第三話

~回想終了~


 「大鳥教官?」

 「えっ?」

 「どうかしましたか?ぼーっとして…」


 山下先生が心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。


 どうやらあの戦いのことを思い出していくうちに、ついつい物思いに耽ってしまっていたみたいだ。


 「いや、大丈夫です。えーっと、どこまで話したっけ?」

 「ブルネイ上空から降下したところまです」


 唯里君が笑顔で答える。


 「ああ、そうだったね。…ブルネイでは予定降下ポイントから大きくずれたせいで、かなり苦戦して―」


 ピーンポンパンポーン


 『大鳥教官、お客様がお見えです。応接室までお越しください。繰り返します―』


 「ん?誰だろう?」


 今日誰かが面会に来る予定なんてなかったはずだが…。


 「大鳥教官、行ってください。授業は私が引き継ぎますから」

 「そうですね、お願いします」


 僕はそう言って花組の教室を後にして、校舎一階の応接室まで足早に向かった。


 コンコン


 「失礼します…」


 応接間の扉を軽くノックして、ゆっくりと部屋の中に入る。


 「やあやあ、イチロー君久しぶりだねぇ」


 応接室には長身で派手な金色に染めた髪をした見覚えのある女性がいた。


 「王班長?どうしてここに…」

 「いやー、実はボクもキミと一緒で今度出世してねぇ、ひとつ研究室を任してもらえることになったのだよ」

 「はぁ…」


 僕の質問の答えにはなっていないが、要するに昇任したからこれまでの小さな研究班ではなくて、一つの研究室を任されることになって、ここ鎌倉出島の第四陸軍技術研究所の分所に異動になったということだろう。


 王班長、改め王室長は以前と変わらず無駄に大げさな手ぶり身振りをしつつ、控えめな胸を張って緩いしゃべり方をする。相変わらず年甲斐のない人だと思う。確かもう30歳ぐらいだったと思うが…。


 「そうだったんですか。おめでとうございます」

 「どういたしまして」

 「久しぶり、大鳥君」

 「あ、佐藤少尉、お久しぶりです。お元気そうでよかった」


 これまで後ろでおとなしく控えていた細身の男性が前に出る。


 佐藤技術少尉は王室長とは大学の研究室時代の付き合いらしくて、自由人の王室長の手綱も握れる数少ない人物の一人だった。


 「えっと、それで今日はなにか?」

 「なにかって、新任の挨拶だよ。こう見えてもボク常識人だからねぇ。こういう礼儀とか、結構大切にしてるんだよぉ」


 正直なところ、どの口がそんなことを言うんだと思ったが、口には出さなかった。


 「いやー、それにしてもまたキミと働くことになるとは、まったく人生とは面白いものだよ。そう思うよねぇ?」


 僕は王室長の言う通り以前、と言うか一年ほど前に知り合って、それから彼女の研究チームに参加していたことがある。


 「それにしてもキミも大変だったねぇ。まあ、あのことに関しては、ボクらも巻き込まれちゃって結構大変だったんだけどっさぁ」

 「あ、いや、その節は大変ご迷惑を…」

 「ホントだよ、おかげでボクの≪天狼≫は憲兵隊預かりのまま全然帰ってこなかったし、ボクらまで取り調べされるし―」

 「室長、そのあたりで」


 調子に乗ってペラペラとしゃべりだした王室長を諌める様にして佐藤少尉が言う。


 「いやいや、ジョージ君、ボクは互いの苦労を労おうかと思ってねぇ。いやー、ホント大変だったよねぇ。ボクとしてはキミが銃殺刑にでもなるんじゃないかと思ってひやひやしたよ」

 「ははは……まあ、銃殺にはなりませんでしたけど…結局予備役送りみたいなもんですよ」


 まだ一応は軍に籍は残っているが、この先どうなるかはわからない。自分のしたことを思えばいつ有形無形の圧力がかかって、軍をやめざるを得ない時が来てもおかしくはないと思う。それどころか、命を狙われていても不思議ではないとさえ思う。


 「でも晴れて将校になれてよかったじゃない」

 「教官になるためには尉官以上の階級が必要だっただけです。多分、久我山閣下がいろいろと手をまわしてくれたんだと思います」

 「へぇ~、陸軍大臣と繋がりがあるんだ?」

 「ええ、まあ。閣下は僕の父と知り合いで、それに僕が学生時代に教育総監をやられていて、重装機兵部の大会などで結構お会いする機会も多くて…裁判の時も随分と助けてもらいました」


