5-1「雪中の行軍」

「はぁ……」


 的場恵里は抜いたばかりの剣を納め、白い息を吐いた。

 除雪車のボンネットの上に立つ彼女の両脇に、小鳥ほどの大きさの塊がごとりと落ちた。スズメガに似た虫妖怪の両断死体が、落ちた端からすぐに煙を上げて消えていく。黒い煙もびゅうと吹いた寒風に流されてすぐに見えなくなった。

 僚勇会支給の茶色いコートが風にたなびいた。


「ありがとう、恵里ちゃん」


 熱を出す除雪道具、ヒートロッドを持った若い隊員が除雪車へと近付こうとする。


「待て待て」


 その腕を中年の隊員が掴んで止めると、若い隊員は振り向いた。


「何です?」

「まだだ」


 再び前を見ると、恵里は彼女らしからぬ気怠さでぼんやりと立っている。


「あーあ……」


 恵里はいつの間にか抜いていた剣を再び納めた。

 両断されて落ちたのは、今度は四対の羽を持つムカデ型妖怪だった。

 恵里の抜剣はおろか、納剣の瞬間を視認できた者すら、周囲にはいなかった。


「もう大丈夫だろうな」


 中年隊員は霊波探知機に目をやりながら言った。

 後方にいる第一中隊の隊長が再度前進を促す。除雪車も恵里を乗せたまま再始動し、ヒートロッドや手押し除雪機の隊員も行動を再開する。


 徒歩連隊の最前を行く第一中隊は、除雪と前方の索敵が主任務で戦闘員は少ない。

 メンバーの半数は宇宙服にも似た耐瘴気スーツを着た、耐魔力の低い者である。

 恵里は彼ら除雪要員を護衛する少数精鋭の一人にして、最前中の最前を担当していた。


 森に入る前にはいつも通りに妖怪除けの禊を受けてはいるが、今回は人数が多い。何十人いようと個々人が受ける禊の効果は普段と同じだが、人の多さが生み出す誘引効果がそれを、上回ってしまう。

 幸い、妖怪は強いほど賢い傾向にあり、散発的に無謀な突撃を試みてくるのは恵里一人で瞬殺できる下級妖怪ばかりだった。

 そもそも冬場は妖怪は少ない。餌となる動物がいないので冬眠しているからだ。先日のバケグモや姑獲蝶が異常なだけで、本来なら冬場に活動する中級以上の妖怪は殆どおらず、戦力を無駄に集中する必要もない。


 連隊は数十メートル間隔で三つの中隊に分かれているので、後ろにも戦力を割かねばならない。

 除雪作業の音や人の気配で妖怪が冬眠から覚める危険はあるが、彼らもすぐに目覚める訳ではない。

 彼らが起きる頃には第一中隊はもっと先に進んでいて、後方の第二・第三中隊と遭遇する可能性のほうが高い。


 数日前から予め除雪や妖怪退治を散発的に行ってはいたが、森の雪は深い所では数メートルにも達する上に、冬に適応した下級妖怪は倒しても新たに沸いてくる。事前の地慣らしには限度があった。 



「あれ、恵里ちゃん?」


 恵里が動かない。

 元々車上が定位置ではあるのだが、そこに仮設された座椅子に座っていれば良いものを何故か直立不動のままだ。

 霊波探知には反応が無いが、もしや彼女だけが気付いた新手でもいるのか?

