おばあちゃんソバット!

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第01話:おばあちゃんソバット!

「俺、俺だよ俺」

光義みつよしかい? おばあちゃんに電話をくれるなんて珍しいわね」


 孫の光義から電話があったのは、うだるような暑さの昼過ぎのことだった。いつもの光義の声とは少し違うようだけれど、夏風邪でもひいているのだろうか?


「実は事故おこしちゃってさ。示談金に500万円必要になっちゃったんだけど、お金貸して貰えないかな?」


 500万円。大金だけれど、貯金をすべて吐き出せば払えない額ではなかった。この歳にもなると物欲もおとろえてしまい、蓄えがあったところで使う予定も無いのだ。せいぜい私の葬儀そうぎ代とわずかな遺産にしかならないのであれば、孫のために使ってしまっても構わないと思った。


「ええ、わかったよ。心配しなくて良いんだよ、光義。おばあちゃんが何とかするからね」

「ありがとう、おばあちゃん! それで500万円はいつ用意できそう?」

「すぐに用意できるよ」

「じゃあ直ぐに取りに行っても良いかな? 警察が今からおばあちゃんの家に取りに行くって言ってるんだけど」

「今すぐかい? わかったよ。すぐに用意するからね」


 私は電話を切ると、タンスの奥にしまっていた茶封筒を5つ取り出した。こつこつと貯めてきたお金が入った封筒。念のため、封筒の中に入っているお札の枚数を数えはじめた。お札をめくりながら、ふと考える。飾り気の無い封筒のまま警察に渡しても良いものだろうか? 風呂敷か何かで包んでから渡した方が良いだろうか?

 浮かんだ疑問をさえぎるように部屋の隅にある電話が鳴った。「はいはい、お待ちくださいね」と答えてから電話へと向かう。受話器を持ち上げると、切羽詰まった様子の声が私に届いた。


「俺だよ、俺!」


 またも相手は光義だった。切迫感のただよう声ではあったが、聞きなじみのある光義の声だ。もう夏風邪は治ったのだろうか?


「どうしたんだい? 今お金を用意しているからね」

「そんなのどうでも良いから助けてよ、ばあちゃん! このままじゃ俺――」


 光義の声が何か大きな音で遮られた。まるで大型のトラックが衝突したかのような大きな衝撃音。


「光義? ねぇ、光義や。どうしたんだい?」


 私の問いかけに答えは返ってこなかった。まさか光義の身に何かあったのだろうか? 受話器を力強く耳に押し当てるが、それで光義からの回答が返ってくる訳ではない。身じろぎもせずに受話器から聞こえてくる音に集中する。けれど受話器は沈黙を続け、部屋に吹きこむ風が鳴らす風鈴の音がやけに大きく聞こえた。

 しばらくしてから、待ち望んでいた声が、か細く弱々しかったけれど電話を通して届く。


「ばあちゃん。ばあちゃん、お願いだよ、助けに来てよ……」


 軽く息を吐いて胸をなで下ろすと、私はつとめて優しい声で語りかける。


「大丈夫だよ、光義。おばあちゃんが助けに行ってあげるからね」

「……ありがとう、ばあちゃん」

「どこに行けば良いんだい?」

「あぁ、えっと……」


 言いづらそうに光義は答える。


「……異世界に」


 イセカイ? そんな名前の地名、この辺りにあったかしらねぇ?

 次の瞬間、私の足元に光り輝く紋様が浮かびあがった。私を中心に円が刻まれ、見たことのない文字や、星や炎の絵が強い光を放ち始める。それらが一際強く光り輝くと、世界が純白に包まれた。あまりの眩しさに目を閉じる。軽い耳鳴り。軽い眩暈。急に辺りを包んだ轟音に驚いてまぶたを開くと、そこは私の家ではなかった。

 ここは何処なのだろう? ひんやりとした空気にカビの匂いが混じっている。薄暗い広間のところどころで、松明たいまつがボンヤリと辺りを照らしている。部屋の雰囲気から外国の古い建物のように思えた。テレビで見た教会や神殿というやつに似ている。相当な広さのようで、部屋の端は闇に包まれており、天井も光が届いていなかった。