 陸軍甲十三号事件


 陸軍最高機密事項に指定された事件。昨年6月に樺太で第四機動憲兵隊がテロリストの制圧任務中に起きた事件で、表向きには任務中に突如出現してきた金属虫により、憲兵隊と退避させていた現地住民合わせて200名が死傷した事件だと発表されている。


 しかし、事実は全く異なる。


 事実を知る僕や王室長を含めた事件関係者には緘口令が敷かれおり、しかも、僕に限って言えば事件の関係者どころか当事者で、事件後から半年にわたり非公開の軍法裁判にかけられていた。裁判は次第に事件の事実解明よりも、陸軍内の派閥抗争の道具となり、久我山陸軍大臣が僕を庇ってくれたのも純粋な正義や親愛からでなく、自らが所属する派閥・統督派と敵対する尊皇派との抗争の中で、そうした方が良いとの判断もあったと思う。


 どちらにせよ、あの事件は僕がもっと上手くやれていれば、あんな悲惨な結果にはならなかった。


 誰も死ななくて済むような方法があったんじゃないか?


 あの事件からそんなことばかりを考えている。たらればの話なんてなんの意味もないってことはわかっているつもりではあるが…。


 「ふ~ん、まあ閣下のことは良く知らないけど、いい判断だねぇ。いやボクとしてはとても助かるよ」

 「どうしてです?」

 「いやぁ、何を言っているんだよ。キミはボクの知る中でもっともネジのぶっ飛んだ人間だよ」

 「そ、それは…褒めてるんですか…?」


 僕も他人と比べて少々変人ぽいところがあるのは認めるところだが、少なくとも王室長には言われたくなかった。


 「キミはキミのおかしさに気付くべきだよ。だって、いくらボクの最高傑作≪天狼≫を使っていたとはいえ、機関砲もなしであの―」

 「室長」


 佐藤少尉が話を止めようとするが王室長は全くそれを気にしない。


 「剣聖とまで呼ばれた柴崎大尉率いる精鋭部隊の機動憲兵隊をたった一人で壊滅―って痛ッ!?」


 王室長はいきなり足を踏まれた痛みで、ようやく話を止めた。王室長には悪いが、僕はこれ以上その話を聞きたくなかったので助かった。


 「すみません室長。ついうっかり踏んでしまいました」

 「絶対うそでしょ…」

 「あの事件の話はしないでくださいっていつも言ってますよね。特にこんな外部で話すなんて、どこで誰が聞いているのかもわからないんですよ」

 「んー?まったくジョージ君は神経質だなぁ。大体人の口に戸は建てられないんだよ?どうせそのうちどっかの週刊誌にでもすっぱ抜かれるのがおちだと思うなぁ」

 「そうだとしても、敢えて私たちが情報を漏らす必要なんてないですよね」


 佐藤少尉が笑顔なのに言い知れぬ威圧感を醸し出す。


 「ま、まぁ、今度からは気を付けるよ」

 「本当にお願いしますよ。室長はただでさえ敵が多いんですからね」


 四六時中王室長と一緒に仕事をする佐藤少尉の苦労は想像しがたいものがあるが、どうかいつまでも懲りずに頑張って欲しいと陰ながら応援することにしている。


 「それにしても、王室長がこちらに来るということなら自分の方から挨拶に伺ったのに」

 「ああ、いいんだよぉ。何せこっちに来ることになったのも急な話だったからね」


 おととい、訓練機の整備などを担当してくれる関係で、こちらに赴任する前に相模原にある第四陸軍技術研究所の所長に挨拶に行った時には、そんな話何処からも聞こえてこなかった。よくも悪くも王室長は有名人だから多少の噂話ぐらいは聞こえてきてもよさそうなものだったが…。


