五章
第55話 願いは罅割れて―1
「
「駄目です、閻魔王」
「ええい!
「いえ、なにも」
「早くしないと平助が京へ戻ってきてしまう。もうすぐ、新入隊士を引き連れて江戸を経つぞ」
冥界の閻魔王庁では、閻魔王の指示の元、雷微と総司の探索が続けられていた。
冥界や異界、神仙の住処にまで探索の手を伸ばしたがみつからないということは、人界に居るのだろう。
同時に、四神と天帝に正式に『雷微討伐』の協力依頼を出していた。
篁とともに空中戦を展開した青龍と白虎は、篁が負傷したときに彼らも同時に負傷した。
神である彼らは死ぬことは滅多にないが、しかし不死身ではない。瀕死の重傷を負うことはまれにあり、神気がすべてなくなってしまうと強制的に転生させられる。魂と記憶を受け継ぐ別の神が現れる。
十二神将の中でも戦闘を得意とする神は、悪しきものと接触する回数がおおいため、転生を経験している者も数名いる。
「白虎と青竜が転生ということになったら……晴明が悲しむ……」
現在、負傷した彼らは神界の奥深くへ退避し、療養にあたっている。彼らがここまでの怪我を負わされるのも珍しい。
しかし回復がはやく、青龍が「自分の張る結界は雷微の雷撃を弾くことができる」と伝言を寄越したし、白虎は「雷微に僅かながらも傷を負わせた。どこかで休んでいるのではないか?」と言ってきた。
神によってつけられた傷は、そう簡単には治らないのだ。斃すなら、今が好機である。
「なにより、特殊な武具をつかわなくても十二神将の力で雷微を弱らせることが可能だとはっきりした。これだけのことがわかり、更に弱っているであろう今、雷微を討たずしてどうするか!」
閻魔王は、天界の最高権力者・天帝に詰め寄った。密かに何度も出していた「協力依頼」を黙殺されて、ついに怒ったのだ。
「閻魔よ、雷微真君が何者かしらぬわけではなかろう?」
「……元は中央守護神黄龍だったかもしれないが、今では単なる妖怪に過ぎぬぞ。玉座を欲し、権力を狙い、人心を惑わせて人命を奪う。そのような輩を、何故人界にのさばらせておくのか!」
「その程度では天界は動かぬ。少なくとも、余が動かねばならぬほどの出来事ではない」
「そうではない。何故、四神に、十二神将に、討伐許可を出さぬのだ。そなたが一言『是』と言えば、済む」
閻魔王は、石の椅子に座ったまま姿勢も表情も何一つ変えない天帝に遠慮なく近寄り、その胸ぐらを掴みあげた。感情のない瞳が、閻魔王を見る。
「天帝、御託を並べずに雷微討伐の勅命を下せ」
「天帝たる余を脅迫するか。余がその気になれば、そなたの魂などこの場で消せるということを忘れたわけではあるまい」
「それがどうした。この魂が欲しいのならくれてやる。さあ奪え」
強引に、十二神将の『雷微討伐許可書』をもぎ取った閻魔王は、その足で四神の元へ向かった。
何事かと腰を浮かせる四神に、
「許可が下りた」
許可書を掲げて見せる。
天帝の御名御璽を確認した四神は、驚き、喜んだ。どうやら神とはなかなか攻撃的なものらしい。地獄の鬼たちの方が大人しいのではないかと、閻魔王は内心冷や汗をかいた。
「許可が下りたのなら、篁さま覚醒のお手伝いをしてもかまいませんね」
そう言って姿を現したのは、銀髪を腰のあたりまで伸ばした小柄な美女・太陰だ。
「わたくしが、気付けの術を施しましょう」
雷微渾身の攻撃を立て続けに浴びた篁は、未だ新選組の屯所で昏々と眠っている。その枕元に顕現した太陰は、篁と新八をざっと診て細い眉を震わせた。
「何と酷い……魂を異界に縛り付けている……。無理やり、妖に改造しようとしたのね。許せない」
呟いた彼女は、妖艶な舞いを舞った。
舞いながら十分に霊力を高め、屯所中の淀みきった空気を清浄なものにした太陰は、白い指で素早く印を結んだ。手にした呪符で篁の額や胸を優しく撫で、次いで新八にも同じようにする。淡い銀色の光が室内を満たす。
「篁さま。それから永倉新八。そろそろ起床の刻限ですよ。いつまでもそこに留まっていてはなりません。起きなさい」
太陰が立ち去った翌日、まず新八が目を覚ました。
「うおお、近藤さん、新八が目ぇさましたぞ!」
半泣きになった左之助が局長室へすっとんで行った。
「なんだと! すぐに行く」
ちなみに新八は『祇園に居続け』ということになっているのだが、そんなことはすっかり忘れてしまっている二人である。
そして新八から遅れること三日。ようやく、篁も目を開けた。
「う……俺、どうしたんだっけ……?」
「篁さん、うおおお……良かった……」
局長が、大泣きしながら言った。篁が覚醒したことが、素直に嬉しい。
だがもう一つ。
土方歳三の一行が、江戸を経ったと知らせがあった。つまり、藤堂平助が京へ戻ってくる。それまでに雷微を倒してしまわなければならない。相手が人間なら、何とでもするが妖怪である。篁と総司と新八の力がなくては、どうにもならないのだ。だから本当に、安堵した。
「あのさ……あいつ……総司はどうした……? やけに邪悪な気を纏っていたっけ……」
「篁さん……すまねぇ。俺らも全力で捜索してるんだが……総司は行方不明だ」
篁がぎゅっと目を閉じ、ため息をついた。
「……雷微を倒すには、あいつが必要だ。すぐに探す」
布団の上に身体を起こそうとする篁を、局長が慌てて押し戻した。
「まだ起きてはいけません。もう少し、安静に……」
だが篁はゆるゆると首を振った。
「そうも言っていられない。平助がそろそろ戻ってくるんだろう? 寝ている場合ではない」
どうして、と目を丸くする近藤と左之助の目の前に、白い蝶がふわふわと、無数に飛んできた。
「全部、俺の式だ。何かあればすぐに伝えてくれる」
にっ、と笑った篁の顔は血の気こそ失せているが「いつもの篁」そのものだった。
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