 突如として爆音のように大きな獣の唸り声が辺りの空気を震わせる。唸り声のする方へ目を向けると、10メートルくらいはありそうな大きな外人さんが6本の腕を振り上げていた。その腕が私を目がけて振り下ろされる。


「ばあちゃん!」


 光義の声。走り寄ってきた光義は私を抱えると、外人さんの腕から逃れるように大きく飛び退いた。間髪入れず私を捉えそこねた6本の腕が床を強打する。その威力はさながら爆弾。轟音とともに大地が揺れ、大きく床の岩盤がえぐれた。破壊された床の破片が銃弾のように飛び散り、人の頭よりも大きな岩の塊が私たちへと襲いかかる。私を抱く光義の手に力がこもった。私も体を固くして衝撃に備える。

 しかし、私たちに岩がぶつかることは無かった。寸でのところで現れた男性が大きな槍で岩を叩き落したのだ。電信柱のように大きな槍を軽々と持ち上げるほどに屈強な男性。身長は2メートルを優に超えている。そして何よりも目を引くのが、男性が被った竜の被り物だった。


「無事ですかな。ミツヨシ殿」


 竜の被り物の奥から低く太い声が問いかけた。最新のCGシージーというやつなのか、まるで本物の竜が喋っているようだった。


「ありがとう、ドラグノード」


 光義と私の無事を見届けると、ドラグノードさんは手に持った槍を構えなおして大きな外人さんへと向かって行った。その速度は身に着けた西洋甲冑の重さを感じさせない。雄々しく揺れる竜の尻尾も写実的で本当に尻尾が生えているようだ。

 ドラグノードさんを目がけて振るわれる6本の腕。それを潜り抜けてドラグノードさんが大きな外人さんに肉薄する。突き立てるように幾度も繰り出される槍。しかし、大きな外人さんの表皮は易々と弾く。けれど、ドラグノードさんの目から闘志は微塵も失われない。横殴りに繰り出される大きな外人さんの腕を足場にして、ドラグノードさんが駆け上がる。目指すは大きな外人さんの頭部。二の腕辺りまで駆け上がったドラグノードさんの口から灼熱の火炎が吐き出された。大きな外人さんの顔を炎が包む。でも、それは一瞬だけの事。返すように大きな外人さんが火の柱を吐き出した。それはドラグノードさんの火炎を押し返していく。ドラグノードさんが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて火炎を吐くのを止めると、槍をクルクルと回して火の柱を防いだ。

 まるで現実とは思えない光景。怪獣映画さながらの情景。私は夢でも見ているのだろうか? その思いを後押しするかのように、絵画から抜け出てきたように整った顔の女性が私の前に立った。腰の下まで伸びた淡い金色の髪から、長くとがった耳をのぞかせている。光義から「……エルフリーデ」と呼ばれたその女性が、光義に人さし指を突きつけて高慢な様子で言う。


「ほら! アンタもボサッとしてないで、さっさとすること済ませなさいよ!」

「う、うん……」


 光義が歯切れ悪く答えると、エルフリーデさんが物憂ものうげに目を伏せ、長いまつげが表情に陰を差した。


「……済ませたら、アンタも一緒に戦って。私たちじゃ魔王ヘラポンテには勝てないだろうけど。……それでも一矢報いたいの」


 そういうと、彼女は手にした弓に矢をつがえると大きく引いてから駆け出した。


犬死いぬじにだけは、イヤなのっ! 絶対にっ!」


 彼女の放った矢がいかずちを帯びて大きな外人さんを強襲する。けれど、それも大きな外人さんには大した効果は無いようだった。大きな外人さんは皮膚に刺さった矢に少しだけ驚いたものの、特に気にする様子もなくドラグノードさんを追い続けている。その様子にエルフリーデさんは苛立ちを隠そうともせず「あーっ! もう!」と悪態をつきながら2射3射と矢を放ち続ける。