 「それでさぁ、今日の朝にこっちについたんだけど、何とキミがお隣で教官をやってるって聞いて、いてもたってもいられなくて来ちゃったってわけだよ」


 王室長はまるでダンスでも踊るかのようにそう言う。


 なんだかこの人がテンション高いと少し怖い。


 「と言っても、研究室にまだ何も届いていなくて暇だっただけってものありますけど」

 「随分と急な異動だったんですね」

 「…まあ、それなんですけど…」


 佐藤少尉はがっくりと肩を落としてしまった。


 「いやぁ、実はさぁ、ボクが前の研究所の所長と大喧嘩しちゃってねぇ、北海道から追い出されちゃったんだよねぇ。ま、ボクとしては寒いとこは嫌いだから結果オーライってとこだよ」


 王室長は追い出されたというのに楽しそうだ。


 「もう、本当にこの人は…」


 そんな様子の王室長に佐藤少尉は頭を抱えていた。


 (がんばれ)


 僕は心の中でエールを送った。


 「ま、挨拶ついでって訳じゃないだけど、今日はキミに提案があるんだよね」

 「提案?」

 「はい、大鳥君にまた私たちの研究に参加してほしいのです」

 「えっ…?」

 「教官と兼務になりますが、残念なことに私たちの研究室はあまり予算も人員も足りてないので、そこまで頻繁にということにはなりません。月に2,3回ほどになると思われます」

 「…参加してくれるよねぇ?と言うかキミの籍まだウチの研究班に残ったままだったから、こっちに移転する手続する時、一緒にキミ籍もボクの新しい研究室に異動させちゃった」

 「そうなんですか?」

 「ああ、はい。一言ご連絡をと思いましたが何分急なことだったので…」


 王室長の研究チームには一年前に機動憲兵隊に配属になったときにも兼務で所属していたが、甲十三号事件のことがあってから顔を出すことができなくなったままになっていた。確かに正式な辞令では軍務教官に任命となっていたが、免研究所員とはなっていなかった。


 「そういうわけだから、またよろしく頼むよ」


 王室長が笑顔でそう言う。


 「……今は、少し考える時間をくれませんか?」


 僕は、少し考えた後そう切り出した。


 「うーん。考える時間って言ってもなぁ。キミはまだウチの所属なんだから上司の命令には―って痛い痛いッ!?」


 佐藤少尉が王室長の脇をつねっていた。


 「ええ、構いませんよ。こちらもしばらくは引っ越しの準備で忙しいですし、大鳥君も教官になったばかりでいろいろと大変でしょうしね」

 「…そう言っていただけると助かります。でもそれだけじゃなくて…」

 「ん?」

 「あれから一度も重装機には乗っていないんです。前のように動かせるか自信がありませんし、別の誰かを探した方がいいかもしれません…」


 僕がそう言うと、王室長はいつもの笑みを浮かべつつもその瞳は心を見透かしているようで、居心地が悪かった。


 「ま、そういうことならいいだけどねぇ。ゆっくり考えるといいよ。…ボクにはもうキミの出す答えがわかっているけど。それじゃ、今日は帰るとしようかな」


 王室長はそう言い残して一人で口笛を吹きながら帰っていった。


 それを見送ると、佐藤少尉が優しい口調で語りかけてきた。


 「大鳥君、君は正しいことをしたと私は思ってる。少なくとあの場での最善は尽くした。だから、あまり考えすぎない方がいいですよ。…なんて今更何でしょうけど」

 「いえ、ありがとうございます」

 「それじゃ、私も帰ります。暇なときには気軽に研究室に顔を出してください。お茶菓子ぐらいは出せますから。あと、訓練の方の手伝いもうちの研究室が受け持つことになるので、遠慮なく頼ってください」

 「はい、ありがとうございます」


 僕は佐藤さんが応接室を出るのを見届けると、ソファーに深く腰掛けた。


 僕の居場所は、いるべき場所はここにはない。そんなことはわかっている。ただ、僕が戦場に出ることで、また誰かが死ぬ…いや、殺してしまうのではないかと根拠もない不安が心の中でずっと燻っている。


 二人が帰った後も僕は、教室にはすぐに戻らずに応接室の中で少しの間物思いに耽っていた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

同時刻 花菱女学園 花組教室


 「あーあ、もっとお話し聞きたかったのになぁ」

 「またいつでも聞けるでしょ」


 不満を言う唯里ちゃんに山下先生が板書をしつつ言う。


 「じゃ、現在の日本と豪州の関係について説明するわよ」


 大鳥教官が応接室に行ってしまったから、午後の授業は山下先生が国際情勢の授業を始めていた。普通科の学生ではあまり深くやらないような地政学的な授業だが、内容としてはまだまだ初歩の初歩と言った感じだ。


