第56話 願いは罅割れて―2

 生身の人ではなく謂わば『人外』であり桁外れの霊力を備えているとはいえ、篁は本調子とは到底言えず新選組の屯所で大人しくしていた。

 霊力がごっそりと落ちてしまい、屯所の結界を維持するだけで精一杯、妖狐や雷微を捜索するどころではない。

 みかねた十二神将たちがこまめに屯所周辺を巡回し、新選組隊士が発する邪気に惹かれる悪鬼怨霊魑魅魍魎を退治し、神聖な結界を編みなおしてくれている。

「あー、有り難いことは有り難いけど……お礼は雷微真君の封印でいいかなぁ……? 神をこき使って、対価なしってわけにはいかないし……」

「責任もって封印します、ってことでいいんじゃねぇか? 一番喜ぶだろ」

「確かに」

「最終的な封印は、篁さんじゃないと出来ねぇんだろ?」

「いや、そんなことないと思うよ。でもまぁ、この時代に顔見知りの陰陽師はいないから俺がやるのが一番早いとは思う。それとも、新八は陰陽師の知り合い、いる?」

 陰陽師!? と、新八の声が裏返る。

「いねぇよ、んなもん……知り合いは剣術馬鹿ばっかりだ」

「だよね……」


 篁と新八がいるのは西本願寺の境内だ。新八が素振りをしたいと言って屯所を抜け出すのをみつけた篁が、勝手にくっついてきたのだ。

 この西本願寺、近頃はすっかり参拝客も減ってしまい、ひっそりと静まり返っている。新選組が発する騒がしい声が、やけに大きく聞こえてくる。

「こうして境内に腰掛けているだけで篁さんの霊力が回復していくのが俺にもわかるぜ……さすがだな、お西さんは……」

 そう言う新八の能力も、雷微に監禁されていた間に悪い方に強化されている。

 妖たちが一層はっきり見えるようになったのだが、うっかりすると纏う気配が陰に偏り、妖たちを呼び寄せてしまう。そのせいもあって、思考が若干過激になっている。その作用もあって、局長の、一見のんびりとしていながら、武家として威張る姿がとにかく気に入らないらしい。

「新八の態度が刺々しいのは妖のせいだから気にしないように」

 と、幹部たちには伝えてあるのだが、両者の溝が深まって行くことを、誰もが気にしている。伊東派と近藤派があるだけでも厄介なのに、近藤派のなかで分断されるなどあってはならない。

(雷微のせいで、また絆が壊れて行く……)

 一刻も早く、雷微を倒さないと新選組が壊れてしまう。

 そう危機感を抱いた篁は、強力で神聖な結界の中に居たのではなかなか探れない妖狐の気配を探している。長年一緒にいる相棒の気配だ、多少変化していたとしても探り当てる自信はある。

 また、こうやって結界の外に居れば、雷微が襲ってくるかもしれない……そう期待しているのだが。

「今日も一日、霊力を高めただけで終わりだな」

 篁が、うーん、と気持ちよさそうに伸びをした。その整った横顔に傾きかけた日が当たる。きゅっとまぶしそうに眼を細める。

「そうだ、新八。そろそろ平助たちが戻ってくるんだよね?」

 ああ、と新八が頷く。新入隊士はなんと五十三人、屯所へ迎え入れる準備は大わらわである。 

「篁さん、総司の野郎はどこで何してるんだ……? まさか、本当に雷微の傍に戻っちまったのか……? 俺たちを開放する代わりに傍に居るから、とかなんとか言ってたろ……?」

 顎に人差し指をかけて何やら考えていた篁が、小さく頷いた。

「俺が思うに……あいつは、雷微の居場所を知らせようとしてるんじゃないか……?」

「へ?」

 素っ頓狂な声を上げた新八に、篁は不敵な笑みを浮かべた。

「あいつだって、俺が相棒の気配を探ることが出来るって知っている。自分の居場所を俺が探れば、それはすなわち雷微の居場所にたどり着く……んだと思う。それに、妖狐族が獲物や敵の在り処を、離れた場所にいる仲間に伝えるときに使う手段がこんな……自分の妖気を強く放って導く感じだったと思う……」

 へえ、と新八は目を丸くした。

 妖怪とは日頃彼らが狩っている奴等のように単体で欲望や本能のままに動くか、或いは雷微たちのような主従で行動するものだと思い込んでいたが、そのような連携を取るとは思いも寄らなかった。

「知らねぇ事の方が、多いな……」

「あのね、新八。知らなくていいんだよ、そんなことは」


 ふと、新八の脳裏に、かつて歳三が半ば趣味のようにして立てていた「計画」のいくつかが浮かんできた。

 その中に、簡単だが効果的なものがあったのを思い出す。それを、囮作戦、と歳三は呼んでいた。

「なあ、篁さん。沢山の数の妖怪を一箇所で斬ったら……雷微は興味をもって出てきてくれねぇかな」

「え?」

 一度結界を解除して、屯所で盛大に妖怪を狩り、隊士の切腹を行う。きっと雷微は興味を持つ。そうして雷微がやってきたところをまるごと結界で覆ってしまえば雷微を捕えることになる――言いながら、新八が苦笑いを浮かべた。


 屯所を守る結界を解除した瞬間、大小さまざまな妖が雪崩のようにやってくるに違いない。隊士を切腹させると言っても、簡単なことではない。

 蛤御門の変以来、都を徘徊する妖たちの数が激増した。その中には新選組に強い恨みを持ったまま死に、鬼や怨霊と化した者も少なくない。

 彼らは容赦なく局長を襲い、隊士を襲うだろう。その気配を察した雷微やその手下たちは、新選組襲撃に手を貸すだろう。

「屯所や隊士たちが囮、か……ふうむ……」

 ぽつぽつと新八が語るのは、無茶な計画だ。だが、それでもやってみよう、と思った自分に、篁は驚いた。

「新選組に感化されたか、この時代に馴染んだか……あーあ、俺も落ちぶれたなぁ……」

「くっ。よく言うぜ、篁さん。京の人々をどんな手を使ってでも雷微から守りたいって素直に言やあいいのによ……」

「やかましいぞっ、新八っ!」

 ごつん、と、新八の頭が鳴った。

「いてぇ! 泣く子も黙る新選組の幹部に拳骨落とす命知らずは、篁さんくらいだぜ……」

 涙目の新八が、呆れた声を出した。だがその顔は、すぐに引き締まった。

「それにしても……妖が増えた……」

 そろそろ、夜がくる。

 西本願寺周辺にも、無数の妖たちが姿を見せはじめている。

 新八は最初、先だっての政変にともなう火事で町を焼かれたり巻き添えを食って殺されたりした、罪のない人々が嘆き哀しんで妖になったのかと思った。

 だが、彼らのほとんど全員が素直に閻魔王のもとへ行ったと聞いた。

「生き残った町の人もすぐさま町の復興にとりかかったため、妖と化した人は殆どいないんだよな……。京の人々は強いな」

「そうだね。それは俺がごく普通の人として暮らしていた頃から少しもかわらない。だからこそ、雷微なんかにくれてやるわけにはいかないんだ」

 計画を立てたからにはやってみようじゃないか――そう言った篁がすっくと立ち上がり、右手を宙に掲げた。

「え、え? 本当にやるのか?」

 驚いた表情の新八に向かって、うん、と、篁が頷く。

「四神、もし良かったらここへ来て欲しい」

 その言葉が終わらないうちに、強烈な神気がその場に舞い降りた。

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