2-20「回収」

―禁忌の森・入口。ツクヨミ隊車内。


「はる君!?」

 

 瑠梨が椅子から腰を上げる。声は小さかったが、じっと静かに森の奥を見つめていた彼女が急に動いたので、同乗の三人は驚いた。


「どうしたの瑠梨ちゃん!?」

「あ……良かった。終わったんだ……」


 瑠梨は顔に安堵を浮かべ、浮かせていた腰をゆっくりとシートに戻す。


「前に報告しとくかい?」


 運転手の提案を瑠梨は断った。今見えたものが遠隔視かすぐ先の予知なのかが判断出来なかったからだ。まだ戦いが続いているのに、終わったと報告してしまっては前線が混乱する。ただ、瑠璃にとってはこれで一安心だ。


「あの……終わったようなら炊き出しを手伝ってから、迎えの準備に移ろうと思うんですけど」


 瑠梨の隣で円が提案する。現在地の駐車場は狭い。予想外に救助対象が増えたことで、急遽炊き出しと増援の送り出しの為に場所が空けられ、車は周囲に散った。今はこの車一台しか場内にはいない。隊員も車の護衛と周囲の警戒要因以外は慌ただしく動き回っている。戦いが終わると確定したのなら、ここで待つ意味はもうない。彼らを手伝ってから出迎えの儀式の準備もせねばならない。

 四人は車を降りて炊き出し用のテントへと急ぐ。軽く吹雪いており、寒気が肌を刺す。


「瑠梨ちゃん……どうしたの?」

「え?」

「戦いは……終わったんでしょう?」

「そう。なんですけど……」


 瑠梨は浮かない表情をしていた。今日の戦いは隊員に誰一人死者・重傷者を出すことなく終わった、或いはもうすぐ終わるのは間違いない。

 それでも全くの無傷というわけでは無さそうなのが気掛かりだった。


「……皆がちゃんと休めるように準備しておきましょうね」

「ええ、そうですね」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――洞穴東。


恵里は壁をぶち破った勢いのまま南エリアの援軍と合流した。恵里が空けた穴のおかげで通信状況は改善した。南の敵を壊滅させた援軍と恵里たちは、礼太と連携して、北エリアの残敵を東西からの挟み撃ちで掃討することになった。

 北には糸が張り巡らされているので進むのに時間はかかるが、残りの親グモ数匹だけなら危険はない筈である。礼太は通信を維持しながら北へ向かっていった。


 極度の疲労状態にあった片桐は岩の上に座りながら礼太を見送り、ようやくの休憩を取っていた。傍らでは佐祐里がその汗を吹いてやりながら、治療用のレコードで傷の応急手当をする。


「じゃあ、さっき先輩が気配を消してたのは、イワダマシの術だったんですね」

「ええ、上手く行けば儲け物かと思いまして」

 『レコード』のレコードは、魔術や妖術を記録する為の使い捨て用だが、これを使いこなすのは難しい。必ず記録出来るとも限らず、出来ても使いこなせるかは未知数で、挙句に記録した術は時間経過で蒸発してしまうという不便さだが、今回は上手くいってくれた。


「流石。転んでもただでは起きないって奴ですね。あと、ありがとうございました。エイジのこと」


 片桐が頭を下げると、佐祐里も下げ返した。


「いえ、私も助けられましたから。おあいこです。クワガタ語が分かっていれば無傷で切り抜けられたんですけどね。今度教えて頂けますか?」

「俺は良いですけど、普通に自分の勘を磨いたほうが早いと思いますよ」


 苦々しい顔で昔を思い出す。虫の言葉が分かると説明しても、からかわれるならマシで憐れまれることもしょっちゅうだ。目の前でクワガタに指示を出して操ってみせても餌やフェロモンを使ったと思われてしまう。