 「まだ難しい話をしてもわからないことも多いと思うから、最近の状況を簡単に説明するわね。みんなも十分わかってると思うけど、簡潔に言って仲が悪いです。特に関係が悪化したのは、大鳥教官が話してくださったボルネオ島紛争が原因です。あの紛争は1940年代以来の大規模な国際紛争でした。っとここで質問です。どうして豪州はボルネオ島に侵攻してきたのでしょうか?黄地さん、答えてください」

 「あ、はい」


 急に質問を振られた唯里ちゃんはちょっと困った様子で、ゆっくりと立ち上がった。


 「えーっと、もともとあそこらへん…インドネシアだっけ?まあ、あそこら辺んは、日本と豪州の緩衝地だったから…日本に取られるのが嫌だったんじゃないかなーって、そう思いますッ!」


 結構ふわふわした回答だったが、最後だけビシッと決めてドヤ顔で着席した。こういう大胆と言うか、勢いに任せていくところはほんの少しだけ見習いたいと思ってる。


 「まあ、100点中20点かな」

 「低い!?」

 「もちろん、黄地さんが言ったことも正しくはあるんだけれど、もう少し詳しく説明すると、豪州が介入してきた一番の理由はやっぱり石油です。豪州国内でも石油は産出されますが、とても5億の人口を賄える量ではありませんから」


  山下先生の言う通り豪州軍は日本軍がボルネオ島をほぼ制圧し終えた段階で強襲を仕掛けてきた。日本軍の必死の抵抗を受けて敗退した後も、豪州政府は日本によるボルネオ島の統治は不当だとして非難を強めている。


 当然それに対して日本国内からは強い反発が起きていて、両政府の外交関係は破綻し、現在は残りの旧インドネシア領をめぐって両国のにらみ合いが続いている。


 「あの、山下先生質問いいですか?」

 「どうぞ、黄地さん」

 「どうして、体育教師の山下先生が『社会』を教えているんですか?」

 「今更?」


 山下先生は唯里ちゃんの授業の流れをぶった切るような質問に呆気に取られていた。


 「あのね、私は保健・体育の教員免許しかないし、下士官で引退したから教官としての資格もないけど、去年みんなのためにね、3か月も軍の学校に行って、助教育成課程で勉強してきたからこうして授業の補助してもいいことになってるの」

 「ん?でも今って、補助って言うか授業そのものなんじゃ…」

 「いいんです。いまは教官が諸用で出てますから、私が授業していいんです」

 「へー」


 唯里ちゃんは自分で訊いておいてあんまり興味がなさそうだった。


 この後も山下先生の良くも悪くも軽い感じの授業が暫くと思ったが、意外と早く大鳥教官が戻ってきた。


 「すみません」

 「いえいえ、もうよろしいんですか?」

 「ええ、前に一緒に仕事をしていた人が尋ねてきてくれて」


 そう話す教官は昔の知り合いにあったというのに、あまり嬉しそうな顔をしていない。何か悩んでいるようにも見えた。


 どんな人と会ったのか、どんな話をしたのか、ちょっと気になる。


 「それじゃ、教官、さっきの話の続きお願いします」

 「黄地さん、後にしなさい」

 「えぇ~」

 「ここで終わると中途半端になっちゃうので、授業を続けます。大鳥教官もそれでよろしいですよね?」

 「はい、もちろん」


 そういうわけで結局山下先生の授業が継続されることとなってしまった。


 私としては、別に山下先生の授業が嫌いだとかそんなことはないのだけれど、本当はもっと大鳥教官の話を聞いてみたかった。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 同日 鎌倉市内


 午後の授業の後、僕は十数名の先生方と鎌倉まで電車で向かい、歓迎会に参加した。


 部員も集まっていないのに飲み会なんて、と思いもしたが何を隠そう僕の歓迎会だったため、断ることもできなかった。

 

 僕はあまりそう言った席には慣れてなかったので、終始ぎこちない感じで、先生方とちゃんと親交を深められたが全く自信がない。


 と言っても歓迎会を開いてくれたこと自体は本当にありがたいことで、親交を深められるかどうかはこれから頑張り次第と言うところだろう。


 ま、そういうわけで、歓迎会も無事終わり、今僕は何をしているのかと言えば、一人駅まで歩いているところだ。他の先生方はほとんど鎌倉市内に住んでいるらしくて、出島に戻るのは僕一人のようだった。


