第三話
平征29年6月4日 第二特別区 マンション相模湾301号室
目が覚めると少しだけ頭が重かった。
僕はお酒に弱くて、缶ビール一本でも飲んでしまえばすっかり泥酔してしまう。昨日飲んだのはアルコール度数の低い酎ハイだったが、それでも次の日に残ってしまうということは、僕の肝臓はアルコールを分解する能力が相当低いということなんだろう。
狭いシングルベットの上で、身を寄せ合うように眠っていたマツリを起こさないようにゆっくりと、ベッドから起き上がると、まずはシャワーを浴びることにした。
まだ、太陽が顔を出したばっかりで、外は薄暗い。だが、今日も朝から部活なので、二日酔いだからってだらだらしているわけにはいかなかった。
シャワーから上がって、何か朝ご飯はないかと冷蔵庫を見ると、昨日の余りの寿司がタッパーに丁寧に詰めてあった。僕がやった記憶はないから恐らくマツリがやってくれたのだろう。
まあ、朝からお寿司と言うのもそれはそれでいいが、どのみち飲み物もないので近くのコンビニに行くことにした。
………。
「え…っと、牛乳でいいか…。あとは、みそ汁はインスタントで…いや、マツリはコーンポタージュとかが好きだったんだっけ…」
「教官、おはようごさいます」
僕が汁物を暢気に選んでいると、背後から急に声を掛けられた。
「ん?あ、星良君。おはよう」
振り向くとそこにはジャージ姿の星良君の姿があった。
「どうしたの、こんな朝早くに?」
「えっと…たまたま近くを通りがかったら、教官の姿が見えたので、それで…」
「こんな早くからランニング?」
「はい。えっと、私毎朝ジョギングしてるんです。みんなより体力ないから少しでも頑張らなきゃって思って…」
星良君は控えめな性格で、どうしても個性の強いメンバーの陰に隠れがちだが、ともすれば部内で一番の努力家で、ほぼ毎回のように居残り練習をしている。
「そっか、偉いね。星良君って普段はなんて言うかおっとりって感じだけど、結構努力家だよね」
「そ、そうですか?えへへ…。え、えっと、大鳥教官は朝ご飯の買い物ですか?」
「うん」
「うーん?もしかして教官、いつもコンビニでご飯買ってます?」
「え、まあ、コンビニが多いかな」
「ダメですよ、そんなのじゃ」
「まあ、そうなんだけど、あんまり料理はできなくて…朝は時間あんまりないしね」
「そうなんですか…」
そう言って、星良君が少し考え込むように唇に人差し指を当てる。その仕草を不覚にも少し色っぽいなと感じてしまった。
「あ、あの、もしよかったらなんですけど…」
「ん?」
「私が作りましょうか、朝食」
「え…」
「わ、私、こう見えて結構料理できるんですよ。お休みの日には寮の厨房をお借りして唯里ちゃんとやお友達にお料理食べてもらっていますし…」
「そうなんだ…いや、まあ気持ちは嬉しいけど、遠慮させてもらうよ」
「でも…」
「ほら、教師が生徒に朝ご飯作らせてるとか、いろいろと問題になるだろうし」
「そう…ですね」
星良君は少し落ち込んでいるような様子だったが、こればっかりは素直にお願いするわけにはいかなかった。
「じゃ、じゃあ、今日お弁当を食べてもらってもいいですか?」
「お弁当?」
「はい、その教官の分も準備してきますので…」
「うーん…」
「自分の分とあと唯里ちゃんの分も作っているので、もう一人分ぐらい手間は変わりませので、ぜひ」
果たして、生徒に弁当を作ってもらうなんて許されるのだろうか。お金を払えば…いや、それはそれで危ない感じがする。
けれど、ここで断るのも何か悪い気もするし、とりあえず一度ぐらい貰っても問題はないかもしれない。お礼はお金とかじゃなくて、今度学食でなにか奢るとかでもいいだろう。
「そっか、じゃあ、お願いしようかな…」
「本当ですか!?」
「うん、楽しみにしてるよ」
