第62話 9日目。

 ――9日目。


 空が明るくなると同時、梱包済みの機材をセミトラックの荷台へ運ぶ。

薬剤についてはジープに纏め、食料は岩屋のワンボックスカーが預かる事となる。

天候はいまいちだ。昨晩の強風が今日にも続いている。

雨雲がやって来る事も考慮して進む必要がありそうだ。


 日夏はジープの助手席ドアを開け、由月を招く。

強風でドアが閉まらないよう支える姿は見事な紳士っぷり。

その様子を診療所の入り口からぼんやり眺める統也は、自分の頬をペチン! と叩く。

昨晩の由月との遣り取りを思い出し、自分に駄目出し。


(バカだなぁ、俺は何てバカなんだ……)



『信じるに値する人。アナタのような人に会えて嬉しいわ』



(単に激励してくれただけだって言うのに、俺は何を考えてるんだか……

 あぁヤバかった。もっと間があったら俺、何をしてたか分からないぞっ、

 あぁ俺って最低……)



 強風に飛ばされた落ち葉が日夏の髪に引っかかると、由月は座席に座るのを一旦置き、手を伸ばして それを取ってやる。


「ぁ、ありがとうございますっ、」

「いいえ。私の方こそ ありがとう」


 2人の会話を耳に、統也は溜息を落とす。


(普段、近寄りがたい分、

 ちょっと声をかけられると、自分が特別視さたように錯覚してしまう。

 翼々見れば、大川サンは誰にでも優しいのに。だから、全部、俺の勘違いだ)


「俺はバカだなぁ……」


 そんな腑抜けた呟きを聞きつけ、岩屋がヒョイと顔を出す。


「どうした、統也。靖田君なんかに見惚れて」

「え!?」


 何故 日夏なのか、と突っ込もうかと言う所で、岩屋は残りの荷物を統也に押し付ける。


「これで最後だ。一緒に後ろに乗っかってくれ」

「は、はい」

「あぁ、それから、帰ったら車の運転教えるぞぉ」

「え?」

「念の為」


 岩屋は強風に背を丸めながら、足早に車に駆け込む。

どうやら、岩屋なりに考えている様だ。

自分の身に万一が起これば、統也達の移動手段が無くなってしまう。

そんな岩屋の気遣いは統也を悲しくさせるばかりだ。


「やめてくださいよ、縁起でも無い……」


 そう言い零し、統也は診療所を振り返る。

裏庭の物置には、まだ死者達が押し込まれている。

その事実は この強風が誤魔化しているが、統也が忘れる事は無い。


 受付の脇に備え付けられた掲示板にはスタッフの名前が書かれた木札がぶら下がっている。

これは出勤札だ。示された日付は、世界が変化した初日のまま変えられていない。


(筒井、博子……)


 遺書に記されていた名が下がっている。

この診療所の看護婦であった彼女は、あの日に出勤し、名札を引っくり返したその後に恐ろしい体験をしたのだ。


 統也は名札を退勤表示に裏返す。



「お疲れ様でした」



 ただ、冥福を祈ってやまない。


 全員が車に乗り込むと、S県へ向けての帰路に出発だ。

統也は荷物を空いている座席に置き、運転席に身を乗り出す。


「岩屋サン1人に運転を任せるのは申し訳ないので、俺、帰ったらしっかり覚えますから。

 でも、基本バイクなんで、岩屋サンは基本、車です。その辺は自覚してくださいね」


 要は『岩屋を当てにしている』と言う事だ。これに岩屋は笑いを吹き出す。


「ブハハハ!!

 そりゃ覚えたての若葉ドライバーに、俺の愛車はそう簡単に預けられねぇよなぁ!」


 岩屋にとってはヒーローな統也に言われては、笑納せざる負えない。

いつも通り安全主義の岩屋に戻れば、統也も揃って笑う。


(俺達は終わらない。絶対に生き延びてやる!)



*



 Y市自衛隊駐屯地。


「帰って来ねぇなぁ……」


 緒方は首に巻いたタオルで額の汗を拭いながら、N県へ向けて出発した3台の車が戻るのをロビーで只管待ち侘びる。


 統也達が駐屯地を出てに2日。

便りが無いのが無事の知らせと思っているが、やはり心配でならない。

そんな緒方の傍らで、村岡は苦笑する。


「今日明日には帰って来る筈です。

 こちらも全ての作業が片付きましたし、バリケードも強化しました。

 無事に迎えて上げましょう」

「そうさなぁ。

 死体の山はどうすっかと思ったが、ハァ……埋めちまえばこっちのもんだ。

 後は、松尾将補と田島が起きてくれりゃぁよ、世話ねんだけどなぁ」


 そこに、看護師の清水が駆け寄る。


「村岡三等陸佐、宜しいですか?」

「どうかしたか? 容体に変化が?」

「はい。少し奇妙な事が……」

「何だい、清水サン。奇妙ってのは? 2人はちゃんと生きてんだろ?」


 緒方の疑問符に清水は見識に迷い首を捻る。


「脈拍は弱っていますが安定してます。ですが……皮膚の表面に変化が、」

「変化?」

「田島君に見られる現象なんですが、痩せた皮膚が硬質化しているような気がするんです」

「そんな事が起こり得るのかっ?」

「自分も初めてなので何とも……

 脂肪を失った分、皮膚が硬直しているのかも知れませんが、

 レントゲンでも撮らない事には、正確な事は分かりません」

「レントゲン……流石にそれは無理だろう。点滴でどうにかならないか?」

「点滴治療での回復は今が限界です。揃々、考えない事には……」


 揃々だ。

死ぬまで面倒見ていては、蘇えりを発生させてしまう。

砦の安全神話を築く為にも、内部での発生は食い止めなくてはならない。

他の生存者に与える精神的なダメージも考えれば、最悪の判断も否めないと言う展開。

これに緒方は窮迫し、身振りを大きくする。


「そ、そりゃねぇだろっ、統也は田島の為に ここを出てったんだぞっ?

 ダメだからって、そりゃ……どのツラ下げて説明したらイイんだよ、俺はぁ!」

「説明責任は我々が負います。然し……」

「彼等が受け入れるでしょうか? 特に水原君は……」


 N県に立つ前、統也は『必ず戻るので田島をお願いします』と、しつこく迫っている。

統也の居ぬ間に滅多な事が起これば、今後の信頼関係にも響く。

半面、統也がいないからこそ、反発を買わずに事を済ませられる。

緊急による是非を唱えれば納得せざる負えないのだから、村岡の気持ちは揺れる。


「点滴を外したらどうなる?」

「栄養が行き渡らなくなれば次第に……

 血管も細くなってますから、外してしまえば次は難しいかと」


 針を付け直す作業すら困難な程、田島の体は死を間近に迎えている。

言ってみれば、今日か明日かも分からない命。


「――仕方が無い。……彼には諦めて貰おう」

「む、村岡サンよぉ、そ、そりゃ、本気かい……?」

「自分はここにいる生存者の命を預かっています。これ以上危険に晒す事は出来ません」

「と、統也には何て……」

「事後報告になりますが、戻り次第、自分が伝えます」

「ぁ、あぁ……そ、そぉしてくれや、俺はもぉ何とも言えん……

 中で蘇えられんのだけは勘弁願いてぇ、それだけだっ、」


 変わらない状態で統也を迎え入れてやりたいが、それも難しいとなれば緒方に村岡を咎める事は出来ない。



*

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