領主と女中と満月の夜1

 今夜は満月。月の引力は多くの魔の本性を暴き立てる。


 吸血種の悪魔憑きであったロアにとっては、満月の夜は魔の血が人間のそれに勝り、深く眠っていなければ際限なく血を求め続けてしまうという、非常に忌々しいものだった。


 しかし、完全な魔として存在する現在は、争う人間の血が無いせいか、満月の夜の吸血衝動はほとんどない。

 口には出さないが、ロアはその点だけは密かに喜んでいた。


 一方で、魔としての食事――吸血の回数は、勿論以前より増えている。

 以前は3~4週間に一度程度だったマリアからの血の提供は、今や1週間に一度の頻度となっていた。


 この日、血の提供を受けるべくマリアの寝室を訪れたロアは、いつもの通りマリアをベッドの縁に座らせ、自らは床に片膝をつく。

 マリアが自らの襟元を緩めると、白い首筋にうっすらとあざが出来ていた。

 それを見て、ロアは申し訳なさそうに眉を下げる。


「ごめんね、前の噛み跡が塞がらないうちに噛んじゃうからまた傷になっちゃうよね」

「服を着ていれば人に見られる箇所でもないですし、私は構いませんよ」


 マリアは淡白にそう言ったが


「駄目だよ! そういうところは女の子なんだから気にしないと!」

「噛んでいる貴女が言っても説得力が」

「ないのは分かってるけど! でも」


 ロアはマリアの首筋のあざを、指先でそっとなぞる。


「……せっかく綺麗な肌なのに、これ以上傷つけたくないよ」


 そして、ロアはマリアの顔を見上げる。


「今夜はやっぱりやめておこうか。あと1週間ぐらいならきっと私ももつだろうし、その頃ならマリアの傷も、」

「駄目です」


 ロアの提案を、マリアはぴしゃりと否定した。


「飢餓状態に陥った吸血種が暴走する事案は腐るほどあるのです。そうなってからでは遅いのです。私の肌のことを気にかける余地なんて、本来貴女には許されないのですよ、ロア」


 悪魔を律する悪魔祓いとして、マリアは冷たくそう言った。

 ロアは何か言いたげにしつつも、口をつぐむ。


「……ですが、まあ、そんなに貴女が気になるのであれば、噛む場所を変える、というのは?」


 マリアの提案に、ロアは再度、ぱっと顔を上げた。


「そうだね、そうしよう。どこがいいかな」

「どこがいいかと訊かれても……」


 困ってしまう。

 確かに、首筋は最も噛みやすい、噛まれやすい箇所ではあった。

 それを外すとなれば


「指などはどうですか」

「水仕事の多いマリアの指を噛むのもちょっと気が引けるね。それに細菌が入ったら大変」

「では腕?」

「悪くないけど、今の時期半袖じゃない。噛み跡を他人に見られる危険性があるよね」

「……じゃあ貴女はどこがいいと?」


 ことごとく提案を却下され、マリアはジト目でロアを睨んだ。


「太腿とかどうかな。絶対に服で隠れるし、」

「嫌です。絶対に却下」


 マリアはぶんぶんと首を振った。


「そ、そんなに嫌?」

「どんな体勢をとるおつもりで?」


 ……言われてみればそうである。

 そこまで思い至っていなかった自身を恥じ、反省するようにロアは額に手をやった。


「ごめん。太腿はなしで。

 えと、じゃあ耳?」

「駄目です」

「えっなんで? 耳の裏なら目立たないよ?」

「駄目」


 マリアは両耳を手で隠す。ほんのりと、彼女の頬が上気しているのを認めたロアは、少し意地悪気な笑みを含んだ。


「マリア、もしかして耳が弱いのかな」


 以前耳に口づけた時も、冗談で軽く舐めた時も、マリアの反応はかなり過敏だった。


「今度やったら貴女を嫌いになります」

「それは嫌だからやめておくね」


 ロアは途方に暮れ始めて、頭をかく。


「あとは胸部しかないよ……」

「いいですよ」

「え?」


 思わぬマリアの返答に、ロアは思わず訊き返した。


「このあたりなら、首筋と大して変わらないですし」


 マリアは自らの鎖骨の少し下、なだらかな斜面――胸の上部を指で示した。


(……全然変わるんですけどそれ……)


 ロアはそう胸中で突っ込みながら、マリアが示したその箇所から、視線を外せないでいた。

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