「はい、それじゃ、今から気合入れて作ってきますね」
そう言って星良君はコンビニを飛び出していった。
気合入れてと言っていたが、余り負担にならなければいいけれど。
僕はそう思いつつコンビニでの買い物を済ませ、自宅へ帰った。
「あ、やっと帰ってきましたね。私をほっぽり出してどこに行ってたんですか?」
「おはようございますって、ちゃんと服着てください」
玄関の鍵を開けて部屋の中に入ると、下着姿のマツリが立っていた。
「ダメですよ。ちゃんと、女の子が起きるまで隣にいないと」
「…朝ご飯買ってきたんですよ。まだ時間早いですけど準備するね。僕今日は部活で早めに学校行かないといけないから」
「ふーん。真面目に教官してるんですね」
「…それなりに、だけど…」
僕は電気ポットの電源を入れてお湯を沸かし、昨日の残りのお寿司を冷蔵庫から取り出す。
いつまでも裸でうろうろされても目の毒なので、マツリにはTシャツとジャージを着てもらった。
「今日はこれからどうするんですか?」
「私ですか?そうですねぇ…せっかくですからあなたの教官っぷりを見に行くというのもいいですね」
「えぇ…ちょっとそれは…」
「ダメですか?」
「駄目と言うか、ちょっと恥ずかしいといいますか…」
正直なところ自分が人に偉そうにものを押してれいるところなんて、マツリに見られたくはない。
「いいじゃないですか。あなたの教え子たちの顔も見てみたいですし、なにか問題あります?」
「まあ、問題はありませんけど…」
「それでは決まりですね」
どうせマツリが行くと言い出したら聞かないので、変に抵抗せずに彼女の提案を受け入れた。
「それじゃ、僕は朝ご飯食べたら出発するけど、マツリはどうする?一緒に行く?」
「そうですねぇ…そう言えば、私着ていく服がないんですよね。流石に喪服を着ていくわけにはいきませんし…」
「うーん…駅前に小さい服屋はあるんですけど、何と言うか若者向けで、合わないかも…」
「それどういう意味です?」
「ああ、いや、別にマツリが若くないとかいう意味じゃなくて、その、若者っていうか高校生向けみたいな…はは…」
何とか笑ってごまかそうとする。
「…そう言うことにしておきましょう。まあ、誰に目られて困るといいこともないですし、この格好で買ってきます」
「そうですか、開店は確か10時とかだったんで、それまではゆっくりしていてください。学校についたら携帯に連絡してくれればお迎えしますんで」
ということで、僕は一抹の不安を感じつつも、本日の訓練のため一人朝焼けの中、学校へと向かった。
…………
………
……
大型エレベーターに乗って最下層まで降りると、薄暗く微かに硝煙の匂いが漂う広い地下空間にたどり着いた。
「それじゃ、まずはレイン君と凛君から行こうか。じゃ、僕は凛君を指導するので、山下先生はレイン君をお願いします」
「はい、わかりました」
「それじゃ、他のみんなは観測塔に移動してね」
大鳥教官にそう言われて、私たち4人は分厚い鉄の扉を開けて、観測塔の中へと入っていった。
「うーん!わくわくだなぁ」
観測塔の最上階まで登ると唯里ちゃんが噛り付く様に窓に張り付いて、下で鎮座している機体を見つめる。
「唯里さんほどではありませんが、やはり新型に乗せてもらえるなんて少しドキドキしてしまいますね」
「そうだよね。…白藤さんも勿体ないな、こういう時にこれないなんて…」
「そうだね~って、白藤ってこの前の戦いの時、四型に乗ってたじゃん」
「あっ、そういえばそうだったね」
私たちにとって初めての実戦となった由比ヶ浜海岸での戦いで、遅れて参戦した白藤さんは、私たちの訓練などをよくサポートしてくれる佐藤技術少尉と共に新型の四八式重装機四型で颯爽と現れた。
