第51話 小さな歪み―1

 江戸で療養中の藤堂平助が集めておいた入隊志願者の選考のために江戸に着いてはや数日。

 その頃、土方歳三は沈痛な面持ちで項垂れていた。ようやく平助に、サンナンさん切腹までの一部始終を話して聞かせることが出来たのだ。

「平助、お前が兄と慕っていた人を殺したのは俺たち……いや、この俺だ。許してくれ」

 がばっと頭を下げた歳三に、平助は慌てた。

「頭をあげてよ! 新選組副長がこんな、駄目だよ! 誰かにみられたらどうするのさ!」

 もう一度すまないと詫びてからゆっくりと頭を上げた歳三は、やはり、と内心溜め息をついた。


 泣かないだろう、とは思っていた。

 小柄で色白の美男、という外見に反して、平助はだれよりも勇ましく己に厳しい。先駆け先生、なる一見不似合いな渾名で呼ばれているが、まさにその通りで、何か変事があれば真っ先に駆け付けるのである。

 そこには、腰に二本を差して会津藩お預かりになった以上、武士として振るわねばならぬと、固く己を律する強さがある――と言ったのは、山南敬介だっただろうか。

 それは平助の強い意思というものもあるが根底に流れるものは。

(平助の生まれ、だろうな)

 と、歳三は思っている。平助の武士であろうとする姿勢を見ていると、さる藩の藩主の御落胤というのもあながち嘘ではない気がする。しかしそのせいで、本人は幼い頃から随分苦労したようではある。

(やはり俺たちとは生まれが違うな……)

 昔は、それが誇らしくあった。そんな生まれの男が自分たちと志を同じくして一緒に活動しているのだ、それが誇らしいときもあった。

 だが、歳三の胸の内を苦いものが走るようになったのは、最近だ。

 池田屋で負傷した平助の話をどこで聞いたものか。藩邸へと引き取りたいと、伊勢津藩藤堂家からこっそり打診があった。その時に、身分というのを改めて意識した。

 そのころからだろうか、学のある伊東甲子太郎にやたらと敵意が向いている。平助が、そちらへ靡く気がして仕方がないのだ。

 学なんぞいらねぇ、議論なんざ冗談じゃねぇ、と吐き捨てる一方で、城に居る頭の固い爺さん連中や、のらりくらりとしている中立派の連中を納得させられるだけの知恵を、近藤勇につけてやれないのがもどかしい。

 だから伊東の「知恵」がどれ程ありがたいかも、充分に解っている。仲良くすればいいと解っていながら、伊東が鬱陶しい。

「はっ……俺も、おしまいかな」

 苦笑と共に思わず洩れた言葉に、平助が首をかしげた。

「どうしたの?」

「いや、己の不甲斐なさを反省してたのさ」

「鬼副長に反省は似合わないけど、土方さん、いつも反省してるよね」

 平助がくすくす笑って、だらしなく足を崩した。

「いいんだよ、どんな理由であれ、山南さんは屯所を脱走した。隊規違反は切腹。昔馴染みだからって特別に許されることじゃない。トシさんが心を痛める必要はないんだよ」

「だけど!」

「芹沢さんを斬った時に気が付けばよかった、妖怪が育つのに気が付けなかった、守れなかった、いつも近くに居たのに、って言いたいんでしょ?」

「妖怪、のくだりはお前にも……」

「たまたま、なんだよ。山南さんに怨念が取り憑いて体内で育てたのも、おれに妖種子が植えつけられたのもね」

 そう笑う平助だが、しかしそこに陰が落ちているのを歳三が見逃すはずはなかった。

「……平助、おめぇ、一体何考えてやがるんだ?」

「ん? どうしたら鬼の副長が戻ってくるかなって考えてるよ」

「違う、そうじゃねぇだろ」

 もっと大事な話があるはずだ、と詰め寄る歳三。困ったな、と笑いながら首をかしげる平助。

 そのまま、二人じっと向かい合ったまま、時間が静かに流れた。

 先に口を切ったのは、歳三だった。平助のどこまでも穏やかな顔が、気になって気になって仕方が無い。

「……胸の内で考えていることを、洗いざらい聞かせてくれ、平助。もうわけのわからねぇ理由で仲間を失うのは……こりごりだ」

 雷微が、憎い。歳三ははじめて強く思った。


 その思念を察知したわけではないだろうが、雷微はご機嫌だった。なにせ、己を邪魔する「憎き者ども」はいずれも戦闘不能である。

 若干の脅威である妖狐も、あそこまで妖力が爆発して本能が剥き出しになってしまっては、人としてやっていくことは不可能だと思われる。

「雷延、今日は心地よいな。勝利の美酒よ、呑め」

「はい。ありがとうございます」

「しかし四神の半分が戦闘不能だというのに結界は緩まぬか……」

 これでは京の都から出ることがかなわない。

「はてさて……どうしたらよいかな……。朱雀と玄武を倒すには力が足らぬし、さすがに十二神将や晴明が出て来るであろうし……」

 顎に指をかけて首を傾げる雷微の横で、雷延が水鏡を操っている。

「雷微さま、長州征伐が行われると見てよろしいかと」

 にやり、と雷微が笑う。戦が起これば陰の気と怨念が大量に撒き散らされる。それらはすべて、雷微の力となる。

「尊王など面白くもなんともないが……戦の成り行きを見守ろうぞ」

 楽しげに、扇を振るう。

 妖や鬼を狩る者がいなくなった地上には、悪しきものが蔓延っている。これらが見えない人間たちは、いっそ幸せだろう。

(さあ、閻魔よ。どうでてくるかな……?)

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