 近くの隊員たちが周囲を警戒するが、特に何も起こらない。


「礼太、的場の嬢ちゃん、具合でも悪ぃんじゃねぇだろうな?」


 後方の車両で、中隊長の永友雷牙が眉を顰めて息子に問う。


「ああ……違う違う」


 礼太は首と両手を振る。四十メートルは離れていたが、二人には抜剣動作も含めて恵里の様子は概ね見えていた。


「編成が残念だったんだろ」

「残念……?ああ、そういうことか」


 雷牙は訳知り顔でうんうんと頷く。


「いや、でも春坊と別行動くらいはいつものことだろうよ?」

「一緒に森に入ってるのに、別ってのが嫌なんだろ。しかもハルとは同じ徒歩部隊だと思ってた訳だからな」

「ふぅん……別に百メートルも離れてねぇのになぁ?」


 雷牙は後方の第二中隊を振り返る。先頭車両だけが辛うじて見えた。第一中隊と比べると大型車両が少ない編成である。


「父ちゃん、女心ってのが分かってねぇなぁ」


 礼太は目を細めて首を振る。


「おいおい、そういうお前ぇは分かって……すまねぇ」


 あることを思い出してバツの悪くなった雷牙は襟元を正して、燃料補給車の上に設けられた座椅子に腰を深く降ろし直す。礼太は無言のまま同じようにする。


「まあ、仕事はしてくれてるから良いけどよ」


 視線の先の恵里は、除雪車上に跳び乗ってきた女性隊員の取りなしでようやく着席するところだった。


――――――――――――――――――――――――――――


・同時刻:第二中隊。


 第二中隊は幅二十メートルほどの通路を、主に車両で進んでいる。

 前を行く第一中隊が除雪して切り開いた道は広いとは言い難いが、両脇の雪壁が四メートルを超えているのを見れば文句は言えない。

 この雪壁にはまだ崩壊のリスクがある。第二中隊はこの雪壁を更に押し広げつつ足元を踏み固めるのが役目である。後続の第三中隊は、更に大人数なので彼らがスムーズに通れるようにせねばならない。


 六台の車が横に三台づつ二列に並んで走る。

 外側の四台のうち先行する除雪車二台が壁を広げ、後続の屋根付きジープは熱の出る杖と凍らせる杖を使い、広げた壁を固めていく。

 残る中央の二台は彼らの護衛と指揮を担当している。両側を見通せる車高の高いオープントップのジープだった。


「暇だな……」

「座ってなよ、桐くん」


 前方のジープの助手席に立つ片桐は白い息をゆっくりと吐き出した。左右の除雪部隊を見回す。後ろの座席に座る柳原は片桐を窘めた。戦闘員は今はやることが無い。意気揚々と出撃してコレでは、せめて除雪を手伝いたいたくもなる。


「でもよ……」


 片桐は所在なさ気に振り向く。彼とて待機や休息、予備戦力の重要性は分かっている。そもそも護衛が活躍するのは味方が危機に陥った時だ。活躍したいと思うのがもう間違いだとも言える。