あの戦場での白藤さんの戦いは、とても私たちと同じ学生とは思えない動きだった。あれが機体性能だけではないことは、近くで共に訓練をしてきた私たちが一番よくわかっていた。
「あれ、そう言えば白藤っていないけど、どうしたんだっけ?」
「今日は遅刻するって言ってたって凛ちゃんが言ってたよ…」
「なにそれ。寝坊ってこと?」
「それは、わからないけど…」
「ふーん」
唯里ちゃんはしばらく窓の下の訓練風景を眺めたあと―
「白藤ってさ、天才肌ってやつなのかねぇ?}
「天才…」
「だってさ、正直に言って私たちの中で一番練習量少ないでしょ。ランニングだってすぐに辞めちゃうし、授業は寝てばっかりだし、自主訓練だってやったことないし」
「でも、操縦者としての腕は彼女が頭一つ飛びぬけているのは認めざるを得ませんね」
百合奈ちゃんが複雑な表情でそう言う。
まあ、そうなってしまうのもわからないわけではない。
白藤さんに関して部内で複雑な思いを抱いている人が少なくないのは確かだ。白藤さんは不真面目で、気分屋で、それでいながら天才的な操縦センスを持っている。
シュミレーターでの成績はすでに黒沢先輩や山下先生ですら軽く超えていて、この学園で白藤さんに対抗できるのはもはや大鳥教官しかいないのかもしれない。
そして問題なのが、その大鳥教官だ。
こういう言い方はまるで嫉妬しているみたいで良くないのかもしれないが、はたから見るとどうしても白藤さんにだけ甘いというか、贔屓しているように見えてしまう。
大鳥教官は白藤さんが訓練を途中で投げ出そうが、授業を全く聞いていなかろうが、そのことについてきつく指導することはなかった。もちろん、そもそも大鳥教官が怒ったり、厳しい指導をすること自体ないことなのだが、流石に生徒の私たちから見ても目に余るようなことを教官が放置しているのは、少し面白くなかったりもする。
「あー、イヤだいやだ」
「どうしたの急に?」
「あっ、その、ちょっと…ね」
最近私の中にも白藤さんに対する妬みと言うか、嫉妬心が芽生えつつあった。私はその初めて感じる感情に振り回されないようにするだけで精いっぱいだった。
(これが恋するってことなのかな…?)
これまでの人生が必ずしも満ち足りたものだったわけじゃない。
物心つく頃には両親は他界していて、それからはずっと孤児院で育った。だからもちろん、贅沢なんてあまりできなかったし、私自身他人よりも秀でたものなんて持っていなかった。
しかし、それでも誰かを妬んだことなんて一度もなかった。
それなのに、今は白藤さんのことが羨ましい。
私も白藤さんみたいに天性の才能があればもっと教官に目をかけてもらえたかもしれないし、もし、私が白藤さんみたいな物怖じしない性格ならもっと気軽に大鳥教官とお話しできていたかもしれない。
そう思うと心の深いところからなんだか黒い感情か湧き出そうになってしまう。
誰が悪いわけでもないのにこんな感情を抱いてしまう私は、きっと悪い子なんだろう。
でも、それでも私は―
ガシャン
「おはよ~」
私がもんもんと悩んでいると、突然扉が開き、気の抜ける様な緩い挨拶をしながら白藤さんが入ってきた。
「はぁ~あ」
白藤さんはドサッと椅子に座ると、大きな欠伸をしてそのまま机に突っ伏してしまった。
「ちょっと、白藤さん」
それを見かねた百合奈ちゃんが声を上げる。
「私の番きたら起こして」
そしてそれを適当にあしらおうとする白藤さん。最近よく見る光景だ。
「柴崎、何言ったって聞かないんだからほっといた方がいいよ」
ずっと訓練を眺めていた瑠香ちゃんが冷たくそう言った。
「でも…!」
ガシャン
百合奈ちゃんがそう言った時だった、再び扉が開かれると見知らぬ、いや、どこか見覚えのある奇麗な女性が入ってきた。
「みなさん、おはようございます。今日は少しお邪魔させてもらいますね」
