第20話 屯所へ急げ、平助を守れ―3


「つまらぬなぁ……」

 篁を少しからかった後、雷微はふわふわと京の上空を漂っていた。

 上空から見下ろす都は、見慣れたものだ。いつかこの都はすべてが自分のものになるのだと信じていた。いや、今でも信じている。

 天皇の血を引く者はそれなりにいたが、眉目秀麗で文武に優れた自分こそが玉座に相応しいと信じていたのに、父は臣籍降下を提案してきた。玉座につけぬ理由はひとつ――母の身分が低いからだと言う。

 雷微――いや、そのころは雷信親王と呼ばれていた――は、絶望し、怒った。

 父や母、兄弟姉妹を呪う術を、必死で学んだ。もともと術者としての才があったのか、あっというまにさまざまな術を身につけて、都を恐慌に陥れることに成功した。ただ、帝位を奪うまでには至らなかった。

 このときに己を成敗しようとしたのが、かつての同僚、篁だった。このときは両者痛み分け、雷信は異界へ逃れて静養と修行につとめた。

 それから時は流れ、華々しく復活した雷信は再び玉座を狙った。だが運の悪いことに、陰陽師が活躍する世の中になっていた。

 当然、十二神将を従えた安倍晴明がやってくるし、冥土からは小野篁が応援に駆けつけて来るし、とうとう勾玉に封印されてしまった。

「長く眠ったものよ……。しかし何度封印されようとも、何度でも蘇るぞ、玉座を手にいれるまでは……」


 決意を新たにした雷微の眼科では、新八と左之助が奮戦している。

 篁と総司は屯所に到着してしまったが、そこには続々と悪鬼雑鬼怨霊悪霊その他諸々が集まってきている。しかしいずれも雷微が望むものより、数段弱い。激昂した篁にあっさりと駆逐されるのが目に見えている。