「リラックスしときなって。想良ちゃんみたいに」


 柳原は横の座席に目をやる。

 想良はホットココアを片手に棒スナックを摘んでいる。後ろ一杯まで倒した背もたれに体を預けて寛いでいる。


「コイツみたいに……?」

「ゴメン。流石にコレはどうかと思う」


 言われた想良はきょとんとした様子で何やら考え込むと、柳原にスナックを差し出した。


「ハハハ、ありがとう」


 スナックを渡した想良は再び寝転がる。その表情はどこか憂鬱そうにも見えた。


「祥太くんがトレイン班だからってそんなに落ち込まないでも」


 柳原がスナックを食べながら苦笑いすると、想良は右側に首を向けた。


「言ってやるなよ、ヤナ兄」


 片桐は瞑目して首を振る。助手席に膝立ちになり、首当てに両腕と顎を乗せていた。

 片桐の予想通りに祥太と別行動になった想良は随分と機嫌が悪い。普段ならもう少し真面目な待機姿勢を取る。

 恵里と似た状況だが、彼女と違って不満を発散する先がない分、なお悪かった。


「おい、危ねぇぞ」

「今座るよ……」


 運転手に姿勢を注意された片桐は前に向き直り、シートベルトを着けようと手を掛けた。

 その時、彼のポケットからカチカチ……と音がした。

 オオクワガタのメス、カレン。大柄な割に臆病でエイジに次いで感知能力が高い。姑獲蝶事件で負傷したエイジを休ませた代わりに連れてきていた。

 この鋏の音が意味するのは一つ。片桐は通信機を手に取ると口を開いた。


「皆、敵……っ」

『司令車から全車へ!九時の方向から敵複数、B級妖怪ユキモグラだ!』

「……おう」


 後ろのジープからのアナウンス。各車に搭載されている霊波測定器に先を越されてしまったようだ。片桐の落胆が伝わったのかカレンも徐々に静かになる。


「気にすんな……行くぞ」


 片桐はポケット越しにカレンを撫でる。

 前回のように森の中で小隊ごとに分散する場合は、霊波測定器は瘴気のせいで気休めにしかならない。

 しかし、今回のように開けた場所で数十名で固まれば、複数の測定器が補完しあい、広範囲を正確に索敵できる。例えエイジがいても先を越されていただろう。

 気を取り直して片桐が戦闘態勢を取ると、想良もベルトを外してすっと起き上がる。敵が迫る左側の車両が中央へと下がり、中央の二両が左に寄る。柳原も立ち上がろうとして片桐に止められる。


「ユキモグラなら兄ちゃんは待機しててくれよ」

「参ったな……」


 ユキモグラは雪中を移動する。柳原が得意とする鞭では相性が悪い。柳原が額を掻くのを尻目に片桐と想良は車から跳び出した。


 妖怪を生まれで分類する場合、三タイプに分けられる。

 生物が変じるものと、物体や現象が変じるもの、そして瘴気が撚り固まって無から出来るものの三つである。

 ユキモグラは、如何にもモグラが化けた様な名前だが、実のところ二つ目のタイプで、瘴気を含んだ雪が凝縮した氷が妖怪化している。


 金平糖をラグビーボール大にしたような姿で、トゲの先端は釣り針のごとく鋭く、返しがついたものもある。

 全身をドリルのように回転させて雪の浅い層を突き進んで獲物を襲い、凍らせつつ粉砕して喰らう。

 特筆すべきは必ず複数で行動することだ。瘴気の雪から同時に複数生まれ、そのまま行動を共にするらしい。


「……つーわけだ。作戦は分かったな?」


 雪壁間際まで駆けてきた片桐が横の想良に問う。


「……分かった」


 想良はこくりと頷くと、首の黒いチョーカーを指差す。


「分ぁってるよ」


 片桐は自分のスマホを手にする。彼の端末内には佐祐里に預かった、想良の能力のロックを外す権限が入っている。

 片桐が想良にスマホを向け、スワイプ操作でロックを外そうとすると、想良はぴしゃり、と片桐の手を払うかのような勢いで掴んだ。

 

「何だよ?」


 片桐は戸惑った。ロックを外せと要求したのは想良だ。まあ、要求されなくても外すのだが……。


「アレやって」

「アレ?」

「承認のやつ」

「いや別にアレは形式的なもんだし……」

『いいからやってやれよ、減るもんじゃねぇし……敵は近ぇぞ?』


 中隊長の郡田隆が急かす。


「分ぁったよ……」


 片桐も敵の位置は顔に掛けた電子グラスで把握している。

 そろそろ仕掛けないと先手を取った意味がない。片桐は常人離れした脚力で跳躍する。

 二メートル強の雪壁より更に高く跳ぶと、想良もそれを追う。それを横目に片桐は溜息混じりに宣言する。


「フォビドゥンフォース……開放承認」


 宣言と共にロックを解除すると、想良のチョーカーが光る。能力のロックが一段階解除された証だ。


「気合が足りない。リテイク」


 想良が伏し目がちに首を振る。


「もう解いちまったよ」


 片桐は呆れながらも右手を剣に持ち替える。既に手にしていた左剣と同時に刃を分離させて空中に撒くと、それを踏みつけて跳んで雪上を渡る。

 想良はそれには乗らず。足元に手のひら大の黒い斥力球を次々に生じさせる。頬を少し膨らませながら球を踏み片桐を追い抜く。


 フォビドゥンフォースとは、片桐たちルーキーの能力に佐祐里がつけた呼称である。本来は使用前に承認が必要で、片桐の予知のような危険性の高い能力は特に複数段階の承認が求められる。

