第14話 沈夢破幻
「なかなかの腕前だ」
「ご丁寧に」
片地帯刀が言い、桃鳥が答えた。
桃鳥の着物一部が斬られている。片地帯刀の着物も同様だ。ただ、片地のほうがその個所が多い。
「中条流…ではないのか?」
「まあ、似たようなものね」
桃鳥はまだ脇差だけで戦っている。太刀は、抜いていない。小太刀の技が有名な流派を片地は想像したのだろう。しかし、中条流でも太刀で戦う。小太刀専一の流派ではないのだ。
「そちらこそ、ずいぶん様子見しているわね。お得意の二刀流はどうしたの?」
桃鳥は、鎌をかけてみた。
「ククク…そんなに見たいなら見せてやってもよいぞ」
片地はゆっくりと上段に構えた。
「ふふん。洒落が効いてるわね。二刀流なのに刀は一振りだけ」
桃鳥の言葉に片地は嗤った。
「洒落が効いておろう。しかし、だれが二刀流などと言った?」
片地の刀がユラリユラリと揺れ始めた。
「わが剣は三刀流にも五刀流にもなる」
その言葉通り、片地の背中から刀を握った手がいくつも生え始めた。
「?!」
驚く桃鳥に、片地は嗤いかけた。
「さぁ。眠るがよい」
その言葉が合図だったように桃鳥の瞼がぴくぴくと動いたかと思うと、ぐるりと白目をむいて、閉じられた。そしてそのまま、がっくりと崩れ落ちた。
「妖粉が効くのを待っていたのさ。残念だったな」
片地が勝ち誇ったように言った。
「ああっ!」
小典は、思わず声を漏らした。ちょうど、桃鳥が崩れ落ちたところだ。
腰の刀に手をかけて、腰を浮かした。その手を誰かが力強く抑えた。
「お待ちください。鞍家さま」
見ると若い男がそばに来て小典の手を押さえていた。その男の両方の瞳は閉じられていた。
「離せ!捨松!助太刀しなければ」
小典は、抗った。
「いいえ。放しません。ここは堪えてください」
「しかし、このままでは、桃鳥さまもおはなさんも殺されてしまう」
「これでいいのです。これが黒葛さまの賭けなのです」
「し、しかし」
「先ほど、黒葛さまが仰っていたではありませんか。『虎穴に入らずんば虎子を得ず』だと」
「ぐ…」
そうなのだ。桃鳥がここを出るとき、小典たちに言い置いていったのだ。これから、片地帯刀の術中に陥ってくる、と。そうなのだ。桃鳥はわざと片地帯刀の術にかかりにいったのだ。
「そのために初めから別の術者に術をかけてもらっているのですから」
捨松の言葉に、小典は、後ろに控えて、一心不乱に何かを唱えている老婆を見た。先ほど、捨松がどこからかおぶって連れてきたのだ。
「本当にあの老婆を信用していいのか?」
小典の半分もない身長の老婆は、建物の陰にこじんまりと座り、ここへ捨松に連れられてきてから、一度も片地のほうはおろか、座らされた場所から動いてさえいない。
「ふん!小僧っこにはわからないんだろうね。せいぜい、足を引っ張らないでおくれな」
「なっ…」
急に小典のほうに向かって啖呵を切った老婆に驚いた。
「ぐ、愚弄する気か?!」
小典はいきり立った。
「あんたも愚弄したろ?これでお相子さ」
ぽっかりと歯のない口を開けて笑った。
「むぅ…」
小典は言い返すことができなかった。
「さぁ。お遊びはここまで。今から、あの旦那のため…いや、夫と縹のためにこの老婆の命を懸けるよ」
そういうと老婆は、また呪文のような文言を節をつけて言い出した。
「夫と縹のため?」
小典は、老婆の言葉に思わず捨松を振り返った。
気配を察したのか、捨松は、小さくうなずいて見せた。
雨の中をおはなは小走りで逃げていた。
着物がはだけた。
髪が乱れ、顔にかかる。かまわなかった。
今はただただ逃げ出したかった。このまま地の果てまで行きたかった。胸がふさいで潰れそうであった。いっそ潰れてしまえばいいとさえ想った。
足がもつれた、そう感じたと同時に体の前面に衝撃を受けた。水しぶきが盛大に跳ねて泥水が顔を覆った。
