第50話 平助が戻るまでに……―3

 どこからから、三味線の音と唄が聞こえる。それを耳にして、ふと思い出す顔がある。

(姫は元気にしているかな……)

 最初に四神の力を借りてみては、と言ったのは実は、常葉姫だった。

「ええっと、嵯峨天皇のお願いは長きにわたり聞いてくださっているのでしょう? 丁重に頼めば、今度も動いてくれるかもしれませんよ」

 珍しくふらりと冥界へ戻って来た篁は、雷微に逃げられて不貞腐れていた。

 纏う気配が陰に傾き、顔色も悪い。

 部屋の片隅で寝転がっている篁の背中にそっと手を添えた姫が、屈みこむようにして囁く。

「藤堂平助さまが京を立つ時、結界の強度をきちんと教えてくれたのでしょう? どこまで守護できるか、教えてくれたのでしょう? 次も大丈夫ですよ」

 片目をあけた篁の傍で、姫が琴を爪弾く。それに耳を傾ける篁の表情が次第に柔らかいものになる。

「四神、動いてくれるだろうか……? 」

 駄目で元々、面会に行って御覧なさいませ、と、そっと太刀を手渡された。

「知恵を授けてくれた姫に、土産は何がいいだろうか」

 背中に乗せた篁の独り言に、白虎が反応した。

「常葉姫とか言ったか。あの姫君への土産なら……頻繁に帰宅することだな」

「え?」

「姫が、いつも嘆いているのを知らないのか? 篁さまはご無事なのか、連絡が無いからちっともわからない、だそうだ……」

 うう、と篁は唸ってぽりぽりと頬を掻いた。

 山南敬介の切腹、屯所の移転、伊東の暗躍、トシの江戸行き、総司の体調不良――。

 さまざまな出来事が相次いで起こったため、殆どの時間を屯所で過ごしている。

「雷微の片腕でも引きちぎることが出来れば、意気揚々と凱旋できるんだけどなぁ……」

「くくっ、随分物騒な物言いだな。さては新選組に感化されたか?」

「こう見えて俺、それなりに過激だよ。宮中では大人しくしていたけど。新選組の連中のやり方を見ると、手ぬるい、って思うこともあるし……」

 そうだった、と白虎が忍び笑いを漏らした。

 この男は、上司と喧嘩して遣唐使船を勝手に降り、挙句、時の朝廷を風刺する詩を読んで配流された男だ。大人しいのは見た目だけである。

「さすが、跳梁跋扈する宮中で強かに生きのびただけのことはある」

 言いながら白虎が宙を駆ける速度を上げた。


 逃げていく雷微と、それを追う青龍、その後ろに続く白虎と篁。

 それらを、総司は地上から見上げていた。妙に胸騒ぎがする。

 時折、雷微の放つ雷撃が空を斜めに切り裂き、扇から吹きだした百鬼夜行が篁たちに襲い掛かる。

 それを防御して受け流し、篁が愛刀を巧みに操り応戦する。風に乗って怒声や気合、大気の震えが地上にまで届く。

「ああ、篁、がんばって……」

 今の総司に与えられた仕事は、地上に落ちてくる雑鬼や妖、それから不逞浪士を倒すこと。そのために人間の姿でいなくてはならない。宙を駆けて応援にいけないため、篁の無事をひたすら願う。

「篁よ、神の端くれを二人も引き連れていながらその有様か」

 異常に濃い瘴気をその身に纏い、余裕たっぷりに雷微が笑う。夜目にも鮮やかな朱色の口唇が吊り上る。

 篁が何事か呟き、青龍が大きく身を捩って雷微の身体に己の長身を絡めた。

「ふ、さすがは神、我の身体に触れたのはそなたらだけよ」

「くらえ、雷微!」

 霊力が蓄えられて青白く発光する刀が、動きを封じられた雷微の首元に叩き込まれたのと、総司が駆け出したのとが、ほぼ同時だった。

 総司は、連日連夜刀を握っている。当然敵を斬るし、巡察で仲間が斬られることだってある。

 その、仲間が目の前で斬られるときには、決まって同じ予感がするのだ。

 心ノ臓がどくりと大きく脈打ち、周りの音がすうっと消える。あ、と思った時には敵の刃がゆっくりと仲間の体に吸い込まれ、血飛沫と共に引き抜かれているのだ。仲間がどさっと倒れてからは、音も感覚も全てが元に戻るのだが……。

 総司の心ノ臓は先ほど大きく跳ねた。首筋がざわざわとして落ち着かない。

「まずい……篁、神様たち、気を付けて……」

 睨みつけるように見上げた先の大気が大きく乱れた。怒号と悲鳴と妖気が絡まっている。


 たかむら、と叫んだのは己だったか、神だったか。


 闇の中に、墨染めの衣がはためく。驚愕に見開かれた瞳が、勝ち誇った表情の雷微を凝視しているのがはっきり見えた。雷微の手に握られた刀は『神殺し』の力が宿っているらしい。

