第37話 転機と暗雲と―1
「近藤先生、まだかなぁ。今、どうしてるのかなぁ」
「総司、近藤さんはここを出立したばっかりだろうが!」
「そうですけど……。あーあ、ぼくや篁が一緒だったらあっと言う間に空を駆けて新入隊士を連れて来られるのに」
文机の上に寝そべる妖狐の口を、土方歳三が慌てて塞いだ。
「ばっ、ばか。そんなことをしてみろ、奇妙すぎるだろうが。怪しまれることは慎め」
希望を言ってみただけなのに、と拗ねた妖狐が狐火を立て続けに放つ。
「ぎゃーっ、やめろ、すぐに消せ! いや、障子を閉めろ、襖を……というか、人に戻れ!」
「はぁい……」
ここは新選組副長土方歳三の部屋である。
彼は今、柳眉をこれでもかと言うほど上げたり下げたり寄せたりしたあと、筆と帳面を握り締めていた。
局長が隊士募集のために江戸へ行っている今、彼は組を預かっているのだ。
何かあってはならない、隊士の気が緩んではならない、新しい隊士を迎えるにあたっての準備を抜かりなく……などなど思っているのだが。
「ああ、勝ちゃん……非協力的な奴等ばっかりだぜ……」
そう嘆く歳三の背中に凭れるようにしてだらしなく座っているのが、沖田総司。
総司の向かい側に端座しているのが斎藤一。ただし、刀の手入れの真っ最中である。どうしてわざわざ、ここで手入れをするのか不思議である。
そして、日の当たる縁側で、お腹を出してごろりと寝そべっているのが原田左之助で、そのすぐ隣で胡坐をかいて瞑想しているのが源さんこと井上源三郎。
……緊張感など、皆無である。
「あーあ、けど本当につまんねぇよぅ。あいつら、早く帰ってこねぇかな」
「ふむ、原田さんの場合は、悪友の永倉さんと平助が二人ともいないんだ、つまらなさもひとしおだろう」
「おいおい斎藤、悪友ってこたぁねぇだろう」
がっはっは、と豪快に笑う左之助と、ふっ、と唇の端で笑う斎藤の間に、総司が割り込んだ。気が緩んでいるのだろう、人間の姿をしてはいるが、白銀の耳と尻尾がはえている。
「それを言うなら、ぼくだってつまらないよ!」
「……なぜだ、化け狐」
ちなみに、斎藤一は妖狐が大嫌いであるらしいが、総司は斎藤が大好きである。
「近頃サンナンさんはお部屋に閉じこもりがちだし、土方さんはこんな感じでつれないし、篁は平助が心配だとか言って江戸へ行っちゃうし! こんなぼくこそ、かわいそうだと思いませんか?」
「おいおいそれを言うなら、総司の子守を押し付けられた源さんこそが、気の毒だぜ」
「ははは! さすが左之助、わかっているねぇ」
「ふふふ……」
「ははは」
居残り組の幹部は、試衛館以来の仲間だ。殆どが一箇所に集ったことになるのだが、そんなに広くはない部屋。
体格のいい男ばかりが集まれば、むさ苦しいだけである。
それにくわえ、ぎゃあぎゃあと誰か彼かが喋りまくるので、喧しいことこの上ない。
(くそっ、サンナンさん、総司のヤツを引き取ってくれりゃいいのに!)
歳三が握りしめた筆が、ばきゃっ、と音を立てて折れた。
さっきまでここに山南敬介もいたのだが、あまりの騒々しさに逃げ出してしまった。彼は最近、体調が思わしくないらしい。
(サンナンさんも、療養したほうが良いんじゃねぇかな……? 今屯所をあけられたら、俺が困るけど……)
あまりの喧しさに集中を乱され、読まねばならぬ文や書類は一向に読めず、書き損じた紙はこんもりと小山を作っている。
「井戸端会議なら外でやれ! 斎藤、左之は巡察! 総司は冥土へ行って雷微とやらの動向を探ってこい。源さん、茶を頼む」
歳三に怒鳴られて、幹部たちがわっと外へ飛び出した。
だが、翌日になればまた、同じことが繰り返される。
「一番かわいそうなのは、俺にきまってんだろうが!」
堪りかねた歳三が文机をひっくり返して絶叫するのはこれからさらに半月以上も先になるのだが、流石の総司たちも度肝を抜かれたらしい。
「いいかっ! よくきけっ!」
激怒した鬼副長は、残った隊士を全員中庭にかき集めると、憤怒の形相で説教をはじめた。
「平助が寄越してきた文によるとだな、近藤さんは江戸で忙しく活動しているそうだ。我々は我々でやることが山のようにある。気を引き締めろ! 特に、総司、左之!」
「は、はい……」
「うへっ!」
鋭い眼光に鞭打たれた二人が亀のように首をすくめた。それを内心いい気味だと思いながら歳三は言葉を重ねた。
「今回は、
いきなり話を振られ、山南敬介は慌てた。
どこかで自分には関係ない話だ、と、思っていたからだ。
「え? あ、ああ。そうだね。トシのことだ、目を付けている物件があるんだろう?」
「ああ、幾つかあるにはあるが……ちっと厄介だ」
言葉とは裏腹に、歳三はにやりと楽しそうに笑った。これは、彼が何か計画を練っているときの顔だ。そしてそういう話は、たいてい面白い。
「私に出来ることがあったら、何でも言ってくれ。手伝うよ」
「もちろんだ」
このとき、敬介の胸のうちで――本人も気が付かないところで――暗い炎がぽつんと灯った。
それに気が付いたのは、他ならぬ総司だった。
(何か、良くない気配がする……)
ざわざわと首の後ろが逆立つような、冷たい手で背中を撫でられたような、そんな感覚だ。
(また、雷微の仕業かな……?)
用心深くサンナンさんの気配を探ってみるが、雷微の匂いは一切しない。
(……篁に会いに行かなくちゃ……)
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