そう言う女性は、白いブラウスとデニムのパンツという飾らない恰好でありながら、美人オーラをこれでもかと言わんばかりに放っていた。
「え、ええっ!ええええええっ!」
唯里ちゃんがその女性を見て何か気付いたようだったが、生憎とちゃんとした言葉が出てこないようだった。
「あ、あの、失礼ですが風間少尉ですよね…?」
「はい。近衛第一師団重装機大隊所属、風間祭子少尉であります」
風間少尉はそう言って、おどけたように敬礼して見せた。
それを見て私たち、相変わらず寝ている白藤さんを除く4人は素早く席から立ち上がると、敬礼を返した。
「す、すみません。えっと、わたくしは花菱女学園一年生重装機兵部所属の柴崎百合奈です!」
「同じく黄地唯里です!」
「同じく青崎瑠香です」
「お、同じく、あ、赤星星良です!」
「あっ、そんなに畏まらなくていいですよ。今日は完全プライベートですから」
風間少尉は寝たままの白藤さんに気を止めることなく、柔和な笑みを浮かべてそう言った。
「それで、今日はどうしてここにいらしたんですか?」
みんなが尻込みする中、唯里ちゃんが怯まずそう尋ねた。
「ふふっ、ちょっとかわいい後輩の仕事ぶりを見学させてもらおうかなと思いまして」
「こ、後輩って、大鳥教官のことですよね?」
私は思わず食い気味にそう尋ねていた。
「はい、そうですよ。大鳥准尉は私の高校の時の後輩なんです。今日はたまたまこちらの近くに来る機会があったので、ちょっと様子を覗かせてもらおうかと思いまして」
風間少尉はそう言うと、窓の傍まで行き、下で指導をしている大鳥教官を見下ろした。
「あ…」
風間少尉の注ぐ視線をみて即座に勘づいた。心を読むまでもない、この人はライバルだ。
そもそも、たまたまここに来たなんておかしいし、軍の施設に来るというのに格好がカジュアルすぎるのも普通に考えておかしい。しかも、風間少尉といえば大鳥教官と昔付き合っていたのではなかっただろうか?まさか、別れたというのは嘘で、本当はまだ付き合っているとか?いや、それはないはずだ。まえに大鳥教官の心を偶然、たまたま見てしまった時は、確かに付き合ってはなかったはず…。
とにかく確実な証拠を手に入れるためにも風間少尉にそれとなく訊いてみるしかない。
私は疑惑を明らかにしようと思ったが、のどまで出てきた言葉があとちょっとのところで口から出ない。
いきなり、大鳥教官のこと好きなんですか?なんて聞けないし、どうしようかと悩んでいると―
「みなさんから見て、彼はどうでしょう?彼はいい教官ですか?」
と、風間少尉の方から私たちに話題がふられた。と言うより、明らかに私の方を見て話しかけてきたので、私が応えなきゃいけないような雰囲気だった。
「は、はい。大鳥教官は優しく丁寧に指導してくださりますし、その、他にも何と言うか、操縦も上手くてかっこよくて…って何言ってるんだろう私」
てんぱってしまって、ついつい余計なことを言ってしまった気がする。
「ふふっ。彼たら相変わらずモテてるんですね」
「あ、いや、その私が好きとかそう言う話じゃ」
何だが恥ずかしすぎて自分でも顔が熱くなるのがわかった。
「あなたはどう思います?」
風間少尉は今度は百合奈ちゃんに話を振った。
「はい。大鳥教官は星良さんが言ったように非常に丁寧な指導をしてくださります。また、先日の金属虫来襲の際には病気で十分に操縦できない体なのにも関わらず私たちのために駆け付けてくださったことは、本当に感謝の念に堪えませんし、その戦いの中、ハンデを背負っているとは思えないほどの卓越した操縦技術を発揮されていて、わたくしといたしましては、大鳥教官は軍人として重装機操縦者として非常に尊敬のできるお方で、その方に指導を受けることができるなんて、本当に光栄なことだと思っております」
