領主と女中の夏のバカンス(破)3

 豪商ルクルス家の三男坊、アルフレッド・ルクルスはこの夏、人生で最も多忙を極めていた。

 長兄の思い付きから始まった複合娯楽施設経営事業を任され、とんとん拍子にその事業は子会社化され、その社長の座に据えられてしまったのだ。


「坊ちゃま、少しお顔が痩せられましたな」


 幼い頃からアルフレッドに付き従っている老執事、セバスチャンが、デスクの上に良い香りのコーヒーを置く。


「ありがとう。無事オープンしたと思ったら色々と苦情は来るし、トラブルはあるし、落ち着くまで時間がかかりそうだよ」

「先日はバーガンのプールで、不埒な若者がうら若き女性をナンパしようとして返り討ちにあったんでしたかな」

「そうそう。開放的な気分になるのは分かるけど、対策を考えないとね……女性客の不安が大きくなる前に」


 課題はまだまだ山積している。

 とはいえ今は束の間の休憩時間。アルフレッドは甘いコーヒーを口にしながら瞼を閉じた。


「そういえばクロワ様からお手紙が届いていましたよ。今回は早かったですな」

「ゴフっ」


 アルフレッドはむせた。


「失礼、坊ちゃまにリラックスしていただこうと思ったのに逆効果でしたか」

「じいやはお節介だなあもう!」


 アルフレッドは少年のように口をとがらせながら、セバスチャンから手紙をひったくる。

 セバスチャンの視線は気になるが、せっかくの休憩時間なので、アルフレッドはその場で手紙を開封した。


 セバスチャンが見守る中、アルフレッドは手紙を最後まで読み終える。

 先刻まで大きく疲れが見えていたアルフレッドの顔に、生気が戻った……というよりかは切迫した緊張のような感情が露わになった。


「どのような内容で?」


 普段はそんな野暮なことは尋ねないが、セバスチャンは思わず尋ねた。


「大変だセバスチャン、さっきの件、はやく対策を講じないと……!」


 ボルドウ領主からの手紙には、近々バーガンの施設に遊びに行く予定だ、と書かれてあった。






 * * *

 ボルドウ領主、ロア・ロジェ・クロワはこの夏、最も多忙を極めていた。


 かねてよりの里人の悲願であった商業施設の誘致にめどをつけ、

 折り合いの悪かった農業組合と酒造組合の間に平和的かつ友好的な協定を結び、

 里人の高齢化により増加していた遊休地を、近代的な技術を用いての葡萄酒製造に興味を持つ都会の若者に斡旋する制度の設置と、その柱となる人脈をどうにか確保した。


 これで、いつでも領主を辞めてもいいだろうと、父の墓前で言えるくらいには、ボルドウの未来につながる仕事をしたつもりだ。

 ……その代わり、ここ最近の睡眠時間を随分犠牲にしたが。


「……ただいまぁ」


 へとへとの身体で、ロアは屋敷に帰り着く。

 首都ロンディヌスから急いで汽車で戻ってきたが、時刻は既に零時を回っており、これまでの睡眠負債も相まって視界は既に随分霞んでいた。

 けれど玄関には温かい灯りが灯っている。


「おかえりなさい、ロア」


 寝間着のワンピースの上に薄手のカーディガンを羽織ったマリアがロアを出迎えた。

 約2日ぶりに会うマリアの背に、ロアは自然と腕を回し、その細い身体を引き寄せた。

 マリアは特に身じろぎもせず、その抱擁を受け入れる。

 仕事を終えた今日。ようやく、ロアはマリアに触れることを許された。


「あのね、全部うまくいったよ。マリアが調べて持たせてくれた手土産、相手方はとても喜んでた。流石だね」

「それはきっかけに過ぎませんよ。交渉が上手くいったのは貴女の力です」


 よく頑張りましたね、と、マリアはロアの頭をよしよしと撫でる。

 ロアは気持ちよさそうに目を細めた。

 ロアはマリアに向き直って、笑顔を見せる。


「これでやっとマリアと一緒に遊びに行けるよ」


 ロアの言葉に、一方でマリアは苦笑いを見せた。


「子どもみたいなことを言うんですね」


 そんなマリアの言葉に、ロアは一瞬虚を突かれたような顔をする。

 それからすぐに、少し意地悪気な笑みを含んだ。


「もっと大人びた言葉が欲しかった?」


 ロアの手が、マリアの腰を再度引き寄せる。先刻よりも力強く、からめとるような動きで。


「そういう意味では……!」


 マリアは慌てて抗議しようとしたが、その前にロアがマリアの首元に顔を埋めて叶わなかった。

 ロアの熱い唇が、マリアの鎖骨をなぞり、柔らかい肌に沿う。


「あの、!」

「……大分我慢してたんだよ。スキンシップ禁止なんて言うから」


 恨めしそうに、ロアの眼がマリアを見上げる。

 血を吸うのだろうか、とマリアは一瞬思ったが、ロアの唇はそのまま戯れるようにマリアの喉頭をくすぐった。


「……っ」


 くすぐったさと羞恥でマリアの唇から吐息が零れる。

 そんな彼女を熱い視線で見つめて、ロアはマリアの耳を食んだ。


「だ、」


 耳は弱いから駄目だと、以前マリアはロアに言った。

 それなのに耳に触れたロアを、今度はマリアが恨めしげに睨む。が、ロアは逆に攻めるようにマリアの耳朶を舌で舐めた。

 反射的に、必然的に、力が抜けたマリアの背中を、ロアはすぐ脇のシューズクロークに押し付ける。

 退路を失ったマリアは、ほんの少しの怖気をもって、ロアの顔を見上げる。

 そこには


「君に触れられないのは、辛いね」


 ロアの紅い瞳が、ただ切なげにマリアの瞳を覗き込んでいた。


 ……反則だろうと、マリアは思った。


 マリアはロアの頭を再度抱き寄せる。

 温かな温度に包まれて、ロアは急激な睡魔に見舞われた。


「……お仕事を頑張ったご褒美に、何でも言うことを聞きましょう」

「ほんと?」


 じゃあ、とロアは言う。


「……マリアの膝枕で寝たい……」

「また地味に古風な要望を」

「……駄目?」

「構いませんよ、そのくらい」

 ……やっぱり子供みたいですね、とマリアは小さく笑った。

「?」


 首を傾げるロアの手を引いて、マリアは居間に向かった。

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