第15話 秘術 離魂嘆形

「ヒヒヒ、このまま、深く幻術に陥り苦しむのを見ているのも一興……」

 片地帯刀は、ゆっくりと桃鳥に近づいて止まった。刀が届くギリギリの距離だ。

「もしや、ということもあるからな」

 地べたに座り込んで、焦点の定まらない瞳を虚空に漂わせている桃鳥を値踏みするようにみた。

「では、名残惜しいがこれで終いにしよう」

 持っている刀を振り上げた。

 ふいに片地が横に刀を振った。

 金属の甲高い音が鳴る。

「ほほう。邪魔が入ると思ってはいたが」

 そういうと、片地は目をいぶかしげに細めた。

 足元には、斬られたすだれが落ちていた。

 お文の南京玉すだれであった。

「確か、貴様は、我が術にかかっていたはず。いったいどうやって破ったのだ?」

 お文は、自分の屋台の前に立って、玉すだれを羽の如く広げている。特別あつらえの金属製のすだれだ。

「さあね。教えると思うかい?」

 お文の手ぬぐいが口と鼻を覆っている。

「誰が教えてくれと言った?貴様から教えますと懇願することになるのに」

 そういうと片地帯刀は、滑るようにお文に近づいた。

「ジャッ」

「はっ」

 双方の気合とともに銀光が幾筋も流れ、生きている蛇のようにすだれが舞う。

 金属音が立て続けに鋭く鳴る。

 双方、大きく後ろに飛び退った。

「ヒヒヒ、手すさび程度にはなるか」

「……いうじゃないか」

 強がって見せたが、お文のほうが防御するのに精いっぱいなのは手合わせしてみてはっきりとわかった。

 お文の額に玉のような汗がいくつも浮かぶ。

 ゆらりと片地帯刀が近づく。

 お文が下がる。

「どうした?先ほどまでの威勢は?」

 片地の刀が怪しく光る。

 すでに片地は間合いを詰めている。一足一刀の距離に入る。

 お文は、意を決したように動く。

 腕を交差する。

 両手に持った、すだれが空中で互い違いに重なる。そのまま勢いよくお文の背中側に伸びていく。

「天地双竜」

 お文はつぶやいた。

 片地の刀が、晴眼から真っすぐに最短距離でお文の心の蔵辺りを狙う。

「死ね」

 片地がつぶやくと同時に、刀が銀の稲妻と化した。

 すだれがお文の両わきの下あたりから勢いよく飛び出す。天地とに分かれて、片地を狙う。まさしく、二匹の竜が天と地から襲う様に似ている。

 激しい金属同士がこすれる音とともに銀光が幾筋も走った。

「やはり、術を破っておったか」

 大きく横に飛び退った片地は、感嘆の混じった声で言った。目の前には、長身、色白でうりざね顔の男、桃鳥がお文をかばうように立っていた。

「残念。お文の技と合わせてあんたを成敗してやろうと思ったのに」

 少しも残念には思っていない声で言った。

「そういえば、まだ名を聞いていなかったな」

「これは失礼。南町奉行所与力、黒葛太郎右衛門桃鳥よ」

 桃鳥は名乗ると、お文を振り返った。

「お文、無事なようね」

 お文の金属製のすだれが両方とも寸断されていた。心の蔵辺りの着物も斬られていた。これは、片地の一撃の仕業だとは、桃鳥もお文自身もわかっていた。桃鳥の助太刀がなければ確実に命がなかった。