 信じがたい光景から目を背けるように、私は光義の方へと向き直る。


「いったい、何なんだい、これは?」


 光義に問いかける。抱えていた私を下ろしてから、光義は答えづらそうにしながらも「……俺、ばあちゃんに謝らなきゃいけない事があるんだ」と切り出してポツポツと状況の説明を始めた。

 まず光義が説明したのは、この世界は私たちが住んでいた世界とは異なる世界ということだった。無論、ここは日本でも地球でもないらしい。


「あら、おばあちゃん、パスポート持ってきてないけど不法入国になっちゃったのかね?」

「異世界転移にパスポートはいらないんだよ、ばあちゃん」


 エスガデカ・サイディールと呼ばれるこの世界は、入国管理が甘いのだと光義は教えてくれた。かく言う光義も何の準備もできないまま、ある日、唐突にこの世界に転移させられたとのことだった。


「日本では引きこもりでニートだった俺だけど、この世界ではチート能力のおかげで勇者になることができたんだ」

「光義や。勇者っていうのは、お給料は良いのかい? 福利厚生はしっかりしているのかい?」

「悪くないよ。自由業だから給料も休みも安定しないけど、日本円換算で年収630万円くらい稼げているしね」

「年収は額面かい? 手取りかい? 税金対策はできるのかい?」

「……えっと、たぶん額面かな。でも、装備品やアイテム代は経費で落とせると思うよ」

「そうかい、確定申告は忘れるんじゃないよ」


 少し見ない間に光義が立派な社会人になっていたことに、私は喜びを隠すことが出来なかった。


「……話戻して良いかな、ばあちゃん」


 勇者になった光義は、とある国の王様の勅命ちょくめいで魔王ヘラポンテ(あの大きな外人さんのことらしい)を倒す旅に出たそうだ。道中で出会ったドラグノードさんやエルフリーデさんの助けもあり、旅は順調かと思われたのだが――。


「俺、調子に乗ってたんだ。チート能力があるから無敵だって思いあがっていたんだ。そのせいでロクな準備もしないで魔王城に乗り込んで、このざまだよ。俺たちにできる最強の一撃だって魔王ヘラポンテにまともにダメージを与えることはできなかった。逃げ出す手段も封じられて、もう成すすべがないんだ。あらがってはいるけれど、全滅は時間の問題だよ」


 光義が声を詰まらせる。溢れた涙が頬を伝っていた。


「……なぁ、ばあちゃん。助けてよ。俺、こんなクズだからさ、自分が死ぬのなんてどうでも良いんだ。でもさ、エルフリーデとドラグノードは違うんだよ。アイツらはさ、すげぇ良い奴でさ。こんなクズの事を信じてここまで付いてきてくれたんだよ。俺、アイツらを死なせたくないよ。だから、チート能力を使って元の世界に電話して、みんなに助けを求めてさ。……でも、ばあちゃん以外誰も助けるって言ってくれなくて」