 歓迎会の会場から駅まではそんなに離れておらず、徒歩で10分もない。駅までの道はまだ20時ぐらいと言うこともあって、二次会へ向かうサラリーマンや客引きの店員の姿が多い。


 「居酒屋『まほろば』本日ビール一杯無料でーす。あっそこのお兄さん今夜どうですか?お一人様も大歓迎ですよ」


 なんだが居酒屋の客引きなのにフリフリの所謂メイド服を着た女性が声を掛けてきたが、特に飲みなおす気分でもなかったので―

 

 「大丈夫で…す?」


 と言って立ち去ろうしたが、そのメイド服姿の客引きの顔を見てふと立ち止まる。改めてまじまじと見てみると、フリフリのメイド服は全くこの辺の雰囲気に合ってないし、そもそもお店の『まほろば』と言う名前からも特別メイドを売りにしているような感じは受けない。


 はっきり言って、浮いていた。


 しかも、着ている本人も頑張って笑顔を作っているが、どう見ても目が笑っていないし、不機嫌なオーラが滲み出ていた。そう言った意味でも、なんだかそのアンバランスさが異様な存在感を放っていた。


 しかし、僕はそんなメイド服姿の女性になんとなく見覚えがあるような気がした。


 「えっと…君…」

 「はい?」

 「………青崎さん?」

 「………あっ」


 そうだ、どこかで見たことあったかと思ったら、学校に行った初日に職員室の前で少しだけ話した青崎瑠香君だった。

 

 名前を呼ばれた彼女も僕のことを思い出したのか、暫くどうしようか迷った後、黙って立ち去ろうとしたので、僕は思わずその手を掴んでしまった。


 「えーっと、こんなとこでどうしたの?」

 「…別に」

 「いや、別にじゃなくてさ…体調不良で帰ったって聞いたけど」

 「まあ、大丈夫です。と言うか手」

 「えっ」

 「別に逃げないから」

 「ああ、悪い」


 僕は慌てて瑠香君から手を離した。


 「それで―」

 「ここじゃ目立つ、ちょっと来て」

 

 瑠香君はそう言うと、今度は彼女の方から僕の手を取って、表の通りから路地裏の方まで引っ張って行かれた。


 「で、どうするの?」

 「どうするって?」

 「…私のこと怒らないの?」

 「怒るって…なんで?」

 「学校仮病使ってさぼったし、それにうちの学校バイト禁止だし…」


 (ああ、そういうことか)


 まだ教官としての自覚がないのか、あまり授業をサボられたからどうとか、校則違反をしているからどうとか、あまり気にはならなかった。


 「うーん、別に怒りはしないけど…理由はちょっと気になるかな?」

 「ふーん…。ま、いいけど。仮病つかってサボったのは店の手伝いしなきゃいけなかったから」

 

 瑠香君はそうぶっきら棒に言う。


 「そっか、でもどうしてバイトを?部活やっててもそれなりにお金出ると思うけど…」

 「別にお金のためにやってるわけじゃ―」


 「おいッ!てめぇ、何してやがるッ!」


 そんな怒号とともに、派手な茶髪の男が駆けよってきた。


 「え、ちょ、ちょっと落ち着いて」

 「うっせぇッ!」


 男はそう言って拳を振り上げる。近くで瑠香君が何か言っているようだが、僕の耳にはどうしてか届かなかった。


 男の拳は大振りできっと避けることも、反撃することも可能だろう。だけど、この時はそんな気が起きなかった、なんて言うと言い訳じみているが、それが正直なところだった。


 そういうわけで、僕は瑠香君が茶髪の男を殴って無理やり止めるまで、数発殴られた。



 ~15分後~


 「はいこれ」


 瑠香君が働いている居酒屋の奥、と言うより瑠香君の自宅の居間で休ませてもらっていると、瑠香君が氷嚢を持ってきてくれた。


 「やっぱり、ちょっと腫れてきたね。…血は止まった?」

 「うん、それは何とか。まだ口の中は痛いけど…これぐらいなら大したことないよ」

 

