すみれ咲く季節に

音崎 琳

1.

 うららかな春の日だった。列車は透きとおるような緑の森を抜けて、田園風景を車窓に映し出していた。

 そろそろ昼食にするか。

 懐中時計の針は、二本とも十二を過ぎたところだ。彼は、読んでいた紙表紙の本を閉じた。朝から文字を追っていた目に、外の景色が眩しい。彼は目をすがめた。

 列車は順調に、彼が少年時代のひと春を過ごした、小さな村へ向かっている。たったの三月みつき足らずの間、彼は当時その村に住んでいた親戚の家に預けられていた。

 あれからもう、随分になる。一人暮らしにもようやく慣れてきて、彼は十年ぶりに、再び村を訪ねようとしていた。

 本を鞄に仕舞い、代わりに布巾の包みを取り出す。そこに至ってようやく、彼は、自分の向かいの席にも乗客がいることに気づいた。

 座席の配置上、彼女は、進行方向に背を向ける形で座っていた。質素な若草色のドレスを纏い、ひざに立てた画板の上でしきりに手を動かしている。長い金茶の睫毛に縁どられた瞳は、ひたと手許を見すえていた。

 あれ?

 彼は胸の内で首を傾げた。何か、引っかかるものがある。だがその予感は、確かめるには曖昧すぎた。

 諦めて、昼食の包みを広げにかかる。布巾と紙で二重にくるまれているのは、今朝、まだ日も昇らぬうちに作ったサンドイッチだ。自分の好みに正直に、ピーナッツバターやジャム、チーズなどを挟んである。

 りんごジャムのサンドイッチを選び取って、彼はもう一度、さりげなく視線を上げた。

 澄んだすみれの瞳と目が合った。

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