ブラックビート

坂戸樹水

第1話 崩壊の朝。

  ドクン。


  ドクン。

  ドクン。


  ドクン。

  ドクン。

  ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。




 ある日、地球の奏でる心音が変化した。




 ――1日目。


 着慣れた高校の制服を纏い、自宅玄関のドアを開けるなり口をつくのは、『いってきます』の言葉では無く、



あつぅ……」



 暦上では秋を迎えたと言うのに、しつこい残暑は連日の猛暑にお決まりの文句が止まらない。


(夏病で倒れる人は年々増えている。こうなったのも温暖化の所為だって言うけど、

 こうも暑けりゃ、地球に優しく消費電力を抑えるのは難しい。

 俺達は暑い暑いと言いながら快適さと便利さを求めてヒートアイランドを育てている)



「悪循環ってヤツ?」



(でも夏は嫌いじゃない。だって女子の格好は涼しげだし)


 耳には蛙鳴蝉噪あめいせんそう

どうしようも無い理由を胸に快く猛暑を受け入れた所で、クラスメイトが手を振り、駆け寄って来る。


「おはよ、統也トウヤ。今日も暑いなぁ」

「おはよう、田島タジマ。夏休み過ぎてもこの暑さじゃ、登校拒否るかの瀬戸際だな」


 互いにグッタリ。苦笑しあう。


「何かさ、最近ダルイんだぁ……ボーっとするってぇか、眠いってぇかぁ……」

「田島、長い事それ言ってるな? そうゆう症状でダウンする人 増えてるみたいだし、

 我慢してないで お前も病院に行った方が良いぞ?」


 ニュースでは ここ3年程前から 夏病の訴えが劇的に増加したと繰り返し報道されている。

一般的に夏バテや熱中症・熱射病、中には暑いを理由に訳も無く凶悪犯罪を犯したり自殺したりする者も現れるから、日々の猛暑は人々の精神を著しく追い詰めている。


「それがさぁ統也、昨日の晩なんだけどさ、

 うちの学校の生徒、この暑さにブッ倒れて死んじまったって、知ってるか?」

「えぇ!? マジでっ? 誰っ?」

「聞いて驚け、2年の堀内ほりうち絵里奈えりな

「ぇ、え!? 堀内って、あの美人の!?」

「そ。ミス我が高だっつぅの」

「嘘だろ……だって、健康優良児っぽかったじゃないか……」

「だよなぁ。あの子、うちの近所でさ、夕方に救急車が来てたんは気づいてたんだけどさ、

 やっぱしダメだったって、朝っぱらから おばチャン達が井戸端会議してた。

 ダイエットしてたらしいぜ? それがアレだったんじゃねぇかって。

 午前中、ゼッテェ臨時の全校集会あるぜぇ」


 信じたくない話だ。統也は返す言葉も無く肩を落とす。


(あの堀内が? 昨日はあんなに元気だったのに?)


 思い出されるのは、昨日見た堀内の笑顔。



『水原先輩、私と付き合ってくれませんか?』



 学年が違う事もあり2人に直接的な面識は無かったが、堀内が兼ねてから統也に想いを寄せていたのを知ったのは昨日の事。

堀内の告白には驚かされた統也だったが、勿論、断る理由は無い。即決了承。

それが今日には死んだと聞かされるから耳を疑ってならない。

登校する生徒達の背を見やり、これからは堀内の姿を目にする事も無いのだと思うと意気阻喪。


(堀内……)


 統也の足が止まる。

そして、口を半開きにしたと思えば、田島に目を側む。


「オイ、田島」

「ん?」

「お前、もしかして……俺に嫌がらせしやがったのかな?」

「は?」


 間抜けな声を上げる田島の汗ばんだ顔を両手で挟み、力任せに視界を誘導する。



「堀内絵里奈、あそこにおりますケド?」



 校門の前で俯き加減に1人佇む美少女は、間違いなく堀内。



「え? えぇ!? 嘘だろ!? ホ、ホントだっ、堀内だ!」

「ハァ……お前、朝から悪趣味な嘘をつくんじゃないよぉ、」

「いや、だって! 昨日、救急車が来て、近所のおばチャン達も、お袋もっ、」

「他所の堀内邸だったんじゃないのか? お前、すごい失礼だぞ」

「だって、えぇ!?」


 田島は狼狽。

然し、現に堀内は生きて登校しているのだから、噂は噂だったのだ。

どうせ堀内が統也に告白した事を何処からか聞きつけ、その憂さ晴らしに嫌がらせでもしてやろうと、そんな魂胆に違いない。夏病を心配してやったのが馬鹿みたいだ。


 統也は『あ~あ~』と呆れ声を漏らしながら、田島を残して堀内のもとへと足を速める。

昨日から付き合う事になった恋人を校門前で待っているのか、

そんな可愛げのある堀内を想像すれば、統也の顔はだらしなくニヤける。


「堀内サン!」

「――」


 嬉々として名を呼ぶも、堀内は云とも寸とも言わず、顔も上げない。

照れているのか、暑い中、校門前で立っていたから具合でも悪くしたのか、

統也は堀内に駆け寄るなり、その表情を覗き込む。


「堀内サ、」


 青白い顔。虚ろな目。カサカサに割れた唇。どう見ても健康優良児には程遠い。

統也は堀内の両肩に手を置き、体を揺する。


「ほ、堀内サンっ? 大丈夫? ねぇ、堀内サン!」

「オイ、水原、どうしたんだ?」

「あぁ、それが、堀内サンの様子がおかしくて……夏病かも知れないっ、」

「堀内サンが!?」

「オーイ! 誰でも良いから保健の先生呼んで来て! 堀内サンが具合悪いってぇ!」

「は、はい! 分かりました!」

「ヤダ、そんなトコ突っ立って誰かと思ったら絵里奈じゃん! マジ大丈夫!?」

「ねぇ、すっごい冷たいよ、貧血じゃん!? 横にしてあげた方がイイんじゃない!?」


 流石、校内一の美人と目されるだけあって堀内を心配しれ手を貸す者が多い。

統也はその勢いに押し退けられ、野次馬の輪の外に弾かれる。


(ォ、オイ、ちょっと待て! 俺は堀内サンのカレシだぞ!

 昨日からカレシになったんだぞ! カレシ! カレシ! カレシぃ!)


 周知されていない事実を この場で主張しても信用され無いだろう。

今は女子生徒達の手によって介抱され、横たわる堀内を外側から見守るばかりだ。


 そう言えば田島は何処へ行ったのか、

堀内の様に夏病を悪化させてやしないかと思えば気がかりだ。

統也は周囲を見回し、後方に その姿を見つける。

田島は立ち止まり、携帯電話で何やら話し込んでいるが、こちらの騒ぎには気づいていない。


(何やってんだ、アイツ?)


 無事であるなら今は堀内の事だけを考える迄、と言う所で、田島の通話は終了。

田島は暫く佇み、野次馬の中に統也を見つけると、今に縺れそうな足で歩き出す。

やはり具合が悪い様だ。統也は田島に駆け寄る。


「田島、大丈夫か!? 今、校門前でも、」

「ほ、堀内、やっぱり、堀内……、」

「ああ、そうだよ、堀内が具合悪くして、」

「統也、オレ、お袋に電話して……」

「そうだな、堀内みたいに倒れる前に帰って、早めに病院に行った方が良いよ、田島も」

「そぉじゃねぇよぉ……やっぱりだよ、オレ、嘘ついてねぇよ、」

「どうしたんだ? お前なに言ってんだよ?」


 話が噛み合わない。

顔面蒼白の田島の唇は徐々に震え出す。

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