 クワガタ語を解説しようとしたことも一度や二度ではないが、上手く言葉にならず他の人間には分かって貰えなかった。今でこそ魔術として僚勇会の面々には認知され、頼られてもいるが、クワガタ語を教えろと言われると二の足を踏んでしまう。そもそも彼以外に理解出来るのかも怪しい。


「そんなことを言わずにお願いしますよ。エイジ君に残っている私の胸の温もりを堪能しても瑠梨ちゃんには内緒にしておきますから。瑠梨ちゃんと比べたら誤差レベルの胸ですみませんが」

「し、しねぇよ……しませんよ!」


 図星だった。まあ温度などとうに残っている筈もないが。


「あのぅ……結局これ、どの部分をサンプルにしましょうかね」


  義奥が口を挟んだ。余力のある彼は一足先に新種の死体の検分をしていた。


「合体前と比べて明らかにに堅過ぎましたし、内部構造も含めて変質しているのかも知れませんね。体組織の一部だけでも持って帰りたいところですが、何処が良いでしょうかね?」


 新種の残骸をコンコンと叩く。今回は突発的な事態だった為、この新種はおろか、普通のバケグモ一匹を持ち帰る用意すらない。一つの隊に一つづつ以上は常備している回収用の箱はあるが、せいぜい子グモ一匹弱分しか回収出来ない。

 従って「どの一部」を持ち帰るのかが重要になる。変質しているとはいえ、新種を構成していた一節一節は通常種である。持って返った結果、通常と大差がなかったり、変異の原因特定に繋がらないのでは困る。

考える時間も少ない。新種の死体は徐々に煙になっている。回収キットに詰め込まねば、数分で完全に消滅してしまう。

 義奥も片桐を休ませてはやりたかったが、専門家の意見を聞くよりない。片桐もそのつもりで、あくまで一休みのつもりでいた。


「兄ちゃんの言う通りだ。こいつは単に合体しただけじゃねぇ。一節一節の能力まで上がってやがった。それにシラヌイの治療糸がヤリの体から吹き出してきた」

「少なくとも循環系は同化していたと言うことですか?」

「だと思うぜ」


 片桐はノゾムたちに巻き付いた糸を指で巻取りながら答えた。

 シラヌイバケグモの治療糸は、循環系を通して出す事も出来る。ヤリの体からシラヌイの糸が出てきたのは、つまり内部も融合しているということだろう。そこまで融合しておきながら、自切の決断が潔過ぎる。

 どうにも違和感を感じた。


 片桐は佐祐里に支えられながら、痛みを堪えて立ち上がり、新種の死体に近付く。蒸発に伴う溶解液の発散に注意し、頭に乗せたエイジを手で庇いながら、シラヌイ部分に顔を近づけてみる。

 その時、エイジがごく小さくハサミを打ち合わせた。片桐ですら聴き逃しかねない小音。エイジ本人すら自分の感知を訝しんでいるのか自信なさげな小さい音だった。


片桐は双剣でクモの背を大きく切り開くと、右の剣を鞘にしまい、代わりにエイジを右手で包み込む。左剣でクモを切り裂いては、裂いた部分に右手のエイジを近付ける。


「片桐君?危ないですよ」

「ここは片桐くんにに任せましょう。ボックスをお願いします」


 義奥の静止に構わずに、同じ作業が数度続く。佐佑里も一瞬は止めようかとは思ったが、すぐに考え直し、レコードを交換した銃を構えて待機する。

 義奥も片桐を信じることにして、折り畳み式の捕獲ボックスを開けた。地面に置くと、数枚の板が重なった状態から半自動的ニ展開して大型の虫籠ほどのサイズの箱が完成した。手動操作で形を固定し、片桐を待つ。


 片桐が動きを止めた。ハサミを強く鳴らすエイジを制して頭に戻す。分厚いゴム手袋を着けると、激しく煙の上がるクモの肉に右腕を捻入れた。

 腹にある気門付近を背の側から探り……何かを掴んで引き摺り出す!


