コール・ネイビーフード
月啼人鳥
新天地
「暑っ……」
炎の熱さには慣れたものですが、夏の熱気にはいつまで経っても慣れる気がしません。日本の夏も暑いですが、こちらの夏も優しくはないようです。吸い込む空気は湿度が高く、深呼吸は憚られました。
日差しも強く、足元にできる影もはっきりと地面に貼り付いています。鮮やかな空に見惚れつつも、その隣に浮かぶ太陽の眩しさに、私は思わず目を細めました。落ち着いたら帽子を買おうと思います。
空港から出た私は、待ち合わせ場所に向かって移動し始めました。日本でインストールしておいた言語アプリのおかげで、こちらの言葉には不自由せず、タクシーの運転手さんにもスムーズに目的地を伝えられました。
「お嬢ちゃん、一人で来たのかい?」
「はい」
「日本から?」
「はい」
見た目からか、あるいは飛行機の時間からか、運転手さんは私がどこから来たのか分かったようでした。
それから。
「お嬢ちゃん、人間じゃないよね?」
私が人間ではないことにも、すぐに気が付いたようでした。
「あ、はい、私はメトロポリスです。今日からこちらの国でお世話になることになりまして」
「そうかいそうかい。日本製なら頼りになる。この車も日本製だ。歓迎するよ」
「あ、ありがとうございます……」
私は複雑な心境でした。
なにしろ、日本ではもう用済みになった身なのです。
本当にこんな私が、この国でお役に立てるのでしょうか。
「頑張り、ます……」
沈みがちな私に、運転手さんは怪訝な様子でした。
数十分走ったあと、私はタクシーを降りました。営業範囲を出てしまったそうで、保険が効かないとかなんとか。先に教えてほしかったですが、強くは言えませんでした。
そして署長、私はもうダメみたいです。
「な、なんでナビが……!?」
ナビが効きません。
「ジ、GPSが! ななな、なんで私、月面にいることになってるんですかぁ!?」
ちなみに現在地は【静かの海】と表示されていました。
「で、電波状況は……! りょ、良好……磁場の影響とかは……!?」
いろいろな計器を確認しますが、どれも値は正常値です。
それが示すことは――。
「そ、そんなぁ……! 出国前に万全にメンテしてもらったのに……!」
GPS関連のどこかの部品が不具合を起こしたということです。あるいは全ての計器がまともに機能していないかのどちらかです。メンテした直後にもかかわらずに、です。
「……うぅ、やっぱり私、もう時代遅れのオンボロなんでしょうか……」
涙が溜まります。いえ、少し零れました。
周りに誰もいないことが幸いでした。うっそうとした緑の深い森と、私の心情とは正反対のすがすがしい青い空、それから遠くに伸びていく無舗装の茶色い道路だけが、静かに私のそばに佇んでいました。静かの海という誤表示には似合いの静けさでした。
「っ……だ、ダメです! なんのためにこちらに来たと思ってるんですか!」
私は涙をぬぐって前を向きます。
簡単にあきらめてはいけません。あきらめては誰も救えません。そう学んできて、実感してきたではありませんか。そしてこの場に私しかいない以上、私を救えるのは私自身しかいないのですから。
インターネット接続は生きていました。私は近隣の地図をダウンロードして、現在地の把握を試みます。少なくとも月面にはいないことは間違いないのですから、この地図のどこかに私は居るはずなのです。タクシーから降ろしたもらった位置と、ここまでの移動ログを照合するに……この辺りと思われます。
「目的地は……あっちです!」
道なりです。順当な一手というか、一歩だったと思います。
訂正します。
とんでもない一歩を、私は踏み出してしまったようです。
「――え!? きゃああああああ!!」
ボゥッ!!
私は寸前のところで危険を察知し、私に向かって放たれたであろう攻撃(攻撃!)を回避しました。
「こ、ここここ今度はなんですかー!?」
地面に伏せ、頭を抱えながら叫びます。
しかしその一方で、久しぶりに感じる炎の感触と、物と空気が焼け付く臭いに、私の思考回路が一気に活性化していくのを感じました。
攻撃の正体は巨大な【火球】で、無防備な私なら五人くらいを一気に消し炭にできそうなほどの炎の塊でした。
火球の色は白に近いオレンジで、つまり温度は1500℃前後でした。ガスバーナーより少し弱い程度です。ですが、人間に直撃したらひとたまりもありません。近くにあった芝はもちろん、生木ですらも炎上しています。周囲の空気は一気に乾燥し、体の表面温度がじりじりと上がっていきます。
「ちぃっ、避けやがった!」
誰かの声が聞こえます。女の子の声でしたが、怖いです。しかしそれ以上に黙っていられませんでした。
「誰ですが! こんな危ないことするのは!」
火球が飛んできた方向――森の中にむかって叫びます。すると返事が返ってきました。
「危ないとかあんただけには言われたくねぇ……ぜ!」
たぶん誰かと勘違いされています。
ですがそれを伝える間もなく、相手は再び火球を放ってきたのです。自動販売機くらいの大きさでした。
「!!」
貯水量は心もとないですが、仕方ありません。
「ッ、ハイドロボール !」
パァンッ!