百合奈ちゃんはまるで模範解答のような言葉をつまりもせずスラスラ答えた。こういうところで育ちの差と言うか、意識の差があるなぁ、と実感させられる。
「そうですか…。そいえば、柴崎さんということは、あの柴崎大尉の?」
「はい。瑠璃はわたくしの姉になります」
「そうでしたか…。私も大尉…いえ、今は中佐でしたね。とにかくお姉さんには随分とお世話になりました」
「そうだったんですか?」
「はい。戦技大会などで、何度かお会いする機会があって、そのたびに指導してくださりましたからね。そうだ、教官からお姉さんの話は聞いていませんか?」
「大鳥教官からですか…?いえ、教官からは何も…教官も姉となにか接点が…?」
そう尋ねられた風間少尉はほんの少しだけその柔和な笑みを消してが、すぐにまた笑顔を浮かべた。
「そうですね…その件については彼自身が語るのを待った方がいいかもしれませんね。あなたのためにも」
「ん…?それはどういう…」
「ですかから、私が言っていたとかは言わないでくださいね」
「は、はい…」
百合奈ちゃんはまだ気になっているようだったが、流石に上官に対して食い下がるようなことはしなかった。
「では、次にあなた。教官のことどう思います?」
「…私は…私としては、別に教官としてはそれなりはやってますけど、少し頼りない感じもします。ま、教官も新人なんで仕方ないとは思いますけど」
話を振られた瑠香ちゃんは、なかなか厳しめのことを言ったものの、風間少尉はその言葉の裏にある感情をすぐに読み取ったようで、その柔和な笑みを崩すことはなかった。
「そうですか。彼、確かに頼りないというか、どこか抜けているところありますよね。私も随分とヤキモキさせられました」
風間少尉は昔を懐かしむように話していた。
その表情を見るだけで、少し胸がチクリと痛む。
この人は私の知らない大鳥教官のことをいっぱい知っているんだと思うと、どうしても心が穏やかではいられない。
それは瑠香ちゃんも同じなようで、先ほどから静かに貧乏ゆすりを始めていた。
「あの、せっかくですから訊いてみたいんですけど、大鳥教官の学生の頃の面白い話とかありませんか?」
「面白い話?いいですよ、えっとですね…」
唯里ちゃんがなかなか興味深くて、私も聞きたいような聞きたくないような話を風間少尉にたずねた時だった。
「あの、ちょっといいですか?」
先ほどまで、風間少尉が来たことなんて全く気に留めず寝ていた白藤さんが不意に立ち上がり、風間少尉に話しかけた。
「どうしましたか?」
白藤さんは上官が来ても寝ていて、さらに急に話しかけてくるなんて随分と失礼なことをしているのに、それでも風間少尉は表情一つ崩さない。かなり心の広い人なんだと思った。
「えっと…風間…少尉でしたっけ?」
そのあまりに失礼な態度に、風間少尉ではなくて百合奈ちゃんが爆発寸前なので、見ている私の方がはらはらしている。
「はい、そうですよ」
「風間少尉はお強いですよね」
「重装機兵としてということですか?」
「うん」
「ふふっ。まあ、そうですね…少なくともヒイロ…大鳥教官よりは強いですよ。なにせ私は、出会った時からずっと彼の目標ですからね。これでも常に彼の前を走れるよう努力してるんですよ」
風間少尉はさらっと言った。
少し胸が痛んだどころか、まるで、大鳥教官はずっと私を追いかけてると言わんばかりだ。
同じことを瑠香ちゃんも感じたのか、一瞬こめかみのところがピクッっと引きつった。
まあ、そうだよねさっきのは流石にイラっとするよね、と心の中で瑠香ちゃんに話しかけたが、意外なことに瑠香ちゃんだけでなく白藤さんも明らかに苛ついていた。
「へ~。そんなに強いんですか…。あっそうだ。今日お暇なんですよね?よかったら私と模擬戦してくれませんか?」
何を思ったのか百合奈ちゃんが突拍子もないことを言い出した。
