領主と蜂蜜酒

 ボルドウ領主、クロワ家の蔵には、多くの銘酒が納められている。

 歴代当主の愛蔵の品々がずらりと並ぶ棚を前に、ロアはひとり佇んでいた。


 ライア・ロビンソンが屋敷に顔を出すようになってから、酒の消費が激しくなり、棚のいたるところに空きが出てきた。

 勿論、毎年新酒が領民から納められるため、品切れで困ることはないが、そろそろこの棚も整理が必要だ。


 誰が最初に考えたのか、棚は歴代の当主ごとに分かれており、一番手前がロアの父のコレクションになる。それぞれの棚にあるものが、当時の当主の愛飲の品ということだ。


(空きも出来たし、そろそろ私の棚も作ろうかな)


 そう思って、ボトルを奥に詰めていくと、先々代――ロアの祖母の棚の最奥から、他のボトルと一風違ったものが見つかった。

 透明なボトルには、琥珀色の酒が詰められている。


(……蜂蜜酒ミードか。珍しいな)


 ボルドウは葡萄酒の産地なだけあって、この蔵にそれ以外の酒が納められていること自体が珍しい。

 勿論ロア自身も、蜂蜜酒を口にしたことはいまだかつてない。

 どんな味の酒なのか興味が沸いて、今夜の夕食のおともにしようかとも思ったが


(……せっかくなら、)


 ロアは蜂蜜酒のボトルをそっと、蔵の一番手前、今日から自分の棚になるその場所に置いた。

 蜂蜜の名を冠する酒なら、きっと彼女も親しみやすいだろう。


(だったらあれも。それと、あれも……)


 ロアは思いつく限りの、「美味しくて、飲みやすい酒」を自身の棚に置いていく。


 酸味が低く、ソフトでくせの弱い白、

 甘みが強く、まるでジュースのような赤、

 フルーティーですっきりとした飲み口のロゼ……


 十分に埋まった棚を見て、ロアは満足げにうなずいた。

 この品々なら、初めてでもきっと美味しいと感じてもらえるという自負を持って。

 数年後、マリアが飲酒できる歳になったとき、これらを一緒に開けるのだ。




 ロアが居間に戻ると、マリアがティータイムの準備をしていた。

 しかし、今日に限っては、テーブルの上に置かれていたのはティーカップではなくグラスだった。

 側には檸檬が浮いているクーラーボトルと、蜂蜜の入った瓶が置いてある。


「果物屋のおばさまに蜂蜜をひと瓶頂いたので、レモネードを作ってみました。夏ですし、ちょうど良いかと」

「そうだね」


 ここでも蜂蜜か、と内心笑いながら、ロアはソファーに座る。


 程よい甘みのレモネードを口に含んでいると、マリアが小さな紙きれを一生懸命見つめていることに気づいた。


「どうしたの?」

「蜂蜜の瓶にくくりつけられていた説明書……のようなのですが、達筆すぎて読めなくて」

「私そういうの得意だよ。どれどれ」


 ロアはマリアから紙切れを受け取った。


「えーと……」


『蜂蜜は、万能の調味料。パンにつけてもよし、お肉に浸けると柔らかくなります。また、水と合わせ発酵させることにより、蜂蜜酒をつくることもできます。蜂蜜酒には催淫・強壮作用があり、……』


「ぶしゃっ」


 思わずレモネードを吹き出したロアの口元からポタポタと雫が零れる。


「!? なんですか急に」


 慌ててマリアがそれをタオルで拭う。


「……なんでもない。ごめん読めなかった」


 そう言いながらなぜか少し頬を赤くしているロアに、マリアは首を傾げた。


「マリアは蜂蜜好き?」

「ええ、まあ。甘いものは大抵好きですけど……なんですか、唐突に」

「ううん。ならいいや。楽しみにしててね」


 その言葉にマリアはさらに首を傾げたが、ロアは笑みを湛えるだけだった。


『新婚夫婦はひと月の間飲み続け、それを蜜月と呼んだのです』

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