 殴られて大怪我、とまではいかなかったが、それ相応に怪我はした。まあ、それでも昔から怪我の治りは早い方だ。一晩寝ればほとんどよくなるだろう。


 「…あの貧弱な兄貴でも結構やれちゃうもんなんだね」

 「君を守ろうとしたんだろ、だからいつも以上の力が出たんじゃないかな?」

 「…完全に見当違いだったわけだけど」


 僕を殴ったのは瑠香君の兄で、優と言うらしい。瑠香君が働いている居酒屋の店主で、瑠香君がお店で働いていたのも、その手伝いをするためだったらしい。


 「それにしても、元軍人なんでしょ、徴兵漏れの兄貴に殴られっぱなしって言うのはどうなの?」

 「…まだ一応現役だよ、僕は。…まあ、あそこで殴り合いをしてもしょうがないからさ。僕にはお兄さんを殴る理由なんてないわけだし」

 「そう………ごめんなさい。それに、ありがとう」


 瑠香君はそう小さな声で言う。

 

 「私がもっと早く止めてればよかったし、それに……怪我したのに兄貴のこと許してくれて…」

 「大丈夫だよ。別にこれくらい怒るようなことでもないしね。それよりお店の手伝いって大変なの?」

 「えっ…まあ、あんまりうち上手くいってないから。兄貴は料理以外ダメダメで、あんなんだし、最近はお酒も野菜もお肉も値段がどんどん上がって、バイト雇えるほど余裕がなくなってるんだ」

 「…そうなんだ」

 

 瑠香君の言う通り、豪州との関係が悪化してから貿易はほとんどストップしてしまい、それから徐々に物価が上がってきている。


 日本も多くの難民を抱え、本土と呼ばれる北海道から沖縄までの範囲に2億7000万人、それ以外の外地と呼ばれる領土には3億人が住んでいると言われる。


 その人口すべてを支えるには、日本の領土は狭すぎる。


 今はまだ何とかやっていけているが、いずれ限界が来る。その前に何とかこの状況を打破しなければならない。でなければ、いずれ日本は内部から崩壊してしまうだろう。今でさえ、極左や極右、独立派にカルト集団など内部にいくつも火種を抱えている。これ以上厄介ごとを抱えられるほど、今の日本の社会は丈夫にできてはいない。


 「明日は部活に来られるの?」

 「…無理かも」

 「どうしても?」

 「…多分」

 「そっか」


 僕がそう言うと、瑠香君は少し戸惑うような表情を見せる。


 「出ろって言わないの?」

 「うーん。出て欲しいのはやまやまだけど…家の事情があるんじゃ、あまり強くは言えないよ」

 「…あんた、それでも教官?」


 瑠香君が少し呆れたというような声色で言う。がその顔はそれまでの彼女とは違った優しそうな笑みを浮かべていた。


 「…じゃ、そろそろ僕は帰ろうかな、明日は早く学校に行かないといけないから。これありがとう」

 

 僕が氷嚢を返そうとすると―


 「まだ休んでなよ……何なら泊ってってもいいし。私も朝早いから起こすよ?」

 「あ、いやそれは、まずいんじゃ…」

 「なに気にしてんの、兄貴もいるし、それにあんたなら大丈夫でしょ。じゃ、お風呂でも入って来なよ。その間布団とか出しとくから」

 「えっ、いや、まだ僕、泊まるって言って…」

 

 瑠香君の中ではもう僕は泊まるのが確定したようで、僕の言葉を聞くこともなく布団の準備をしに行ってしまった。


 「…あっ、お風呂は部屋を出て左の方にあるから」


 奥の方からそんな声が聞こえる。


 本当にいいんだろうか、教官が生徒のしかも女子生徒の家に泊まるなんて。普通に考えてよくないどころか、学校にばれたら結構な問題になるような気がする。


 けれど、瑠香君の言うように気にし過ぎなのかもしれない。瑠香君のお兄さんも傍にいるわけだし、それに自分でもこれまであまり気付かなかったがだいぶ疲れているみたいで、瞼が妙に重い。ここは素直にご厚意に甘えてもいいのかもしれない。