 ただし、想良と鳩寺以外はロックが無いのでやろうと思えば承認無しで全開に出来る。あくまで形式的なものだ。


「グラビティ・グローブ」


 司令車を中継して僚勇会本部から指示された位置に付いた想良は重力球をばら撒く。彼女の重力球は引力・斥力のどちらもサイズを大きくするほど強力になるが、その分速度は下がる。

 今回はほぼ真上から落とした形だ。球はずぶずぶと雪に沈み込んでいく。

 郡田もそれを確認する。


『よし良いぞ。3・2・1……』


 片桐が刃を待機させる。後方の部隊も狙撃銃を構える。

 

『ゼロ!』


 雪壁の中で複数の衝撃音が響く。硬い氷を岸壁に叩きつけたようなその音は、ユキモグラが重力球に捕まった音である。


「朝来!」

「うん」


 想良の指示で雪中から浮上した重力球は、当初の半分の直径二十センチほどに縮んでいた。

 重力球に捕われて現れたユキモグラは、凝縮し淀んだ氷色の体でじたばたと藻掻く。その様は捕獲罠か蜘蛛の巣に掛かったムカデやヤスデを彷彿とさせた。

 内向きに歯の並んだ円形の口からガラスを擦るような不快な悲鳴を上げるが、片桐たちは防寒具を兼ねたヘッドホンのお陰で耳をやられることはない。


 このまま重力で潰せば終わるが、それには想良のロックをもう一段階外して出力を上げさせる必要がある。今はそれには及ばない。

 郡田を真似たのか、想良もカウントを開始する。


「5……4、3……2……」

「おい、数える間隔合わせろよ、調子狂うだろ」

「1・ゼロ」


 想良は重力球を消した。

 解放されたユキモグラはしかし、何をすることも出来なかった。八体全てが同時に砕け散る。


「ああ、もう!」


 間近に待機していた片桐の刃だ。多少カウントがずらされようとも外しようもない位置取りだった。

 想良もそれを承知の上でからかったのだろう。二人は攻撃と共に横へ飛び退く。

 二人が開けた射線に狙撃が降り注ぐ。氷の体から飛び出した核を破壊する為だ。

 ダイヤモンドダストめいて舞う細かい破片は、既に想良が新たに出した、移動速度の速い小引力球で吸い寄せ、大きな破片は片桐が刃で退けている。

 八つ核の内五つは一射目で、残る二つは二射目、最後の一つは片桐が二枚の刃で、斬らずに掴んだ。


「どうしたの」


 宙に浮いたままの想良が首を傾げる。わざわざ掴む理由が分からなかった。


「いや……」


 片桐は構えを解いた。新技を試そうと思いかけていたが止めた。初披露にこのちっぽけな敵では役者不足だし、下手に接近して一歩間違えば逆に食い付かれる。


「何でもねぇ」


 分離状態の刃が最後の核を砕いた。


「お疲れ様」


 ジープに戻った二人に、柳原が湯気の立つ焙じ茶を差し出す。


「あんがとな。つっても疲れるほどじゃ無かったけどよ」

「余裕」


 二人は一息つく。その間に司令車を中心として霊波の再測定が行われ、安全が確認されると、一同は妖怪に黙祷してから再出発した。


「戦い足りない」


 走り出して一分と経たない内に想良が呟いた。不満げな表情を隠しもしない。

 

