4-5「望の帰還」


 ―羽田空港。十六時。

 イギリス発の飛行機が空港に降り立ってから数分。

 入国ゲートには到着客を迎える者たちがそれぞれに旗を掲げたり手を振るなどしている。十二時間近いフライトと入国手続きを終えた者たちは彼らに手を振り返すなどしながら、ゲートに向かっていく。


 昼に学校を早退した西条佐祐里は、彼らの中からある人物を探そうとしていたが中々見つからない。背伸びをしてみても、平日の日中とは言え大荷物を抱えた群衆相手では焼け石に水だった。


「佐祐里、アレ引率の奴じゃないか?」


 佐祐里と背中合わせに立つ日高桐葉が後ろ手でその人物を示す。


「みたいですね」


 桐葉の指の先には、佐祐里と歳の近い金髪の少女がいた。日本人が多い中での金髪のサイドテールがよく目立つ。

 彼女こそが二人の探す人物……という訳ではない。指されたことに気付いた少女は佐祐里たちにウインクを返すと、無言のままに横を指さした。その十数メートル先にいる小柄な少年こそが二人の本命である。

 少年は、腰の高さほどのキャリーバッグを押していた。光沢のある黒地に紫の曲線の入ったデザインのそれは、若者に人気のブランドのものを佐祐里が選んで買ったものだ。このバッグと別に土産と思しき大きい紙袋もニつ肩に掛けている。常に前後左右を見回し、人に接触しないように慎重に進んでいる為、歩みは遅い。


「あっ!いました!望くん!」


 彼……鳩寺望はとでら のぞむを見つけた佐祐里はブンブンと両手で赤い旗を振り回した。彼女の背後には、


『お帰りなさい!望くん 風見学園高等部生徒会一同』


 ……という、ピンク地に白抜き文字の幕が張られ、床置きスタンドから延びるポールがそれを支えている。

 声量と幕のサイズこそ周囲の邪魔にならない常識的なレベルではあるが、目立つことこの上ない。

 これを見た望は表情を硬直させ、口だけをパクパクと開いた。


「あっ気付いてくれましたね。熱烈な歓迎に声も出ないようです……!

「声が出ねぇのは、ぜってえそういう理由じゃねぇよ」

 

 桐葉が容赦なく否定する。

 旗を振り回す佐祐里の背後、彼女と背中合わせに立つ桐葉は幕の後ろで他人のふりを続ける。本当ならもっと距離を取りたいが、仕事である以上完全に離れるわけにもいかない。数メートルが限度だ。桐葉も一応は佐祐里を止めたのだが、自分まで旗を振らされないようにするのがやっとだった。

 猛烈なテンションで盛大な歓迎を計画する佐祐里を止めるのは不可能だった。こういう時の彼女を止められる者は限られる。  

 幼馴染の瑠梨がもう少し暇であれば説得を頼めたのだが、彼女もこの激動の一週間の煽りで巫女業とアイドル業、学業に皺寄せが来ており、とても頼める状態ではなかった。



 このギリギリ空港職員に怒られない(であろう)範囲で最大限派手な歓迎に、望は青くなっていた。

 桐葉は彼がヒイていると判断したが、実の所それも違う。彼は完全に恐縮して縮こまっていたのだ。自分の為にここまでさせてしまって申し訳ない……と考えていたのだ。

 ただ、この状況が続けば「佐祐里が」晒し者になることは望にも分かっていた。恐る恐る足を早めてゲートへ近付く。


「お帰りなさい!望くん!」


 佐祐里は背後の桐葉に旗を預けて、望に駆け寄ろうとしたが、桐葉は頑として受け取ろうとしない。

 佐祐里はむくれると、仕方なく足元のバックに旗を差してから、改めて望へと駆け寄る。望が凍り付く。反射的に後退りしかける足に力を込めてその場に縫い止める。望は静かに深呼吸をして、それから意を決して口を開いた。


「遅くなって申し訳ありません……ただいま戻りました。本当に……申し訳ありませんでした……!」


 望は俯いては顔を上げ、上げてはまた俯く。


「良く無事に戻ってくれました。お帰りなさい、望くん」


 佐祐里は望をコートで包み込むようにして、しっかりと抱きしめる。望の顔が佐祐里の胸に埋まる格好だ。いや、埋まると言うには些か起伏が足りなかったが。


 鳩寺望はとでら のぞむ。中学三年生。半年前に隣町の村井地区で発見された強力な魔術師である。

 魔術とは無縁の一般人の家に生まれながら、後天的に魔術の才能に目覚めた、いわゆる覚醒者と言われる存在で、つまり片桐や祥汰たちと同じ出自である。

 しかし、望の場合は能力の制御に問題があった。覚醒者には珍しくない。魔術師の家では、子供の力が開花する前から家族が制御に配慮し、教育を始めとした対策を行えるが、常人の家では当然それは望めないからだ。

 しかも望の力は特に強く、暴走させた場合は風科はおろか風見市すら丸ごと滅ぼしうると推測されていた。風科の訓練設備ではこの力には耐え切れない。そこで最低限の制御を学ぶまで、英国に送られていたのだった。

 英国のクロスロード大学には世界で唯一の仮想訓練設備がある。仮想空間に意識を投射することで、体力や魔力をほぼ消費せずに様々な環境下で訓練が出来る。命の危険もない理想的な訓練設備だ。極端な例で言えば、即死魔法や自爆魔法、核爆発級の魔法なども無制限の練習が可能である。