私が放った水の球が、炎と衝突して弾けとびました。その衝撃で炎も掻き消え、周囲には水煙が立ち込めます。
「うおぁ! なんだ!?」
木陰から驚きの声が上がります。
「あの女また怪しげな戦術を……!」
誰かが動く気配がします。私のレンズは影をとらえますが、水煙のせいではっきりとはわかりません。
「【
頭上で、まさに花火のような音がしました。それにつられて上を見ると……。
「……なっ!」
拳大の無数の炎で、空が埋め尽くされていました。それはまるで爆撃のようで、私に一瞬恐れを抱かせました。
「さてどうする? 人間のお嬢ちゃんよぉ!」
それを合図に、炎が落下――いえ、明らかに重力加速上回る速度をもった、いわば突撃が始まりました。
「!! ヴェール!!」
水を泡状にして体を覆います。拳大の炎を防ぎ切れるものではありませんが、貯水量の都合上これが限界でした。
なので私は走ります。多少の火の粉なら、水のヴェールが守ってくれます。
防戦では追い詰められるだけです。私は炎の雨をくぐり抜けつつ、出火元へと迫りました。
「おっ! 接近戦は大好きだぜ!」
「何を能天気な!」
「え!?」
相手の腕は無事です。傷一つありません。
パワー不足……なのでしょうか。
ここでもそうなのでしょうか。
「へっ」
唖然とする私を尻目に、相手――炎のように明るい髪色をした少女は、ニヤリと笑いました。
「もらったぁー! 積年の恨みぃー!」
「!!!」
深くへ響く波動が生じるのと共に、彼女の拳から炎が噴き上がります。拳には赤熱した【火精】のシンボルが浮かび上がっていました。
「【
温度が一気に上昇し、火災斧がたちまち過熱しました。人間ではとても持っていられない温度でしょう。
視界がオレンジで埋め尽くされ、夕焼けを思わせる光景でした。あるいは、ここが私の人生の黄昏なのかもしれないと、私は穏やかに感じました。
署長、天国に機械の居場所はあるでしょうか。昔みたいに、また、いろいろ教えてくださいませんでしょうか。
「ストップ」
ピシャアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァンッ!!
「ぎゃああああああああああああ!?」
強烈な放電音。
それから光。
あと、女の子が上げてはいけないタイプの悲鳴が上がった後、辺りは静寂に包まれました。
「まったく……この子はいつまで経ってもそそっかしい」
女の子が立っていました。
白……というより、白銀の女の子でした。肌も手足も、長い髪も服も白銀です。
他の色といえば――青だけです。服のささやかな装飾と、カチューシャと、眠たげな眼差しの奥に嵌め込まれた澄んだ瞳のすべてが、サファイアのような青色でそろえられていました。
そう、なんというか ……稲妻でできた
「
「え!? あっ、はい!」
「課長に話は聞いているわ。時間通りでよかった。メトロポリタンの防衛のために、 このあたりのGPSの表示を狂わせてあるのを忘れていて……迷子にさせてしまわなくて良かったわ」
「そ、そうだったんですか」
どうやら故障じゃなかったようです。
「それから――ごめんなさい。変なのに絡まれてしまって」
「あ……はい」
変なの……。
「彼女は
私の足元でノびている緋色の髪の女の子のことだと思われます。
「私は【TWM101
ライカさんの瞳の中で光が揺れます。何かのデータを確認したのでしょう。
「
「は、はい、ここに」
私は左の二の腕に刻まれた、【水精】のシンボルをライカさんに見せました。
「私の管理するメトロポリスにはいない精霊刻よ。期待しているわ」
「ぁ……ぅ」
私は言葉が出ませんでした。
今の私に、期待などという言葉は、あまりにも荷が重く感じられたのですから。
「メトロポリタン・アユタナへようこそ。歓迎するわ、盛大にね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます