領主と女中の夏のバカンス(急)1

「――はァ? 内服タイプの匂い消しを作ってほしいだ?」


 ある夏の日の朝、ライア・ロビンソンはそんな頼まれごとをした。

 依頼主は、電話越しでも分かるほど上機嫌だった。


「もうすぐマリアとプールに出掛けるんだけど、人の多いところだし、水に溶けて効果がなくなったら困るから。先生なら作れるでしょう?」


 依頼主はライアの元教え子、ボルドウ領主のロア・ロジェ・クロワだ。

 彼女は生れついての悪魔憑きであり、今となっては完全に悪魔と化しているわけだが、その『悪魔の匂い』を誤魔化すための匂い消しを定期的にライアから購入していた。

 普段使用しているものは肌に噴射するタイプのものだ。普通に過ごしていれば効果は24時間持続するものの、体表にバリアを張る性質のものなので、怪我をして体液を流してしまったり、長時間水の中にいたりすればそのバリアは崩壊する。


「いつ行くんだよ?」

「あさって」


 ライアははあと溜息をつく。

「お前ナー、私がいかに優秀でクレバーで美人で強くてカッコイイ超イケてる大先生でもなァ、一朝一夕でそんな都合の良い薬が作れると思ってるのか? 特に内服薬は難しいんだゾ」

「……先生でも無理なんだ」


 優秀でクレバーで……のくだりにツッコミを入れることもなく、電話越しのロアはただ残念そうにつぶやいた。

 それほど当然のように期待していたのだろう。

 教え子のしょぼくれた顔が目に浮かんで、ライアは頭を掻いた。


「仕方ねーなァ。礼は弾めよ?」


 ライア・ロビンソンは頼まれごとに弱い。

 自身の甘さに辟易しつつ、彼女は早速机に向かった。




 ** *

 吹き抜けの天井から燦々と差し込む夏の日差し。南国風の緑の植物に赤いパラソル、そしてビーチチェアがずらり。

 視界一面にはきらきらと輝く青い水面が広がっており、波の音も聞こえてきそうなほどだ。

 ビーチリゾートを完全に再現したといっても過言ではない白いプールサイドに、ロアはただただ感服した。


「流石ルクルス財閥。大衆向けにここまでのクオリティで娯楽を提供できるとは……」


 そんなロアの独り言は、背後からの女性たちの楽しげな歓声に掻き消される。

 振り返ると、そこには高く大きな滑り台――ここではスライダーと言うらしい――が設置されており、若い女性客が次々と歓声を上げながら滑り降りていく。

 プールもひとつではなく、小さな子供向けのプール、本格的な練習用のプール、ビーチを模したプール、流れるプール……などなど。

 さらに視線を移すと売店もあり、テラス席で氷菓子やサンドイッチなどの軽食を楽しむ女性グループの姿も。


 そう、周りの客はすべて女性。

 今日は、週に一度のレディースデーなのだそうだ。


 先日アルフレッド・ルクルスに、この施設に行くことを手紙に書いたところ電話がかかってきて、


『貸し切りますからお日にちを教えてください』


 と言ってきたのだが、あまり厚遇されてもマリアが委縮してしまうので遠慮したところ


『でしたらせめて……いえ是非、レディースデーをご利用ください』


 なんでも、施設のオープン当初から女性客をナンパしようとする浮かれポンチな男性客が多いらしく、女性だけのグループでも安心して遊びにきてもらえるような制度を、ということで導入したそうだ。


(うちのマリアが嫌らしい目で見られないかだけが心配だったけど、これなら安心だなあ)


 ロアが腕組をしてひとり頷いていると。


「見てローラ! あの人おっぱいでかっ」

「ちょっともうレベッカ! 聞こえるって! まじまじ見ないの!」

「おっぱいだけじゃない、スタイル良すぎじゃん!? やばいな、あんな身体なら私も抱きたいわ」

「レベッカ‼ 怒るよ‼」

「あっ待ってローラ、ごめんってー」


(……中身がおじさんみたいなのもいるな……。気をつけよう)


 ロアは羽織っていた上着のジッパーを上げた。


 しかしどうしてロアがプールサイドにひとりで突っ立っているのかというと、更衣室でマリアと別れたのだ。

 更衣室はカーテンを引くと個室に分かれるようになっており、ロアが先に着替え終わってマリアに声を掛けると、先にプールサイドに出て待っているようにとカーテン越しから指示があった。

 ロアは結局、マリアがどんな水着を購入したのかを知らない。

 デザインによっては着替えるのに手間がかかるのだろう。


「手伝おうか」と言ってみたら、

「スケベ」と返って来たのでしぶしぶ先に出てきたのである。


(別にそんなつもりはなかったのに……)


 ロアがしょぼくれていると


「せっかくのバカンスなのに、何辛気臭い顔をしてるんですか」


 背後からの声に、ロアはぱっと振り返った。

 そこには。


「……、」


 フリルトップの眩いほど真っ白なビキニ、華やかな花柄が目を引くミニスカート調の水着を纏うマリアの姿があった。


 ロアの勝手な想像では、マリアはビキニを選ばないだろうと踏んでいたため、その時点でかなりの衝撃だった。

 さらに、普段の服装からすると格段に露出が多い――そんな水着に落ち着かないのかどこかそわそわしているマリアの頬は、随分と紅潮している。恐らく照れているのだろう。

 デザインを見ていると、きっと着替えに時間がかかったというよりは、ここに出てくるまでの心の準備に時間がかかったのだ。

 加えて、この水着の配色と意匠は、先日ロアがマリアの誕生日に贈った洋服によく似ている。ロアがべた褒めしたあの服だ。

 それをマリアが意識して選んでくれたのかどうかまでは、ロアの預かり知るところではないが、仮にもしそうであってもなかったとしても、すべてひっくるめて


(……可愛すぎてつらい)


 ロアは感激のあまり言葉を発せなかった。


「……あの、変な顔になってますけど大丈夫ですか?」


 怪訝な顔をするマリアに、ロアはただこくこくと頷く。


「……ロアは上着を脱がないんですか?」


 マリアの指摘に、ロアは苦笑する。


「なんかね、いろいろ考えるとこの歳になって水着になるのも少し恥ずかしくて……ってマリア!?」

「私だけ見せるのは不公平ですから」


 マリアはロアに近づいて、おもむろに上着のジッパーを下ろした。

 ロアの豊満な胸部と、それを引き締める黒一色のクロスビキニが露わになる。

 マリアはロアの顔を見上げて、小さな声で囁く。


「……とてもお似合いですよ」

「あ、あり、がとう」


 ロアは顔を真っ赤にして、なんとか礼を言う。

 それから、緊張で硬直しつつある喉をどうにか奮い立たせた。


「マリアも、すごく、可愛いよ」

「……ありがとうございます。少しほっとしました」


 そう言って、はにかむマリア。


(待って待って! 今日のマリア、なんだか積極的すぎる上に可愛すぎない!? 死ぬ! 倒れそう!)


 ドキドキどころかバクバクしはじめる心臓に、ロアはハッとする。


(……まさか、これが副作用……?)


 ――ライア・ロビンソンに急ぎで作ってもらった内服薬には、ひとつだけ要らぬおまけがついていた。

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