「白藤さん!あなたいい加減に…!」
百合奈ちゃんがついにキレて止めに入ろうとしたのを、風間少尉がそっと手で制した。
「あら、なかなか自信があるみたいですね」
「そうでもないですよ。ただ、同じ学生じゃ私の相手なんてできなくて、教官も病気で模擬戦なんてできないので、なかなかいい練習ができてないんですよ」
「ふふっ、そういう事でしたら受けて立ちましょうか」
当の本人たちはやる気になっているようだったが、周りで見ている私たちはあまりの急展開にただただ黙って事のいく末を見守るしかできなかった…。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「はぁ…本当に大丈夫かな…?」
僕はもう何度目かわからないため息をついた。
マツリがなんの連絡もなくこの地下演習場まで来ていたことにもびっくりしたが、いきなり美沙君と模擬戦をやるなんて言い出したものだから、はじめ僕は呆気にとられて開いた口が塞がらなかった。
もちろん反対はしたのだが、マツリはいつものように僕の言うことなんて全然聞いてはくれないし、美沙君も何があったのかはわからないが、へんに指示を張っているようで、頑として僕の言葉を聞き入れてくれなかった。
そうしているところに王室長もやってきて、面白そうだとかなんとか言って囃し立てるものだから完全に僕では事態の収拾がつけられなくなってしまった。
こうなってしまうと僕にできることと言えば、問題が起きないように祈る事だけだった。
「マツ…風間少尉、その…手心はちゃんと加えてください、お願いしますよ」
僕は嬉々として機体のセッティングをしているマツリに少し畏まって、それでいて少し情けなさすぎるぐらいの声で話しかけた。
「うーん…そういうのは相手に失礼だと思いますよ」
「そうは言ってもマツリは、ってそうじゃなくて少尉殿は第一線でご活躍されている現役の重装機兵ですけど、相手はこの間が初めて重装機に乗ったばかりの学生ですよ」
「ふふっ、でも聞いていますよ。彼女もこの間の戦いで初陣を飾っているそうじゃないですか。でしたら私と条件は一緒です」
「はぁ…」
なんだか動悸がしてきた。
「もう、そんなに不安がらないでください。ちゃんと先輩としての立場は弁えていますよ。それに、こういう時は私ではなくて、えっと…白藤さんでしたっけ?その子の傍に付いてあげなきゃダメですよ」
「…それもそうですね…それでは頼みましたよ」
「はーい」
僕は胸の中に不安を抱えつつも、少し離れたところで自分の搭乗する機体の脚部にもたれかかって座り、そこで山本先生からの指導を適当に聞いている美沙君のところへ向かった。
「美沙君…その準備の方はもういいの?」
「…別に」
美沙君は僕が話しかけると露骨に顔を背け、そっけない返事をした。
それでも僕は彼女の教官として最低限アドバイスはしてあげなければならないだろう。美沙君にとってはこれが初めての実機を使った模擬戦なのだから多少なりとも不安はあるはずだ。
「その…やるからには思い切ってやってね。まだ僕が教えられたことなんてほとんどないけどさ、そのあっちは先輩なわけだし、胸を借りるつもりでね」
「ふん、胸を借りたのは教官さんの方でしょ?」
「えっ!?」
「同じ匂い」
「に、匂い?」
僕は美沙君の突然の言葉に理解が追いつかなかった。
「あの女の人、いつもの教官さんと同じシャンプーの匂いがした。どうせ昨日、部屋に泊めたでしょ。そんでさ…」
美沙君はそう言うと急に立ち上がり、そのまま黙って機体に乗り込んだ。
「…ばっかみたい、これじゃまるで本気で…」
「ちょっと、美沙君」
「危ないから、離れててよ」
そのまま美沙君は僕の呼びかけに耳を貸さず操縦席のハッチを閉じた。
「もうあの子ったら」
