第38話 転機と暗雲と―2

 ここ数日、やけに雷微が大人しい。姿を消してひと月は経つだろうか――。

 何をするかわからない相手である。だから妖狐が今、もっとも気にしていることのひとつではある。

 だが妖狐が最も気にしていることは、山南敬介のことである。

 近頃、床に臥せっているかと思えば縁側でじっと考え事をしていたりする。それだけでなく、彼が纏う気が日々「陰」に傾いているのだ。

「病を得ているときは陰の気が増すものなんだけど……」

 念のため、毎日敬介の部屋へいっては足跡で妖狐族に伝わる結界を結んでいる。

「安倍晴明の結界で護られた屯所だから、悪しきものがそう簡単に入り込めるとは思えないんだけど……」

 だが、屯所の中が清浄だとは言い難い。

 一角にはまだ、「妖種子の餌」が寝かされたままになっている。「器」である隊士が生きているし悪さをする気配も無いので、隊士が目覚めるのをひたすら待っている。このたっぷりとした妖気がサンナンさんに悪影を及ぼさないと言い切れないし、餌の様子を見に雷微がくる可能性もある。こんな状態のサンナンさんを、雷微に見せたくはない。

 もっとも、屯所の中にいてくれれば全力で護ることが出来る。だが、ふらりと外へ行ってしまう時が困るのだ。

 妖や小鬼などをありえないほど引き連れて帰って来るのは当たり前、げっそりと生気を吸い取られて帰って来ることもある。

 今日も、屯所に帰り着くなり蹲ってしまったサンナンさんの身体にまとわりつく、妖気の残滓。

「サンナンさん、大丈夫か?」

「ああ、トシ……」

「出かけるときは一言言ってくれ。総司をつけるから」

「私はどうしてしまったんだろうね? まるで自分の身体ではないような……」

 歳三と総司は、素早く目線を交わらせた。

 沖田総司が一緒で構わない時は、人の姿で。

 沖田総司が一緒では困るときは、妖狐の姿で。

(このままでは、近いうちに良くないことになる)

 総司の胸の奥で、警鐘が鳴り響く。

「こういう勘って、当たっちゃうんだよねぇ」

「頼んだぞ。俺はお前の勘を信じる」

 妖怪だからか、はたまた優れた剣士だからか。総司の勘は異常に鋭い。


 そして今回も、総司の勘は的中する。

 伊東大蔵改め、甲子太郎かしたろう一派の入隊決定を知らせる文が届いた。

 その知らせを聞いて、山南敬介の表情は一段と暗くなる。

 更に、人数が激増することを予想して、屯所を移転させる話が持ち上がっているのだが、その移転先の候補地が問題だった。

「本気なんだね、トシ?」

「……ああ。西本願寺と長州の奴らのつながりをぶった切る、いい機会だ」

「言っても無駄だとは思うけど……私は……反対とまでは言わないけど、賛成でもない。なにもわざわざ、喧嘩を売るような真似をしなくても……」

「……すまないな、サンナンさん」

「だめだよ、トシ、頭を上げてくれ! 副長が頭を下げているこんなところを誰かに見られたら大変だ」

 自室を尋ねて来て深々と頭を下げた歳三の頭をなんとか上げさせ、その肩に手を置く。

「大丈夫、君の考えはわかっているよ。言っておきたかっただけだから。君は君の思うとおりにしてくれたらいい」

 淡い笑みを浮かべてすっと立ち上がったサンナンさんの後姿に、歳三は一抹の不安を覚えた。

 近頃滅多に口を利くこともなく、それどころか顔をあわせることも、道場で剣を交えることもなくなってしまった。

 ついには「副長・総長不仲説」まで囁かれている有様だが、同じ志を持ち、一つ屋根の下で寝食を共にしてきた相手だ。今ここで彼を行かせたら取り返しがつかないことになると、歳三の直感が告げる。

「サンナンさん!」

 咄嗟に伸ばした右手の先を、サンナンさんの着物が掠めた。

「ん? どうしたんだい、トシ?」

「……いや、なんでもねぇ」

「近藤さんたちは、そろそろ江戸を出発する頃かな?」

「そうだろうな。平助を江戸へ残すのに難儀したそうだ」

 平助はきっと、自分も伊東一派と一緒に京へ戻れると信じていただろう。

 ぷくっと頬を膨らませる平助の顔が容易に想像できる。いったいどう言い含めて江戸へのこしたのだろうか。

「雷微が倒せたら知らせるから、とかなんとか言ったんだろうな、篁さんが。勝ちゃんや新八にそんな芸当ができるとは思えねぇ」

「うん、同感だ。あとで小野殿にはたっぷりお礼をしなくてはならないね」

「ああ。世話になりっぱなしだからな。まてよ、地獄の閻魔王とやらにも礼がいるか? 何が良いのだろうか」

 篁はともかく、閻魔王をどこぞの料亭に招くわけにもいかない。

「地獄の沙汰も金次第、というからね。やはりお金がいいんじゃないかな」

 ぷっ、と二人が同時に吹きだした。


 それから数日後。

 新しく江戸で迎え入れた隊士たちが、京へ到着した。

 学があり、剣の腕も立つ美男・伊東甲子太郎は、参謀兼文学師範という役割を与えられた。新選組に似つかわしくない役職である。

「勝ちゃん、じゃねぇ、局長! どうして文学師範なんぞを……」

「トシ、聞いてくれ。方々のお偉方と会談するときに、多少なりともそういう学があったほうが良いと、おれは思うのだ。だからトシ、お前も一緒に……」

「ふん、俺は奴の講義は絶対聞かねぇぞ!」

「面白いのになぁ……。隊士たちにも人気だぞ」


 近藤勇が、彼をとても気に入っているのがよくわかる。ことあるごとに参謀を呼んでいるのだ。

「局長が気に入っても……俺は気にいらねぇぜ……」

 歳三は、盛大にため息をついた。自分で淹れたお茶を一気に喉に流しこみ、ごろりとその場に寝そべった。

 いつもの通り、総司や斎藤一たちもいるが、誰も咎めはしない。

 とても、仕事をする気にはなれなかった。

 伊東甲子太郎という人物、有能なことは認めるが、どうも何を考えているのかわからないところがある。常に、弟である鈴木三樹三郎や、自身がひらいていた道場の門弟である篠原泰之進や加納鷲雄、内海二郎たちを引き連れている。

 文字通り「伊東一派」であり、彼らの人気が高まるにつれて隊士や屯所の雰囲気ががらりと変わってしまった。

「伊東さんと山南さんは、肌があうのではないかと思ったのだが……」

 意外だったな、と、源さんが言う。

「おう、俺もよ、サンナンさんと伊東とが結託して土方さんをやり込めるかと思ってたんだが、ところが調子が良いのは伊東と局長だけだったな……」

 面白くねぇ、と左之助も吐き捨てた。

 今日も山南敬介は臥せっている。


 そんな彼らの傍で、篁が難しい顔をしている。水鏡で、雷微の行方を探っているのだが、一向に見つからない。

「篁、雷微はやっぱり消滅したんじゃない?」

「いや、生きてる。あいつが簡単に、消えるとは思えないんだ……」

 雷微の執拗さは、身をもって知っている。

「雷微、今度こそ絶対逃がさないからな……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る