領主と女中と雨の夜(前編)

「今日もよく降りますね」


 窓を叩く無数の雨粒を、居間から眺めながらマリアが言う。

 この3日間、ボルドウは雨続きだ。


「ここまでよく降ると、葡萄にも影響が出てしまうね。明日には止めばいいけど……」


 ソファーに座るロアもアンニュイな視線を窓の外に送る。


「洗濯物も乾かないですし……あ、昨日の分は流石にそろそろ乾いたでしょうか」


 2階の自室で部屋干しをしている洗濯物の様子を見に、マリアは2階へ上がった。

 すると。


「…………」


 マリアの部屋のベッドが水びだしになっていた。




 ** *

「いやーまさか雨漏りとはね。この家もいよいよダメかもね」

「笑い事ではありません。早く修理をしてもらいたいところですが、この雨では大工さんも呼べないですし」


 マリアはふうとため息をついた。


「それよりマリア、今夜はどこで寝るの?」

「寝床ですか? 客室を使用してもよいのでしたらそうしますが、このお天気でまたシーツを洗濯するのもあれですし……」

「じゃあ私の部屋に来る?」


 唐突なロアの提案に、マリアは「え」と一瞬固まった。


「……駄目かな。ううん、無理強いしてるわけじゃないんだけど、せっかくだし、お泊り会みたいで楽しいかなって……」


 ロアは少し照れ臭そうに俯いている。

 ふたりが同衾したのは、首都ロンディヌスで滞在したホテルでのあの一件だけで、それ以降はない。各々部屋が確保されている状況下では、同衾する必要性がないからだ。

 だからこそ、こんなアクシデントがない限り、こんな機会は滅多に訪れないだろう。


「…………貴女に迷惑でなければ、私は別に……」

「いいの? やった! 色々準備しておくね」


 ロアはそう言ってぱっとソファーから立ちあがり、小走りに居間を出ていった。


(準備って、何の?)


 マリアは内心首を傾げていた。




 ** *

 ――夜。

 雨は依然強く降り続けており、窓が特別頑丈に造られているロアの部屋の中にいても、雨音はよく響いた。


「ねえねえ、マリアはどっちで遊びたい? カード? それともボードゲームにする? 今夜は徹夜で遊ぼうねぇ」


 ベッドに入るや否や、ロアは隣のマリアに嬉々としてそう言った。


「いや、学生じゃないんですから、普通に寝ましょうよ、普通に」


 何の準備をしていたのかと思えば、ゲームのそれだったらしい。

 ロアの手元にはトランプと、ボードゲームの箱があった。


「ええー!? せっかく一緒に寝るのにすぐ寝ちゃうなんて勿体ないよ! 遊ぼうよーー!」


 ロアはマリアの腕にしがみつき、少し大袈裟に泣きついた。

 マリアは呆れつつも、ロアのそんな態度に違和感を覚える。


「……ロア。無理にテンション上げてませんか?」


 その違和感を正確に表したマリアの言葉に、ロアはひた、と動きを止める。


「……だって、こんなテンションじゃないと平静でいられないんだもん」


 頬を朱に染めてそう呟いたロアに、マリアの鼓動がどきりと跳ねる。


 以前のマリアなら、ロアのその言葉の意味を理解できなかったかもしれない。

 けれど今は違う。

 少なからず、同じ感情おもいを共有しているのだから。


 その証拠に、マリアにはすぐに返す言葉が見つからず、ふたりの間にはこそばゆい空気が流れるのだった。


「ご、ごめんね! 私が誘ったのにね! 片づけて寝ようね」


 誤魔化すように笑って、ベッドの上の玩具を片づけようとするロアに、マリアは「待って」と制止する。


「……せっかく準備したんですから、少しだけ遊びましょう」




 ロアが準備していたのは、彼女が幼い頃に父親から誕生祝いで貰ったというパズル系のボードゲームだった。

 ベッドの上にボードを広げ、ふたりは向かい合う。


「仮にも幼い娘への誕生祝いがボードゲームってどう思う? 絵本とか、ぬいぐるみとかで良かったのにね。当時は口が裂けても言えなかったけどさ」


 ロアはそんな思い出話をマリアに話しながらルールを説明する。

 マリアはこの手のゲームをするのは初めてだったが、単純ながらもよく出来ているルールに唸った。


「知的玩具という意味で与えられたのでは? 思慮深いお父様だと私は思いますよ」

「マリアは父のことを買いかぶりすぎだよ。このゲームだって、ひとりじゃ遊べないからほとんど遊べなかったし」


 そう笑いながらも、ロアがこの古いボードゲームを捨てずに今まで持ち続けていることを、マリアは微笑ましく思った。悟られると拗ねそうなので、口にも表情にも出さないが。


 ――そうして1ゲーム目を終えたのは30分後。

 マリアも健闘していたが、やはり経験者であるロアのほうが一枚上手だった。


「もう1回、やりましょう」

「うん、いいよ」


 マリアが負けず嫌いなのは知っているので、ロアにはこうなることも想定済みだった。かといって手を抜くこともマリアは許さないので、きちんと勝負はする。


 ――さらに30分後。


「……あともう1回だけ」

「うん、いいよ」


 2ゲーム目も、マリアの最後の詰めが甘かったせいでまたしてもロアに軍配が上がった。

 負ける度再戦を申し入れているマリアはそれを恥じているのだが、ロアはそんな彼女を「かわいいなぁ」という気持ちでしか見ていない。


 そんなことを繰り返していたら、気が付けばいつもの就寝時間はとっくに回っていた。


 4ゲーム目に差し掛かったころ、マリアが時折目をこすり、しょぼしょぼとさせていることにロアは気づく。


「そろそろ寝る?」


 順当なロアの提案に、しかしマリアは首を振った。


「勝つまでやりたい?」


 ロアの冗談めいた言葉にマリアは顔を赤くして「違います」と即座に反論した。

 マリアのそんな様子に、ロアは苦笑する。


「そんなに警戒しなくてもマリアが嫌がることはしないよ」


 その言葉に、マリアは慌てて言葉を付け足した。


「そういうことではなくて。

 …………楽しかったから……」


 マリアにとって、夜は眠るだけの時間だった。

 修道院はひとり部屋で、消灯時間も早かった。

 マグナス神父に引き取られてからも、その部分は変わらなかった。

 だから、こんな風に夜遅くまで、誰かと語らい遊ぶことなどいままで一度もなかったし、それがこんなに楽しいということを今日初めて知ったのだ。


「ふたりで夜更かしをするのは楽しいですね、ロア」


 マリアの、歳相応の少女らしい笑顔に、ロアも「うん、そうだね」と微笑み頷く。


 でもマリア、とロアは続けた。


「やっぱりそろそろ寝ようか。健康にもお肌にも悪いしね」


 ロアがボードの上の駒を片づけ始めると、マリアはそれを見て名残惜しそうに肩を落とした。

 そんな彼女を見てロアは思わずふ、と笑う。

 そしてボードを退かし、マリアとの距離を詰めた。

 少し冗談めかした笑顔で、ロアはマリアに言う。


「そんなに私と楽しいこと続けたい?」

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