「あのなぁ、朝来。だから俺らが暇なくらいが良いんだっての」

「ハハ、さっきと逆だなぁ」


 笑う柳原に片桐は顔を顰めてみせた。言われなくても自分で分かっていた。


「早く合流したい」

「あと一時間は掛からないと思うよ」


 今、第一・第二中隊が進むのは森のレベル2。奥のレベル3とは谷で隔てられており、仮設の橋で繋がっている。

 残念ながら車両を渡すには強度と幅が厳しい為、谷の手前で中隊を合流・再編する。


 想良の瞳に光が戻る。髪はキラキラと白く光り輝き肌は瑞々しく潤い、辺りには白銀の華が咲き乱れた……ような気がした。


「順調に行けばね」

「このまま妖怪が出てこなきゃな」


 片桐が皮肉げに笑う。


「急ごう……全速前進!」


 起き上がると共に立ち上がり、ビシッと前を指差す。


「座んな」


 運転手が前を向いたまま釘を刺す。


「座んな」


 想良は不満げに腰を下ろす。


「全速前進……」

「しねぇからな」


 ジープは徐行速度を維持する。

 片桐は呆れ顔で言った。


「急がば回れっつう先人の言葉があるだろうがよ」

「先人……余計なことを……」


 想良は虚空の先の先人を睨みつける。

 

 想良が大人しくなった所で、片桐の頭にあることがよぎった。


「合流といやぁさ……」

「なんだい?」


 周囲を見回していた柳原が片桐に顔を向ける。


「瑠梨ってどこにいるんだっけ?」

「え?あ~。そっか今日はいるんだったね」


 瑠梨は普段は森には同行しないが、今回は来ている筈だ。

 砦敷設に伴う地鎮などの儀式の為には鳥姫の巫女が必要となるのだ。神主である彼女の父でも代行は出来るが、少なくとも今回は瑠梨が来ると聞いていた。しかし考えてみればどこの隊に同行するのかを聞いていなかった。というよりも……。


「会議でも説明された覚えがねぇんだよな……」


 片桐は首を傾げた。護るべき巫女の場所を知らされていないのも妙な話だ。人語を解する妖怪などレア中のレアだと言うのに味方に情報を封鎖する訳がない。


「うーん……第三中隊じゃない?」


 柳原は後方を振り向く。遠くに豆粒ほどに見える車列がそうだ。第一と第二を合わせたのと同じ三十名ほどの彼らは敷設作業や炊事などに携わるものが過半数だ。


「まあ、多分そうだよな……」


 第二中隊にいないのは勿論、人数を絞った第一には混ざる余地が少ない。トレイン連隊は万一氷が割れた場合を考えると、巫女を乗せるにはリスクが多い。

 消去法で考えても第三中隊だろう。


「んー……っ」


 片桐は考え込む。再編時にはこの第二を二つに分けて他の二中隊に混ぜ、二つの部隊を編成する予定だった。

 この際に、第二中隊をどう割るか委細は未定だった。加えて再編後の新第一部隊は、第三中隊の到着前に出発予定であるから、新第一に配属されると暫くは瑠梨に会えなくなる。


「何か用でもあったの?」

「いや、大したことじゃねぇんだけどな……」

「あっそうか。今日瑠梨ちゃんの誕生日だもんね」


 片桐は視線を外し前を向く。

 今日は瑠梨の誕生日だが、多忙もあってプレゼントをまだ決めていなかった。ここ数日は予定が合わずに殆ど会えず、会っても落ち着いて話す時間がなかった。改めて希望を聞いて見たかったのだが、砦敷設現場に着いてからではまた忙しくなる。暇な道中が最適だったのだが難しそうだ。