 まあそうするにしても最悪ご両親に話を通さないと、と思ったが棚の上に置いてある小さな仏壇とそこに飾られている写真を見て、それは叶わないことだと気付いた。


 僕は座りなおして、仏壇に手を合わせる。これから重装機兵部教官として大事な娘さんを預かる以上、やっぱり挨拶ぐらいはしておくべきなのだろう。


 「ちょっと、まだお風呂行ってないの…ってなにしてんの?」

 

 居間に戻ってきた瑠香君が不思議そうな顔をして尋ねる。


 「ああ、ちょっと、挨拶をと思ったんだけど…」

 「…今どき珍しくもないでしょ、親がいないなんて」

 「…まあ、そうかもしれないね」


 両親ともいないのは流石に少ないと思うが、金属虫との戦いで片親を亡くした子供は決して少なくない。


 「でも、うちは別に金属虫にやられたとかじゃなくて、お父さんとお母さんはお店の買い出しの途中に交通事故でね、もう6年も前になるかな…。だからさ、今はもう何でもないよ」

 

 そう言う瑠香君は本当に何でもないというような顔をしていて、その本心を伺い知ることができなかった。


 「強いんだね、瑠香君は」


 僕はそんな風にはなれそうにもない。なぜなら今でも夢に見るのだ、父親が死んだときのことを、いや、それだけじゃない。僕の周りで死んでいった人たち、みんなの顔が、声が時折脳裏によぎる。


 それはまるで、僕自身が僕の罪を忘れさせないために見せているのではないかと思うほどだ。

 

 「…さ、早くお風呂入っちゃってよ。着替え後で置いとくから」

 「ああ、うん」


 と言うことで、流されるようにお風呂に入ることになった。


 (本当にいいのかなぁ?)


 下手をするともう一回、瑠香君のお兄さんにぶん殴られそうだが、そこはまあ瑠香君がどうにかしてくれるだろう。どうやら、家庭内ヒエラルキーはお兄さんより瑠香君の方が上のようだし。


 そんなことを思いながらゆっくりお風呂に浸かっていると、いきなり風呂場の扉が開けられた。


 「失礼するっすッ」


 誰かと思えば先ほど僕を殴った茶髪頭の瑠香君の兄・優が裸で立っていた。


 「え、えっと、どうしたんですか…?」

 「お背中お流しするっす」

 「えっ、いやもう自分で洗ったから大丈夫ですよ。…どうかお気になさらず…」

 「遠慮はいらないっすよ」

 「え、遠慮じゃなくてですね…」

 「いや、ここは俺を頼ってください。俺が怪我させたんです、何でもお手伝いさせていただきます」

 「いや、もう大丈夫ですからッ!」


 そうしてなんだかんだ攻防があったあと、結局お風呂を出てから居間の方で話をすることになった。


 服は恐らく優さんのものだと思われるジャージを借りた。優さんは僕よりも少し背が低いが、だいぶゆったりとしたジャージだったので、問題なく着ることができた。


 怪我の方はもうもほとんどよくなって、さっきお風呂から出た時に鏡で見たら腫れもほとんど引いていた。

  

 「まずは、これをお納めください」

 「ん?」


 優さんが茶封筒を渡してくる。


 「ぜんぜん少ないいっすけど…今はこれだけしかなくて…」

 「えっ?いや、お金なんていいですよ。これは受け取れません」

 「で、でも、それじゃ…」

 「本当にいいですから、誰だって間違うことはありますし、それに僕は丈夫ですから。もうだいぶ腫れも引きましたし、大した怪我じゃありませんよ。だから、これはお返しします」

 

 僕はそう言ってお金の入った封筒を優さんに返した。


 「で、でもそれじゃ、俺の気が収まんないっす」

 「ああ、えっと…じゃあ、今度僕がお店に来た時何か一品サービスしてください」

 「えっ、そんなんでいいんですか?」

 「はい、瑠香君が優さんは料理が上手だって言ってたから。楽しみにしてますよ」

 「……了解っす。マジで気合入れて作るんで期待してください。………でも、ホント、あんたいい人っすよ…お、俺…なんだか」

 「す、優さん?」


 突然優さんは涙を浮かべた。


 「俺、体弱くて、徴兵も弾かれて、全然就職もできなくて、みんなにバカにされて…こんな情けない奴だから、瑠香にも迷惑かけて、ケガさせた人に優しくしてもらって…ほんと情けないっす。お店も上手くいかないし、俺ホントどうしたいいかわっかんなくなって、今日のことだって、半分八つ当たりみたいなもんで―」