 私は光義へ近寄ると、そっと抱きしめた。せきを切ったように光義が泣き叫ぶ。


「ゴメンなさい、ばあちゃん! 巻き込んでゴメンなさい! でも、俺、もうばあちゃんしか頼れる人がいないんだよ! だから、助けて……。助けてよ……」


 光義の頭を撫でながら落ち着くのを待った。

 私は優しく語りかける。


「大丈夫だよ、光義。おばあちゃんが何とかするからね」


 私は光義から離れると、魔王ヘラポンテさんの方へと歩みを進める。


「ばあちゃん!」


 光義が悲痛な声で私を呼んだ。私は振り返ってから、にっこりと微笑んで見せる。


「大丈夫だよ。亀の甲より年の功って言うだろう? おばあちゃんの知恵袋に任せて」


 魔王ヘラポンテさんを見上げると、彼もこちらを見て唸り声をあげていた。

 もうあまり時間に猶予はないようだ。ドラグノードさんもエルフリーデさんも満身創痍まんしんそういでまともに立つことすら出来ない状態になっていた。

 私はヘラポンテさんの前まで歩み寄る。エルフリーデさんが「逃げて! おばあちゃん!」と叫ぶのが聞こえたけれど、私は魔王ヘラポンテさんから片時も目を離さなかった。


「……魔王ヘラポンテさん、ちょっとお話があるのだけれど」


 魔王ヘラポンテさんにも聞こえるように努めて大きな声を絞り出す。


「光義たちを許していただけませんかね? この子たちは未だ若いから、間違いを犯してしまったのかもしれない。けれど、未だ若いから、間違いをつぐなうことも、やり直すこともできると思うんですよ。だから、許していただけませんか? あなたの気が済まないのなら、この子らの代わりにこの老いぼれの命を差し出しましょう。それでどうかこの場を収めてはくれませんかね?」


 精一杯の誠意を込めて魔王ヘラポンテさんに懇願した。根拠はないけれど、私の中には確信があった。この世の中に生まれながらの悪人なんていない。だから、魔王ヘラポンテさんにも私の誠意はきっと伝わるだろう。

 私の言葉を聞き終えた魔王ヘラポンテさんが、ゆっくりと口を開いた。


「ナガラ・シノ・ヴィエーラ・カム・ソノタン・ヘラポンテ!」


 あらまあ、日本語が通じないのね。

 私は振り返ると光義に微笑みかける。


「おばあちゃん、万策つきちゃったわ」

「ばあちゃん……」


 魔王ヘラポンテさんの6本の手から色とりどりの光が発せられた。急速にあたりの気圧が変わっていくのを感じる。


「これは……ヤバいわね」


 絶望した表情でエルフリーデさんが呟いた。ドラグノードさんも竜の被り物を歪ませて「無念……」と発する。

 魔王ヘラポンテさんが不敵に笑う顔を、私はボーっと眺める。言葉が通じないのであれば、もうしようがない。


「……体に言って聞かせるしかないかねぇ」


 私は地面を蹴る。飛び上がった私の眼前に迫る魔王ヘラポンテさんの顔。私は身体を捻ると勢いのままに飛び後ろ回し蹴りソバットを叩き込む。狙ったのは魔王ヘラポンテさんの顎。寸分の狂いもなく捉えた。骨の砕ける音が私の足に伝わり、魔王ヘラポンテさんが勢いよく吹き飛ぶ。

 ……あらやだ、かけ声を忘れちゃったわ。私は申し訳程度に「アチョー!」と言ってから、かけ声はアディオスの方が格好良かったかしらと考えた。

 私が地面に降り立つと、みんなが驚いた顔をして私を見つめていた。ドラグノードさんが口を開く。


「……貴女あなたはいったい何者ですか?」

「何者もなにも、ただのおばあちゃんですよ」

「いえ、ただのご婦人にあのような技は……」

「あれはおばあちゃんの知恵袋ってやつですよ。私くらい年をとるとね、棺桶かんおけに片足を突っ込んでいるようなものですから、誰かを棺桶に引きずり込むくらいのことは簡単にできるようになるのよ」


 ドラグノードさんは納得のいかない様子だったけれど「……そう、なのですか」と言って黙り込んだ。


「そんなことより……アイツをったの?」


 興奮した様子でエルフリーデさんが私に詰め寄る。


「いやですよ、殺したりしませんよ。殺人は犯罪ですからね」

「……暴行だって犯罪だよ、ばあちゃん」


 光義の言葉を聞き流しながら、魔王ヘラポンテさんへと向き直った。


「魔王ヘラポンテさん。寝ながらでも良いので聞いてください。私はあなたと殺し合いに来たんじゃありません。話し合いをさせてほしいんですよ。私のお話を聞いてくれるかしら?」


 子供に言い聞かせるように優しくゆっくりと語りかける。言葉は通じなくとも、語りかける雰囲気で敵意が無いことを私は示す。

 魔王ヘラポンテさんは黙って私の言葉を聞いていた。ビクビクと体を痙攣させて、糞尿をまき散らしながら。徐々に体の震えが弱々しくなり、やがて魔王ヘラポンテさんはピクリとも動かなくなった。