「もう、嫌…やめて…」
地面を叩いた。
水しぶきが派手に上がる。
また叩いた。
叩いて叩いて、駄々っ子のように叩き続けた。
どれぐらいそうしていただろう。
そっとおはなの手を包んだものがあった。
視線を向けると、皺だらけの手がおはなの手に重なっている。それは、地面の中から伸びていた。いや、水たまりの中からである。おはなが倒れている五寸ほど先にある水たまりから手だけが伸びておはなの手に重なっているのである。
「…」
おはなの口から何事かの単語が飛び出た。
それが合図であったかのように、スッと水たまりから今度は顔が出てきた。
「行こう。おはな」
それは、老爺の顔であった。
おはなは頷いた。
老爺の手が、おはなの手を引くとズルリとおはなの身体は、水たまりの中へと入っていった。
源蔵は逃げ出していた。
村の中である。
あばら屋のような家屋の中には、見知った人々がいた。
はだけた着物からは、あばらが見えた。赤い物体を引きずっているのは内蔵だ。身体が半分腐ってはいるが、源蔵に笑いかけた。
手招きをしてこっちへおいでと呼びかけてきた。
必死で逃げ出した源蔵は、村の外へと出ようと試みたが、なぜか、村を出たとたんに村の入り口に戻ってきてしまう。そして、そのたびに村人の数が増えていった。その繰り返しだ。しかも、皆、巨大化しているような気がした。だが、実は、自分が小さくなっていっていることに気が付いた。
「あらあら。坊。こっちにおいで」
とケラケラ笑ってはやし立てている。
周りを囲まれた。
逃げ道はない。
「坊。いたずらっ子にはお灸をすえなきゃね」
ひょいと襟首を持たれた。そのまま中空に体ごと持ちあがった。目の前には、巨大な顔。その顔がぱっかりと口を開けた。お歯黒の黒と真っ赤な口腔が妙に対比されて生々しい。ゾロリと舌が出て、源蔵の足を舐めた。
――喰われる!
なすすべもなくそう思った矢先、唸り声が響いた。
周りを取り囲んだ人々が一斉に地面を見つめている。源蔵も見た。
子犬がいた。こげ茶色のフカフカの毛は見覚えがあった。
「太郎丸?」
源蔵の言葉に反応したようにワンと吠えた。太郎丸は、源蔵が幼いころに飼っていた犬の名前だ。溺愛していたが、ほどなく病気で死んでしまったのだ。それが、今、目の前にいて源蔵を守ろうとするように周りに威嚇している。しかも、取り囲んでいた村人たちが明らかに慄いている。
またワンと吠えた。
村人たちが下がった。明らかに怯えている。
太郎丸がとびかかった。源蔵を掴んでいる女の腕だ。ブツリという音とともに腕ごと源蔵が地面に落ちた。太郎丸が噛み切ったのだ。
呆然とする源蔵のそばに太郎丸が近づいた。
「源蔵」
太郎丸が喋った。
聞き覚えのある声だ。
「源蔵。しっかりしろ。これは幻術だ」
太郎丸は吠えながら言った。
「さぁ、思い出せ。わたしの名を。そして口に出すんだ。さぁ」
周りを取り囲んでいる人々が、一斉に襲い掛かってきた。
「名?名は…」
源蔵の口から言葉が漏れた。
「…おねえちゃん」
声は、左側からした。
左には、土間の続きと先に出入り口が開いているだけだ。人影は見えない。
「ここだよ」
笑いを含んだ声で呼びかける。
何かが動いた。天井近くの梁だ。
「お梅…」
呆然と呟いた声は、天井を覆う暗がりの中に吸い込まれた。
梅は、お文の妹だ。最後にあった時、確か数えで五つか六つの年だったはず。何十年も前なのに変わっていない。
「久しぶりだね。どこ行ってたの?寂しかったよ」
どこか作り物めいた嗤いを張り付けたまま、ゆっくりと降りてきた。顔だけが。体は闇に消えて見えない。
「ワシらのとこに帰ってきたみたいじゃな」
お文は、ハッとして声のしたほうを見る。