 

 金属虫の侵攻が進むにつれて徴兵制度は拡張していき、現在では16歳から24歳までのすべての男女が徴兵対象とされ、2年の兵役に就かなければならない。また徴兵期間終了後も男性の多くは予備役として軍に籍を残し、有事の際には召集がかけられることとなる。


 もちろん、様々な理由から徴兵対象から外れることはあり、心身に故障のある者や、軍に協力している大学や企業の研究施設に所属している者は徴兵されることはない。


 そういう時代だから、兵役に就いてない者、特に男性の場合は往々にして世間から軽んじられる風潮がある。研究室にいて兵役免除ならまだ理解もされるし、むしろ尊敬される立場だが、心身に問題があって徴兵から弾かれた者はそれなりに肩身の狭い思いをすることになってしまう。


 明文化しているところはないが、官公庁や軍とつながりの深い企業は兵役経験者しか採用しないし、そうじゃない企業にしても兵役経験者とそうでない者であれば、自然と前者を優先して採用する。


 もともと故障があって兵役に就かなかったから、と言うこともあるのだろうが、兵役に就いた者は互いにある種の連帯感と言うか、仲間意識があって、それが理由で兵役に就いてない者に対する差別意識みたいなのが芽生えてしまっているとういう面はあるだろう。


 だから兵役に就いたことのない優さんは、相当苦労してきたんだと思う。


 僕は涙ぐむ優さんに居間の机の上にあったティッシュ箱を渡す。


 「顔を上げてください。そんな思い詰めることないですよ。……僕は人にはそれぞれやるべきことがあるんだと思っています。優さんの場合それが、戦うことじゃなかったというだけです。今の優さんの役目はお店の仕事を頑張って、瑠香君を守ってあげることじゃないですか」

 「瑠香を…」

 「それだけわかっていれば、馬鹿にされたって、情けなくたっていいじゃないですか。自分のやるべきこと見失ったりしないでください」

 「…やるべきこと…」

 「そうです。自分のやるべきことさえはっきりと見えていれば、余計なことで迷うことなんてなくなりますよ」

 「うっ…うっ……ありがとうございます。いい人だよ、ホントいい人だよぉぉ……」


 優さんはやんちゃそうな見た目に反して結構涙もろい人のようだった。


 「…ねぇまだ寝ないの…って何で兄貴泣いてんの?」

 

 瑠香君が部屋に入ってくると、泣いていた優さんがいきなりその瑠香君の足に抱き着く。


 「ちょ、ちょっと何!?」

 「る~か~、お前はお兄ちゃんが守るからな~」

 「いきなり何なの!?ちょっと気持ち悪いからッ。もう、あんたも笑ってないでどうにかしてよ」


 そんな兄妹のほほえましい光景に頬を緩ませつつ、さっきの自分の言葉が頭の中で反芻する。


 誰かの受け売りだったが、それが誰だったか記憶に靄が掛かっているみたいでよく思う出せない。


 それに、自分の目標を見失っているのはほかならぬ僕自身だった。


 僕のいるべき場所は戦場で、助けられた分誰かの命を救わなければならなかった。なのに、僕が戦場でやってきたことは誰かの命を犠牲にしてだけだ。


 ある時は僕一人ために多くの人が犠牲となり、またある時は部隊のみんなが死んでいく中自分だけのうのうと生き残り、そしてあの時には自身の正義を押し通してその結果として多くの犠牲者を生んだ。


 そして今に繋がる。自分のしたかったこととは程遠い。人を守るどころか人を戦場に送る手伝いをするなんて…。


 教官と言う仕事や少女たちを兵士として訓練することが間違っているとか、嫌悪感を感じているとかそういうわけではない…と思う。


 ただ、自分を見失ってしまった僕に僕自身が失望していた。そんな状態で、誰かに大切なことが教えられるわけがない。そう思うと、今すぐにでも何もかも投げ出したくなってしまう。


 けれど、教官という職もいろんな人が繋いで、そしてまがりなりにも僕に任してくれた役目だ。せめて、期待をしてくれた人たちを失望させたくはない。


 (頑張ろう、僕も)


 僕はそう静かに、小さな決意をした。

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