 ドラグノードさんが魔王ヘラポンテさんに駆けよって、脈をはかる。


「……し、死んでいる」


 ドラグノードさんの言葉に私は驚きを禁じ得なかった。死んでしまうなんて想定外だった。殺人罪。逮捕。裁判。死刑宣告。脱獄。逃亡生活。いくつもの言葉が頭によぎる。

 これからどうすれば良いのだろう? 私は頬に手を当てて考えこんだ。


「とりあえず、遺体は焼却するとして、遺骨はどうしようかねぇ? 東京湾に沈めれば警察の捜査をかいくぐれるかしらねぇ?」


 不測の事態に焦りながら将来を心配する私とは対照的に、とても嬉しそうにした光義が私の肩をつかんで白い歯を見せた。


「大丈夫だよ、ばあちゃん! 死体遺棄の心配なんてしなくても良いんだよ!」

「あら、そうなのかい? 光義に脱獄の手引きを任せても良いのかい?」

「違うんだよ、ばあちゃん! 脱獄の心配をしなくても大丈夫って意味じゃないんだ! 魔王ヘラポンテは殺しても良いやつだから殺人罪には問われないんだよ!」


 そうだったのね。そうと最初から判っていれば、苦しむ間もなく送ってあげられたのだけれど。悪いことしちゃったねぇ。

 私は魔王ヘラポンテさんに向かって手を合わせると、彼の冥福を祈った。

 黙祷もくとうを終えて振り返ると、光義とドラグノードさんとエルフリーデさんが喜びを分かち合っていた。


「長く辛かった戦いも今日で終わりですな」

「これからアンタたちはどうするの? 私は早く里に帰って、私をバカにしたやつらに吠え面かかせてやりたい気分!」

「私は王国に帰ってから魔王撃破の御触おふれを出してもらわねばなりません。ミツヨシ殿はどうなさるのですか?」

「……そうだな。魔王がいなくなった今、勇者なんて廃業だし、自分に何ができるか探さないとな」


 それは聞き捨てならない言葉だった。


「……光義は、私のせいで職を失ってしまったのかい?」


 恐る恐る尋ねると、光義は戸惑った風に頭をかく。


「ばあちゃんの所為せい、って訳じゃないよ。それに勇者が職を失うってことは世界から戦争が無くなって平和になったってことだし、悲しむようなことじゃないんだ」


 そういって光義はにっこりと微笑んだ。

 光義は私のことを責めないけれど、私が光義の職を奪ってしまったのは明白だった。私はなんとかできないものかと考えを巡らせる。

 私はドラグノードさんとエルフリーデさんを交互に見た。……ドラグノードさんの方が適任かねぇ。懐からオブラートに包まれた寒天菓子を取り出すと、ドラグノードさんへと差し出す。


「ドラグノードさんや。ゼリーをあげるから、申し訳ないんだけれど、光義が勇者を続けられるように魔王になっちゃあくれませんかね?」


 ドラグノードさんの表情が固まる。隣を見るとエルフリーデさんも同じ表情をしている。

 光義が引きつった笑いを浮かべながら慌てた様子で言葉を挟む。


「……や、やだなぁ、ばあちゃん。冗談が過ぎるよ」

「おやまぁ。私は本気だよ」


 ふたりに続いて光義の表情も固まった。どうしたというのだろう? 私は何か変なことを言っているだろうか?

 私はドラグノードさんへ視線を戻すと、安心させるようににっこりと笑う。


「どうでしょう? 魔王になって、戦争を起こして、世界から平和を奪っちゃくれませんかね?」


 そうしなければ光義が職を失ってしまうのだ。光義の友達であるドラグノードさんならふたつ返事で引き受けてくれると思っていた。しかし、ドラグノードさんは目を見開いて、とても緊張したように体を強張らせていた。そして絞り出すように答える。