 さかさまに落ちてゆく篁の体に、少し遅れて青い衣の青年と白い衣の青年が続く。

 必死で腕を伸ばす総司の頬に、ぼたぼたぼたっ、と液体が降り注いだ。良く知っている臭いだ。

「たっ、たかむらぁ!」

 無意識に妖術で彼らを包み落下の衝撃を和らげた己の『妖狐』としての本能を、これほどありがたいと思ったことは無い。

 本性にかえって気を失っている三人を背中に乗せて安全な場所へ降りる。

 神気が剥き出しの神を二人も乗せるのは激しい苦痛だが、それよりなにより、三人の命を助けるのが先だ。

 ゆったりと地面に並んだ三人はいずれも体中に深い裂傷を負い、夥しい血が流れている。

 地面があっという間に血で濡れていく。ことに篁は傷が酷く、見る見るうちに血の気が失せる。その顔は、酷く冷たい。

「大丈夫? ねぇ、青龍も白虎も……」

 つんつん、と順番に鼻先で突いてみるが、硬く目を閉じたまま動かない。

「篁? ねえ、起きてよ、篁……」

 妖狐の悲痛な叫びが闇夜を切り裂いた。


 妖狐の慟哭を聞き付けた新八は、伊東一派と局長の見張りを左之助に――彼だけでは激しく心もとないので井上源三郎にも――任せて屯所を飛び出した。

「総司、どうした? 何があった?」

 屯所を出た途端、濃い妖気と瘴気とが体に絡み付いてくる。

「鬱陶しいぜっ」

 閻魔王が鍛えたという、妖狩り用の黒刃の刀で宙を凪ぎ払う。

「くそ、ただ切るだけじゃ……」

 抜き身を引っ提げたまま全速力で本能の赴くままに走っていた新八の足が急停止した。 

「そ……総司、なのか?」

 どす黒く渦巻く妖気をその身に纏い、激しい殺意を剥き出しにした巨大な狐……無数の火の玉を従え、赤い目をした白銀の「化け狐」がそこには居た。

「どうしたんだ、これは?」

 不測の事態が起こり、妖狐が本能の赴くままに変化したのだ、と側を駆け抜ける小さな妖怪が新八に囁く。

 いつもの仔狐姿ではなく明らかに好戦的で妖気剥き出しの妖狐は、何かを大事そうに前足の間に置いている。

「雷微、絶対に許さないぞっ!」

「くくっ、妖力が暴走したそなた、いつまで人のふりが出来るかな? くくく、楽しいのう。おや、新八もお出ましか。新八も、もうすぐ戻ってくる平助も、我が一族に加えてやろう」

「雷微、降りてこいっ」

「断る」

 楽しげな声と同時に、遠近問わず、方々で落雷があった。妖狐が怒りの咆哮をはなち、だが、陰の気を纏ったそれは、雷微に惹かれて集まった妖どもに力を与えてしまう。

 その妖どもは、新八に焦点を定めると一斉に飛びかかった。当然それを予測していた新八は素早く飛び退いたと同時に刀を縦横無尽にはしらせる。

 妖怪たちが、あっという間に切り刻まれていく。

「おい総司、何やってんだ、人に戻れ! 篁さんたちを、はやく松本先生のところへ連れていけ!」

 だが妖狐は動こうとしない。鼻面で篁の体をそっと揺すり、悲しそうな目をしては咆哮をあげるばかりだ。しかしその咆哮が問題で、妖たちがぞろぞろと姿を表し新八を襲う。

「総司、仔狐でも人型でもいい、いつものお前に戻れ! こら、総司! 聞いてんのか!」

 怒鳴りながらも鬼を切り捨てた新八に、どこから現れたのか巨大な三つ目の犬が体当たりをした。

 さすがに堪えきれずもんどりうった新八の喉笛めがけて犬の鋭い牙が迫る。

 ああ、あれでがぶりとやられる。下手したら、ここで終わりか。

 そう覚悟した新八の首筋に、刀で斬られたのとは違う鈍い衝撃が走り、新八の意識はそこで途切れた。


「篁も、神も、新八も、妖狐も、いずれも戦闘不能。あっけないものよ……」

 上空で見ていた雷微が喜んだのは言うまでもない。


 もし、「時の流れ」というものの音を聞くことができる者がいたとしたら、みしみしと嫌な音をたてるのを聞いたに違いない。

 池田屋に斬り込んだ時に新選組が引き寄せたかに思えた「時の流れ」が、ゆるやかに、しかし確実に彼らの元を離れようとしている。


 幕府軍が長州を徹底的に叩くか否か――長州が幕府に対抗するために軍備を強化していることは既に知られている――が議論される中、それでも巧みに京に忍び込んでいる倒幕派の大物志士たちがいる。

 例えば、坂本龍馬や中岡慎太郎たちである。彼らが躍動することになり、佐幕派である新選組は苦しくなって行く。


 そして、伊東甲子太郎の参入により新選組そのものの雰囲気が変わってきている。

 伊東一派と近藤一派を結んでいるのは「攘夷」という点である。

 だが、近藤派は、幕府を護った上での「攘夷」であるが、伊東一派は尊王、つまり倒幕と攘夷である。

 自分たちが担ごうとするものが根本から違うのだ。

「新選組を尊王攘夷の組織へと生まれ変わらせて私が率いようと思っていたのだが……これでは駄目だ」

 伊東はそう思っているし、土方歳三はその伊東の思惑に気が付いているから

「倒幕なんぞ冗談じゃない」

 と強硬に反発する。両者が交わることは、まずないのだ。


 そこへ、事態をややこしくしているのが雷微である。

 雷微には、人々の関係性や思惑は気にしない。混乱が深まれば深まるほど面白がり、篁に復讐することを楽しみとしているからだ。

「妖狐が化け狐となり、篁と新八が死んだと聞かされたら……奴らはどんな反応をするかな?」

 雷微は江戸の方へ視線を投げた。

 放った式が伝えてきたところによると、歳三と平助は合流して一緒に新入隊士を募っているらしい。

「平助が戻って来れば……奴も我の手駒よ……」

 そのあとどうしようか、と雷微は考える。攘夷に興味はないが――。

「本来なら天皇の座に就くのは我であった。その座を我が拝借しても問題あるまい……?」

 ならばやることは決まった。

「尊皇派を一掃せねばなるまい。雷延、そなた、尊皇派とやらの一覧表をつくれ」

 闇の中で、雷微が実に楽しそうに嗤った。

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