 お文はうなずくと素早く後ろに下がった。

「あの江戸での一件以来だな」

 片地は言った。

 桃鳥の提案で、江戸での数件の商家に目星をつけて、見張っていたところに、片地が現れたのだ。

「あの時は、まんまとやられたわ」

 どこか楽し気にいった。

 桃鳥をはじめ、小典、卯之介、捨松、その他多くの捕り方がすべて術にかかったのだ。

「やはりあの時始末しておけばよかったか」

 冷笑を含んだ物言いは、常人であれば震えあがったであろう。

「残念だったわね」

 桃鳥はさらりと受け流す。

「ヒヒヒ。ふざけた奴よ」

「よく言われるわ」

 片地の刀を持つ手に変化が生まれた。

 刀を背中に隠したのだ。

「残念だが、終いにしよう」

 殺気が鋭利な刃となって桃鳥をとらえる。

「望むところよ」

 桃鳥も脇差を右八双に構える。

 互いの殺気がぶつかり合い、一瞬、青白い火花を吹いた気がした。それが合図であったように、数拍遅れて、両者ともに音もなく近づく。

「じゃっ」

「ひゅっ」

 吐息とともに銀光が互いを襲う。

 そのまま、両者入れ替わって再び向き合う。

「見事だ」

「そちらこそ」

 片地は、左側の着物が大きく切り裂かれていた。

 桃鳥は、右側の着物が大きく切り裂かれていた。

 しかし、片地が二か所あるのに、桃鳥のそれは、一か所だ。

 先に片地が動いた。

 後ろ手に刀を隠していた構えを解いて、今度は、大上段に構えた。

「ふふん」

 桃鳥は、変わらずの脇差での右八双の構えだ。

「大刀は抜かぬのか?」

 片地の問いかけに、

「そのうちに、ね」

 ととぼけた。

「ヒヒヒ。なれば抜かずにあの世で後悔するがよい」

 滑るように片地が近づく。

 桃鳥は待ちの姿勢だ。

 間合いに入る。

 片地の大上段の構えに微かな動きが生じる。

 桃鳥の脇差も釣られるかのように動く。

 片地の嗤いが深くなる。

穏顎刃おんがくじん

 片地が呟いたその時、桃鳥の足元から何かが跳ね上がった。

 それは鈍い銀光を放っていた。

 真っすぐに桃鳥の下腹部を狙っていた。

 絶妙に遅れて大上段の刀が桃鳥を襲う。

 下を防御すれば、上が間に合わず、上を防御すれば、下がおろそかになる。片地の必殺の刀法であった。

 その時、二つのことが起こった。

 二つの金属同士が鳴る音と片地の発する悲鳴であった。

 手から鮮血を出して、片地ががっくりと膝をつく。

「くっ…例の鉄扇使いか」

 鋭くにらみつける先には、盲目の捨松が立っていた。

「あなたが何らかの方法で二刀を扱うのは知っていたけれど、皆目見当もつかなかったわ。始め後ろ手に構える刀法も、相手をしとめるあなたの二刀流を生かすためのものね。だから、捨松を待機させておいたのよ。彼は、目が見えない。だから、気配だけで判断してごまかすことはできないのよ」

 無情に告げる桃鳥に、片地がうめくように答える。

「鉄扇を投げて防ぐとは……」

 そうなのだ。桃鳥は、捨松に片地の下からの刃を鉄扇を投げて防がせたのだ。

「あんたも忍びだけはあるわね。着物の裏に小太刀を仕込んで落とし、足の甲で受けて、それを蹴り上げて斬りつける。これでは、並みの剣客では太刀打ちできないわ」

 これまで江戸の商家での用心棒の死体に下腹部と上半身に傷があったのはこれであったのだ。

「加えて、幻術を用いていれば鬼に金棒、ということね」

 片地は、斬られた片手をかばいつつ、無傷の手を袖に入れた。

「妖笛は効かないよ。片地帯刀」

 だみ声が言った。

 若い侍――小典におぶさって老婆がいた。

「貴様は……」

 片地の問いかけに、

「あんたに殺された人形使いの男の女房さね。そしてそこにいる大荒目縹の師のひとり」

 片地の瞳が細くなる。

「人形使いだと?あの時の爺か……では、俺の幻術を破ったのも貴様の仕業か」

 片地の言葉に、老婆は歯のない口を開けて笑った。

「己の力を過信して独りで来たのがあんたの運のつきだね」

 片地の顔に初めて焦りの色のようなものが流れた。ふと、縹の屋台の近くに驚いた顔で佇む幼子を見つけた。

 片地の動きは素早かった。

「ああっ!卑怯だぞ」

 思わず、小典が憤慨の声を上げた。

 蛇のように子どもをさらうと刀を首に突き付けた。

「卑怯?ヒヒヒ、誉め言葉だ」

 片地が笑いながら言った。

「さあ。この餓鬼の命がおしければ、追ってくるのをやめろ」

「その子を離せ!」

 小典が前に出る。

 桃鳥がそれを片手で防ぐ。

「ヒヒヒ。最後は俺の勝ちであったな」

 片地が後ろに下がる。

「勝ち?いいえ。あなたの負けよ」

 桃鳥が言った。

 片地の表情が訝しげに動く。

 微かに何かが聞こえる。

 耳を澄ます。


 チントンシャンで賽を振れ

 チントンシャンで賽を振れ

 出た目の分だけ進むがよい

 進めばそこは極楽か

 はたまたそこは地獄かえ

 足元書いてる文言に

 すべての運をゆだねっしょ



「な、なんだこれは?!」

 片地は、怯えるように叫んだ。



 チントンシャンで賽を振れ

 チントンシャンで賽を振れ

 進めばそこは極楽か

 はたまたそこは地獄かえ

 賽の目だけが知っている



「なっ……」

 それは片地が刀を突き付けている子どもから聞こえてきた。

 慌てて放そうとする片地の手を万力の如く子どもが掴んだ。

「どこへ行くんだ?片地」

 それは子どもの声などではなかった。老人の声であった。

「自ら抱きしめておいて放そうとするとは。武士の風上にも置けない」

 それは、老人の声とは別の若い男の声であった。

 どちらも聞き覚えがあった。

 ゆっくりと、子どもの顔が振り返る。首だけが。

「き、貴様らは……」

 それは、老爺の顔であった。

 それは、大荒目清之進の顔であった。

「片地……帯刀……」

 さらに次々と顔が変わっていった。

 女、幼子、老人、男……ありとあらゆる年齢の人物が現れた。

「き、貴様らは、死んだはず!死んだはずだぞ!」

 片地は叫んだ。

 子どもがつかんでいる手を放そうと躍起になるが、小さな手がますます片地の腕に食い込む。

「ひぃ!」

 子どもの腕に刃物が握られていた。

「黄泉にいこう」

 老爺、大荒目清之進、女、男、幼子、老人……すべての声が一斉に言った。

「秘術 離魂嘆形りこんたんけい。その子どもは人形よ。そしてそこに映る顔たちは、あんたに殺された者よ。殺された人たちの恨みを抱いて……死ね」

 おはな――縹がつぶやいた。

 子どもの刃が振り下ろされた。

 三つの銀光が走った。

 ひとつは、子どもの刃。

 もうふたつは、桃鳥の繰り出す二刀であった。

「と、桃鳥さま?!」

 小典が声を上げた。そこにいる誰もが目を見張った。

 音もなく走りこんだ桃鳥の腰から二筋の銀光は、人形の手を肘ごと切り落とし、もうひとつは、片地の首を打ったのであった。

 誰もが動けずにいた。

 最初に動いたのは、片地であった。

 そのまま、真後ろに失神して崩れ落ちた。

「どうして……」

 縹の小声がその場に響いた。

「どうしてなのっ!」

 



 


 

 












 











 




 








 




 



 

 

 




 



 


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