「強いものはおらぬのか」

 はああ、と悩ましげにため息をつく雷微に、釣り目の付き人――雷延らいえんという名を雷微につけて貰った――が恐る恐る近寄ってきた。

「恐れながら。雷微様が発する気配が強すぎるため、恐れをなして出てこないものと思われます。気配を消されてはいかがでしょうか」

 雷微の切れ長の瞳がじろりと動いて、雷延を見つめる。

「……なるほど、一理ある。しかし、我が気配を断つと、妖種子が親をみつけられずに困るであろう……?」

「妖種子が自力で動けるようになるまで、もう少し、時が必要かと……」

「それよ。成長が遅いのが気になる」

 先ほど、藤堂平助の中に潜んでいる妖種子にあれこれと命じてみた。だが、これと言った反応がない。

 どうやらまだ、親の指示が聞けるほどに育っていないのだろう。

「いったいどうなっているのか……解せぬな……」

 宙に水鏡を浮かべ、藤堂平助の様子を眺める雷微の眼光が、ふいにきらりと輝いた。

 新選組が出陣の用意を進めている。不思議に思って周囲を探ってみれば、物々しく武装した人間が京の京へ近づいてきているのを感じる。

 いずれも怨念を抱えているのが明らかだ。

「ほう、ほうほう」

 にたあ、と雷微の唇の端が吊りあがった。新選組を、篁を、引っ掻き回して振り回すには彼らは最適である。

「よしよし……我が感情の箍を外してやろう。感謝するが良い。そなたらは最強であるぞ」

 手に持った扇をひらりと閃かせる。白い霧と共に白い人形がゆらりと立ち上がる。人の姿になったそれは、やはり釣り目で目じりが赤い。

「さあ、存分に働け」

 御意、と囁いた人形たちは武装集団に紛れ込んでいく。

 さっきまで雷微の傍でひれ伏していた男も、主に良く似た冷酷な笑みを浮かべ率先して長州藩士を煽っている。

「やりたいようにやるが良いさ。新選組は許しちゃおけねぇぞ。あいつらに朋輩を何人も殺されたんだ、何も我慢することはない!」

 その声に煽られるかのように、速度をあげた長州軍は大坂目前まで来ていた。


 憤激と絶望と憎しみとに彩られた長州軍が進軍中との話は京の都にも届いていた。

 人々は不安そうな顔をしているものの、表面上は恐慌状態に陥ることなく暮らしている。

 だが、新選組がいるから騒がしいのだと憎悪の目を向ける者もいれば、会津の殿様がなんとかしてくれる、と期待の眼差しで見る者もいる。

「多少、騒動に慣れてしまったんだろうな……」

 会津公が滞在している黒谷からの帰り道、近藤勇がぽつんと呟いた。いったい何だ、と土方歳三が視線を投げれば、いかつい顔に陰りが生じた。

「そうだとしたら……これはとても申し訳ないことだぞ。俺たちは京の都の人々を震え上がらせるために来たわけではない。戦が回避できれば良いのだが……」

「なにを弱気なことを」

「……すまん」

「これから戦、いよいよ出陣だってのに、大将のあんたがそんな風にいまから項垂れててどうするんだ」

 トシは前向きでいいなぁ、と呟いて近藤は黙ってしまった。

 

 それから数日後、新選組に、正式な出陣命令が下された。

 用意に沸き立つ屯所の一角では、緊張した幹部が数名集っていた。土方・沖田・永倉、そして横になったままの藤堂。

 彼らは鋭い眼差しで篁を見ていた。篁の手には、新しい武具がある。

「お前たち幹部連中と勝ちゃんはこの鉢金をすること。晴明に頼んで守りの術を施してもらった。それから新八の刀と総司の刀、閻魔王が鍛え直した。銀刃と黒刃の切り替えは使い手の意思ひとつなのは変わらないが、場合によっては刀が自ら判断する」

 総司も新八も神妙な顔でそれを見つめる。ただならぬ力を秘めた刀だ。妙な迫力と波動が感じられる。

「おれ、今度は絶対、鉢金外さないから!」

 平助が鉢金をぎゅっと締めた途端。

「う、うああ……」

 絶叫して布団に倒れ込んだ。真っ赤な顔で七転八倒する平助は、ばりばりと額を掻きむしる。

「馬鹿、せっかくくっついた傷がひらいちまう!」

 慌てた新八が平助の手を押さえ、総司が素早く鉢金をむしり取る。その瞬間。

「うわああっ、あああっ!」

 包帯を突き破り、黒い物体が物凄い勢いで額の傷から飛び出した。それに引きずられるように、平助がゆらりと体を起こす。

「げっ、妖だ! 篁!」

「縛!」

 総司が叫べばすかさず篁が術を放つ。妖に青白い光の輪が巻き付いた。だが、平助が苦悶の表情を浮かべる。

 構わず新八が妖怪退治用の刃で斬りかかるが、どうしたことか、平助が痛がる。

「これは良くない。篁、捕縛術解除、永倉さんも刀をおさめて!」

 篁が術を解除すれば妖は平助の体内に戻っていく。それを見届けた新八が、丁寧に包帯を巻き直す。平助は不安そうな顔で周囲を見る。

「篁さん……こいつ、なに? なにがおれの体の中にいるの?」

 篁が、慎重に平助の身体を視る。

「あ……そんな馬鹿な……!」

 篁は頭を抱えた。いったいいつの間に平助に妖の種子が植えられていたのだろうか。こんなことが出来るのは、雷微しかいない。

 そして、恐らく平助の魂は半分以上が喰われてしまっているだろう。

 先日、結界が破られていないのに妖怪が屯所内に居たのは、平助の体を操った妖種子が内側から仲間を招き入れたからに違いない。

「けど餌は……どうしていたんだろう?」

 篁が漏らした疑問に答えたのは新八だった。彼は部屋の角に追いやられている隊士を顎でしゃくった。

「あいつだ、たぶん。うっすら妖気がやつを取り巻いてやがるから、総司や篁さんに見せよう、見せようと思いながら日が経っちまった」

 『餌』を見た篁は知らず苦笑した。置かれた餌の量のわりに種子の成長が悪い。妨害にあっていたのだろう。その妨害がなければ今ごろ平助はここには存在しない。

「……無意識の結界、ってやつか」

 それをやったのは、ほぼ間違いなく新八だろう。

 試衛館一派の絆ってのは大したもんだ……篁は、ほんの少しだけ彼らを羨ましく思った。

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