一番奥の部屋、父が寝ていた部屋に後ろ向きに正座している人物がいた。
「お、おとう…」
お文は、震える声で言った。
「震えているのか?何をそんなに怯えている?お前の家に帰ってきたんだぞ」
相変わらずおとうと呼ばれた人物は、後ろ向きだ。
「う、嘘よ!おとうもお梅ももう流行り病で死んじまったはず!それに家ももう無いわ!」
「ケケケ」
「フフフ」
おとうもお梅も嗤っている。
「お前は捨てたのさ。親を」
「ねえちゃんは、捨てたんだ。妹を」
「違う!」
お文は叫んだ。
「見捨てたのさ」
「自分だけ逃げちゃったんだね」
「違う!」
お文は叫びながらよろよろと後ろに下がった。背中に何かが当たった。かまどだ。そこに大きな鍋がのっている。腕を掴まれた。
「ひっ!」
鍋から手が出ていた。
顔が飛び出した。半分溶けかかっている顔だ。
「よく帰ってきたねぇぇぇぇぇ」
妙に間延びして聞こえる声は、母親のそれだった。
「さあ。これで家族がそろった」
いつの間にか父親が目の前に来ていた。首だけがぐるりと背中側を向ていた。
「おねえちゃん、遊ぼう」
お文の足にすがりついて、お梅は言った。
意識が遠くなりかけた。このまま取り込まれる、そう思った。
――お文さん
閉まっていた引き戸が開いた。
――お文さん。俺だ
ゆっくりと水の中を泳ぐようにこちらに来る人物がいる。
「誰?」
その人物は、ゆらゆらと陽炎の如く揺れながらこちらへ来る。摩訶不思議なことに角度によって顔かたちが違う。ある時は、がっしりとした中年の男。ある時は、背の高い色白のうりざね顔の男。どちらもどこかで見覚えがあった。
――お文。思い出せ
――おふみさん。思い出すんだ
声は別々に、だが同時に聞こえた。
「お文。逃がさないぞ」
「おねえちゃん、一緒にいよう」
「またわたしたちを捨てるのかい」
怨嗟の声は、お文の体にまとわりついた。声だけでなく、お文のすべて、魂魄までをも取り込もうとしている。
――さあ
――さあ
男はゆっくりと近づきながら手を伸ばした。
お文も懸命に手を伸ばした。
お文は男の手に触れた。
おはなは、水中にいた。
手はひかれたままだ。
そのまま、逆さになって水底へ進んでいた。
真っ暗な水底は、一寸たりとも見えない。ただ、手だけがその暗闇から伸びておはなを引っ張っていた。不思議と息は苦しくはない。ただ眠たいだけだ。このまま手を引かれていけば、二度と目が覚めないだろう。漠然とわかっていた。しかし、それもいいかもしれないとぼんやりと考えてた。
――おはなさん
声が頭に響いた。
――おはな
別々の声だ。中年の男の声と若い男の声だ。どちらも聞き覚えがあった。
――目を覚ますんだ。おはなさん
中年の男の声が言った。
――おはな。目を覚ませ。これは幻術ぞ
若い男の声が言った。
「知っているわ」
おはなは答えた。
――ならばなぜ
「もう嫌なの。疲れたの」
おはなの声に泣き声のような緩んだ音が混じる。
「これ以上、何も見たくないの」
駄々っ子の如く首を左右に振った。
――甘ったれるんじゃないよ、縹
しゃがれた老婆の声だ。
おはな――縹の両眼がカッと開いた。
――旦那の仇は取らなくていいのかい?あたしや死んだ夫の授けた術は無駄だったのかい?だとしたら、とんだ茶番さね
「もういいの…」
弱弱しい声は、老婆のだみ声にさえぎられた
――いや、よくないね。あんたは、何としてでも敵を討たなければいけないのさ。
「どうして?もういいのよ!何もかも」
――死んだ人間のため。そうしてもうひとつ、一番大事なのは……
縹は言葉に詰まった。瞳から熱いものが流れ出るのを感じた。
縹は、小さくうなずいた。
目の前の景色が一点、光を帯びた気がした。
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