「…山本先生、僕らも観測塔へ入りましょう。今は気の済むようにやらせた方がいいのかもしれません」
「そうかもしれませんね。…ところで、昨日本当に風間少尉とご一緒だったんですか?」
「…ノーコメントでお願いします」
「ふふ、はーい」
僕と山下先生が観測塔の最上階に上ると、そこには生徒たちと佐藤少尉、そして王室長が待っていた。
「やあ、もう二人は準備いいみたいだよ」
分厚い強化ガラス越しに演習場を見下ろすと、橙色に塗装された二機の重装機が50メートほど距離をとって互いに向き合ったまま制止していた。
「では、始めますね」
佐藤少尉が僕に確認をとるように声を掛けてくる。
「…はい、お願いします」
僕がそう答えると佐藤少尉は無線のスイッチを入れ向かいあう二機と通話を始めた。
「本訓練は、奪還した市街地を単独警戒中に敵性重装機と遭遇したと言う想定で開始いたします、武装については20ミリ訓練弾と大型模擬刀を使用します。どちらも訓練用とは言っても使い方を誤れば非常に危険なものです。その点を十分留意してください」
『了解』『はーい』
どちらの声からもあまり緊張が感じられないが、美沙君の声からはいつものおどけたような感じが少し薄れているような気がした。
「ではこれより一時視界を断として、遠隔操作でそれぞれ別ポイントへ移動させます。互いに移動完了となりましたらこちらから状況開始のサイレンを鳴らしますので、それまでは操縦が戻っても待機のままとして下さい」
『了解』『はーい』
二人が先ほどと全く同じ返答をすると、佐藤少尉が手元の端末を操作して二機の重装機を別々の離れたポイントまで移動させ始めた。
「…教官、どうなるんでしょう」
「どうって、それは…」
凛君の不安そうな言葉に僕はなんと返せばいいのかわからなかった。
残念なこと、というよりもこれは当然のことなんのだろうが、美沙君がマツリに勝つ可能性はほとんどゼロだろう。
だけど見てみたいと思う。
彼女の、白藤美沙の実力と言うものを。
ビィィィッー
けたたましいサイレンの音と同時にこれまで遠隔操作されていた両機が自由の身となる。
「始まった…」
美沙君はまだしも、マツリに関してはこの地下演習場に来るのは初めてのはずなのに、両機は迷うことなく互いに吸い寄せられるように距離を詰めていく。
…………。
観測塔の中にいる僕らもまるで当事者のように緊張し、みんな息を飲んで戦況を見守っていた。
ドドドッ
演習弾とは言え実弾と変わらない20ミリ機関砲の重い発砲音が鳴り響く。
最初に引き金を引いたのは意外にもマツリの方だった。
「命中弾なしです」
佐藤少尉が端末を確認しつつ言う。
ドドドッ、ドドドッ、ドドドッ
それからは激しい砲撃戦となった。
「やっぱり押されてるなぁ…」
唯里君がボソッと呟く。
「仕方ないさ。相手はあの風間少尉だぞ」
「そうですわよね。少尉も手を抜いているようですし…」
観測塔の中にいるみんなは美沙君が劣勢だと写っているらしい。
確かにマツリの方は開始前、手加減しては失礼だと言っていた割には、まだまだ様子見をしているような動きだった。しかし、それは美沙君も同じで、今のマツリのには付け入る隙があるはずなのに、インファイターであるはずの彼女が一気に距離を詰めるようなことはなく牽制するように短連射を繰り返すのみで、一定の距離を保っている。
それは美沙君がただ単に経験不足で踏み込めていないだけに見えるかもしれない。だけど、僕には分かっていた。
美沙君はきっと戦場の流れを読む才能がある。彼女は待っているのだ。必殺のその瞬間を…!
それまで逃げ回るように距離をとっていたはずの美沙君がビルの陰に隠れる。それを追ってきたマツリは用心深くじりじりと距離を詰めていく。
「美沙ちゃん…!」
凛君の祈るような声の後…
ドドドッ!