「コイツだ!」


 毒々しいクリーム色の肉塊を地面に置き、剣と腕で更に解体する。

 ……やがてソレが現れた。三十センチ程の長さの紐状の何か。

 糸腺か神経にも見えたが、よくよく見れば退化したような脚や目らしきものがあり、肉塊から切り離されてなお蠢いている。

 蟲型の妖怪……のようだった。


「……なんですかソレ?」

「さあね……こういう環形動物型の妖怪は種類が多過ぎる上に、すぐ死んじまうんでよく分かんねぇんだよな」


 最下級のF級妖怪にはこの様な普通の虫と見分け難いものが多い。種類も多く、あまつさえ個体差まで激しい。片桐のような専門家でさえ同定は困難を極める。

 一方で、彼らは単体では常人でも容易く殺せるほど弱い。集団なら脅威足りうるが、禊の効果で追い払えてるので、実質無害に近い。

 ……つまり低級妖怪の研究は、脅威度の高い中級以上に比べると後回しにされて殆ど進んでいないのだ。


「確か、寄生虫型の妖怪は今までにも確認されてますよね」

「そうだけど……妖怪の体をここまで弄る奴は知らねぇな。冬虫夏草みてぇに苗床にするのがせいぜいだろ?」


 何にせよコレが今回の黒幕には違いない。片桐は蟲を肉へ押し戻す。死にゆくクモの体とは言え、寄生虫なら肉に入れておいたほうが少しは長生きする筈だ。


「……うわっ」


 蟲が手袋の掌に体を押し付けている。何度かやって上手くいかないと見ると、体をバネの様に縮め出した。一瞬「目」が合った。


「会長!」

「はい!」


<Blizard!/ネット!>

 宙に放り投げられた蟲が氷の檻に閉ざされる。落ちてくるのを義奥がボックスで受け止める。


「野郎……人間も乗っ取れんのか?」


 忌々しげに手をパタパタと振る。単に逃走や攻撃を図っただけかも知れないが、薄気味は悪い。

 義奥は生存者の身体検査もするように南と本部に連絡する。


「恐らく私たちは禊のお陰で大丈夫だとは思いますが…」


 佐祐里は顎に右手を付いて懸念する。

 低級妖怪の体内への侵入は禊の効果で殆ど防げるので僚勇会メンバーは問題はないだろう。危険なのは生存者たちだ。

 この蟲が人体に寄生できる場合は勿論だが、寄生出来なくとも体内を迷走して破壊する危険もある。早めに外に連れ出して禊を受けさせたほうが良い。


 三人は協力して虫が潜んでいた周辺の肉の他、変質の激しい部位を中心に体組織を氷結させ、可能な限り捕獲箱に放り込んだ。義奥は満杯になった箱を持って急いで撤退した。ちょうど義奥の滞在可能限界が近かった為でもある。低い耐魔力を補っている薬の効果が切れ始めたからだ。

 滞在限界にだいぶ余裕のある二人は、引き続き死体の残りを慎重に分解していったが、他に今の蟲は見つからなかった。



 死体がほぼ消えた頃、恵里たちが戻ってきた。


「流石にちょっと疲れたわね……こっちはどうだった?」


 肩で剣を担ぐ恵里の声と表情は、言葉の割には平然として見えたが、付き合いの長い片桐にはうっすらと疲労が見えた。


「こっちも大分綺麗になったな……あとは遺体だけか……」


 礼太は新種が崩した岩の辺りを見る。


「流石に私達で全員をお連れするのは難しいでしょうね…」


 バケグモの犠牲者は中身を吸われ骨と皮だけになっている。重量的には持ち帰ることは可能だが、少し扱いを間違えば簡単にバラバラになる。特に岩などで潰された遺体は尚更だ。今は迂闊に手を出さない方が良い。後援部隊もここまでの犠牲は想定外だろうから、充分な遺体回収装備はないかもしれない。

