十六話 女心はムズカシイ

 田口のおっさんは、絵里さんを紹介してくれた。

 以前、焼き肉の赤座の後に連れて行ってくれたクラブのママだ。

 夜のお仕事以外にも、お昼に男性とデートに出ることはあるという。

 いわゆる同伴出勤というやつだろうか。


 駅近くにある綺麗な喫茶店で待ち合わせた。

 明るい場所で見る絵里さんは、ボクよりも多少年上のようだが、もんのすごい美人だった。

 さすがにヤクザの組長が贔屓する店のママという感じがする。

 思えば奥さんの八重さんも、芸能人に匹敵するような美貌の持ち主だから、あの組長はかなりの面食いという奴だろう。


 絵里さんは卵形の顔立ちで、目鼻がすっきりとしている。

 瞳は子供のようにきらきらとした輝きを保ち、その奥には深い知性の色合いが伺えた。

 右目の目尻にそっと配置された泣きボクロがめちゃくちゃセクシーだった。


「どうかしましたか? じっと見つめて」

「あ、いえ……美人だなって。あ、いや、口説いてるわけではなくて!」

「あら、ありがとうございます。先生って奥手かと思ってたんですけど、意外とそうじゃないのかしら」


 思わずこれって口説いてることになるんじゃ、と慌てるボクの態度を見て、絵里さんはクスクスと笑う。

 美人ってきつい印象を持ちがちだったけれど、絵里さんはむしろよく笑うからか、親しみやすかった。


 ある程度の事情を聞いているのか、相談に乗ってくれるという。

 絵里さんは人間関係を極めたような人だから、きっと役に立つ、とおっさんは言っていた。

 まあ、毎日人と接して話を聞くのが仕事なんだ。

 たしかにボクの対人スキルなんて目じゃないだろう。


 それはこうして短い時間だが、一緒に過ごすとすぐに分かった。

 なんというか、肩肘張らなくていい柔らかさがあるのだ。

 ボクは奥手で人付き合いがやや苦手なタイプだから、人と話すのはあまり好きじゃない。

 一度仲良くなった人にはどんどん話しかけられるけれど、そうじゃない人にはけっこう緊張したり、壁を作ったりする。

 だけど、絵里さんに最初から肩の力を抜くことが出来た。これってけっこう凄いことだと思う。


「あれから先生の作品を読ませていただいているんですよ」

「あっ、そうなんですか。ありがとうございます」

「一度読んでみたら面白くて、つい最後までぶっ通しで読み進めちゃいました。なんだか田口さんを思い出しちゃって」

「ああ、たしかに似たところがあるかも!」


 ニコニコと笑顔を絶やさず、読んだ本を見せてくれた。

 ボクがデビューして四番目の作品だった。

 けっこう自信作だっただけに褒めてもらえると素直に嬉しい。


 聞けば、お客さんとして来た人が本を出していたら、必ず目を通すらしい。

 すごい努力だなと思ったが、相手に興味を持つから自然と読みたくなるだけだとの答え。

 プロだ。プロすぎる……!


 僕は知り合いの作家さんの作品を全部読んでるかといえば、読んでない。

 だからやっぱり、この絵里さんが進んでやっていることは間違いなかった。

 惚れてしまいそうだ。


「どうしました……、またじっと見て」

「絵里さんみたいな素敵な人を作品に出したら、ヒロインとしてとっても素晴らしいキャラになりそうだなって」

「光栄です。でも私ちゃんと読むんですから、あんまりひどい扱いされてたら怒りますからね」

「大丈夫ですって。ただ魅力的なヒロインは男の気持ちを自然と弄びますから」

「あら、じゃあ私も先生を籠絡しておかないと」


 さらっと返す姿には動揺は一切見られない。

 冷静な態度とちょっとしたお茶目そうな雰囲気は、男慣れしているからなんだろうか。

 元々のコミュ力の違いも感じられて、真似できそうにはなかった。


「それで女性の気持ちが分からないっていう話ですけど、いったいどういう点で困っているんですか? 小説を読む限りでは、そんなにおかしな感じではないと思うんですけど」

「編集さんからは、女心がまるで分かっていないとダメ出しされてしまいまして」

「結構難しい話ですねえ。とはいえ、お仕事ですからね。表現を深めるために必要ってことでしょうか」

「絵里さんは男性の心を理解するのに、どういった点を気をつけているんですか?」


 ボクの質問に、絵里さんは少し考えた様子。

 顎に指を当てて、目がじっとボクを見つめる。

 視線が絡むと、とたんに気恥ずかしくなって、目を逸らしてしまった。

 仕方なく、頼んでいたコーヒーを飲んで誤魔化す。


 そんなボクの反応を楽しむように、目が笑っている。

 なんだか嗜虐的な色合いが見える気がするけど、不思議と嫌な気はしなかった。

 美人だから? いや、多分違う。

 この差はなんだろうか。


「男性とお話する時は、だいたい何が好きなのかを大切にしてますね」

「好きなことですか」

「はい。仕事に情熱を傾けている人もいれば、趣味に熱を上げている人もいますけど、基本的にはその人の好きな話をするのが原則です。熱中していることは成果も出やすいですし、褒めてもらいたいという気持ちも強く出ますから」