「……わ、私は、王に忠誠を誓った身です。王や民の期待を裏切るような真似などできぬのです」


 ドラグノードさんの答えは意外にもいなだった。期待外れに落胆してしまう。


「そうかい、残念だよ。……じゃあ、エルフリーデさんはどうだい? 光義のために、なってくれるかい、魔王に?」


 エフルリーデさんは小さく息を飲んでから、ゆっくりと首を横に振る。


「……私も一族の誇りを裏切るようなことなんてできないわ」

「あら、そうなのかい」


 おやまぁ。これは困ったねぇ。どうしたものかねぇ。私は頬に手をあてて首を傾げる。

 私はポンと手を叩いた。


 「それじゃ、こうしようかね。ドラグノードさんのいう王国の方々や、エルフリーデさんのいう一族の方々。その人たちに顔向けできなくなるから魔王になれないんでしょう? なら、その人たちがいなくなれば問題ないかね。遠慮なんかせずに、私に任せて良いんですよ。根こそぎ、ひとり残らず消して見せますからね」


 ドラグノードさんとエルフリーデさんの抱える不安を拭い去るために発した言葉だったが、何故かふたりは余計に緊張を高める。

 エルフリーデさんが体をガタガタと震わせながら後ずさる。


「……まるで魔王じゃない」


 怯えた目でじっとこちらを見つめている。私は後ろを振り返ってみるが、魔王なんて何処にもいなかった。彼女は幻覚でも見ているのかしらね?

 魔王なんて何処にもいないわよ。そう言おうとして振り返った瞬間、光義が私に抱き着いてきた。おやまぁ、友達の前でもおばあちゃんに甘えちゃうなんて甘えんぼさんだねぇ。

 私を抱く手にギュッと力を込めて光義が叫ぶ。


「ここは俺に任せて、先に行くんだっ!」

「し、しかし、それではミツヨシ殿が!」

「大丈夫さ。……なぁ、ドラグノード。帰ったらさ、飲みに行こうぜ。良い店を知っているんだ」

「……判りました。その時は1杯おごらせてもらいますぞ。……ご武運を」


 ドラグノードさんが踵を返して走り出す。あらあら、何処に行くんだい? 王国へ案内してもらわないと、王国の方々の口を封じれないじゃないの。

 私が追いかけようとすると、光義が私を押し止めようとする。踏んばった足が音をたてて床を砕いた。


「エルフリーデも早く行けっ!」


 光義が後ろを振り返りもせずに声をあげる。


「……イヤよっ! 一緒に……一緒に生きて帰るって約束したじゃない!」

「悪い……。その約束、守れなくなっちまった。……でもさ、すべてが片付いたら、必ずエルフリーデに会いに行くよ。この約束は死んでも守るからさ」

「……その約束、信じるからね。アンタが会いに来るまで、ずっと、ずっと、待っているからね」

「ああ、わかった。……会いに行ったらさ、聞いてほしいことがあるんだ。ずっとエルフリーデに伝えたい想いがあるんだ。……聞いてくれるか?」

「……わかったわ。だから、絶対に会いに来てよね。できれば、私がおばさんになる前にね」


 そう言い残してエルフリーデさんも走って行ってしまった。


「おや、どうするんだい、光義? このままじゃ誰も魔王になってくれないわよ? 本当に失業しちゃうわよ?」

「良いんだよ。もう良いんだよ、ばあちゃん」


 光義が私の目をジッと見つめる。その顔は今まで見たことがないほどに精悍せいかんだった。そこに死んだおじいさんの面影を見る。


「それにさ、俺、やっとわかったんだ」


 私の足元に光り輝く紋様が浮かびあがっていく。私がこの世界にやってきた時にみた物よりも、大きく物々しい紋章。


「勇者は、命をしてまで守りたいものを守るから、勇者なんだって」


 紋様が色とりどりに強く輝き始める。大気が揺れ、熱を帯びる。


「うおおおおおぉぉぉぉっ!!!!!」


 紋章が太陽のように熱く光り輝く。世界が純白に包まれる。気が付くとそこは私の家だった。

 ふと光義の体から力が抜けて、大の字になって寝転ぶ。


「……ははっ。やった、俺、やったぞ。世界を、世界を救ったんだ!」


 光義の言っていることはよく解らなかったが、満足そうに顔をほころばせる光義を見ていると私まで温かい気持ちになった。


「良かったね、光義」


 そうだ。たしか台所の戸棚に、この間いただいたモナカがあったはずだ。光義に食べさせてあげようと思ったところでインターフォンが鳴る。「はいはい、お待ちくださいね」と答えてから玄関へと向かう。