 遺体も残さずに食われた犠牲者がいれば、その残遺留品の捜索は困難だ。先に助けた二人の様に、外に連れ出された者や洞穴に連れ込まれる途中で食われた者がいても不思議ではない。


「そもそも、どうやって人を大量に攫ってきたかもまだ謎なんだよな?」

「ええ。その辺りも含めて最終的な収束には何日掛かることか……涼平のアホも呼び戻さないといけないのに……ともかく私たちは後を任せて撤収しましょう」


 外から大勢の人の気配が近付いてくる。後援部隊だ。

 佐祐里は溜息に続いて出てきた欠伸を飲み込んで、両頬を打つ。

 時刻は3時40分。仮眠を取り損ねた彼女が眠気を感じるのは無理もないことだ。片桐のように変則的な睡眠時間に慣れてもいない。ひとまずの脅威が去った安堵も有るだろう。佐祐里は水筒の水を少し浴びて顔を拭いた。


「失礼しました。では合流する前に黙祷をしていきましょう」


 佐祐里を先頭に、残る三人が後ろに整列して黙祷する。

 バケグモの犠牲者……訳も分からぬままに怪物に監禁され、死の恐怖の中で次々に生きたまま食われていった人々に対しては勿論だが、倒したクモ達に対しても黙祷する。

 人に害をなす存在であるからには倒さねばならないが、彼等もまた生き物なのだ。




  黙祷を終え佐祐里が後ろを振り向く。


「さあ、後援に引き継ぎをして私たちは撤収しま……片桐くん!?」


 佐祐里の驚く声に恵里が横を向くと、片桐の顔が近付いてきた。


「え……ハル?」


 続いて片桐の体もふらりと前に傾く。顔がぽふり、と恵里の胸へと沈み込む。


「………ハル!!?え、あ、ええ……いや!……ちょっと!?え!?ハル……?何!?」


 赤面し混乱する恵里は、やがて気付いた。


「ちょっとハル……!ハル!」


 半分胸に埋まったままの顔を掴んで揺さぶる。


「あの……かなり酷使した後ですからあんまり揺さぶらないほうが……」

「どうしよう!ハル……息してない……!」

「えっ!?」


 礼太が飛び付いて片桐を抱き起こす。

 脈は……ある。

 口の前に手を当てる。

 息は……ある。


「あ、ゴメン。言い間違えたかも。意識がないって言ったつもりだったんだけど…」

「バカ!」

「痛!」


 礼太は恵里の頬を張った。跡が残らない程度には軽くだが、容赦は無かった。片桐は鼾に近い音ながらも普通に息をしていた。


「本当、ゴメン……動揺し過ぎた」

「全く……ハルが無事なら良いけどな……俺も叩いてゴメン……」

「いえ、完全に無事とも限りませんよ。脳を酷使した後ですからね……少し熱がありませんか?」


 佐祐里は片桐の額に手を当てる。サイバーグラスを掛けバイタルを表示すると熱が平熱より一度弱上がっている。


「早く連れ帰りましょう」

「鞘を預かりますよ」

「え、はい」


 佐祐里は恵里の剣を鞘ごと抜き取る。礼太が横からそれを更に受け取る。


「騒がせた罰として外の広場に出るまで片桐くんを抱えて運んで下さい。頭を揺らさないように胸で固定してね」

「え、はい。って……ええ!ちょっと!?」


 片桐を恵里の両腕に抱かせると、佐祐里は恵里が開けた穴を通って西側へ向かってしまう。


「後ろは俺が見とくから、な」

「う、うん」


 手元に担架がない上に足場も悪い、力のある一人で抱えたほうが安定するのには違いない。しっかりと抱き抱えて佐祐里の後に続いた。

 広場に出ると、すぐに片桐を後援部隊が伴ってきた搬送用ブルームに乗せて後を託した。

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