 そこでしっかりと話してもらい、適度に相槌と褒め言葉を混ぜると、だいたい上手くいくらしい。

 男ってそんなに単純だろうかと思ったけれど、先日ボクは酔っ払って、絵里さんたち相手に盛大な自慢話をして悦に入っていたことを思い出した。

 なんだろう、酔っ払ってるときの醜態って、思い出すと死にたくなるよね。


 これじゃあ否定するにも出来ない。

 苦笑がこぼれてしまう。なるほど、男はある意味単純だ。


「何が好きか、何を大切にしているかって、人を理解するのにとても大切なことだと思うんです」

「それは、そうでしょうね」

「何か疑問がありますか?」

「その、失礼になるかもしれないんですが、良いですか?」

「ハッキリと言っていただいて構いませんよ」

「分かりました。好きなことを知る、大切なことだと思います。でも、それだけで女性の心を理解したことになるんでしょうか?」

「なりませんね」


 今までの話がなんだったんだ、とがくりと肩を落としてしまいそうになった。

 だが、そんなボクを見て、絵里さんは楽しそうに言葉を続けた。


「でもその人の価値観や判断基準を知ることは、理解するキッカケにはきっとなるはずです。一例を出して見ましょうか。たとえばお化粧」

「化粧ですか?」

「最近は男性用化粧品も少しずつ売られていますけど、いまだに化粧品はほぼ女性の売上がとても大きいです。」

「たしかにそういうイメージはあります」

「つまりお金を出す価値が女性はあると思っていて、男性はあまりないって思っているわけです。女性がそれだけ大切にしているのに、男性は興味を持たないから、理解も共感も難しくなってしまうわけです」

「なるほど。少し分かってきた気がします」

「それは良かったです。どうして化粧をするのか。どういうところに価値を感じているのか。そういうところを知り、気付くのが女心を知る第一歩かもしれませんね」


 もちろん個人差がある話ですけど、と最後に一言添えて、絵里さんの講義が終わった。


「なかなか一朝一夕にはいかなさそうですね……」

「当然ですよ。私も全然わかりませんし、もしかしたら一生わからないかもしれません」

「それでもやらないよりはやった方がマシってことですかね」

「何事もそうだと思いますよ」


 さらりと言われて、思わず疑ってしまったが、絵里さんは自信満々にうなずく。

 その態度があまりにも自然なものだから、信じるしかなかった。

 そうしてとてもためになる話を終えた後で、ところでと前置きをした上で、とても疑問だという様に絵里さんが訪ねてきた。


「編集さんは本当に女性心理について勉強して欲しかったんでしょうか?」

「え……? そうじゃないんですか?」

「はぁ……。これは先行きが思いやられますね」


 なんと絵里さんにまで呆れられてしまった。

 やれやれと首を横に振られる。

 いや、心配かな?

 なんだか最近、女性に対してこんな表情ばかり浮かべられている気がする。

 やっぱり女性心理が分かってないってことじゃないだろうか。


「編集さんは、自分をもっと見て、考えてって言ってると思いますよ」

「そう、でしょうか……?」

「多分ですけどね。あとはどうするか、自分で考えてください。上手くいくと良いですね」


 なかなか難しい宿題だった。

 それから、いくつか女性心理について分かる本を教えてくれた。

 一番いいのは女性向けの雑誌を何冊も読むことだそうだ。

 女性雑誌は当然女性を客として考えているから、女の人が知りたいこと、興味を持ちやすいことを中心に掲載されているんだとか。


 絵里さんからのアドバイスはそれで終わりだった。

 たいへん役に立ったけれど、すぐさま女性心理が分かるというものでもない。

 今後も継続して勉強か。

 ひとまずは教えてもらった雑誌を見て、今度の話のネタを考えてみよう。


 それと、帰りに本屋さんに寄ってみよう。

 せっかく教えてもらったんだし、すぐに買ってみるべきだ。

 あとは、石川さんにどうやって接したら良いか、考えてみるべきだろうか?

 これは後でも良いかな、と思ったけど、ふと絵里さんの姿が脳に浮かんで、すぐに連絡しなさい、と言っている気がした。

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