してきた私は皆に白い目で見られた。

 理由はわかっている。

 私の両親は山形の出で、私もそれに釣られ、イントネーションが少しおかしかったからだ。微妙に時代遅れの親戚のお下がりを着ていたし、二つに結った長い髪に丸眼鏡。お世辞にも、可愛いとは言えない風体だった。

 女の子の友達も少ししか居なくて、良く教室で本を読んでいた、そんな子どもだったのを覚えている。

「誰だよ、こんなことしたの!」

 一番に声を上げてくれたのも、来澄君だった。

 教室はざわつき、『知らない』の輪唱。皆目が笑ってる。

 来澄君だけが目をつり上げて、

「人間として最低だな! お前らの親は、誰一人田舎出身じゃねぇのかよ! 皆父ちゃんも母ちゃんも東京生まれの東京育ちか!」と怒鳴り散らした。

 それさえ周囲は笑っていて、まるで来澄君が私の代わりに笑われているようで、とても胸が痛かった。

 何も言えない私に、来澄君は言った。

「まっし、怒れよ」

「なんで? 怒ったらさぁ……」

「ダメなものはダメだ。そんなんじゃアイツら、まともな人間になれない」

「でもさ。そんな風にしてたら来澄君が」

「俺のことはどうでも良いんだよ、別に。どうせ皆に嫌われてる。そんなことより、俺以外の人がどうでもいいことで傷つけられてんの、見たくない」

 そう言って、来澄君は私から目を逸らす。

 その、怒ったような寂しそうな顔がとても印象的だった。



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