「……言うなよ」


 片桐がジト目を送る。大したことではないが話題にされたくはなかった。


「あっ!」


 想良が唐突に声を挙げる。


「何だよ?」

「あと一時間で合流って……祥汰とじゃないよね?」

「あ」


 柳原が固まる。

 想良が望む、祥汰のトレイン班との合流は部隊再編後から更に一~二時間後の話だ。


「ごっゴメン!第一との合流のことを考えてて……」


 何度も頭を下げて謝る柳原に想良がにじり寄る。


「許さん……」


 想良は片桐を見る。


「片桐……フォビドゥンフォース解放要求!」

「却下」


 想良の能力には既に再ロックが掛かり、今は簡単な身体強化くらいしか使えない。


「要求!」

「却下だ却下」


 片桐は、スマホを奪い取ろうと迫ってきた想良の手を押し返す。その喧騒を打ち消すように遠くでパァンと乾いた花火のような音が鳴った。トレイン班が上げた信号弾だ。


――――――――――――――――――――――――――――


 恵里は、同じ信号弾の音で車の屋根の上での仮眠から目を覚ました。あの緑色の煙は無事と現在位置を知らせる定時報告用だ。


『トレイン班、順調に進行中の模様。現在のところ遅れはありません』


 観測報告を受けた本部からの報告が三つの中隊に届く。先頭の第一中隊はもう二十分ほとで谷の手前に着く所だ。

 寒風が恵里の頬を打つ。


「……?」


 髪を手の甲で払う恵里は違和感を感じた。妖怪の放つ邪気や殺気とは違う。そうであれば信号弾の音より先に目覚めて即応していた。

 今の感覚はむしろ信号弾で起こされなければ見落としていた程度の微かなものだ。恵里は意識して剣に手を伸ばす。


 三つのダイヤルが付いた恵里の鞘には、今や油性ペンや付箋で無数の注釈が施されていた。彼女単独でもモードチェンジを可能にするための措置だったが、開発者のクレーバーン博士が見たら卒倒するかも知れない。

 恵里はダイヤルを切り替えぬままに剣に鞘からの術の力を込める。抜き放つ。


「せりゃああああっ!」


 恵里が気合一戦放った剣閃は、円盤状の光る風の渦となり遥か彼方へと飛んでいく。有効射程は五十メートル程の筈だが、円の直径を硬貨サイズまで落としたことで最低限の威力を保ったままに三百メートルは離れた林へと向かい、消えた。


「何だ!?」

『どうしたんだ恵里ちゃん!?』


 除雪車の元へと人が集まり、通信の向こうからも呼びかけられる。


「えっと……何かいた気がしたんだけど……気のせいだったのかな………?」


 自分でも煮え切らない、と言った様子で恵里は大きく、首もろとも上体を捻る。


『何もいねぇと思うぞ?』


 恵里が攻撃した辺りを霊波探知機で調べさせた上で、司令車の雷牙が言った。勿論、距離のせいで感知できない低級妖怪くらいはいるだろうが、少なくとも一行を妨げるレベルの強敵はいない筈だった。


「おっかしいなぁ~まあ念の為……せりゃりゃりゃりゃぁっ!」

 

 あろうことか恵里は四発もの追撃を放った。後のものほど円盤状の刃はより鋭く強固になっていたように見えた。


『待った待った!藪を突いて蛇が出たらどうすんだ!止めとけ止めとけ!』


 雷牙が慌てて制止する。


「あっ。ごめんなさい」


 恵里は剣を収め、改めて首を傾げる。



「どうした恵里?ハルに会えない寂しさで勘が鈍っちまったのか?」

『……!!……何言ってんのよラッタ!!?』

「おっと」


 通信の向こうからの大声に礼太は耳を抑える。しばらくの間、直接または恵里は通信越しでからかわれて顔を赤くした。


 喧騒が落ち着いてから礼太は神妙に口を開いた。


「なあ父ちゃん……今のは」

「……さあな。本当に鬼の霍乱かも知れねぇしな」


 雷牙は両腕を組み真剣な表情のまま答えた。視線は恵里が攻撃した林を真っ直ぐに見据えている。風が巻き上げる雪とうっすらとした灰色の瘴気に紛れてその全貌はよく見えないが、強い妖怪がいないことだけは確かだ。


「鬼の霍乱……なら良いんだけどな……」


 礼太が呟く。そして数秒か一分か、沈黙の後で雷牙が再び口を開いた。


「しかしよ、礼太。女の子に鬼はねぇだろ」

「いや、父ちゃんが言ったんだろ!?」


 礼太は身を乗り出して抗議する。


 ……その後は特に妖怪も殆ど出ることもなく、一同は再編地点に無事到着し、順次森の奥へと歩を進めていった。

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