「あっ…!」
誰かが息を飲むようように声を上げた。
マツリの放った砲弾がついに命中する…ただし命中したのはビルの陰から放りだされた20ミリ機関砲にだけだ。
マツリの意識が宙に舞う機関砲に向けられたのは一秒にも満たない時間だっただろう、しかし、その間隙は美沙君にとってみれば必殺の間合いに踏み込むのには十分な時間だった。
ガキンッ!
金属と金属がぶつかり合う。
「すごい…!」
低い構えから突き出された模擬刀は必殺の一撃のはずだった。しかし、それさえもマツリは難なくねじ伏せる。
美沙君が放った鋭い一撃を自らも機関砲を投げ捨て抜き放った模擬刀で弾くと、今度は逆にマツリが上段から一閃を放つ。
美沙君は辛くもその一撃を躱すが観測塔の端末に左腕被弾、使用不能の表示が出る。
しかし、美沙君はそこで諦めたりはしなかった。
追撃をかけようとするマツリ対して、敢えて突っ込みその態勢を崩す。
その時強い既視感に襲われた。
(やられる…!)
僕はそう思ったとき、気付けば叫んでいた。
「下がれ!」
と。
しかし、当然のようにその声は美沙君には届かず、次の瞬間には美沙君の機体が大の字になって横たわり、マツリが模擬刀を突き付けていた。
………
……
…
「今日はありがとうございました」
僕は訓練が終わった後、第二特別区唯一の駅までマツリを見送りに来ていた。
マツリは美沙君との模擬戦が終わった後も部員たちに付き添っていろいろと面倒を見てくれた。彼女たちにとって今日のことはいい刺激になっただろう、と思いたい。
「どういたしまして」
しかし、僕の心情的にはどうしても、モヤモヤしたものが残っている。
「…白藤さんのことまだ気になります?」
「それはそうですよ…」
美沙君は模擬戦のあと、体調不良を理由に部活を早退した。
彼女としては初めての敗北だろうし、性格的に難しいところもある子なので、すごく心配なのは事実だ。
今回のことをバネにこれから頑張ってくれれば一番いいが、正直どうなるかはわからない。教官として僕が上手くフォローできればいいのだけど、情けないことにそんなにうまくできる自信なんてなかった。
「まあ、無責任なことを言いますと大丈夫だと思いますよ」
「そうでしょうか…」
「ええ、だって彼女あなたにそっくりじゃないですか」
「えっ?僕に?」
「戦い方も、そして生き方も」
「…」
そうだろうか?
確かに美沙君は僕と同じように敵の懐に飛び込んで戦うのが得意だ。しかしそれはマユラも同じで、僕としてはむしろ美沙君はマユラに似ていると思っていた。
「彼女もあなたに似て生き急いでいるようですしね」
「生き急いでいる?」
「ええ、少なくとも私にはそう見えました」
マユラはそう言うと、急に近づいてきて僕の耳元で、
「だから以前のあなたのように支えになる人が必要なのです」
そう呟いた。
「いやいやいや、何を言って」
「もう、別に抱きなさいなんて言ってませんよ」
「だ、抱くって子供相手に何を言ってるんですか。冗談がすぎますよ」
「ふふ、まあ行き場なくなったらちゃんと私が引き取ってあげますから、あなたはあなたの思うようにしてみなさい。彼女もきっと、あなたの本心からの言葉なら聞いてくれるでしょう」
「はあ…」
それじゃ、またね。
そう言って歩き出したマユラを黙って見送っていたが、何かを思い出したようにマユラが駆け足で戻ってきた。
「そうだ、大事なことを二つ忘れていました。はいこれ」
「ん?」
マユラは僕の手を取ると、一本のカギを渡してきた。
「これは?」
「今日の夜には届く様に手配してあるからちゃんと受け取ってくださいね」
「夜?」
「それであともうひとつ、んっ」
マユラは最後に吸い付くようなキスをしてきた後、今度こそ振り返ることなく駅の構内に消えていった。
一人残された僕は、手渡されたカギを握りしめしばらくの間、吹き付ける潮風に吹かれていた。
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