 玄関の戸を開けると、そこにはグレーのスーツを脇に抱えたワイシャツ姿の男性が立っていた。


「すみません、私、警察の者なのですが、光義さんが起こした事故の件で示談金を受け取りにまいりました」

「はいはい。事情は光義から電話で伺ってます。すぐにお金をお持ちしますので少々お待ちいただけますか?」


 私がお金を取りに戻ろうと振り返ると、いつの間にか光義がやってきていた。


「ばあちゃん、その人、誰?」

「警察の方だよ。ほら、光義が起こした事故の示談金を受け取りに来たんだよ」

「示談金? ……それって、オレオレ詐欺じゃないの? あ、えっと、今は振り込め詐欺だっけ」


 振り込め詐欺? まさかそんな。


「……バレちまったら仕方がねぇ」


 どすの聞いた声。男性はどこから取り出したのか、大きなナイフを構えていた。


「こうなったら力づくだ。殺されたくなかったら金を持ってこい」


 男性が土足のまま、玄関をあがる。


「危ないっ!」


 咄嗟とっさに光義が男性と私の間に割り込んだ。押し倒すようにして男性と光義が倒れ込むと、光義は男性の首根っこを掴んだ。


「おまえ、命をなんだと思ってやがる! 俺があと一瞬遅かったら死んでたんだぞ!」


 あらまあ。身をていしてまで私を助けてくれるなんて、光義は頼もしいねぇ。私は緩んでしまった頬を隠しもせずにふたりに近づいた。


「光義、そんなに心配しなくても大丈夫よ」


 男性が光義を狙って突き出したナイフを奪うと、クシャクシャと丸めてみせる。


「ほら、こんなオモチャじゃおばあちゃんは怪我しないもの」

「……ばあちゃん、それ、一応オモチャじゃないんだけど」

「あら、そうなの?」


 私が手を開くと、鉄クズが床に落ちた。その光景をみた男性が「ヒィっ!」と情けない声をあげる。


「……これに懲りたら、もう振り込め詐欺なんて止めるんだ。続けていたら、いつか第2、第3のばあちゃんに殺されるぞ」

「はい、わかりました。だから殺さないで殺さないで殺さないで……」


 光義はガタガタと震える男性を起こすと、彼を背にして私に話しかける。


「なぁ、ばあちゃん。こいつ、反省しているみたいだからさ、許してもらえないかな?」

「もちろんよ。間違いは誰にでもあるもの。許すのは当然じゃない」

「そっか。良かったよ。ばあちゃんが許してくれて」

「でも、その前に、その男の方の携帯電話をみせてもらえないかねぇ?」


 光義の表情が硬くなる。


「……どうしてかな、ばあちゃん?」

「登録されている連絡先がみたいのよ」

「……どうしてかな、ばあちゃん?」

「その男の人はね、大切なものを失う辛さを知らないから、私がこつこつと貯めた大切なお金を奪おうとしたのだと思うの。だから、大切な人達ものを奪われるのは辛いってことを教えてあげないといけないでしょう?」

「……ばあちゃんは、こいつのこと、許してあげたんだよね?」

「ええ、そうよ」

「……でも、ばあちゃんのやろうとしていることは、許すってカテゴリの行動じゃないと思うんだけど」

「あらそうかしら? なら、その男の人も大切な人達ものの後をすぐに追わせてあげれば良いかねぇ」

「もっと駄目だよ、ばあちゃん」


 光義が意を決した顔をして男性を担ぎ上げた。


「逃げるぞっ!」


 玄関の戸を突き破って疾風のように光義が駆け出す。おやまぁ。追いかけっこかい? 光義もまだまだ子供だねぇ。

 私はサンダルをはくと、ふたりを追って駆け出す。

 待っててね、光義。国外に逃げようと、異世界に逃げようと、おばあちゃんが必ず捕まえてあげるからね。

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