「は、離して下さい!ふ、服が汚れます!」

「だーめーでーす。離しません……本当にお疲れ様でしたね」


 望に無理をさせた申し訳無さと、約ニヶ月の修行を乗り切った尊敬を込めて頭を撫でる。普通の十五歳の少年が、突然力に目覚めた戸惑いも冷めやらぬうちに数十日も海外で暮らすのは酷なことではある。本来なら誰かを同伴させたかったが、当時の風科には人的余裕が無かったのだ。


「そんなに触ったら手が汚れます!」

「綺麗じゃないですか?」

「……すみません」

「褒めてるんですよ?」

「!……ごめんなさい!」


 一見妙なやり取りだが、これは『綺麗』という言葉を望が『ろくに修行をしていないので綺麗』という意味に一瞬解釈して反射的に謝ってしまったからである。

 そして、「冷静に考えると佐祐里がそんな嫌味を言う筈もない」と気付いてそれを更に謝った次第だ。


「それにしても自主的に予定を延長するなんて勉強熱心ですね、望くんは!でも出来れば一緒にお正月を過ごしたかったんですが……」

「す、すみません!」


 望は後ろへ飛び離れると凄まじい勢いで土下座をした。床を頭突きで粉砕せんばかりの首の振りが風を起こし、佐祐里のコートとマフラーがふわりと舞う。


「本当に!申し訳ありませんでした!色々とお金とかも掛かるのに!」


 取りようによっては皮肉に聞こえたかも知れない佐祐里の言葉だが、勿論そんな意図はない。純粋な賞賛と労いの意味だったのだが、望は平謝りするばかりだ。


「頭を上げて下さい!」


 佐祐里はしゃがみこんで望の顔を上げさせる。


「お、おい……鳩寺。お前、周り……その、なんだ。周り見ろ」


 桐葉が狼狽した様子で望に促す。歯切れの悪さといい、以前会った時の桐葉とは雰囲気や態度が違いすぎる。望は怪訝に思いながら、顔だけを起こしてゆっくりと周囲を見回す……人々の視線が集まっていた。

 土下座する中学生の少年と、その前に立つ女子高生は、彼らの目にどう映っているのだろうか?

 望の顔から血の気が比喩でなく引いた。


(桐葉さん!)

(いや、だってよ……)


 佐祐里は小声で抗議したが、実際黙っていてもそのうち望も気付いただろう。むしろ、早めに指摘して目撃者を減らして傷を浅くするより仕方なかった。佐祐里はそう思い直すと急いで望を引っ張って起こす。


「すすすすみませっ……!?」


 反射的に大声で謝りかけた望の唇に人差し指を触れさせて止める。


「とにかく」


 指を放していたずらっぽく微笑む。


「まずは風科に帰りましょう?」

「は……はい……」


 望は佐祐里に手を引かれ、大人しく立ち上がった。

 周囲を警戒しながら見守っていた桐葉は溜息をつく。人目が集まっている。色々な意味で早めにここを去るべきだし、そうしたかった。

 その桐葉の横を、先程の引率役の金髪少女が通っていき、去り際にウインクと共に投げキスをして来た。桐葉は避けた。少女は残念そうに微笑む。キスは佐祐里の後頭部に命中した。

 彼女が真後ろの席に付き添っていたことを望は知らない。ただの護衛ではなく、望の力が万一「封印」を突破して暴走した際の「処置」を任されていたから、というのもあるが、望に余計な気を回させない為でもあった。自分の為に護衛を出させたと知ったら望は確実に気に病む。

 実際は丁度日本に行く予定があった彼女に学生課が依頼しただけで、護衛費用も僚勇会から出ている(それはそれで望は僚勇会に気を使うだろうが)。都合の良い人材がいなければ、僚勇会が迎えを出すなどしていただろう。少なくとも彼女にとっては良い小遣い稼ぎだった。

 その彼女の護衛の仕事は望が僚勇会メンバーに出会うまでだった。だから次に彼女がしたことは料金外のサービスだったのだろう。


「あ!いたいた!私よー!」


 少女は端正な顔立ちに似つかわしくない程の大声で、大袈裟にどこかに手を振った。周囲の注目を集めるだけ集めてから手を振った先に走っていく。走る途中で再び投げキスを放ったが、桐葉はまた避け、また佐祐里の後頭部に命中した。

 少女が手を降った先に本当に誰かがいたのかは疑わしい。少なくとも桐葉の位置からは人混みで確認出来なかった。恐らくは演技だろう。

 ともあれ、彼女が人目を引きつけた隙に佐祐里と望は撤収を始めた。

 二人が荷物を持って去っていくのを見届け、充分な距離を取ってから桐葉も動き出そうとした。


「あのぅ……すみません」


 背後から声を掛けられた。久々にナンパか何かだろうかと、桐葉は後ろを振り向く。特に何もせずともこれだけで大抵のナンパ男は引き下がる。あまり自覚は無いが目付きがキツいらしいのだそうだ。

 だが振り向いた先にいた青年はただ、こう言った。


「ひっ!……あ、あの………その、ポール?……忘れてますよ?」


 彼が指差したのは、佐祐里が回収し忘れたポールだった。まだ幕も張られたままだ。


「う……すみません。どうも………」


 桐葉は平謝りした。しっかり関係者に数えられていたことに絶望しながら、桐葉は渋々ながらも手早くポールと幕を回収し、脱兎の勢いで二人の後を追った。

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