第13話 沖田総司の仕事、そして雷微の玩具―3

 またしても雷微真君にまんまと逃げられた小野篁の怒りは尋常ではない。めらめらと燃える炎を背負っている。

 総司が苦労して大柄な新八――出血と疲労であのあと気を失ってしまった――を部屋に運び込むのを手伝いもせず、大太刀を庭でぶんぶん振り回している。

 それが荒々しいことこの上なく、庭木は枝が折られ地面には穴が開く。

「ちょっと篁っ! 庭を無茶苦茶にしたら八木さんにご迷惑だよっ!」

「うるさいぞ、総司。上司に命令するな」

 普段は取り澄まして荒事とは無縁のような顔をしている篁が、彼はかつて野山を駆け巡り勉学を疎かにし、嵯峨天皇を嘆かせたという経歴の持ち主だ。

 一念発起して勉学に励んで従三位じゅさんみにまで登り、参議さんぎ篁と歌集に名が残るほどの人物になるのだが、順調だったわけではない。隠岐へ配流されてみたり、洛中の落書きを解読してみせたために落書きの犯人ではないかと疑われてみたり、井戸を通って冥途へ行き閻魔王の補佐として働いてみたり、逸話は枚挙にいとまがない。

 学者であり歌人でもあるのだが、本人は筆を握るより刀を振る方が性にあっているらしい。

「あーあ、さほど害のない妖まで一気に狩っちゃって……。昔、伊達政宗がやった撫で斬り……小手森城だっけ、あの時の政宗みたい。たしか、あれにも篁、同行したよね? 好きなの? そういう殲滅方法」

「やかましい、総司。お前も狩ってやろうか?」

 射殺せそうなほど冷たく鋭い視線を投げられ、総司は首を竦めた。

「はいはい、邪魔は致しませんよ」


 軽口を叩いたものの、今の屯所には結界がまったく張られていない。何があるか分からないので総司も神経を張り詰めている。

 雷微という凄まじい存在が何処かへ行ったため、今までひっそりと潜んでいた小物たちが動き始めたのだ。

 あっちでちょろちょろ、こっちでちょろちょろ。それがまた、篁の神経を逆撫でする。

「見世物でも喰い物でもない、とっとと失せろ! 祓われたいものは前へ出ろ!」

 怒号もろとも篁の霊力が爆発し、空気が震えた。仰天した総司が新八の部屋から飛び出てくる。

「たっ、篁っ、静かにっ!」

「ああ?」

「みんなが起きる。隊士はみんな疲れてるんだから……」

 ああそうか、と呟き、霊力を制御する篁を見届けた総司が部屋へ戻ろうとした途端、ばきゃっ、めりめり、と音がして屯所全体が揺れた。飛び上がった総司が振り返った先には、壁にめりこんだ大太刀がある。

(篁ほどの剣の使い手が手元を狂わせるはずはないよね……)

「篁、怒りに任せて建物を破壊するのは勘弁して」

 深々と、総司がため息を吐けば、なぜかふんぞり返って偉そうな篁が、「壁に鬼が張り付いていたんだ」と言う。

「……もう少しまともな嘘つけばいいのに……」

 ぶつぶついいながら穴に頭を突っ込んで壁を検分していた総司が、ふいに動きを止めた。

「総司? どうしたんだ?」

 みるみるうちにその身体が縮まり、白銀の尻尾が出現する。本性に戻ってしまった総司を、穴から伸びた手がむずっと掴んだ。

「……何事だ、やかましいぞ」

 穴の向こうには、秀麗な顔を不機嫌一色で染め上げた男がいた。鬼の副長・土方歳三である。

「あっちゃー……歳を怒らせてしまったか……」


 副長室に慌てて篁が駆けつけた時。

 副長の前には、四肢を折って座った妖狐こと沖田総司がいた。小さな身体をさらに縮こまらせ項垂れて、尻尾も耳もくったりとしおれてしまっている。

「総司、巡察はどうした」

「……いきました」

「ほう? なら一番隊の隊士はどうした? 報告もまだだが?」

「……まだ、そ、そとにいます。ほ、報告はこっ、これからで……」

「つまりあれか、お前に命を預けている隊士を外へ放り出して屯所へ勝手に引き返し、報告も疎かにして庭で遊んでいた、と?」

 蒸し暑い夏であるのに、真冬の如く冷え冷えとした空気が部屋を支配する。

「しかも、せっかく勝手な行動を取ったのに、雷微とやらは取り逃がし、新八は負傷し昏倒、屯所の壁には大穴があいた。大層立派な仕事だな、総司?」

 より一層歳三の声が低く冷たくなり、妖狐は顔を上げるどころか毛の一本も動かせない。

 その小さな体を見下ろし、歳三はため息をつく。

「総司、お前はもう新選組に欠かせない男なんだ。新選組の仕事がちゃんと出来ないなら、閻魔王の手伝いは禁止だ。だいたいお前は、近藤さんを助けるために閻魔王が派遣したんだろう? そっちを優先しろ」

 白銀の顔がゆるゆると持ち上がった。黒い瞳が切実な色を浮かべている。

「ごめんなさい、ちゃんとお仕事するから! 近藤先生をお守りするから」

「……どうだかな。近頃は昼間の仕事より鬼を狩る方に熱心に見える」

「そんなこと、ないです!」

「ならどうして法度を守らない! お前が率先して法度に背いてどうする!」

 怒声に、白銀の身体がふるふると震え、ついに妖狐は泣き出してしまった。

「ふえぇぇ……ごめんなさい、ごめんなさい」

 器用なもので、正座し前足で目を覆って泣く。実に愛嬌のある姿である。暫くそれを見ていた歳三は大きくため息をついた。

「反省したか」

「……はい」

 大きな手でその小さな体を掬い上げ、膝に乗せた。

 驚くほど軽い妖狐は、ひっくひっくとしゃくり上げる。

「総司、今回は斎藤一と原田左之助に感謝しろよ。右往左往していた一番隊を無事に連れ帰ったぞ」

「よかったぁ……」


 こちらも一人で反省していた篁がそっと歳三の部屋をのぞいたとき、泣きつかれた妖狐が歳三の膝の上ですやすやと眠っていた。こんな姿は、成獣とはいってもまだまだ子供である。

「ちょっと無理させすぎたかな……」

 それにしても、と篁は己が開けた大穴に目線を投げた。

「俺、壁の塗り直し、下手なんだよなぁ……」

 細かい作業が苦手で、こういう時は大抵、幼馴染の春少将が代わりにやってくれる。

「……よし、明日の夜にでもあいつを呼び出そう。それがいい」

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